若返りたい気持ちはそのままでいい~高齢者版アンチエイジングという暮らしの工夫~

[ 家族の四季と作法 ]

はじめに…「もう年だから」で閉じないために

人は誰でも、年を重ねます。けれど、本音を言えば、出来ることなら少しでも若々しくしていたいものです。背筋はスッと伸ばしたいですし、鏡の前では「今日は割りと良い顔かも」と思いたい。買い物にも自分の足で行きたいし、好きな服もまだ着ていたい。こう書くと、何とも人情味あふれる話ですが、そこには立派な願いがたくさん入っています。

ところが、年齢という数字の話になると、急に空気が変わることがあります。「受け入れましょう」「無理は禁物です」「環境を整えましょう」。どれも大切です。けれど、それだけでは少し物足りない日もあります。人の気持ちは十人十色ですし、「まだやれることはないかな?」と探してまで思う日があるのも、ごく自然なことではないでしょうか…。

この話で大事にしたいのは、老化や年齢を考えた時に若返って、若い人のやり方をそのまま持ってくるということではありません。そこは無理なく、堅実路線でいきたいところです。70代には70代の、80代には80代の工夫があります。加齢(年を重ねる変化)そのものは止められなくても、暮らし方は見直せます。食事の整え方、歩き方、眠り方、目や耳の使い方、人との繋がり方。こうしたものを試行錯誤しながら、自分の今に合う形へ変換していく。その発想こそ、この記事の真ん中に置きたいところの考え方です。

しかも、こうした取り組みは、1つだけで完結することがありません。魚を意識して食べるようになったら、買い物に出る回数が増える。出掛けると歩く。歩くと気分が少し上を向く。人と会えば会話も生まれる。会話が増えると表情まで和らぐ。振り返ってみると、あれこれと連動して結果を残していくのです。人の体も心も、意外と単純な話ではありません。こちらが「よし、今日は歩こう」と決めた日に限って膝が気まぐれを起こすこともありますが、そこはまぁ、人間らしいところです。

若返りたい気持ちは、しまい込まなくて大丈夫です。ただ、その願いを今の自分に届く形へ優しく翻訳していくことが大切です。本記事では、見た目だけに寄らず、暮らしそのものを少しずつ若々しくしていく工夫を見ていきます。読者さんが読むうちに、「それなら自分にも出来そう」と思える種が1つでも見つけてくれれば、こんなに嬉しいことはありません。

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第1章…二十代のやり方をそのまま真似しない知恵

若返りたいと思った時、つい頭に浮かぶのは、身近に見える若い人のやり方です。朝から走る、食事をきっちり変える、筋肉をつける、流行の健康法を試す、美容にも気を配る。どれも魅力的ですし、見ているだけで「よし、こちらも何か始めるか」と気持ちが先に動きます。そこまでは実に健康的。問題は、その次です。二十代の坂道全力ダッシュを、そのまま70代の膝に相談もなく持ち込むと、膝の方が「そんな話は聞いてませんけど!」と静かに抗議してくることがあります。体は正直です。

ここで大切なのは、若い人の工夫を諦める事ではありません。発想を変えて、自分の今に合う形へ翻訳することです。ここがこの章の肝心なところです。若い人がジムで汗を流すなら、高齢の方は買い物や散歩や家事を組み合わせて、生活の中で体を動かす形に変えていく。若い人が食事管理に励むなら、高齢の方は噛みやすさ、飲み込みやすさ、たんぱく質や魚の取りやすさまで見ながら、無理なく続く食卓へ整えていく。見た目は別の道でも、目指しているのは同じです。百花繚乱の健康法をそのまま眺めて終わるのではなく、自分専用に仕立て直す知恵が要るということです。

この「仕立て直し」は、介護予防やリハビリ(暮らしを立て直すための練習)とも相性が良い考え方です。元気だった頃に戻ることだけを目標にすると、少し息が詰まります。けれど、「自分の足で近くの店まで行きたい」「鏡の前で背筋を伸ばしたい」「友達とお茶の時間を楽しみたい」という目標なら、手が届く形に変わります。人は大目標より、小さな実感がある方が続きます。冷蔵庫の前まで行って満足していた日が、いつの間にか玄関まで行ける日に変わる。玄関まで行けたら、今度はポストまで行ってみる。こういう着実前進は、見た目以上に頼もしいものです。

しかも、高齢者版の工夫は、若い人の方法よりむしろ奥深いところがあります。二十代なら勢いで乗り切れることも、年齢を重ねると、睡眠、食事、足腰、視力、聴力、気分、ご近所を含む人付き合いまで見ながら調整しないと続きません。手間は増えますが、その分、自分の体との相談が上手になります。これは少し誇って良いところです。勢いだけで進む健康法より、暮らしごと整えるやり方の方が、長い目で見れば筋が通っていますよね。

それに、若返りたい気持ちは、見た目だけの話ではありません。髪型を整えたくなる日もあれば、足取りを軽くしたい日もある。人前でしゃんとしたい気持ちもあれば、家の中で1人で気分良く動きたい日もあります。どれも立派な目標です。「そんなこと言っても年齢には勝てない」と片付けてしまうのは、少々もったいない話です。年齢という数字そのものに勝負を挑むのではなく、今の自分に合う工夫を選んでいく。その方が、暮らしはずっと朗らかになります。

若い人のやり方は、今回の記事ではいわば見本になるということです。ただし、そのまま写経のように写すのではなく、今の体と生活に合わせて描き直す。そこに知恵があります。若返りたいという気持ちを、無茶ではなく工夫へ変える。その最初の一歩が踏み出せると、鏡の中の顔付きまで少し変わって見えてきます。こちらの気分が先なのか、表情が先なのか。そこはもう、朝の湯呑みだけが知っているのかもしれません。


第2章…食事も運動も五感も別々ではなく繋がっている

若々しさを保つ工夫は、1つずつ棚に綺麗に並ぶものではありません。食事は食事、運動は運動、目は目、耳は耳、と切り分けたくなる気持ちはよく分かります。人は整理整頓が好きですし、「今日はこれだけやった」と言える方が気分も良いものです。けれど、体と暮らしは、そんなにきっちり区切れません。むしろ、あれこれが手を繋いで同時に関連して動いています。ここを見落とさないことが、相乗効果を生む入り口になります。

魚や野菜を意識して買いに行く。その時点で、既に食事だけの話ではなくなっています。店まで歩けば足腰を使いますし、売り場を見回せば目も働きます。旬の食材を選ぶと「今日はこれでいこうか」と頭も回ります。店員さんとひと言ふた言交わせば、会話まで増えます。帰ってから台所に立てば手先も動く。1つの買い物に、こんなにたくさんの役目が隠れているのです。買い物カゴは静かですが、中身は結構、忙しい顔をしています。

五感の手入れも同じです。視力や聴力が落ちてくると、外へ出るのが億劫になりやすくなります。すると歩く機会が減り、家の中で座る時間が長くなる。座る時間が長いと、気分まで少し萎みがちです。反対に、眼鏡を見直す、補聴器を調整する、部屋の明るさを整える。そんな手当てで景色や声が届きやすくなると、人は不思議と動きやすくなります。感覚器(見る・聞く・感じるための働き)を労わることは、ただの部品交換ではありません。暮らし全体のスイッチを入れ直すようなものです。

食べることも、見た目の若さだけで話は終わりません。口腔機能(口の働き)が落ちると、噛み難い、飲み込み難い、食べるのが面倒になる、という流れが起きやすくなります。すると栄養が細り、力が出難くなり、外へ出る元気まで減っていく。そこで、口の手入れをする、食べやすい形に整える、たんぱく質を意識する。こうした工夫は、食卓の話でありながら、足取りや表情にも関わってきます。朝ご飯をきちんと食べた日は、顔付きまでしゃんと見えることがありますが、あれは気のせいだけではありません。

運動も、腕を振って歩けば終わり、ではないのが面白いところです。少し体を動かすと眠りが整いやすくなり、眠りが整うと翌日の気分が軽くなる。気分が軽いと身嗜みにも手が伸びる。身嗜みが整うと外へ出たくなる。外へ出ると人と会い、話し、また歩く。まるで、1つ歯車が回ると周囲も連動して動き出す時計のようです。こちらは「今日はちょっと散歩しただけなんですが」と思っていても、体の中では小さな祝賀会があちこちで開かれているようなものかもしれません。

ここで大事なのは、「何が決め手か」を急いで1つに絞らないことです。健康作りは、名探偵のように犯人を1人決めるといった話ではありません。魚を食べたから元気になったのか、歩いたから気分が変わったのか、友達と笑ったから顔つきが和らいだのか。答えは、たいてい連動して全部です。少し拍子抜けしますが、それが真実の分析結果になる…これで良いのです。複合的に整っていくからこそ、暮らしはじわじわ若々しくなります。1つで2つどころか、3つ4つへ広がっていくこともあるので、まさに一石二鳥どころではありません。こうした数字を増やす点は見つけられた分だけ嬉しくなりますよね。

若返りたい気持ちを現実の工夫へ変える時、この「繋がりを見る目」が役に立ちます。食事だけ頑張って疲れてしまうより、歩くついでに買い物をして、買った食材で食卓を整え、そこで家族と話す。そんな流れの方が、体にも心にも無理がありません。暮らしは教科ごとに分かれた時間割ではなく、全部が少しずつ影響し合う総合科目です。そう考えると、今日の一歩も、明日の湯呑みも、なかなか侮れない存在に見えてきます。

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第3章…若く見える人は暮らしの中で小さく動き続けている

若く見える人には、共通点があります。顔立ちだけでも、服の値段だけでもありません。もちろん身嗜みも大切ですが、それ以上に目を引くのは、小さく動き続けていることです。朝起きたらカーテンを開ける。今日は何を食べようかと考える。少し遠い棚の物を自分で取ろうとする。外の空気を吸いに出る。人と話す。笑う。こうした日々の動きが、顔つきや姿勢にまで静かに出てきます。若々しさとは、止まらない暮らしの気配なのかもしれません。もちろん、持てる能力で安全も考えてです。そこは油断大敵が潜むポイントでもあります。

ここで言う「動く」は、何も速く歩くことだけではありません。生活半径(普段、動く範囲)を、ほんの少し広げようとすることも立派な動きです。玄関先まで出る。ポストを見に行く。買い物のついでに季節の花を眺める。こういうことは、一見すると地味です。あちこちから拍手も流れてきませんし、誰かが表彰状を持ってきてくれるわけでもありません。けれど、この地味さの中には経験と日進月歩があります。人の暮らしは、大きな決意で変わるより、小さな習慣で変わることの方が多いのです。

しかも、小さく動く人は、体だけでなく心も動いています。「今日はこっちの道を歩いてみようか?」「魚売り場を覗いてみようか?」「前に会ったあの人、元気かな」。この好奇心が、思っている以上に大事なことです。好奇心とは、若さの飾りではありません。外へ向かう力、進める力です。年を重ねると、失敗したくない気持ちや面倒くささが前に出やすくなります。そこへ「まぁ、ちょっとだけやってみるか…」と心を少し開けると、景色まで変わります。こちらも、つい家でじっとして「今日は省エネ運転でいこう」と言いたくなる日がありますが、省エネが過ぎると、人生の全体まで節電気味になってしまいます。もちろん、無理をし過ぎないように、ほどほどが大切です。

若く見える人は、何か特別なことをしているようでいて、実はとても生活的です。歩く。選ぶ。整える。話す。笑う。続ける。こうして書くと、何だか当たり前のようですが、その当たり前を続けるのが簡単ではないのも事実です。体調の波もありますし、気分が乗らない日もあります。そこを一進一退しながらでも続けると、表情に張りが出てきます。姿勢も少し変わります。人は、自分で自分を動かしている感覚があると、どこかしら生き生きして見えるものです。

ここで見落としたくないのが、フレイル(心身の元気が少しずつ落ちかけた状態)です。急に大きく崩れる前には、「外へ出るのが億劫」「会話が減る」「食事が適当になる」「動く量が減る」といった、静かな変化が並ぶことがあります。反対に言えば、この静かな変化に気づいた時こそ、暮らしを立て直す好機です。外出が減ったなら、用事を作る。会話が減ったなら、誰かと一緒にお茶を飲む。服を選ぶのが面倒なら、先に明日の一枚を出しておく。こうした手当ては、見た目の若さにも、気持ちの明るさにも繋がっていきます。

若々しさは、肌のツヤだけでは測れません。自分で決める、少し動く、人と交わる、その積み重ねに宿ります。鏡の前で「昨日より急に変わった」とはなかなかいきませんが、ふとした日に「あれ、最近ちょっと軽やかかも」と感じる瞬間があります。その感覚は、たぶん気のせいではありません。小さく動き続けた暮らしが、静かに顔を出してきた合図です。若く見える人は、時を止めた人ではなく、今日という日にちゃんと参加して自分を見つめられている人なのだと思います。


第4章…一人で頑張り過ぎずに家族や友達と一緒に続ける

若々しさを保つ工夫は、一人で背負い込むより、誰かと一緒の方が続きやすくなります。ここは遠慮なく言ってしまいたいところです。人は、自分のためだけだと腰が重いのに、誰かと約束すると動けることがあります。朝の散歩も、一人だと「今日は空が少し眠そうだから、こちらも休もうか」となりがちですが、近所の友達が待っていると思うと、帽子を探す手が急に機敏になります。人間、なかなか味わい深いものです。

家族や友達と取り組む良さは、見張り役が増えることではありません。そこを間違えると、せっかくの工夫が急に窮屈になります。「今日は歩いたの?」「それ食べちゃうの?」「早く寝た方がいいよ?」と、正しいけれど次々と胸に刺さる言葉が並ぶと、気持ちは萎みます。大事なのは、管理ではなく二人三脚です。今日は一緒に買い物へ行く。旬の魚を見て「これなら食べやすそう」と話す。帰りに少し遠回りする。こういう流れなら、運動も食事も会話も、自然と1つにまとまりになります。

友達同士の取り組みには、また別の良さがあります。家族には言い難い本音も、友達にはサラリと話せることがあります。「最近、階段が前より長く見えるんだよね」「分かる、うちなんて洗濯物が急に重くなった気がするよ」。このやり取りには、説明書に書いていない効き目があります。共感は、立派な栄養です。社会参加(人との繋がりに加わること)という言葉は少しお堅く聞こえますが、中身は意外と柔らかいものです。笑って話せる相手がいることは、足腰にも気分にもじんわり効いてきます。

家族が関わる時のコツは、目標を小さく共有することです。「若返ろう」だけでは、少し広過ぎます。「週に何回か外へ出る」「魚の日を増やす」「おやつの時間にお茶をいれて座りっ放しをやめる」。このくらいの方が、手触りがあります。行動変容(習慣の変化)は、大きな宣言より、小さな約束の方が育ちやすいものです。冷蔵庫に貼る紙も、「毎日完璧に」では息が詰まります。「今日は動けたら花丸」で十分です。花丸の基準を少し優しくしたくらいで、人生の成績は下がりません。

ここで入れておきたい言葉があります。急がば回れです。一人で気合いを入れて、数日で息切れしてしまうより、誰かと笑いながら長く続ける方が、暮らしは整っていきます。健康の工夫は、短距離走のように見えて、実は日々の道のりです。途中でお茶を飲んでも良いですし、予定通りに進まない日があっても構いません。今日はダメでも、明日また始めれば良い。そう思える空気を作ってくれるのが、家族や友達のありがたさです。

それに、誰かと一緒に続けると、変化が見えやすくなります。本人は気づかなくても、「最近、顔色が明るいね」「前より歩くのが軽やかだね」と言ってもらえることがあります。こういう言葉は、鏡より先に心を整えてくれます。若々しさは、一人でこっそり育てるものでもありますが、誰かと和気藹々と育てると、もう少し長持ちします。暮らしの手入れは、孤独な修行ではなく、出来れば笑い声のある方が良い。そう思うのです。

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まとめ…若返りは夢の話ではなくて今の自分に合わせて実践を変換すること

若返りたい気持ちは、恥ずかしいものでも、どこかにしまっておくものでもありません。年を重ねても、シャンと歩きたい。好きな服を着たい。自分の顔を鏡で見た時に、「まだまだ悪くない」と思いたい。その願いは、とても自然で、実に人間らしいものです。ここを遠慮なく認めるところから、暮らしの手入れは始まるのだと思います。

ただ、若さは若い人のやり方をそのまま写して手に入れるものではありません。今の体、今の生活、今の気分に合わせて、工夫を少しずつ組み替えていく。その知恵こそが、高齢者版アンチエイジングの中身です。食事を整えること、歩くこと、目や耳を労わること、人と話すこと、笑うこと。どれか1つが主役というより、百折不撓で続けた日々が、後から静かに効いてきます。

しかも、その変化は派手ではありません。昨日より少し外へ出やすい。前より姿勢が整って見える。会話の返しが柔らかい。買い物かごの中身が少しだけ元気になっている。こういう細やかな変化は、見逃されやすい分、見つけた時の嬉しさがあります。こちらは壮大な変身物語を期待しがちですが、現実はもっと生活感のある形で進みます。けれど、その方が長持ちしますし、暮らしに馴染みます。

この話の着地点は、「年齢に逆らう」ことだけではありません。自分の今に合うやり方へ変換しながら、暮らしを少しでも軽やかにしていくことです。家族や友達と声を掛け合いながら、試行錯誤で続けていくうちに、見た目も足取りも気分も、少しずつ変わっていくことがあります。若返りは夢の話だけではなく、日々の手入れの積み重ねが作る現実でもあるのです。

明日から、何もかも変えなくて大丈夫です。いつものお茶を少し丁寧にいれる。買い物の歩幅をほんの少し広げる。魚売り場で立ち止まってみる。鏡の前で背筋を伸ばす。そのくらいの一歩で十分です。暮らしは、急に生まれ変わるより、ゆっくり機嫌を直していく方が上手くいきます。そう思うと、今日の自分にも、まだまだ手をかける余地が見えてきます。なかなか頼もしい話です。

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