1月22日はカレーの日~給食から三世代ご飯まで繋がる国民食ストーリー~

[ 1月の記事 ]

はじめに…1月22日のカレーの日ってどんな日?

「今日はカレーにしようか。」
このひと言で、何となく家の空気が緩んで、皆の顔が少し明るくなることってありませんか。カレーは、好きな具や辛さの好みは違っても、「まあいいか、カレーなら」と受け入れられやすい、不思議な料理です。

そんなカレーに、ちゃんと記念日があるのが「1月22日 カレーの日」。元々は、学校給食を切っ掛けに生まれた日だと言われています。全国の子どもたちが同じメニューを食べた日から、「カレーは皆で囲むご飯」というイメージが、さらに強くなっていきました。

今、大人になった私たちは、給食のカレーだけでなく、家のカレー、外食のカレー、レトルトのカレー、施設や病院で出会うカレー…と、人生のいろいろな場面でカレーに再会しています。ひぃじぃじ世代にとっては「ハイカラなご馳走」、ママ世代にとっては「忙しい日の味方」、子どもたちにとっては「大好きな定番メニュー」。同じお皿の中に、三世代分の思い出が重なっているところが、カレーの面白さかもしれません。

介護の現場でも、カレーは特別な力を持っています。香り1つで食欲が湧いたり、昔の仕事や旅行の話がどんどん出てきたり、「うちのカレーはね…」とご家族の自慢エピソードが溢れたり。少しトロミを調整したり、具材を小さく切ったりするだけで、多くの人が一緒に楽しめる料理に変わってくれるのも、頼もしいところです。

そして、1月22日は、お正月から少し時間がたって、冷蔵庫に「残りもの」が気になり始める頃でもあります。黒豆、かまぼこ、煮しめのお野菜…。そのままでは食べ切れない食材たちが、カレー鍋の中で、もう一度家族を笑顔にしてくれることもあります。冬の台所で、カレーは「福を掻き集める料理」にもなれるのです。

この記事では、そんな「1月22日 カレーの日」を入り口に、給食カレーの物語、家と施設のカレーの違い、世界のカレー旅と香りの魔法、お正月の残りもの救済カレーまで、カレーのいろいろな顔をゆっくり辿っていきます。

読み終わる頃には、「今年のカレーの日、うちではどうしようかな」「施設ではどんな工夫ができるかな」と、ちょっとワクワクしながら鍋の蓋を開けたくなる。そんな冬の温かい1日に、そっと寄りそうお話にしていけたらと思います。

[広告]

第1章…給食カレーから始まったカレーの日の物語

1月22日という日付は、カレンダーの上ではどこにでもある冬の一日です。けれども、日本の学校の歴史を辿ってみると、この日は「カレー」という合図で、全国の子どもたちのお腹と心を繋いだ、ちょっと特別な1日として語られています。

むかし、学校給食が始まってからの記念の年に、「せっかくなら全国の小学校で同じメニューを出してみよう」と考えられたことがありました。その時に選ばれたメニューが、皆が大好きな給食カレーでした。アルミのお皿やステンレスの食器に、湯気を立ててよそわれるカレー。配膳台に近づくほど、どんどん香りが濃くなっていく、あのワクワクする時間を覚えている方も多いかもしれません。

当時の子どもたちにとって、カレーは「いつもの給食の中でも、特別に楽しみな日」の象徴でした。おかずが何であってもあまり表情を変えない子が、カレーの日だけはそわそわして落ち着かない。普段は少食な子も、ごはんをおかわりしたくなる。そんな様子を見ていた先生たちや栄養士さんは、「カレーには、子どもの気持ちを前向きにする力があるなぁ」と感じていたことでしょう。

その「皆で同じカレーを食べた日」が切っ掛けとなり、1月22日は「カレーの日」と呼ばれるようになりました。つまり、この日は、特定の誰かの記念日というよりも、「全国の子どもたちと学校、そして給食を支えてきた人たちの、ささやかな記念日」と言っても良いかもしれません。大きな式典があるわけではありませんが、台所と教室の間で生まれた小さな物語が、今のカレンダーにそっと残っているのです。

あの頃、給食でカレーを食べていた子どもたちは、今ではパパやママになり、お爺ちゃん、お婆ちゃんになり、中には介護を受ける側になった方もいます。高齢者施設でカレーを出した時、「昔の給食を思い出すなぁ」と笑いながら話してくださる方がいるのは、その歴史を体のどこかが覚えているからかもしれません。アルミの食器、牛乳瓶、教室いっぱいのカレーの香り。そうした情景は、口にひと口ふくんだ瞬間に、ふわりと甦ります。

何故、ここまでカレーが「皆で食べるご飯」の代表になったのでしょうか。1つには、具材を変えれば、どの地域にも、どの家庭にも馴染みやすいことがあります。じゃがいもを多くしたり、にんじんを小さく切ったり、豚肉を鶏肉に替えたり。学校でも家庭でも、作る側が工夫しやすく、食べる側も「こういうカレーもありだね」と受け入れやすい柔らかさを持っています。もう1つは、大鍋でたくさん作っても味が馴染みやすく、大勢に配りやすいという実務的な理由もあるでしょう。けれど、そうした事情を越えて、「あの香りがすると、何故か安心する」という感覚こそが、カレーを特別なものにしてきたのだと思います。

1月22日の「カレーの日」の話は、高齢者の方との会話の切っ掛けにもなります。「子どもの頃、給食でどんなカレーを食べましたか」「家のカレーと、給食のカレーはどこが違いましたか」。そんな問い掛けから、戦後まもない頃の食卓の話や、地域ごとの食文化、貧しかった時代の工夫など、教科書には載っていない暮らしの歴史が、ポツリポツリと語られていきます。介護の現場にいると、こうした何気ない会話が、その人の人生を知る大切な入り口になることを、改めて感じさせられます。

そして今、私たちは、給食カレーから続く長い物語の、バトンを受け取っている立場にいます。かつて子どもだった人たちと同じテーブルを囲みながら、「あの日のカレー」と「今日のカレー」を繋げていく役目です。次の章では、そのバトンが、家の食卓と高齢者施設の食堂で、どのように形を変えて受け継がれているのかを、三世代それぞれの視点から眺めていきたいと思います。


第2章…家のカレーと施設のカレー~三世代で違う味と記憶~

同じ「カレー」という料理でも、「家のカレー」と「施設のカレー」では、姿も役割も少しずつ違います。さらに、ひぃじぃじ世代、ママ世代、子ども世代と、三世代でカレーに抱いている思い出も、それぞれに色合いが違います。その差をそっと眺めてみると、台所と食堂の間にある、小さな物語が見えてきます。

例えば、ある冬の夕方。台所では、ママが大きめの鍋に玉ねぎを炒めています。フライパンの上で、透き通っていく玉ねぎの色を見ているだけで、「あ、今日はカレーだな」と家族は気づきます。ひぃじぃじはこたつに入りながら、「昔は肉なんてほとんど入ってなかったけどなあ」と、戦後まもない頃の食卓を思い出しています。ママはママで、「今日は冷蔵庫の残りものを全部を使い切りたい」という現実的な事情を抱えつつ、「うちのカレーらしい味」を守ろうと、こっそりいつもの隠し味を足しています。子どもは子どもで、「あの箱のルウじゃないとイヤ」と、メーカーまでしっかり覚えていて、パッケージの色で気分が変わるほどです。

こうして生まれる「家のカレー」は、その家庭にしかないルールと習慣の塊です。玉ねぎを焦がすくらいまで炒める家もあれば、野菜をゴロゴロ大きく切る家もあります。牛肉、豚肉、鶏肉、ひき肉、ソーセージ。具材の選び方に、その家の暮らし方や予算感、好みがそのまま映ります。甘口と辛口をブレンドして家族全員の顔色をうかがいながら味を決める家もあれば、「大人用と子ども用で鍋を分けるのが当たり前」という家もあります。「カレーの次の日は、カレーうどん」と決めている家庭もあれば、「必ずトッピングにチーズを載せる」というお約束がある家もあるでしょう。

一方で、高齢者施設の食堂で出てくるカレーには、まったく別の事情があります。まず、食べる人の年齢も体調もバラバラです。塩分を控えなければならない方、固いお肉が苦手な方、ご飯の量を調整したい方、トロミが必要な方。栄養士さんや調理スタッフは、1人1人の情報を確認しながら、「出来るだけ多くの人が、安心して、そして楽しんで食べられるカレー」を目指して、味付けや具材の形を工夫しています。

大きな鍋にたくさんの具材を入れて煮込む時、施設では「噛みやすさ」と「飲み込みやすさ」が大きなテーマになります。じゃがいもはスプーンでホロリと崩れる柔らかさまで煮るかどうか、にんじんはどのくらいの厚さに切るか、肉は脂身の少ない部分を使うか、ひき肉に替えるか。限られた人手と時間の中で、固さや大きさを揃える作業はなかなか大変ですが、それでもカレーの日になると、厨房からはいつもより少し弾んだ声が聞こえてきます。「今日はカレーだから、きっと皆の食が進むね」と。

施設のカレーには、家庭のような「この家だけの隠し味」はないかもしれません。その代わり、「この施設の皆で食べる日」という、一体感があります。食堂にカレーの香りが広がると、普段は静かに食べている方が、隣の席の人に話しかける姿が見られることもあります。「うちのカレーはね、牛すじをよく入れてたよ」「私は海軍でね、金曜日はいつもカレーだったんだ」。職員が知らなかった若い頃の仕事の話や、家族との思い出が、湯気と一緒にテーブルの上に立ち昇ってきます。

そこに、ママでもあり介護職でもある人が加わると、カレーはさらに不思議な役割を担います。家では、「簡単でボリュームがあって、子どもも喜ぶ料理」として頼りにしながら、施設では「高齢者の方にしっかり食べてもらえる心強いメニュー」として向き合う。ひとりの人間の中に、「家のカレー」と「施設のカレー」の両方の顔が重なっていて、そのどちらにも、給食カレーの記憶が潜んでいる。これこそが、三世代を繋ぐカレーの深みかもしれません。

「家のカレー」と「施設のカレー」は、味も見た目も少し違いますが、どちらも「大切な人に、温かい物を食べてほしい」という願いから生まれています。家では、忙しい毎日の中で、何とか時間をやりくりしながら鍋を火にかける。施設では、多くの人の体調と安全を考えながら、大鍋を掻き混ぜる。どちらも、台所と食堂での小さな努力の積み重ねです。

1月22日のカレーの日には、家でも施設でも、いつもより少しだけ「カレーの思い出」に耳を傾けてみるのも良いかもしれません。「うちのカレーは、どうしてこの味になったのかな」「あの人の人生で一番忘れられないカレーは、どんな場面だったのかな」。そんな問い掛けから、世代を越えた会話が生まれます。

次の章では、日本の食卓から少し視野を広げて、世界にはどんなカレーがあり、その香りがどのように人の心や食欲を揺り動かしてくれるのかを、椅子に座ったまま出来る「世界のカレー旅」として眺めていきたいと思います。


第3章…世界のカレー旅と香りの魔法~椅子に座ったまま地球一周~

カレーという料理は、日本の家庭や給食だけのものではありません。少し視野を広げてみると、インド、イギリス、タイ、ネパール…世界のあちこちで、それぞれの国らしい姿に着替えたカレーたちが、今日も食卓に並んでいます。同じ「カレー」という言葉で呼んでいても、使うスパイスも、油も、具材も、盛り付け方も、国が変わればまるで別人のようです。けれども、どの国のカレーにも、湯気と一緒にフワッと立ち昇る「いい香り」と、それを囲む人たちの笑顔があるところは共通しているのかもしれません。

例えば、インドのカレーを思い浮かべる時、多くの人はスパイスの香りを想像するのではないでしょうか。クミンやコリアンダー、ターメリック、カルダモン…。名前は覚えていなくても、一度鼻に入った香りは、どこかでしっかり記憶されています。イギリスでは、かつてインドとの関わりからカレーが広まり、家庭料理として「カレー風味の煮込み」が受け入れられていきました。タイに行けば、ココナッツミルクとハーブがきいた、さらりとしたグリーンカレーやレッドカレーが人気です。そのイギリスから日本にカレーは伝わったと言われています。ひと口にカレーと言っても、そこにはその国の歴史や気候、宗教や暮らし方がギュッと詰まっています。

高齢者の方と「世界のカレー」の話をする時、必ずしも本物をたくさん用意する必要はありません。地図と国旗の絵を広げて、「ここがインド」「ここがタイ」と場所を指さしながら、「この国のカレーは、少し辛くて、ココナッツの香りがするそうですよ」と想像の旅を楽しむだけでも、十分にワクワクします。もし可能であれば、スパイスを少しだけ小皿に入れて、香りを嗅いでもらうのも良いでしょう。指先でほんの少し摘まんで、そっと鼻に近づけた瞬間、表情が柔らかくなったり、「ああ、カレーの匂いだ」「昔、港町でこんな香りを嗅いだことがある」と、意外な記憶が口をついて出てきたりします。

香りは、味覚の前に心を動かす合図のようなものです。特に冬は、寒さや怠さから食欲が落ちてしまう方も少なくありません。食堂にカレーの香りがフワッと広がっただけで、「今日は食べてみようかな」という気持ちが少しだけ芽生えることがあります。ひと口目を運ぶ前から、鼻と脳が「美味しそうだ」と準備を始めてくれるのです。スパイスの香りが強過ぎると苦手な方もいるので、施設や家庭では、香りの強さをやさしく調整しながら、「食べてみたい」という気持ちをそっと後押しする役目を担わせると良いでしょう。

また、世界のカレー旅は、椅子に座ったままで楽しめるレクリエーションとしても頼もしい存在です。プロジェクターやタブレットで、各国のカレーの写真をゆっくり見てもらいながら、「どのカレーが一番気になりますか」「もし元気だったら、どの国に食べに行ってみたいですか」と問い掛けると、自然と会話の輪が広がります。料理の話から、その国に行ったことがある人の旅の思い出や、船員だった頃のエピソード、海外で暮らしている家族の話に発展することもあるでしょう。カレーというテーマ1つで、世界地図と人生の地図が重なり合う時間になります。

実際の食事では、日本の家庭的なカレーひと種類だけを提供するとしても、話題としては「今食べているのは、日本風のカレーライス」「でも世界には、こんなカレーもあるらしい」と、想像の世界を自由に広げてあげることが出来ます。カレーの日に合わせて、いつもより少し丁寧に玉ねぎを炒めたり、盛りつけにひと工夫を加えたりするだけでも、「今日は特別なカレーなんだ」という雰囲気が生まれます。その上で、食前や食後の一時に、世界のカレーの話題やスパイスの香りを取り入れれば、台所から始まる小さな「世界一周ツアー」が、椅子に座ったままの場所で完成します。

世界のカレー旅と香りの魔法は、食欲を支えるだけでなく、「まだ知らない世界がある」という好奇心や、「昔はこんなところへ行ってみたかった」という夢をそっと呼び起こしてくれます。年齢に関係なく、人は新しいものや美味しいものの話をしている時、自然と目に輝きが戻るものです。次の章では、そんなカレーの力を、もう少し日常に引き寄せて、お正月の残りものを「福のカレー」に生まれ変わらせる台所の工夫について考えていきます。


第4章…お正月の残りもの救済カレー~冬の台所から福をかき集める~

お正月が過ぎて、松の内もそろそろ終わるころ。ふと冷蔵庫を覗くと、タッパーの中で静かに眠っている黒豆、端っこだけ残ったかまぼこ、少しだけ余った煮しめの野菜、薄く切ったローストビーフ、お餅が数個。どれも「捨てるには惜しいけれど、このままでは食卓に出しにくい」顔触れです。そんな食材たちが、1月の台所で居場所を無くしかけている時、頼りになるのが「残りもの救済カレー」という発想です。

例えば、介護士ママの冬の夕方を想像してみます。仕事から帰ってきて、洗濯機を回しながら、子どもの宿題をチラリと確認しつつ、冷蔵庫の中身をチェックします。タッパーが並ぶ棚を見て、「ああ、まだお正月が居残りしているなあ」と小さくため息。それでも、フライパンと鍋を出して火をつけると、「今日はカレーの日にしてしまおう」というアイデアが湧いてきます。黒豆は水気を切ってから軽く潰して、煮しめのれんこんやにんじんは一口大よりも少し小さめに切り直し、かまぼこは短冊状に、ローストビーフは細切りにしておきます。お餅は、そのままでは喉につまりやすいので、小さく切って別に弱火で煮て、トロトロの状態にしておくと安心です。

こうして準備した食材を、いつものカレー鍋に少しずつ混ぜていくと、見慣れたはずのカレーが、どこかお節料理の名残りをまとった特別な一皿に変わっていきます。黒豆の仄かな甘さがソースに馴染み、かまぼこの弾力が食感のアクセントになり、煮しめで味の沁みた野菜が、スプーンでホロリと崩れる柔らかさで口の中に広がります。ローストビーフの切れ端も、しっとりとした旨みに変わって、贅沢なトッピングのような存在感を見せてくれます。お餅は無理に具として入れなくても、別皿で「トロトロカレー餅」として少量添えれば、高齢の方にも安全に楽しんでもらえる小さな一品になります。

高齢者のいる家では、残りもの救済カレーは「栄養を無駄にしない工夫」であると同時に、「噛みやすさ、飲み込みやすさを整えた再出発の料理」にもなります。大き過ぎる具は、包丁でやさしく刻み直し、固くなりがちなお肉は、細かく切ってからよく煮込む。塩分は、お節料理の味が既に付いている分、いつもより控えめでも満足感が出ます。トロミが足りなければ、少しだけじゃがいもを多めに入れて煮崩すだけでも、口当たりはグッとなめらかになります。

高齢者施設でも、この考え方はそのまま活かせます。お正月メニューの名残りとして残った食材を、きちんと衛生面に注意しながら活用すれば、「お正月の味がもう一度甦るカレー」として、利用者さんに提供できます。黒豆入りの優しい甘口カレー、かまぼこや伊達巻を細かく刻んで彩りを添えたカレー、煮しめ野菜をペースト状にしてソースに溶かし込んだカレー。どれも豪華な食材を足したわけではなく、「既にある福を、もう一度掻き集めた料理」です。

食堂でそのカレーを出すと、「あれ、黒豆が入っているね」「お正月の煮物の味がする」といった感想が聞こえてきます。それを入口に、「今年のお正月はどんな過ごし方をしましたか」「子どもの頃のお節料理で、一番好きだったものは何ですか」と話題を広げていけば、食卓は自然と回想タイムに変わります。単なる「残りもの処理」ではなく、季節の思い出をもう一度味わう時間が、器の中にそっと甦っているのです。

家庭では、冷蔵庫の中身が片づいていく安心感も大切な要素です。タッパーが1つ空き、2つ空き、棚の中がスッキリしていくと、「お正月、お疲れ様」と季節に声を掛けたくなります。同時に、「ちゃんと食べ切ることが出来た」という小さな達成感も生まれます。それは、食べ物を大事にしてきた世代にとって、とても誇らしい感覚です。「もったいないから」という言葉には、節約だけでなく、作った人への感謝や、自然の恵みへの敬意が込められています。残りもの救済カレーは、その思いを実際の料理として形にする方法の1つと言えるでしょう。

1月22日のカレーの日は、お正月料理の余韻がまだ冷蔵庫に残っている時期と重なります。この日を目安に、「今年の残り物は、カレーに変身させて見送ろう」と決めてしまうのも、冬の新しい習慣になりそうです。家でも施設でも、「福を掻き集めるカレーの日」として位置付ければ、台所の片付けも、食卓の会話も、少しだけ前向きな時間に変わっていきます。

残りもの救済カレーは、見方を変えれば、「過ぎていく季節を、最後まで美味しく味わい切るための工夫」です。次のまとめの章では、給食カレーの歴史から三世代の食卓、世界のカレー旅、そしてこの福寄せカレーまでを振り返りながら、「カレーの日」を家族と高齢者の小さな年中行事として育てていくヒントを考えていきたいと思います。

[広告]


まとめ…カレーの日を家族と高齢者の小さな年中行事にする

1月22日の「カレーの日」は、ただカレーを食べるだけの記念日ではありません。全国の子どもたちが同じ給食カレーを囲んだ日から始まった物語が、今では、家の食卓や高齢者施設の食堂、世界の料理への想像旅行、お正月の残りものを生かす台所の知恵へと、静かに枝葉を伸ばしています。

第1章では、給食カレーから始まった「カレーの日」の由来を辿りました。アルミのお皿に山盛りによそわれたカレーの湯気、廊下にまで広がる香り、いつもよりそわそわしてしまう教室の空気。あの日の記憶は、年齢を重ねた今も、ひと口めのカレーと共に、フッと甦ります。1月22日は、そうした子ども時代の記憶と、学校給食を支えてきた人たちに、そっと「お疲れ様」と声を掛ける日でもあります。

第2章では、「家のカレー」と「施設のカレー」を三世代の視点から見つめました。家庭では、ルウの銘柄や隠し味、具の大きさに、その家ならではの歴史や性格が滲みます。高齢者施設では、塩分や固さ、トロミの調整など、安心して食べてもらうための工夫が込められています。見た目や味は少しちがっても、「大切な人に温かい物を食べて欲しい」という願いは共通です。家の食卓と施設の食堂、その両方でカレーを作る人の姿を思い浮かべると、鍋をかき混ぜる音が、世代を繋ぐリズムのように聞こえてきます。

第3章では、世界のカレー旅と香りの力に目を向けました。インドやタイ、イギリスなど、国ごとに姿を変えるカレーを話題にしながら、椅子に座ったまま地球を一周するような時間をイメージしました。実際にたくさんの料理を準備しなくても、地図や写真、スパイスの香りがあれば、想像の旅は十分に楽しめます。湯気と共に立ち昇る香りは、「美味しそう」「ちょっと食べてみたい」という気持ちを静かに呼び覚まし、食欲が落ちがちな冬の日にも、心と体のエンジンをそっと掛けてくれます。

第4章では、お正月の残りもの救済カレーという視点から、冬の台所を覗きました。黒豆、かまぼこ、煮しめの野菜、ローストビーフの切れ端、小さく刻んだお餅。冷蔵庫の片隅に残った「もったいない」を、1つの鍋に集め直すことで、「福をかき集めるカレー」が生まれます。家庭でも施設でも、残りものを生かしながら、季節の味わいをもう一度楽しめる工夫は、食べ物への感謝や、作り手への敬意を形にする時間でもあります。

こうして振り返ってみると、「カレーの日」は、ただの記念日ではなく、「過去の思い出」「今の暮らし」「これからの楽しみ」を繋ぐ小さなハブのような存在だと分かります。家では、「今日は1月22日だから、カレーの日にしようか」と声をかけて、子どもや高齢の家族と、昔のカレーの話をしてみる。高齢者施設では、「カレーの日」に合わせて、利用者さんの思い出のカレーを聞き取り、小さなレクのテーマにしてみる。そんな一工夫だけでも、その日が少し特別な冬の日に変わります。

年中行事というと、お正月や節分のような大きなイベントを思い浮かべがちですが、「カレーの日」のようなささやかな日を、家族や利用者さんと共有することも、心のカレンダーを豊かにしてくれます。「今年のカレーの日は、どんなカレーにしよう」「来年は、世界のカレー旅もやってみたいね」。そんな会話が1つ増えるだけで、1月の終わりが、少し温かく感じられるはずです。

1月22日のカレーの日を切っ掛けに、給食の思い出、家の味、施設の工夫、世界の料理、お正月の名残り。いろいろな物語を一皿の中にそっと重ねながら、「また来年も、この日を迎えよう」と笑い合える。そんな冬の習慣を、家族と高齢者の間に、少しずつ育てていけたら素敵ですね。

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


[ 応援リンク ]


人気ブログランキングでフォロー

福彩心 - にほんブログ村

[ ゲーム ]

作者のitch.io(作品一覧)


[ 広告 ]
  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。