卵とフキノトウが教えてくれた大寒のチカラ~寒い日こそ縁起物を食べて笑いましょう~

目次
はじめに…「大寒ってなんでそんなに寒いの?」とつぶやいたあなたへ
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朝起きて、布団から出る勇気を毎朝ふるい立たせているそこのあなた、大丈夫です。
これはもう、あなたの意志が弱いのではなく、暦のせいです。
というのも、一月二十日頃って、暦の上では「大寒(だいかん)」と呼ばれる、とにかく“寒さのラスボス”みたいな日。
小寒(しょうかん)という前座がいて、それが終わるといよいよ大寒。
しかもこの大寒、節分の前日まで続くという長丁場!
これはもう「心も体も凍えますよ」という前提で、季節が組まれているとしか思えません。
でも、そんなガチガチの寒さの中にこそ、実は春への準備や、人間の“あったかパワー”がぎゅっと詰まっているってご存じでしたか?
ふきのとうがこっそり顔を出したり、鶏が“よいしょ”とばかりに卵を産み始めたり…。
寒さに負けるどころか、しっかり生きてる自然界の面々。
人間だって負けていられませんよね。
というわけで、今回はそんな“大寒”をテーマに、お腹も心もほっこり温まる話をお届けします。
読んだらきっと、「寒いって、悪くないかも」って思えてくる…かもしれません。
どうぞ、あったかいお茶でも飲みながら、のんびり読んでいってくださいね🩷。
第1章…1月20日は暦のうえで一番寒い日は“気合のスタートライン”だった
朝の台所、白い息を吐きながらお味噌汁をかき混ぜているお母さんがひとこと。
「今日は大寒よ」と。
…それってつまり、いよいよ一年の中で寒さがピークに達したという合図。
小寒という予告編を経て、本編に突入するようなものです。
「寒いから今日はお風呂が楽しみね~」なんて呑気に言っていられるのも現代ならではで、昔の人たちはこの大寒を、むしろ“試練の場”として受け止めていました。
裸で川に飛び込む寒中水泳や、剣道の寒稽古。
今なら「無理しないで」と声をかけたくなる光景も、当時は「心身を鍛える立派な行事」だったのです。
冷たい水に耐えたぶん、春の恵みが何倍にもなると信じられていたんですね。
今で言えば、年始のジム通い。
最初の筋肉痛を乗り越えれば、理想のボディが待っている…そんな希望に満ちた季節でもあります。
しかもこの大寒、ただ寒いだけじゃありません。
暦の上では、春を迎える立春の前触れ。
つまりここを乗り越えることができれば、もう春はすぐそこ。
言いかえれば「さあ、人生のリセットボタンを押すなら今です」と季節が背中を押してくれているような、そんな一月二十日🩷。
なんだか、寒いのがちょっとありがたく感じてきませんか?
「寒いわ~」「布団出たくないわ~」なんて文句を言ってたら、季節の神様に「こら、気合い入れなさい」と言われてしまいそうです。
ということで、ちょっぴり気を引き締めて、次の章では、この寒さの中に隠れている“おいしい縁起物”をこっそり探しに行きましょうか。
第2章…フキノトウが顔を出したら春の準備が始まってた
寒さがピークを迎えたはずの大寒に、ふと地面を見ると…ぽこり。
なにやら緑の頭がのぞいています。
そう、あれです。
ふきのとう。
寒さに震えながらも、「もういいかな?」と顔を出すその姿は、まるでこたつから一歩だけ足を出してみる我が家の猫。
けれど、このふきのとう、実はめちゃくちゃ縁起の良い存在。
七十二候という細かい季節の区分のなかで「款冬華(かんとうはなさく)」と呼ばれ、まさに“ふきのとうが咲く頃”として古来より知られています。
春はまだ遠いと思っていたら、足元ではちゃんと始まっている。
そんなふきのとうは、天ぷらにすればほろ苦く、大人の味わいで食卓に春の気配を運んでくれます。
おひたしでも、味噌和えでも、ただの葉っぱとは思うなかれ。
ふきのとうには「そろそろ春支度せいよ」という自然からのラブレターが込められているのです。
そのふきのとうが芽を出す一方で、水の中ではもっと静かな奇跡が起きています。
川や沢の水がキンキンに凍る…それが「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」の時期。
昔の人たちはこの時期の水を「寒の水(かんのみず)」と呼び、なんと一年でいちばん“縁起が良くて美しい水”として大切にしていました。
理由はとってもシンプル。
冷たすぎて雑菌がほとんど死んでいるから。
まさに天然の殺菌フィルター!
冷凍保存のルーツかもしれませんね。
この寒の水、ただキレイなだけじゃありません。
味噌、しょうゆ、酒、寒天、凍り豆腐…あらゆる“発酵の魔法”の仕込みはこの時期から始まります。
今でこそ機械とデジタルの時代ですが、昔は「いい水といい気温がすべて」。
つまり、冬の寒さが美味しさの鍵だったのです。
こんなに寒いのに、「よっしゃ、仕込みはじめるぞ」と張り切っていた先人たち…尊敬しかありません。
そして最後にもうひとつ、大寒の縁起物といえば…卵。
しかも、鶏がようやく重い腰(というか羽根)をあげて産み始める「鶏始乳(にわとりはじめてたまごをうむ)」の頃。
冬の栄養をたっぷり溜めこんだ鶏の卵は、それはもう特別なごちそう。
戦後までは「卵は1日1個どころか、家族で1個」が当たり前だったという話、今では想像もつきませんよね。
そんな時代だからこそ、初産の卵は“初物”として大切にされました。
ああ、ありがたや…。
食卓に卵があるだけで、笑顔がひとつ増える。
そんな小さな幸せを、大寒は私たちにそっと思い出させてくれるんです。
ふきのとう、水、卵。
どれも冬の底でじっと耐え、ようやく生まれ出てくる命のかけらたち🩷。
寒さのなかにこそ、ぬくもりの予感はあるんだなぁと、つくづく感じる瞬間です。
第3章…“寒の水”は神の水?氷点下がつくる奇跡のレシピ
寒い日の帰り道、手がかじかむほど冷えた指先を、湯気の立つ紙コップであたためたこと、ありませんか?
その中身がもし“甘酒”だったとしたら、もうそれはただの飲み物じゃありません。
立派な冬のごほうび、いや、願掛けドリンクです。
実は一月二十日の大寒の日は、日本記念日協会によって「甘酒の日」としても登録されているのですが…その理由が、なんだかちょっと嬉しくなるんです。
だって考えてみてください。
白くてとろりとしてて、お米と麹からできてるのに、どこかミルキー。
見た目は地味なのに、やたら元気が出て、なぜか飲んだあと「よし、明日も頑張ろう」と思えてくる。
まさに、冬の季節にだけこっそり現れる“液体の応援団長”みたいな存在です。
「甘酒は夏の飲み物だよ?」なんて言う方もいるかもしれません。
確かに、俳句の世界では“夏の季語”扱い。
でも、冷えきったこの季節に飲む甘酒は、また格別なんです。
あたためて飲めば、お腹の中からじんわり温まって、芯までほぐれていく感じ。
まるで、体の中で小さなこたつが一台稼働し始めたような…そんな気分になれるから不思議です。
昔の人たちは、この大寒の時期に仕込んだ味噌や醤油、そして甘酒こそが、一年を元気に過ごすための“冬の魔法”だと信じていました。
実際、寒仕込みという言葉があるくらいで、冷え込みが厳しいからこそ、菌が静かに落ち着いて、味に深みが出るのだとか。
発酵の世界って、けっこう奥が深いですよね。
とはいえ、難しい話は置いといて。
甘酒って、なんだか優しいですよね。
アルコールがほとんど入っていないタイプもあるから、子どもやお年寄りも一緒に飲める。
お正月で疲れた胃にもやさしいし、甘さもじんわり。
たとえば、ちょっと落ち込んだ日の夕方に、あったかい甘酒をすする…それだけで、「あぁ、なんとかなるかもしれない」って思えてくるのだから、すごいもんです。
寒さの中に咲く希望の味。
それが甘酒。
お米と水だけでできる奇跡の飲み物が、なぜこの時期に愛されるのか。
その理由はきっと、“味”じゃなくて“想い”にあるのかもしれませんね🩷。
第4章…卵1個で家族に笑顔!戦後ニッポンと“初たまご”の物語
朝ごはんの定番といえば?と聞かれて、迷わず「卵焼き!」と答える人も多いはず。
けれどその卵、ほんの数十年前までは“超高級品”だったってご存じでしょうか。
今でこそ冷蔵庫を開ければ当たり前に入っている存在ですが、かつての日本では「今日は卵があるからごちそうだね」と、家族で1個を分け合っていた時代があったのです。
特にこの大寒の時期、鶏たちはようやく寒さに耐えながらポトリ…と卵を産み始めます。
それが「鶏始乳(にわとりはじめてたまごをうむ)」の頃。
もうね、待ってました!と言わんばかりの感謝の気持ちで、その一個がありがたく食卓にのぼったのだとか。
しかも、その年の初めての卵、いわゆる“初たまご”となれば、それはもう縁起物中の縁起物。
「これを食べたら、風邪ひかない!」「勉強ができる子になる!」「嫁に行ける!」…などなど、願掛けのてんこ盛りです。
考えてみれば、寒さの中でしっかり栄養を溜めこんでようやく産まれてきた卵。
ある意味、自然のチカラがぎゅーっと詰まった“エネルギーの結晶”とも言えます。
昔のおばあちゃんなんかは、「卵ひとつあれば、子どもが三人育つよ」なんて冗談を言っていたそうですが、それだけに大切にされていた証なんですよね。
そしてこの“卵一個の物語”、今こそ見直されてもいいかもしれません。
スーパーで十個入りパックが百円ちょっとで手に入る現代。
だけど、だからこそ、あの一個のありがたさをもう一度味わってみたくなる。
小さな器にぽとんと割って、まあるい黄身に手を合わせる気持ち。
ちょっと大げさかもしれないけれど、それが「いただきます」の原点だったりするんです。
大寒という厳しい季節に産まれる命。
鶏さん、ありがとう。
卵さん、ありがとう。
そして、食べる私たちも、もう一度あたたかな気持ちで、「今日も一日、がんばろう」と思えたなら――きっとそれだけで、大寒も悪くないと思えてくるのです🩷。
第5章…飲む点滴いや“飲む願掛け”?甘酒のチカラに頼ってみる
ふきのとうが芽吹いて、水が澄み、鶏が卵を産む――なんだか絵本の一場面のようですが、それがまぎれもない日本の冬のリアル。
そうして揃った“冬の三大縁起物”を前にすると、なにか作りたくなってきませんか?
ふき味噌でも、卵粥でも、寒天ゼリーでも、もう想像は止まりません。
冷蔵庫と炊飯器があれば、今の時代、どんなごちそうだって夢じゃないんです。
けれども昔は、材料も道具も限られていたわけで。
水は汲みに行って、卵は産まれるのを待って、火を起こして炊く。
そんな時代にこそ、ひとつひとつの食べ物が“願い”であり“喜び”だったんですよね。
今のように「あれ足りない」「これ無い」なんて言ってる暇があったら、「あるものでどう笑うか」に知恵を絞る。
なんて前向きで、なんてたくましいんでしょう。
そしてこの時期に仕込まれた味噌やしょうゆ、お酒といった“発酵のごちそう”たちは、まさに寒さという自然のキッチンが生み出した奇跡。
人間の努力と、自然のリズムが合わさって、ようやく「おいしいね」の笑顔が生まれる。
この構造、ちょっと感動的じゃありませんか?
甘酒だってそう。
寒の水で仕込まれたあの優しい甘さには、きっと目には見えない何かが詰まっていて、飲む人の体と心をじんわりほぐしてくれる魔法があるのでしょう。
「飲む点滴」なんて言い方もありますが、実際のところ、あれはきっと“飲むほほえみ”なんじゃないかと思うわけです。
それにしても、卵と水が主役になれる季節って、なかなか珍しい。
シンプルな存在が、一番大切にされる瞬間。
そう思うと、大寒って案外“ものすごく優しい日”なのかもしれません🩷。
だって、寒さが一番つらいときにこそ、ぬくもりを差し出してくれる食べ物たちがちゃんと揃っているんですから。
さてさて、こうして一月の寒さに振り回されているうちに、季節は少しずつ春へと近づいていきます。
最後にもう少し、寒さの“裏側”にある大事な意味をのぞいてみたくありませんか?
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まとめ…寒さの中にこそ春がひそんでる?笑って迎える“大寒”のススメ
小寒は氷、大寒は水…って、なんだか逆じゃない?とツッコミたくなる人、正直に手を挙げてください。
実はこれ、ちっとも間違いじゃないんです。
凍りついた氷が太陽の光で溶けはじめて水になる頃、それが大寒。
寒さのピークに見えて、実は“変化の入り口”。
だからこそ、昔の人たちはこの時期を「福への入口」と考えたのでしょう。
氷が解けて流れ出した水は、雑菌が少なくて栄養がぎゅっと詰まっている。
それを使って味噌やお酒を仕込むと、なんだかものすごくおいしくなる。
それって、厳しい時期を通り抜けた先にこそ“本当の味わい”が生まれる、という自然からのメッセージなのかもしれません。
まるで人生みたいですね。
ふきのとうの芽生えに驚き、卵一個に感謝し、甘酒の湯気に包まれてほっとする。
こんなに寒い日なのに、あっちにもこっちにも、ぬくもりの種がちゃんと蒔かれてる。
私たちがちょっと立ち止まって、手をあたためるように気づけば、季節はいつだってやさしい顔をしてくれるのです。
大寒――それはただの寒い日ではなく、「がんばったね」と言ってくれる日でもあり、「もうすぐ春だよ」と教えてくれる日でもあるんです。
お味噌も、お茶碗も、卵も、全部がそう囁いているような気がしませんか?
どうか皆さんも、この寒さの中にある小さな希望を見つけながら、ぬくぬくと、もぐもぐと、あたたかく過ごしていただけますように🩷。
大寒は“冷たい”だけじゃない。
ほんとはとっても“あったかい”んですから。
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