大量鍋カレーとシチューの想い出の一皿~高齢者施設で叶えるベースとトッピング作戦~
目次
はじめに…大量鍋カレーとシチューと想い出の一皿の間で
冬になると、高齢者施設の献立表にもカレーとシチューが顔を出します。大きな回転釜でコトコト煮込まれたカレー、大鍋いっぱいのクリームシチュー。食堂にフワッと立ち昇る香りは、それだけで少し心がほどけるような安心感があります。どちらも「国民食」と言われるほど馴染み深く、子ども時代から老年期まで、何度も食卓に登ってきた味です。
けれど、よく考えてみると、高齢者施設のカレーやシチューは、とても不思議な立場に置かれています。入居しているお一人お一人には、「我が家のカレー」「あの頃のシチュー」という、それぞれの物語を背負った一皿があるのに、現場の厨房から出てくるのは、どうしても「皆のための1つの味」になりがちだからです。辛さもコクも具材も、塩分も脂の量も、すべてが平均点を目指した結果、「誰にとってもそれなりだけれど、誰のものでもないカレーとシチュー」になってしまう危うさを抱えています。
一方で、世の中を見渡すと、カレー専門店にはびっくりするほど多彩なトッピングメニューが並びます。同じベースのルウでも、チーズを載せる人、カツを載せる人、野菜をたっぷり追加する人、ご飯少なめで頼む人。1人1人の好みに合わせて、「正解の一皿」が無数に用意されているような光景です。そこには、「ベースはお店が決めるけれど、仕上げはお客さんに委ねる」という、シンプルだけれどとても豊かな発想があります。
高齢者施設のカレーとシチューに、同じことは出来ないのでしょうか。入居ルートも背景もバラバラな利用者さんを、「高齢者」という一言でまとめてしまい、味の好みも思い出も全部薄めてしまうのか。それとも、現場が倒れてしまわない範囲で、せめてベースの味とトッピングのバリエーションだけでも工夫しながら、「あなたの想い出に、少しでも近づけたい」という姿勢を形にしていくのか。この差は、長い入所生活の中で、じわじわと大きな違いになっていきます。
もちろん、施設の現場には現場の事情があります。人手も時間も無限ではなく、衛生面のルールも守らなくてはなりません。大量鍋で作る以上、どうしても「集団化」の波は押し寄せてきます。それでも、「この方はカレーが苦手だったな」「この方は若い頃のビーフシチューの話をよくしていたな」という情報を、聞いただけで終わらせず、味作りやトッピングの工夫に繋げていくことは、決して夢物語ではありません。
この2作目では、大量鍋で作られるカレーとシチューが、何故「皆の味」になりやすいのかを見つめ直しながら、想い出の一皿を蔑ろにした時に生まれる小さな痛みにも目を向けていきます。その上で、味のアセスメントを「設計図」として活かし、ベースとトッピングという発想で個別性を開いていく道を探ります。ベースは共有でも、一皿ごとの仕上げは、その人だけのカレーとシチューに近づけていく。そのために、高齢者施設で無理なく取り入れられる実践アイデアを、物語を交えながら一緒に考えていきましょう。
[広告]第1章…大量鍋カレーとシチューはなぜ「皆の味」になりやすいのか
高齢者施設の厨房を覗くと、大きな回転釜や業務用の鍋が並び、その中でカレーやシチューがグツグツと煮えています。利用者さんの人数が多ければ多いほど、どうしても鍋は大きくなり、いわゆる「大量鍋カレー」「大量鍋シチュー」の世界になっていきます。見た目は頼もしく、香りも豊かです。それなのに、お皿に盛りつけられた瞬間、どこか「誰のものでもない味」に感じられてしまうことがあります。ここには、いくつかの理由が静かに潜んでいます。
まず、施設のカレーとシチューには、「安全に、確実に、多くの人へ届ける」という使命があります。噛む力や飲み込む力、持病やお薬の影響、塩分や脂質の制限など、考えなくてはならない条件がいくつも重なります。結果として、辛さや濃さをグッと抑え、塩分も控えめにし、具材はやわらかく小さめに切るという方向に味がまとまっていきます。それ自体は決して間違いではなく、とても大切な配慮なのですが、気がつくと「どなたにも大きくは外れないけれど、胸が高鳴るわけでもない味」になってしまいがちです。
さらに、大量鍋での調理には、時間と人手の制約がつきまといます。朝から昼食、昼から夕食へと、厨房はほとんど休む暇もなく動き続けています。カレーやシチューは、「たくさん作りやすく、盛りつけもしやすい便利なメニュー」として重宝される一方で、ひと皿ずつ味を変える余裕はほとんどありません。辛さを途中で変えたり、具材だけを別鍋で煮たり出来れば理想ですが、現実の厨房では、「1つの大鍋で、同じ味を全員分で揃える」ことがどうしても前提になります。
そこに重なるのが、衛生面のプレッシャーです。大人数分のトロミ料理を扱う以上、火の入れ方や温度管理には細心の注意が求められます。鍋の底からしっかり掻き混ぜ、中心部まで温度を上げ、提供時間を管理する。もし味の調整やトッピングに時間を掛け過ぎれば、その分だけ「温い時間」が長くなり、リスクも増えてしまいます。安全を第一に考えれば考えるほど、味の冒険や大胆なアレンジからは、自然と距離を置かざるを得ない場面も多くなるのです。
一方で、大量鍋の世界にも、工夫と誇りがあります。例えば、自衛隊が被災地で行う炊き出しカレーでは、巨大な鍋から、スコップのような形をした大きなお玉でカレーをよそっている姿が知られています。一見すると「え、スコップでカレー?」と驚いてしまいますが、実際には新品を用意し、炊き出し専用の調理器具として衛生的に使われています。限られた時間で、大勢の人に温かい一皿を届けるために、形や大きさを工夫した結果なのです。見た目だけでは雑に見えてしまうかもしれませんが、その裏側には、合理性と優しさが詰まっています。
高齢者施設の厨房も、実はこれとよく似ています。表から見えるのは、同じお皿に同じカレー、同じシチューが並ぶ光景です。しかし、その背景には、「この人数を、限られた時間と人員で、安全に満腹にするにはどうしたらいいか」という、毎日の試行錯誤があります。塩分や脂質を抑えつつ、出来るだけ物足りなさを感じさせないようにするにはどうしたら良いか。噛み難い具材をどう下処理するか。こびりつきやすいルウを、焦がさずに大量に煮込むにはどう鍋を扱うか。そうした工夫が積み重なった結果が、「大量鍋カレー」や「大量鍋シチュー」なのだと言えます。
ただ、その過程で、もう1つ別のものがスルリとこぼれ落ちてしまうことがあります。それが、「その方だけの想い出の一皿」です。家庭のカレーやシチューは、作った人の顔や声、家族との会話、特別な日の風景と切り離せない存在です。母の味、配偶者の味、自分が若い頃に磨き上げた味。そうした記憶と比べると、いくら安全で栄養バランスが良くても、「施設の平均的なカレーやシチュー」が、どこか味気なく感じられてしまうのは、ある意味で当然のことかもしれません。
ここで問題になるのは、「大量鍋だから仕方ない」で話を終わらせてしまうことです。入所の経路も人生の背景もまったく違う人たちを、「高齢者」という言葉でまとめてしまい、味の好みも思い出もすべて同じ箱に入れてしまう。その上で、「今日のカレーはこれです」「今日のシチューはこの味です」と一律に差し出してしまうと、「皆の味」である前に、「誰のものでもない味」になってしまいます。
大量鍋カレーとシチューが「皆の味」になりやすい理由は、決して怠慢や無関心だけではありません。安全と効率と人手の制約が重なった結果としての「構造」です。ただ、その構造の中に、「想い出に寄り添う余白」をどれだけ残せるかどうかで、入居者さんの感じ方は大きく変わってきます。次の章では、この「想い出の一皿」が軽んじられた時、高齢者の心の中にどのような小さな痛みが生まれるのかについて、少し丁寧に見つめていきます。
第2章…想い出のカレーとシチューを無視する時~心に残る小さな痛み~
新しく入所した利用者さんに、職員が丁寧に聞き取りを行う場面を思い浮かべてみます。「好きな食べ物は何ですか?」「思い出に残っている料理はありますか?」と、用紙を前に質問が続きます。ご本人やご家族は、少し照れながら「カレーですねぇ」「冬はシチューが多くてね」と、若いころの話や子ども時代のエピソードを交えて教えてくれます。用紙には、きれいな字で「好きな料理:カレー、シチュー」と記録され、その紙は丁寧にファイルへと綴じられていきます。
ところが、そのあと何かが変わったかと言えば、現場の実感としては「特に何も変わらない」ということも少なくありません。相変わらず月に数回、献立表に「カレー」「シチュー」と書かれ、当日になれば、いつも通りの大量鍋で作られたものが、いつも通りの盛り付けで配膳されていきます。入所前に聞いた「我が家のカレーの思い出」も「冬になると必ず作ったシチューの話」も、そのまま書類の中で眠ってしまう。こうした状況が積み重なると、せっかくのアセスメントは、利用者さんの人生に触れた“記録”でありながら、日々の生活には結びつかない“飾り”になってしまいます。
カレーやシチューは、単なる好物ではなく、その人の人生の一場面と強く結びついていることが多い料理です。例えば、「給料日の翌日は必ずカレーだった」「寒い日は、母が大きな鍋でクリームシチューを作ってくれた」「子どもが熱を出した時は、優しい味のカレーうどんにしてくれた」など、香りや温度と一緒に情景が甦る一皿です。そんな想い出に満ちた料理が、ある日突然、「よく知らない場所で、よく知らない味」として目の前に出てくると、胸の中に小さな違和感が生まれます。「これ、私の知っているカレーじゃない」「家のシチューとは、どこか違う」。その違和感が、“ガッカリ”で終わる日はまだ良い方で、積み重なっていくと、やがて「ここでは、私の話はあまり意味が無いのかもしれない」という寂しさに育ってしまうこともあります。
反対に、「嫌い」「苦手」という情報が軽く扱われた時の痛みも、見過ごせません。中には、若い頃の食中毒体験や、匂いで気分が悪くなった記憶などから、「カレーはどうもダメでね」「シチューを見ると胸焼けする」と、はっきり苦手意識を持っている方もいます。また、持病や薬の影響で脂っこいものを避けてきた結果、「カレー=体調を崩すイメージ」と結びついてしまっている方もいます。それでも、「皆が好きなはず」「高齢者はカレーが好き」という思い込みの下で、何度もお膳にカレーが登ってくると、「またか」「どうせ話しても変わらない」という諦めが、心のどこかに沈殿していきます。
ここで大事なのは、「家庭の味を100%再現できなければいけない」と考えることではありません。施設の厨房には、物理的にも人的にも限界がありますし、塩分や脂質の調整、衛生面のルールもあります。それでも、「聞いたことを、1つも形にしないまま」時間だけが過ぎてしまうとしたら、それはやはり問題です。利用者さんの側から見れば、「あの時に一生懸命話した“我が家のカレー”や“あの日のシチュー”は、聞かなかったことにされてしまったのだろうか」と感じるかもしれません。
例えば、アセスメントで「カレーが好き」と答えた方がいるのなら、その方の前にお皿を置く時、「お好きだと伺ったので、今日はカレーの日ですよ」と、一言添えるだけでも伝わり方は変わります。逆に、「カレーは苦手」と分かっている方には、カレーの代わりに別のメニューを用意し、「今日は皆さんカレーですが、〇〇さんにはこちらをご用意しました」と、同じテーブルの中でも“ちゃんと選ばれている”感覚を持ってもらうことが出来ます。味の中身を劇的に変えられなくても、「あなたの話を覚えていますよ」というメッセージを添えることで、料理はグッと「その人の一皿」に近づきます。
また、「カレーもシチューも好きだよ」という方の中にも、よくよく話を聞いてみると、好みの軸は大きく違っていたりします。「辛口で、具はゴロゴロしているのが好き」「逆に、辛いのはまったくダメで、トロトロに煮込んだ甘口が好き」「シチューはパンで食べたい」「いやいや、ご飯にかけるシチューこそ最高」など、好みの地図は本当に様々です。こうした細かな情報が、アセスメント票の片隅に小さく書かれたままではもったいないのです。本来なら、ベースの味をどう設定するか、どんなトッピングや盛り付けなら現場で無理なく対応できるか、といった「味の設計図」を描くための、貴重な手掛かりになります。
利用者さんにとって、「自分の話を聞いてもらえた」「その結果が、目の前の一皿に反映された」という体験は、単に食事の満足度を上げるだけではありません。「ここでは、私の昔話や好みが、ちゃんと大事にされる」「この人たちに任せても大丈夫」という安心感に繋がります。反対に、何度話しても、何枚アンケートを書いても、食卓の風景がまったく変わらないとしたら、「どうせ言っても無駄だ」という学習が進んでしまいます。この“学習された諦め”こそが、心の中に静かに積もる小さな痛みの正体なのかもしれません。
もちろん、現場の職員に悪意があるわけではありません。忙しさや人手不足のなかで、「そこまで手が回らない」というのが、何でもかんでも理由の根本にされる本音といったところでしょう。ただ、「手が回らないから仕方ない」で終わらせるか、「せめてここだけは」と、小さくても実現できる工夫を探していくかで、入居生活の豊かさは確実に変わっていきます。次の章では、この「想い出の一皿」を少しでも救い上げるために、味のアセスメントをどうやって「ベース」と「トッピング」の設計図へと変えていくのか、その具体的な考え方をたどっていきます。
第3章…味のアセスメントを設計図に~ベース+トッピングで個別性を開く~
せっかく「カレーが好き」「冬はシチューが楽しみだった」と聞き取っても、献立や味作りに反映されなければ、アセスメントは宝の持ち腐れになってしまいます。本当は、聞き取ったエピソードや好みを、そのまま厨房に渡せる「味の設計図」に変えていくことが大切です。ここで役に立つのが、「ベース」と「トッピング」という考え方です。全部を一気に個別対応しようとすると現場はパンクしますが、土台となる味を決め、その上で少しずつ仕上げを変えることで、無理なく個別性を開くことが出来ます。
まず、味のアセスメントでは、「好きか嫌いか」だけで終わらせないことが大切です。たとえば、カレーなら辛さ、コクの強さ、具材の大きさ、ごはんとの相性、シチューならミルク感の濃さ、具材の種類、パン派かごはん派か、といった要素に分けて聞いてみると、その人の好みの軸が見えてきます。「昔は辛口が好きだったけれど、今は胃が重くなるから甘口で」「ジャガイモは少なめがいい」「シチューには必ずパンを合わせていた」など、何気ないひと言が、ベースの味を組み立てるヒントになります。聞き取りの時に、こうした要素ごとのメモ欄を用意しておくと、後から見返したときに具体的なイメージが浮かびやすくなります。
次に、その情報を元に「施設としてのベース」を決める作業が必要です。例えば、辛さについては、全体の希望を眺めた上で「普段のカレーは中辛寄りだけれど、尖った辛さは抑える」「シチューは優しいミルク感を基本にする」など、方針を言葉にしておきます。具材は、噛む力や飲み込みやすさを考え、あまり大きくし過ぎない代わりに、玉ねぎをしっかり炒めて甘みと香りを引き出す、牛肉ではなく鶏肉や豚肉を使うなど、現実的な線を探ります。ここで大事なのは、「誰か1人の想い出を完璧に再現するベース」ではなく、「多くの人が大きく外れない、でも工夫次第で寄り添える土台」を作る意識です。
そして、ベースが固まったら、次はトッピングや仕上げで個別性を足していく段階に進みます。カレー専門店を思い浮かべると分かりやすいのですが、お店はルウの種類や量をある程度絞る代わりに、トッピングの豊富さでお客さん1人1人の好みに応えています。高齢者施設でも、規模に応じて工夫をすれば、似たようなことが出来ます。例えば、チーズ、ゆで卵、温泉卵、ほうれん草バターソテー、素揚げした野菜、少量の揚げ物など、もともと厨房で扱っている食材を上手に組み合わせて、「今日はこの中から1つか2つ選んでくださいね」といった形で、選ぶ楽しさを加えることが出来ます。
シチューも同じです。ベースは優しいホワイトシチューでも、仕上げでパンを添えるか、ご飯に掛けるか、粉チーズを振るか、温野菜を別皿に盛るかによって、「家庭でよく食べたスタイル」にグッと近づけることが出来ます。中には、「1日目はシチュー、2日目はシチューをベースにしたカレー風」という家庭の知恵を持っている方もいるでしょう。行事食やイベントの日には、そうしたエピソードを拾って、「今日は昔のようにシチューの日です」「次の日は、シチューをアレンジした特別カレーです」といった提案をすることも出来ます。
こうした工夫を実現するためには、厨房と介護職、栄養士が「味の情報」を共有しやすい仕組みづくりも欠かせません。紙のファイルの奥に眠っているだけのアセスメントではなく、「辛さはこのくらい」「パン派です」「カレーは苦手」といったポイントを、一目で分かる形に整理しておくことが大切です。ユニットごとに「味の好みマップ」を作ったり、献立表の脇に「この日のカレーは少しスパイス感強め」「シチューの日はパンも選べます」と書き添えたりするだけでも、食堂の雰囲気は変わります。
もちろん、全員分を毎回完璧に個別対応することは出来ません。それでも、「ベースとトッピング」という考え方を取り入れることで、現場の負担を増やし過ぎずに、「選べる余地」「自分で仕上げる楽しみ」を少しずつ増やしていくことができます。大切なのは、「この方にはどう寄り添えるか」という視点を、アセスメントの時点から味づくりの現場までつなげておくことです。
味のアセスメントを設計図に変えるということは、「聞きっ放しを辞める」という宣言でもあります。ベースは共有でも、一皿ごとの仕上げに、その人の物語や好みをそっと忍ばせる。次の章では、この設計図を具体的な形にしていくために、高齢者施設で実際に取り入れやすいアイデアや、カレーとシチューを巡る小さなイベントの作り方について、もう少し踏み込んで考えてみます。
第4章…カレーとシチューをもっと豊かに~高齢者施設で出来る実践アイデア~
ここまで見てきたように、「ベース」と「トッピング」という考え方を取り入れると、施設のカレーとシチューは、少しずつ「誰のものでもない一皿」から「その人の想い出に近づく一皿」へと変わっていきます。ただ、現場を知っている人ほど、「理想は分かるけれど、実際には人も時間も足りない」と感じるかもしれません。そこでここでは、日々の業務を大きく揺るがさずに取り入れやすい、小さな実践アイデアをいくつかの物語として描いてみます。
まずは、トッピングの考え方を食堂にそっと持ち込む場面です。例えば、ある冬の日の昼食がカレーだとします。厨房では、いつものようにやさしめの辛さで、大鍋のカレーが炊き上がっています。そのまま配膳しても良いのですが、今日はワゴンに小さな器を並べて、ゆで卵のスライス、少量のチーズ、ほうれん草のバターソテー、彩りの良い温野菜など、もともと献立に組み込める範囲のものを、少しずつ用意してみます。配膳の時に、「今日はカレー屋さんごっこの日です。お皿の上に、これを足したい方はいらっしゃいますか」と声をかけると、食堂はそれだけで少し賑やかになります。
カレー専門店のように何十種類ものトッピングを揃える必要はありません。むしろ「迷い過ぎない程度の選択肢」が、施設にはちょうど良いことも多いものです。「卵系」「野菜系」「ちょっとこってり系」と、性格の違うものを少しずつ並べておくだけで、入居者さんは自分の好みやその日の体調を思い浮かべながら、「今日は卵にしようか」「野菜を足してもらおうかな」と選ぶことが出来ます。その瞬間、同じ大鍋からよそわれたカレーが、「私が選んだ一皿」に変わります。
シチューの場合も、トッピングと食べ方の工夫で表情が変わります。パンとご飯、どちらも厨房にあるなら、この日は「シチューはパン派かご飯派かを選べる日」にしてみることが出来ます。昔からパンと合わせていた人にはパンを、ご飯にかけて“シチューライス”として楽しんでいた人にはご飯を、予め本人の好みを聞いておいてそれぞれの前に置くだけで、味わいの記憶はグッと鮮やかになります。行事食として余裕がある日には、粉チーズを少量添えて、「ご希望の方には仕上げにお掛けしますね」と、一手間を加えることも出来ます。
家庭の台所では、「〇日目はシチュー、翌日はカレー」というように、ベースを活かしてアレンジを楽しむ知恵があります。高齢者施設でも、行事やイベントの日に限って、「一日目はシチュー、二日目はシチューをベースにした特別カレー」という企画を組むことが出来ます。一日目は、優しいホワイトシチューとして提供し、食堂では「若い頃のシチューの思い出」をテーマに会話を引き出してみます。二日目には、そのベースを活かしつつ、ルウやスパイスを足してカレー仕立てにし、「昨日のシチューから生まれた、二日目カレーです」と遊び心を添えて出すと、利用者さんの間にちょっとした驚きと笑いが生まれます。
配膳のひと言に、アセスメントで聞き取った内容を反映させることも大切です。「お母さんのカレーが大好きだったと伺いました」「若い頃、クリームシチューをご自分でよく作られていたそうですね」と、そっと一言添えながらお皿を置くと、料理は単なる栄養補給ではなく、人生の物語と繋がった一皿になります。忙しい時ほど、言葉は最短の「トッピング」になります。味そのものを変えられない日でも、「覚えていますよ」「大事にしていますよ」というメッセージを、ほんの数秒で届けることが出来るからです。
もちろん、「カレーは本当に苦手」「シチューを見るだけで胸やけがする」という方には、無理に参加を求める必要はありません。その方には、別のメニューを用意しつつ、「今日は皆さんカレーですが、〇〇さんにはこちらをご用意しました」と、同じテーブルの中で「特別扱い」ではなく「きちんと選ばれた一皿」として扱うことが大切です。時には、「昔はどんな料理がお好きでしたか」と、別の思い出の料理を話題に登らせ、その方にとっての「想い出の一皿」を一緒に探していく時間にしても良いでしょう。
家族との連携も、カレーとシチューを豊かにする大きな味方です。面会の時や連絡帳を通じて、「ご家庭のカレーやシチューで、思い出に残っているポイントはありますか」と尋ね、「我が家のカレー・シチューメモ」を集めることも出来ます。「牛肉より豚肉派だった」「必ず玉ねぎをよく炒めてから作っていた」「シチューの日はパンとサラダが定番だった」など、ほんの数行のメモでも、厨房や介護職にとっては貴重なヒントになります。全てを再現するのは難しくても、「この方にはパンを添えよう」「この方の前では、昔の献立を話題にしてみよう」といった小さな工夫に繋がっていきます。
忘れてはならないのは、安全と衛生のラインをしっかり守ることです。トロミの強いカレーやシチューは、大鍋で扱うほど温度管理やかき混ぜ方に注意が必要です。ベースの部分は、これまで通りの手順とルールをきちんと守り、アレンジやトッピングは配膳直前の短い時間で行うようにすれば、大きなリスクを増やさずに済みます。被災地での炊き出しカレーで、自衛隊が新品のスコップ型お玉を用意し、大鍋から効率よくよそう工夫をしているように、見た目には豪快でも、その裏には衛生と安全への細やかな目配りがあります。高齢者施設でも、「無茶をしない範囲で、どこに工夫の余地があるか」を見極めることが重要です。
カレーとシチューをもっと豊かにするためのアイデアは、決して大掛かりな設備や特別な食材だけから生まれるわけではありません。ベースとなる味を丁寧に整え、ほんの少しのトッピングや声掛け、選択肢の用意によって、「大量鍋で作られた料理」を「その人の想い出に触れる一皿」へと近づけていくことが出来ます。最後のまとめでは、こうした工夫の積み重ねが、入居者さんの生活と、現場で働く職員のやりがいにどのような変化をもたらすのかを、改めて振り返っていきます。
[広告]まとめ…ベースは共有でも~一皿はその人だけのカレーとシチューに
大量鍋で作られるカレーとシチューは、高齢者施設にとって心強い味方です。大勢に同時に提供できて、温かくて、香りもボリュームもあって、季節の行事食としても扱いやすい。一方で、その便利さの影には、「誰のものでもない平均的な味になりやすい」という弱点がありました。入所前に一生懸命聞き取った「我が家のカレー」「あの頃のシチュー」の記憶が、日常の食卓の上ではなかなか活かされない。そのギャップが、利用者さんの胸の中に、小さな寂しさや諦めを積み重ねてしまうことがあります。
そこで考えたのが、「ベース」と「トッピング」という発想でした。ベースとなるカレーとシチューは、塩分や脂質、噛みやすさや飲み込みやすさ、安全性などをしっかり守りながら、施設としての“標準の土台”を決める。その上で、トッピングや盛り付け、パンかご飯かといった食べ方の違い、配膳時のひと言など、仕上げの部分で個別性を足していく。全てを1人ずつ完全に変えるのは難しくても、「あなたの話を覚えていますよ」「あなたらしい一皿に近づけたいと思っています」という気持ちを、目に見える形にしていくことは出来ます。
カレー専門店の豊富なトッピングや、「1日目はシチュー、2日目はカレー」という家庭の知恵は、その象徴でした。ベースは1つでも、卵やチーズや野菜を足すかどうか、パンで食べるかご飯で食べるか、ひと声添えるかどうかで、一皿の表情は大きく変わります。「今日はカレー屋さんごっこの日です」とワゴンを押して回ったり、「若い頃はどんなシチューを作っていらっしゃいましたか」と話し掛けたりするだけでも、食堂はいつもとは少し違う温度になります。
同時に、個別性を広げれば広げるほど、避けて通れないのが食品ロスの問題です。「選べるトッピング」を用意したのに、残ってしまったらどうしよう。ベースとトッピングを組み合わせているうちに、扱い切れない量になってしまうのではないか。現場の感覚としては、その心配も尤もです。だからこそ、量は最初から控えめに準備し、無理のない範囲で「最後の受け皿」を決めておく工夫が必要になります。
そして頼りになるのが、実は職員の存在です。例えば、「カレーとシチューの日は職員も一緒に参加する」と決めてしまう方法があります。利用者さん優先でトッピングや盛り付けを選んでもらい、その上で少し残った分は、職員の賄いとしてありがたくいただく。職員側は「トッピング無料、ただし選べない」というルールにしておけば、残った組み合わせも自然と消化され、食品ロスは減り、食堂にはちょっとした笑いも生まれます。「今日はチーズたっぷり当たりの日だ」「今日は野菜多めの健康セットだ」と、くじ引きのような感覚で楽しむことも出来るでしょう。もちろん、体調や勤務状況に合わせて、無理のない範囲で行うことが前提です。
こうした小さな仕掛けは、単に残菜を減らすだけではありません。利用者さんにとっては、「職員さんも同じカレーやシチューを食べている」「自分たちのトッピング優先で決めてもらえている」という安心感に繋がります。職員にとっても、「今日はどんな一皿が回ってくるかな」と、仕事の合間のささやかな楽しみになります。厨房・介護職・利用者さんが、同じ鍋から生まれたカレーとシチューを分かち合うことで、「大量鍋の料理」が、人と人を繋ぐ場の中心に戻ってくるのです。
大量鍋カレーとシチューだからこそ、出来ることがあります。1つの鍋から多くの人の胃袋と心を満たす力は、やはり圧倒的です。その力に、味のアセスメントから生まれた「ベースの設計」と、「トッピング」と「ひと言」の工夫を少しずつ重ねていくことで、ベースは共有でも、一皿はその人だけのカレーとシチューに近づいていきます。高齢者施設という場だからこそ実現できる、温かくて少し遊び心のある食卓を、現場の知恵と工夫で一緒に育てていけたら素敵だなと思います。
今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
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