長靴をはいた猫は世界を旅する~吾輩のにゃんこ仲間たち~

目次
はじめに…吾輩は猫で長靴を履いて宝探しではなくて今日は世界の猫文化を探す旅に出た
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吾輩は猫である。
名前はないようであるが、いつの間にか「長靴さん」と呼ばれている。
どこかで聞いたような設定だって?
そう、それもそのはず、吾輩はあの“長靴をはいた猫”の末裔――ということになっている。
何代目かは定かではないが、血筋よりも大事なのは、この肉球とこの鼻の利きようだ。
さて、そんな吾輩が今回、旅に出ることになった。
目的はひとつ、「8月8日の世界猫の日に、にゃんこ仲間たちを紹介する」ことである。
毛色が違えば性格も違う。
性格が違えば、寄り添い方も違う。
吾輩のように長靴を履いた猫はそう多くないが、それぞれがそれぞれの靴…いや、肉球で、自分なりの人生…いや、猫生を歩んでいるのだ。
日本では三毛猫が女王様として君臨し、アメリカでは白い靴下のタビーが子どもと転げ回り、イギリスでは丸顔の紳士が紅茶片手に午後を過ごしている(もちろん、片手は比喩である。彼らに指はない)。
この旅では、そんな世界の猫たちの暮らしぶりを、吾輩の視点で見て歩き、感じたままをお届けしようと思う。
人間の皆さんにとっても、「猫とは何者か」という問いの答えに、ちょびっとでも近づけるかもしれない。
なお、途中で赤ん坊と仲良く昼寝している猫もいれば、腰の曲がったおばあちゃんにそっと寄り添う猫も登場する。
猫は気まぐれだが、やさしさはときどき爆発するのだ。
さあ、長靴のヒモをきゅっと締めて、肉球を湿らせ、世界へと旅立つとしよう🩷。
次の角を曲がれば、また新たな猫の物語が待っている。
どうか気楽に、時に笑いながら、吾輩とともに歩いてくだされ。
第1章…三毛はツンとすましてハチワレは茶を濁す~和猫という名のドラマ~
吾輩が最初に訪れたのは、日本。
言わずと知れた猫文化大国である。
畳の香りと味噌汁の湯気に包まれた縁側で、吾輩は彼女に出会った。
名前は「こまち」。
美しい三毛猫である。
顔立ちも毛色も申し分ない。
だが、その態度がなによりも堂々としていた。
まるでそこが自分の家、いや、自分の城であるかのように、前足を揃えてこちらを見たのだ。
「そちら、どちら様?」と言わんばかりに。
こまちの傍には、ひとりの老婆が座っていた。
名前は“しのさん”。
年は八十をとうに過ぎているが、背筋はピンと伸びている。
編み物をしながらも、針の先よりも鋭い目で吾輩を見てきた。
「あんた、旅猫かい?」と尋ねられ、「左様です」と答えると、こまちがふっと目を細めて「あら、珍しいのが来たわね」と言ったような気がした。
しのさんは、こまちと暮らして十年になるという。
「この子は、気が向いたときにだけ甘えるんだよ」と笑ったが、その顔はどこかうれしそうだった。
話を聞けば、最近は耳が遠くなってきて、テレビの音もよくわからない。
けれど、こまちが隣にいるだけで、しんとした部屋に音楽が流れる気がするらしい。
その後ろでは、ひとりの茶白のハチワレが縁側の下から顔を出した。
「おーい、また長靴が来てるぞ」と言いたげな顔で、のっそり出てきて、ぺたりと地面に伏せた。
「あれが“たまじろう”さ」としのさん。
「見かけはだらけてるけど、こまちの弟分みたいなもんさ」
たまじろうは、こまちのような高貴な雰囲気はないが、その代わりに妙に人間臭い。
“あんたどこから来たの?魚くれたら話してもいいけど”という空気を醸し出していた。
どうやらこの家の庭にいついた半野良らしく、日中は近所の保育園の庭で子どもたちと遊び、夕方にはここでしのさんとこまちと並んで夕日を眺めるのが日課らしい。
こまちとしのさんは、言葉こそ交わさないが、互いの呼吸がぴたりと合っていた。
こまちが立ち上がると、しのさんも椅子から立ち上がり、こまちが振り返ると、しのさんも微笑む。
ただそれだけのやりとりに、吾輩は猫という生き物の奥深さを見た気がした🩷。
三毛猫は気まぐれだと言われるが、それは“人間の都合で撫で回されるのはごめんだ”という、ただの矜持である。
ハチワレはちゃっかり者に見えるが、それは“空気を読む達人”というだけのこと。
しのさんはしのさんで、「あたしゃ耳が遠くたって、猫のまなざしの意味くらい分かるよ」と言って、また編み針を動かし始めた。
吾輩はしばらく縁側に座り、こまちとたまじろう、そしてしのさんが織りなす静かな午後を見守った。
どこにでもある風景かもしれないが、そこには確かに、猫と人間の信頼という糸が、ひと針ひと針、丁寧に紡がれていたのだ。
第2章…縞模様の国の陽気なプリンス~アメリカンキャットは靴下付き~
吾輩が飛行機のタイヤにこっそりしがみついて辿り着いたのは、自由の国アメリカ。
着陸と同時に地面に降り立つと、そこは広々とした芝生の庭、バーベキューの煙とホットドッグの香りが漂う、ご陽気な世界だった。
そこにド派手なスキップで登場したのが、今回の主役“チャーリー”。
茶トラタビーの美猫、全身茶色の縞模様、足元は見事な白い靴下。
まるで小粋なスニーカーでも履いているかのようだ。
「へーい、ロングブーツのお兄さん、どっから来たのさ?」と、いきなり話しかけてくる。
いや、今のは多分“にゃー”だったのだろうが、勢いでそう聞こえた。
チャーリーはとにかく陽気でフレンドリー。
初対面の吾輩に向かって、自分の縄張りを案内しはじめた。トカゲを追いかけた跡、カリカリが隠してある植木鉢、いつもお昼寝するハンモックの上――とにかく忙しい。
そして、彼の飼い主は、6歳の少年“トミー”。
坊主頭に大きな前歯、いつも手にチョコの跡がついてるタイプである。
トミーとチャーリーはまさに“ベストフレンズ”というやつで、互いに追いかけっこをし、互いに転がり、互いにおやつを取り合いながら、まるで兄弟のように暮らしている。
吾輩が木陰で見ていると、チャーリーが急に立ち止まり、「ちょっと来いよ、イイもん見せてやる」と言いたげな顔で尻尾をふった。
ついて行くと、そこには手製の秘密基地――と言っても、段ボールと毛布とお菓子の袋でできたもの――があり、その真ん中にチャーリーがどかりと座った。
どうやらそこは「ふたりだけの特等席」らしく、トミーが本を読み聞かせる時間になると、チャーリーは毎日そこにやってくるらしい。
その日も、トミーがやってきて、おもむろに「ママが言ってたんだけどね、チャーリーって10年後もそばにいると思う?」と聞いた。
チャーリーは尻尾でゆらりと返事をしただけだったが、何だか答えは“もちろんさ”だったように思えた。
少年の問いに、猫は決して言葉では答えない。
けれど、まなざしと空気で、それ以上のことを伝える。
チャーリーは元気者で、誰にでも愛想を振りまくが、その根っこには、トミーを守ろうとする不思議な使命感のようなものがある。
ある日トミーが転んで泣いていたときも、チャーリーはどこからか現れて、ぴたっと横に並び、ただ黙って一緒にいたそうだ。
トミーはそれを「スーパーヒーローが来たみたいだった」と語った。
吾輩は思う。
猫はよく“自由奔放”とか“気まぐれ”とか言われるが、チャーリーのように、ちゃんと誰かを見守っている猫もいるのだ🩷。
ただそれが人間の都合の形ではないだけ。ヒーローはいつもマントを着て現れるわけじゃない。
ときにそれは、靴下を履いたタビーの姿で、そっと隣に座っているだけだったりするのだ。
吾輩はその秘密基地の入口でひと休みし、チャーリーとトミーがじゃれ合う姿を見ながら、アメリカの空に向かって、ちいさくひと鳴きした。
「チャーリー、おまえ、いい靴下履いてるじゃないか。」
第3章…丸顔紳士と青い貴族~ブリティッシュとロシアンの午後のひととき~
吾輩が訪れたのは、しっとりと霧の降りたロンドンの片隅。
煉瓦の家々が連なり、どの家の窓辺にも花と猫とカーテンの影が揺れている。
そんなある家の扉の前で、吾輩は小さな「にゃっ」という声に迎えられた。
出てきたのは、ずんぐりむっくりとした丸顔のグレー猫。
その名は“チャーチル”。
何ともしっくりくる名前である。
「紅茶でもどうかね?」と語りかけてきそうな風格。
身体はむっちり、目はまんまる。動きはゆっくり、けれど一つひとつが品格をまとっていた。
彼のあとに続いて入ったのは、やはりブリティッシュショートヘアの住むにふさわしい、アンティーク家具に囲まれた暖炉のある部屋。
そして、その部屋のソファにはひとりの老人が座っていた。名は“アーサー”。
白髪に紅茶色のセーター、そして手元には開かれた古い詩集。
アーサーは静かにチャーチルを撫でながら、「あのロシアの娘も、そろそろ来る頃だな」と呟いた。
すると、それに応えるように、ふわりと現れたのがもう一匹の猫、“イリーナ”。
ロシアンブルーの美しい毛並み、そして凛としたエメラルドの瞳。
チャーチルとイリーナは、まるで静寂と緊張のバランスのような関係だった。
チャーチルはどこまでも穏やかで、どっしりと構えて動じない。
一方イリーナは、音もなく歩き、誰にも気づかれずに近づいては、ふっとアーサーの足元に座る。
そしてアーサーはふたりの猫に向かって、まるで古い友人に語るように、今日読んだ詩の一節や、若かりし頃の思い出をぽつぽつと語りかけていた。
吾輩はふと考えた。
猫とは、喋らないのに会話になる不思議な存在だと。
チャーチルは聞いている。
イリーナもまた、感じている。
そしてアーサーも、誰にも言えぬ話を猫たちにだけは話せるのだ。
ある日、アーサーの手元がふるえ、紅茶のカップを落としかけたとき、イリーナが素早く前足を伸ばして支えた。
もちろん実際に止めたわけではない。
ただ、その仕草が、まるで「大丈夫」と言っているように見えたのだ。
そしてチャーチルがソファから降り、アーサーの足元に座り直す。
まるで交代のように。
こうして猫たちは、老紳士の午後を守っている。
話し相手でもなく、介助者でもない。
ただそこに、空気のようにいることで、時間の流れにそっと抗っている。
吾輩は、紅茶の香りとともに満たされたその部屋で、しばし時の流れを忘れた。
チャーチルはまぶたを半分だけ閉じ、イリーナは窓の外の霧を眺め、アーサーは言った。
「猫がいると、時間が静かに進むんだよ🩷」
そう、猫と過ごす時間は、誰かと争うためでも、何かを勝ち取るためでもない。
ただ、今という“優しい今”を、丁寧に味わうためのものなのだと、吾輩はしみじみ感じた。
そして、玄関を出るとき、チャーチルがぽつんと「また来いよ」と言ったような気がした。
もちろん、それは幻聴である。
だが、吾輩の耳には確かにそう聞こえたのだ。
第4章…おしゃべりシャムと無言のまなざし~南国の猫たちと高齢者の静寂~
吾輩が次に降り立ったのは、太陽が燦々と照りつけるタイの町。
オレンジ色の屋根瓦が眩しく、寺院から聞こえる鐘の音が空気を震わせる。
道の片隅にはバイクが並び、屋台では香辛料の匂いが立ちのぼる。
そんな中、ひときわ存在感を放つ猫がいた。
毛並みは真っ白、手足と顔はこげ茶、そして空のように澄んだ青い瞳――典型的なシャム猫である。
彼女の名前は“ミー”。
「シャム猫界の口数女王」と異名を持つほど、よく喋る。
会った瞬間からそれはもうにぎやかで、「どこから来たの?タイ初めて?暑くない?ごはん食べた?お腹平気?え、旅してるの?一人で?うそでしょ?」と、1にゃんで5にゃん分くらいの情報量を投げかけてくる。
吾輩はうなずくしかなかった。
そんなミーがいつも通っている場所があるというので、ついて行ってみた。
たどり着いたのは、町はずれの老人ホームの裏庭。
木陰のベンチにひとりの男性が座っていた。
白いシャツ、深くかぶった麦わら帽子、その隙間からのぞく瞳はとても静かで、でもどこか遠くを見ていた。
名は“パイさん”。
この施設では最年長の入居者だという。
ミーはそのベンチにぴょんと飛び乗り、当然のようにパイさんの膝の上へ。
彼は何も言わずにその小さな身体を受け止めた。
ミーは、しばらくは黙っていたが、ふと、ぽつりと「今日のスープ、いつもより味が薄かったニャ」とつぶやいた。
パイさんは微笑んだような、まばたきしたような、そんな小さな反応を返す。
実はパイさん、数年前から言葉を失っていた。
事故の後遺症らしい。
しかし、ミーとはよく“会話”していると、施設のスタッフは笑う。
「ミーちゃんだけには、パイさんが喋ってるように見えるのよね」と言うのだ。
確かにその日も、ミーが「聞いてる?今日ね、あの犬がまた騒いでたのよ」と語りかけるたびに、パイさんは首をちょこんと傾けたり、口元をゆるめたりしていた。
ミーにとって、それが返事であり、肯定であり、何よりも“通じ合っている”という実感なのだろう。
そしてパイさんにとっても、ミーの声は言葉そのものではなく、“生きている実感”のようなものなのかもしれない。
吾輩はその光景をしばらく見守っていた。
言葉というのは、音だけではないらしい。
語りかけ、寄り添い、ただ一緒にいることが、どれだけ心を温めるか🩷。
シャム猫の青い目は、きっとそれを知っていた。
日が暮れ始めたころ、ミーは吾輩のもとに歩み寄ってきて、「あの人、昔ね、有名な先生だったんだって」と耳打ちした。
どこか誇らしげに。
シャム猫という生き物は、よく喋り、よく観察し、そしてとても繊細なのだ。
パイさんの手がミーの背をやさしく撫でるたび、空気が少しだけやわらかくなる。
言葉のない会話、音のないやり取りが、そこには確かにあった。
吾輩は静かに頭を下げ、そっとその場を後にした。
振り返ると、ミーがウインクしてこう言ったように思えた。
「猫って、声だけが取り柄じゃないのよ。」
第5章…神の血を引く者たち~アビシニアンと古代の記憶~
旅はついに、熱砂と神殿の国――エジプトに辿り着いた。
陽炎が揺れる道の先、古代の石柱が眠る遺跡のふもとに、小さな村がひっそりと息づいている。
その村に、まるで砂の王子のような猫がいた。
名は“バステト”。
しなやかな体、琥珀色の瞳、そしてピラミッドのようにシャープな輪郭。
アビシニアンという品種の彼は、まるで古代エジプトの壁画から抜け出してきたかのようだった。
バステトが気まぐれに顔を出すのは、村外れの小さな診療所。
そこに通うひとりの少年“ユセフ”が、この章の人間代表である。
ユセフは7歳。
生まれつき言葉が少なく、人前で声を出すことがほとんどなかった。
けれど、何かを感じる力だけはとても強かったようで、初めてバステトを見たとき、ぽつんと「神様……?」と呟いたのだと、母親が言っていた。
それ以来、バステトは日々、ユセフのそばに現れるようになった。
病院のベンチ、学校帰りの井戸のそば、時にはユセフの寝ているベッドの足元にさえ、いつの間にか座っている。
だがバステトは決して甘えることはない。
ただ静かにそこにいる。
そして、必要なときだけ近づき、必要が過ぎれば去っていく。
まるで儀式のように。
ある日、ユセフが高熱でうなされていたときのこと。
母親がタオルを替えていると、窓からスルリと入ってきたバステトが、枕元に座り、まるで炎を鎮めるように喉を鳴らした。
その音は深く、どこか祈りのようで、やがてユセフは苦しげな息を落ち着かせ、静かな寝息をたてたという。
それ以降、ユセフは少しずつ、言葉を使うようになった。
最初の一言は「バステト」。
それは名前であり、感謝であり、祈りだったのかもしれない。
吾輩が会ったその日も、ユセフは砂地に座って、バステトと向き合い、何も言わずに小さな石を並べていた。
まるで会話をするかのように、石をひとつ置いては、バステトを見る。
バステトは尻尾で返事をし、ユセフはにこりと笑う🩷。
吾輩は、静かな空気の中に、確かな絆を感じた。
神と信仰の時代はとっくに過ぎ去ったが、それでも猫は、誰かの中で“信じる力”を呼び覚ます存在なのだと。
太陽が傾きかけたころ、バステトはふいに立ち上がり、石柱の影へと歩き出した。
ユセフは見送るでもなく、ただ手のひらを掲げていた。
その小さな手の中には、きっとたくさんの想いがつまっていたのだろう。
吾輩はその姿を見ながら、静かに思った。
猫は“神”なんかじゃない。
でも、人の心の奥に、忘れかけた祈りを灯すことは、きっとできる。
第6章…名もなき黒猫はどこにでもいてだれかの心にいる
この世には“名もなき猫”というのが存在する。
戸籍もない、飼い主もいない、首輪もリボンもつけていない。
けれど、たしかにそこに“いる”。
そして、その“いる”というだけで、誰かの心を支えている。
そんな猫に、吾輩は都会の片隅で出会った。
とある団地の裏、誰にも気づかれずに咲く花のように、その黒猫はひっそりと佇んでいた。
目はくりくり、身体はすらり、そして毛は艶やか。
名前はない。
誰も彼の名を知らないが、団地のあちこちで「おはよう」「また来たね」と声をかけられている。
みんな“なんとなく知ってる猫”。
けれど、たったひとり、毎日同じ時間に“待っている人”がいた。
彼女の名は“真理子さん”。
ひとり暮らしを始めて十年が過ぎた、高齢の女性である。
旦那さまを亡くし、子どもは遠方。
昼間はテレビと編み物が話し相手。
けれど、夕方4時になると決まってベンチに座り、コーヒー片手にその猫を待つ。
誰に言われたでもなく、黒猫は毎日やってくる。
足音もなく近づいて、黙って隣に座り、真理子さんの肩にそっと体を寄せる。
「この子ね、名前がないの。でも、不思議と分かるの。今日元気かとか、何かあったのかとか」
真理子さんは、そう言いながら猫の背中を撫でる。
黒猫はゴロゴロと喉を鳴らし、それが夕方の鐘のように、団地の小道にやわらかく響く。
ある日、急な寒波が来て、猫の姿が見えなかった日があった。
真理子さんはいつものベンチに座ったまま、ずっと目を閉じていた。
「今日は…来ないかもしれないね。でも、また来る気がして…」
その言葉が終わる前に、茂みからするりと出てきた黒い影。
濡れた足で、濡れたままの心に触れるように、猫は静かに座った。
名もなき猫は、ただそこにいるだけで、誰かにとって“今日”をやさしく包んでくれる存在なのだ。
名前があることより、言葉があることより、もっと大事な“存在感”が、彼にはあった。
吾輩がその場を離れようとしたとき、黒猫は一度だけこちらを見た。
何も言わず、何も訴えず、ただ「わかるだろ?」とでも言いたげな目だった。
そしてまた、真理子さんの膝にそっと頭をあずけた。
猫は時に、静かすぎて見落とされる。
けれど、心に灯るそのぬくもりは、確かに誰かを生かしている。
名もなき彼こそ、きっとどの国にもいる“猫の原型”なのだろう。
目立たず、語らず、でも確かに、今日も、誰かのそばに🩷。
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まとめ…世界を旅してわかったこと~猫はどこでも猫でそして小さな英雄である~
吾輩は猫である。
旅する猫である。
しかも長靴を履いている。
ヒールではない。
爪は出せるし、泥道も平気である。
そんな吾輩が、三毛のお嬢とツンデレ合戦をし、アメリカで靴下猫と泥んこになり、イギリスで紅茶を飲みかけ、タイではおしゃべりに圧倒され、エジプトでは神を見て、最後は名前もない黒猫に頭を下げた。
これが旅のすべてだ。
けれど、ただ猫を眺めてきたわけではない。
そこには、いつも“人”がいた。
一人ひとり、猫と静かに過ごす人間の姿。
しのさんの縁側、トミーの秘密基地、アーサーの暖炉、パイさんの無言のまなざし、ユセフの小石遊び、真理子さんの午後のベンチ。
それぞれに“ひととき”があり、そこに猫がいた。
しかも、どの猫も、別に何かをしているわけではない。
ただそこに“いる”だけなのだ。
不思議な生き物だと、改めて思う。
猫は、言葉を使わないのに伝える力がある。
走り回らなくても、そばにいるだけで何かを変えてしまう。
人間が忘れてしまいがちな静けさや、ささやかな時間のぬくもりを、猫はまるで贈り物のように差し出してくれる🩷。
そう、猫という生き物は、気まぐれに見えて実は律儀で、自由に見えて実は思いやりに満ちている。
肩書きもない、スーツも着ない、SNSもやらない。
けれど、ただひとつ言えること――どの国にも、どの町にも、どの人生にも、猫はそっと寄り添っているということ。
長靴を履いた吾輩は、また次の街角へ歩き出す。
そこにまた、誰かの暮らしを支える“とある猫”がいると信じて。
そしてもし、あなたのそばにも、今しずかに座っている猫がいるならば。
どうかその時間を、大事にしてくれたまえ。
猫は今日も何も言わないが、きっとこうつぶやいているはずだ。
「世界なんて広くてにゃんぼくさいけど、ここにいれば、それでいいニャ。」
[ ⭐ 今日も閲覧ありがとう 💖 ]
読み込み中…読み込み中…読み込み中…読み込み中…😌来場された皆様、今日という日の来訪、誠にありがとうございます
お気づきのご感想を是非、お気軽にお寄せくださいましたら幸いです
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