初ガツオは春を連れてくる~江戸の粋から高齢者施設の食卓まで~
はじめに…初ガツオが届くと食卓に春が来る
魚売り場に艶やかな赤身のカツオが並び始めると、「今年もこの季節か」と、食卓の景色まで少し変わって見えます。春から初夏にかけて日本の太平洋沿岸を北上するカツオは、秋の戻りガツオに比べて脂が控えめで、サッパリした味わいが持ち味です。江戸の人々は、この季節を先取りするような初ガツオに夢中になり、初物を食べることそのものを粋な楽しみにしていました。
現代なら、たたきに薬味をドッサリ載せても良し、漬けにしてご飯へ載せても良し。夕食前には「今日は軽めで良いかな」と言っていたはずなのに、カツオを見た瞬間に炊飯器の残量を確認してしまう……旬の魚には、何故か予定を変更させる力があります。自分で「軽めはどこへ行った?」とツッコミながら、おかわりの準備までしていたら、もう完敗です。
けれど初ガツオの魅力は、美味しさだけではありません。季節を感じ、昔の暮らしを思い、誰かと「今年も食べられたね」と話せることまで含めて春のご馳走です。旬を味わうことは、食卓の上に小さな季節を迎えることでもあります。一期一会のひと皿と思えば、家庭でも高齢者施設でも、初ガツオは春を楽しむキッカケになってくれるでしょう。
[広告]第1章…江戸っ子はなぜ初ガツオに夢中になったのか?
春から初夏へ向かう頃、太平洋を北上してくるカツオ。その年の早い時期に味わう初ガツオは、脂が控えめで赤身の旨味がスッキリしているのが持ち味です。今なら魚売り場で見つけて「お、カツオだ」と買い物カゴへ入れられますが、江戸の人々にとっては少々事情が違いました。季節の先頭を走ってくる初物を誰より早く口にすること自体が、粋な楽しみだったのです。
日本では古くからカツオが食べられ、平安時代には乾燥させた「堅魚」として扱われていました。さらに武士の時代になると、「勝男武士」と字を当てて縁起を担ぐ文化も生まれます。魚なのに名前からして勝負に勝ちそうなのですから、なかなかの出世魚……いや、出世しそうな魚です。そんな歴史を背負ったカツオが江戸の町で初物人気と結びつけば、もう千客万来。旬の味だけでなく、「今年も先にいただいたぞ」という小さな自慢まで皿に載っていたのでしょう。
有名なのが「初物を食べると寿命が75日延びる」という言い伝えです。初ガツオへの熱狂ぶりからは、「女房を質に入れても食え」という、今なら家族会議が即日開かれそうなほど極端な言い回しまで残りました。もちろん、その言葉をそのまま実行する話ではありません。それほどまでに「旬の最初を味わうこと」に価値を感じていた、江戸っ子の気質が見える表現です。
しかも当時は冷蔵庫も保冷トラックもありません。房総半島や紀州沖などで獲れたカツオを新鮮なまま江戸へ届けるため、「早船」と呼ばれる船で急いで運びました。早く届けば価値が上がり、値段も上がる。財布には厳しいのに、それでも食べたい。この辺り、限定品の発売日に少し心が騒ぐ現代人と、案外、似たところがありそうです。
初ガツオを食べることは、魚を味わうだけでなく「季節が来たぞ」と誰より早く喜ぶ江戸の遊びでもありました。「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」と詠まれたように、目で新緑を見て、耳で鳥の声を聞き、舌でカツオを味わう。春から初夏へ移る景色そのものがご馳走だったのでしょう。花より団子とは言いますが、江戸っ子の場合は青葉もホトトギスもカツオも全部欲しい。なかなか欲張りで、だからこそ楽しそうな季節の迎え方です。
第2章…サッパリ赤身を楽しむ初ガツオのご馳走作法
初ガツオの魅力は、脂をタップリ楽しむ魚とは少し方向が違います。赤身らしい旨味がありながら後味は軽く、薬味や調味料を受け止めても魚そのものの風味が残る。だから食べ方を1つに決めてしまうより、その日の気分や食卓に合わせて遊ぶ方が似合います。王道のたたきから漬け丼、洋風のカルパッチョまで、まさに千変万化。春から初夏の台所で、料理する側まで楽しくなる魚です。
やはり外せないのがカツオのたたきでしょう。表面を香ばしく炙り、中には赤身の瑞々しさを残す。そこへショウガ、大葉、ミョウガ、ネギなどの薬味を添え、ポン酢や塩でいただけば、香りと酸味がさっぱりした身によく合います。ニンニクまで加えれば食欲はさらに加速しますが、「明日の予定は大丈夫だったかな?」と食後に気付くこともあります。美味しく食べた本人だけ満足して、翌朝の家族が少し離れている……ニンニクあるあるまで含めて、なかなか賑やかなご馳走です。
もっと素直に赤身を楽しみたい日は、刺身に醤油や塩を少しだけ添えるのも似合います。また、からし醤油で味わう食べ方もあり、ワサビとは違った輪郭のある辛さがカツオを引き立てます。反対に、ご飯をしっかり食べたい日は漬けが頼もしい存在です。タレをまとったカツオをご飯に載せ、大葉やゴマを散らすだけでも立派な丼になり、温泉卵などを添えれば赤身のさっぱり感にまろやかさが加わります。適材適所という言葉が似合うほど、同じカツオでも食卓で見せる顔が変わります。
和食から少し離れたい夜なら、オリーブオイルやレモンを合わせたカルパッチョも楽しめます。トマトや玉ねぎを添えれば色合いまで軽やかになり、「今日は魚料理です」と出したのに食卓だけ少しレストラン気分。さらに軽く湯へくぐらせるしゃぶしゃぶ、下味を付けて衣をまとわせる竜田揚げまで広げれば、初ガツオは一尾の魚というより料理の素材箱のように思えてきます。冷蔵庫の薬味を眺めながら献立を考える時間まで、ご馳走の一部になりそうです。
初ガツオの美味しさは、決まった食べ方を守ることより、サッパリした赤身を自分の好きな味へ連れていけるところにあります。たたきで香ばしく、漬けでしっとり、洋風なら爽やかに、揚げれば食べ応えのある一皿へ。旬の魚だからと肩に力を入れなくても、今夜の献立に似合う形を選べば十分です。「カツオを買ったけれど何にしよう」と迷う時間さえ、春の台所にはちょっと嬉しい悩みなのです。
[広告]第3章…初ガツオと戻りガツオはどちらが好み?~二度旬が来るカツオの面白さ~
カツオの面白いところは、「旬のカツオ」と聞いても季節が1つではないことです。春から初夏に太平洋沿岸を北上するころに味わう初ガツオがあれば、秋には戻りガツオが待っています。初ガツオは脂が控えめで赤身のスッキリした味わいが持ち味。対する戻りガツオは、初ガツオとは違った味わいを楽しめる存在です。春に食べて「今年のカツオは終了」と思ったら、秋にもう一度登場するのですから、なかなかサービス精神旺盛な魚です。
初ガツオが似合うのは、薬味や酸味を利かせた軽やかな食卓でしょう。新緑の季節に、ショウガや大葉を添えた赤身を口へ運ぶと、どこか清々しい気分になります。一方、季節が進んで秋になれば、食卓の空気も少し変わります。同じ魚を同じ料理にする必要はなく、「春はサッパリ、秋はまた違う楽しみ方」と考えると、一年の中でカツオとの付き合いがグッと広がります。春夏秋冬の移ろいを一尾の魚から感じられるのですから、旬というものはなかなか奥深いものです。
そして面白いのが、「どちらが美味しいか?」ではなく「今日はどちらが食べたいか?」で考えられること。脂を控えめに、薬味と一緒に軽く食べたいなら初ガツオが嬉しいでしょうし、季節が変われば秋らしい味わいを待つ楽しみもあります。家族の食卓なら「私は春派」「いや秋でしょ」と小さな論争が始まるかもしれません。魚を前に多数決を始めたところで、最後には両方食べることになる気もしますが、それも食卓の平穏無事ということで良しとしましょう。
カツオには二度楽しみが巡ってくるからこそ、旬は「一度きりの正解」ではなく季節ごとの味わいになります。初ガツオには初ガツオの軽やかさがあり、秋にはまた違う楽しみが待っている。優劣を決めるより、その季節にしかない一皿を味わう方が、きっと食卓は豊かです。カツオを見かけた時に「前にも食べたから」と通り過ぎず、季節を確かめてみる。それだけで、いつもの魚売り場が小さな旬のカレンダーに見えてくるかもしれません。
第4章…高齢者施設でも季節を味わう初ガツオの食卓づくり
高齢者施設の食事で初ガツオを楽しむ時、大切なのは「旬だから出す」だけで終わらせないことです。カツオは赤身のしっかりした食感があり、人によっては噛みにくさや飲み込みにくさを感じることがあります。さらに生ものを扱う以上、食中毒への注意も欠かせません。咀嚼(食べ物を噛み砕くこと)や嚥下(食べ物を飲み込むこと)の状態、施設の衛生管理や提供基準まで見ながら、その人が安心して季節の味を楽しめる形を選ぶ。そんな臨機応変さが、施設の食卓にはよく似合います。
初ガツオらしさを残したいからと、全員に同じ形で出す必要はありません。食べやすい大きさへ整えたり、状態に応じてやわらかな料理へ変えたり、加熱した料理として香りを楽しんでもらったりと、選択肢はいくつも考えられます。すり流しや茶碗蒸しのように、カツオの風味を別の形へ移す方法もあります。見た目が刺身でなくなったから旬ではない、なんてことはありません。むしろ「食べられる形にして季節を届ける」という工夫こそ、適材適所の食事作りでしょう。
そして施設の食事には、家庭とは少し違う楽しみがあります。初ガツオを5月頃の季節メニューとして出し、「昔は初物を食べると寿命が延びるなんて言ったそうですよ」と話題を添えれば、箸の向こうから昔の記憶が出てくることがあります。「うちはショウガだった」「いや、ニンニクや」「私は魚より酒やったなあ」。最後の方はカツオが脇役になっている気もしますが、それで良いのです。食事をキッカケに会話が動けば、その日の昼食は栄養を取るだけの時間ではなくなります。
高齢者施設の旬の食事は、同じ料理を全員へ配ることではなく、その人が食べられる形で同じ季節を分かち合うことに価値があります。初ガツオそのものを食べられる人もいれば、やわらかく調理した一品から香りを楽しむ人もいるでしょう。そこへ昔話や季節の話題が加われば、食卓には春から初夏へ向かう空気まで運ばれてきます。
行事食というと豪華な献立を考えたくなりますが、必要なのは派手さばかりではありません。「今日は初ガツオの季節ですよ」のひと言と、その人に合ったひと皿があれば十分な日もあります。安全を守りながら、美味しさも思い出も諦めない。そんな食卓なら、高齢になっても季節はちゃんと舌の上までやって来ます。
[広告]まとめ…旬のひと口から春を楽しむ暮らしへ
初ガツオは、ただ春から初夏に出回る魚というだけではありません。サッパリした赤身の味わい、初物を楽しんだ江戸の人々の心意気、薬味をたっぷり添えたたたきの香り。その一皿には、長い時間をかけて受け継がれてきた季節の楽しみが詰まっています。魚売り場でカツオを見つけた瞬間から、食卓には少しだけ季節の風が吹き始めるのです。
たたき、刺身、漬け、カルパッチョ、しゃぶしゃぶ、竜田揚げと、料理によって表情を変えられるのも初ガツオの魅力です。「旬だから難しい料理を作らなければ」と気負う必要はなく、今日はポン酢、明日は漬け丼くらいの自由さで十分。自由自在に楽しめる魚ですから、冷蔵庫を開けて薬味がネギしかなくても、そこで夕食会議を解散する必要はありません。ネギにはネギの仕事があります。
高齢者施設でも同じで、全員が同じ形の料理を食べることより、その人に合った方法で季節を一緒に味わえることが大切です。噛む力や飲み込む力に合わせて料理を整えながら、初ガツオの話をキッカケに昔の食卓を思い出してもらう。そんな和気藹々とした時間が生まれれば、旬の食材は栄養だけでなく、会話や記憶まで運んでくれます。
旬を楽しむというのは、特別なご馳走を用意することではなく、「今年もこの季節が来たね」と感じられるひと口を暮らしに置くことなのかもしれません。初ガツオを食べたら、次の季節にはまた別の旬が待っています。そう考えると一年の食卓は、随分と賑やかなものです。
春から初夏へ向かう日に初ガツオを見かけたら、どう料理するか考えるところから楽しんでみてください。江戸っ子ほど財布を張り切らせなくても大丈夫。美味しく食べて、「今年も春をいただきました」と笑えたなら、それだけで立派な季節のご馳走です。
[ 広告 ]今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
[ 応援リンク ]
ブログランキング2つに参加しています。応援クリックをお待ちしております。
[ ゲーム ] 作者のitch.io(作品一覧)
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。