8月8日?それって“わたしの日”らしいよ? 猫のわたしとママと女の子とパパの暮らしの話

[ 8月の記事 ]

はじめに…この日は特別な日?―いや毎日がわたしの“猫の日”なんだよ

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8月8日――夏の真っ盛り。

朝からセミは全力で鳴いているし、保育園から帰ってくるお姫さま(5歳)は「ただいまー!」と元気いっぱい。

ママ(25歳)は台所で汗をふきふき麦茶をつぎ、パパ(28歳)は玄関で靴を脱ぎながら「エアコン強め希望…」とつぶやく夕暮れ。

そんな騒がしい日常のなかに、ひとつだけ静かで、気まぐれで、ふわふわしていて、だけど絶対的な存在感を放つ生きものがいる。

それが――わたし、猫。

そういえば今日は「世界猫の日」なんだって。

ママが朝からスマホ片手に「ねぇねぇ、今日はモカ(仮名)の日だよぉ」ってはしゃいでた。

ふぅん、まあ確かにそうかもしれない。

でも本当のところを言うとね、“猫の日”なんて名前がついてなくたって、猫はいつだって世界の中心。

ちゅーるがもらえるかどうかにしか興味はないし、人間たちが何をお祝いしてようが、ちゃんとこの家の主役はわたしだから。

だけど、ちょっとだけ本音を言うなら、うれしい。

この家に来て、何気ない毎日の中でいろんなことがあった。

食べなかった日も、トイレの場所が気に入らなかった日も、キャリーケースを見て絶望した日もある。

それでも、誰かが撫でてくれて、「今日もかわいいね」「ありがとうね」「いてくれてよかった」って声をかけてくれる。

そういう家族と暮らしている、それが“わたしの誇り”だって、ちょっと思ってる。

そんなわたしが、今日はこっそり「この家族、けっこう頑張ってるわよ」っていう話をしてあげる。

猫と暮らすって、ただ可愛いだけじゃないの。

でもね――手がかかるほど、愛が深まるのが猫ってものよ。

さあ、“世界猫の日”だからこそ、今日はわたしの言い分も聞いてくれるでしょ?🩷

ふふん。じゃあ、いくわよ。

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第1章…「寝てるママを叩いて起こす係」はわたしの朝イチお仕事


朝はいつも静かに始まる…と言いたいところだけど、実際はそんなに優雅じゃない。

まだ空がうっすら明るくなりかけた頃、わたしの一日が始まる。

もちろん目的はただひとつ――朝ごはんである。

でも、家族の中でこの時間に動いているのは、わたしだけ。

ママはと言えば、顔をくしゃっとさせてまだ夢の中。

隣で寝ているパパは無反応で役に立たないし、お姫さま(5歳)に至っては布団にくるまって転がりながら寝言で「カレーのプリン…」などと呟いている。

何の夢を見ているのかは分からないけれど、少なくとも今この空腹を解消してくれるような人物はいない。

だから、わたしがやるしかない。

静かにベッドに登り、まずはママのほっぺをちょいちょいと肉球でプッシュ。

反応がなければ、鼻先にヒゲをこすりつける。

たまに強化モードでおでこにズドンと突進もするけど、それは最終手段。

できれば穏やかにいきたい。

「……モカぁ……まだ5時半だよぉ……」

ようやく目を開けたママがそうつぶやくと、わたしの勝利。

キッチンに向かってふらふらと歩く後ろ姿に「今日もママ、ちゃんと動いたな」とほっとする。

食器の場所、カリカリの量、お水の温度――全部わたし仕様に整えてある。

ママは一度たりとも文句を言わない。

むしろ「ごはんまだだったね、ごめんね~」なんて笑いながら、わたしの器をていねいに置いてくれる。

人間って不思議だよね。

自分のことより先に、まずわたしのごはんを用意するんだもの。

毎朝、ちゃんと繰り返されるこの儀式があるから、わたしは今日もきっと機嫌よく生きていける。

ふと窓の外を見ると、朝日が差し込んでくる。

この時間が好き。

ママの寝起きの顔も、ちょっとぐしゃっとしてて悪くない。

わたしにとって朝ごはんはただのエネルギー補給じゃない。

「今日もこの家で生きていいよ」って、ママがそっと言ってくれている時間なんだと思う🩷。

まあ、それでもごはんが遅れたら即座に抗議はするけどね。

第2章…保育園児と猫のドレスコードは毎朝が本番


ママがわたしにカリカリを出してくれるころ、ようやくお姫さま(5歳)がむくりと布団から起き上がる。

寝ぼけ眼で「あ〜きょうはピンクのドレスね」とか言っている時点で、すでに彼女の脳内では保育園ではなく“舞踏会”が展開されているようだ。

まったく、朝から飛ばしてくる。

彼女はわたしのことを“おともだち”とか“王子さま”とか、その日の気分でいろいろに呼ぶ。

まぁ、わたしはメスなんだけど、そのあたりはもう何度も説明してあるのに、全く気にしていない様子。

うん、そういうところ、嫌いじゃない。

ある日など、「今日はわたしとおそろいにしよっか♪」とニコニコしながら、わたしの首に小さなスカーフを巻きつけてくれた。

正直、あれはちょっとだけ苦手。

でも、ぐるぐる巻かれるときのあの笑顔を見ると、なんとなく拒否できなくなるんだよね。

しかたないじゃない、わたしも空気は読む。

ママはその様子を見て、「あ、またモカが巻かれてる〜」って笑ってたけど、ちゃんと後でそっと外してくれるあたり、わかってるなって思う。

そう、わたしはおもちゃじゃない。

でも“愛されてる証拠”みたいなものは、なんとなく肌で感じてるの。

人間の子って、こっちがじっとしてると勝手に感動するし、ちょっとでも目を細めるだけで「モカが笑ってる〜!」って喜んでくれる。

そんなにサービスしてるつもりはないけど、結果的に“いい仕事したな”って日もある。

ただし、ひとつだけ苦情を言わせてもらうとすれば――スカートの下に潜り込ませるのはやめてほしい。

まるで猫がイリュージョンの小道具にされてる気分になる。

あれはたぶん、猫の尊厳ギリギリを攻めている。

でもね、それでもわたしは、きっとこの子の一番身近な“理解者”なんだと思う。

パパとママも、きっとそう思ってる。

だって彼女が機嫌よく保育園に行く日は、たいていわたしの顔をすりすりしてから家を出るんだもの。

何気ないようでいて、それってけっこう大事なことよ。

今日もスカーフがほんの少しズレてたけど、あえて直さずに玄関まで見送ってあげた。

だって、わたしはこの家の姫の、いちばんの“専属つきそい猫🩷”だから。

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第3章…パパの腹とわたしのチュールとキャリーケースという試練


夜。

仕事を終えたパパ(28歳)が「ただいま~」と玄関を開けると、わたしはだいたいソファの背もたれの上でくつろいでいる。

すぐに駆け寄って出迎えるほどわたしは軽くない。

でもね、パパがリュックを下ろし、靴下をぬいで、ソファにごろんと倒れこむのを見計らって、ひょいっと乗る。

ええ、そこが一番あったかくて、ふわふわしてて、心地いい場所なの。

パパは「おお、来た来た~。今日も乗ってくれてありがとうな~」なんて言いながら、わたしの背をなでてくれる。

で、ついでにこう言うのよ。

「チュール、あと残ってたっけ?」

ふふん、よくぞ聞いてくれました。

台所の左奥、あの棚の二段目にある。

ママは「今日はもうダメ!」ってよく言うけど、パパはわりとイチコロ。

甘え方次第では、追加一本までいける。

チュール交渉のコツ、それは“乗り方”と“目線”です。

わたし、プロだから。

そんなわたしたちの穏やかな夜にも、時に事件は起きる。

それが、キャリーケースの登場だ。

突然、部屋のすみにあれが置かれている。

それだけで、わたしのしっぽは警戒モードに入る。

ママとパパが目を合わせると、わたしはすっとソファの下に隠れる。

わかってる、病院だ。

あの白衣の人たちがいる場所へ連れていかれるんだ。

あんなもの、誰が好きになるっていうの?

わたしの中では、「チュールの包み紙の音」=天国、「キャリーケースのファスナーの音」=地獄、ってくらいの落差がある。

でも、パパは優しい。

隠れたわたしにそっと声をかけながら、あまり押しつけずに待ってくれる。

ママが持ってくるちゅーるで気をそらされた隙に、さっと抱き上げられるのもお決まりだけど、パパの腕の中だと、わたしは不思議と暴れない。

いや、暴れたくなるけど、ちょっとだけ我慢してあげてるの。

たぶん、パパの匂いが落ち着くんだと思う。

…たぶんよ?

べつに好きってわけじゃないんだからね?

帰ってきたあと、わたしはふて寝する🩷。

でも、そのふて寝ポーズを見て、パパが「めっちゃ怒ってる顔もカワイイ~!」とか言いながら写真を撮ってくるから、本当にもう、やってられない。

…でも、その写真が、家族のLINEで「今日のモカ!」として共有されて、みんなが笑ってるのを見ると――

まあ、たまにはいいかって思うの。

ほんのちょっとだけね。

第4章…トイレはきれいに砂はふわっと…そして触れられたくない日もあるの


わたしのトイレは、家の中でいちばん“繊細なゾーン”といっても過言じゃない。

あそこの砂がほんの少し湿っていたり、前のニオイが残っていたりしただけで、わたしのテンションは地の底に落ちる。

猫ってそういうものなの。

ママはもう何度も理解してくれているから、朝と夜の2回、ちゃんとお掃除してくれる。

でもたま~に忘れてる日があって、そういう時はわたし、抗議の目線を床の上から送るの。

言葉はないけど、目で語るの。

ええ、かなりの演技力には自信がある。

そして肝心なのは、トイレの“位置”。

ママが模様替えのついでに、ちょっとでも場所をずらした日には大騒ぎ。

わたしはふんふん匂いを確認し、床を2周まわってから、そっと座り込む。

そこが“正式な場所”かどうかを、こっちはちゃんと見極めてるのよ?

勝手に移動しないでほしいの。

人間だって、突然トイレが台所の横にあったら嫌でしょ?

それと同じなの。

ちなみに、わたしがトイレから出てきたときに家族が「モカちゃん、えらいね〜!」と拍手してくるのは、正直ちょっと恥ずかしい。

でも、それがこの家のルールらしいから、もう慣れた。

保育園のお姫さまなんか「モカがトイレいった〜!すごい〜!」って毎回実況中継してくるし。

いや、見ないでってば…。

さらに大事なのが、“今日は触れられたくない日”ってやつ。

人間は猫を“かわいいから”っていう理由で無限に撫でようとするけど、こっちにも“やめてほしい日”があるのよ。

わたしはべつに怒ってるわけじゃない。

ただ、今日は気分じゃないだけ。

そういう空気、感じ取ってほしいのに、パパなんか嬉しそうに抱っこしてこようとする。

で、ガブリとやってしまった日には、ママがすぐに通訳してくれる。

「今日はたぶん機嫌わるかったんだよ〜ごめんねぇ」って。

そう、そうなの。

わたしが説明する前に、ママがわかってる。

それが信頼ってものよね。

気まぐれに見えるかもしれないけれど、実は“ちゃんと理由がある”のが猫の行動なの。

でもその理由を全部言わずに、見ててくれる人がいるから、わたしも安心して“猫らしく”生きていけるんだと思う。

毎日が一緒じゃない。

でも、それを「手間」と思わずに、「うちの子って繊細なんだよ〜」って笑ってくれるママとパパ。

そんな家族がいるからこそ、今日もこの家の真ん中でふんぞり返っていられるってわけ。

…ちなみにトイレ掃除が1日でもサボられたら、また“抗議の目”するから覚悟しててね?🩷

第5章…ごはんは“昨日と同じ味”が突然NGになることもある


あれだけ美味しそうに食べていたカリカリを、次の日にはスン…と鼻先で拒否する。

――ええ、それ、わたしのことです。

だって飽きたんだもの。人間だって毎日同じお弁当だったらテンション下がるでしょ?

でも、人間の世界ではそれを「気まぐれ」と呼ぶらしい。

不本意だけど認めよう。

わたし、ちょっと“難しい女”なの。

パパはよく「昨日まで喜んで食べてたやつ、何だったの!?」と叫んでいる。

冷蔵庫を開けて、新しい味を探してくる姿には、それなりの情熱を感じる。

でもね、パパ、あれは昨日の“気分”だったのよ。

今日は“今日の気分”があるの。

わかって。

ママはもっと冷静。

「きっと粒の形がちょっと違うんだよ~」

「酸化したのかも?」

「たぶん湿気たね」

…などと分析を始めて、カリカリの袋を軽く振ったり、器を変えてみたり。

中には“ふやかしてみる”という高等テクまで使ってくる。

え、何それ……うん、悪くない。

でも、それでも気分が乗らなかった日は、わたし、ちょっとだけ“演技”をしてみせる。

器の前まで行って、「じっ……」と眺めたまま一歩も動かず、横を向く。

その静かなプレッシャーに、ママとパパはざわざわし始めるの。

「え?どした?体調?ストレス?まさか、またトイレの位置?」

――違うよ、ただの気分。たぶん、おやつがほしいだけ。

そんな騒ぎがひとしきり終わって、結局わたしは、夕方になってから普通にモグモグ食べてる。

するとパパが「なんだよ〜〜〜結局食べるんか〜〜い!!」とつっこむ。

でもそれでまた、家族が笑って、ちびが「モカちゃん元気だったね〜」と抱きしめてくれる。

わたしは“心配されるのも、ちょっと好き🩷”。

ええ、かまってほしいの。

だってそれが、家族ってものでしょ?

ちなみに最近のお気に入りは、サーモン味のクリスピー。

でもそれも、明日になったらどうかは――わたしにも分からない。

その日その日で「今日の味」を生きてるんだから。

ま、猫ってそういう生きものなのよ。

第6章…抜け毛の海に住む勇者ママのそのブラシは愛の証


春と秋――季節の変わり目になると、わたしの毛はそれはもう盛大に生まれ変わる。

自分でも驚くくらい、どこまでも抜ける。

立ち上がっただけでふわりと舞い、ソファにはシルクのような毛のカーペット、黒い服にはアート作品のような模様が浮かび上がる。

この現象に一番反応してくるのが、ママ。

掃除機を出し、コロコロを取り出し、「あれ、こんなとこにも!?」とため息をつきながら、でもなぜか“ちょっと笑ってる”。

まるで、いたずらされたのに嬉しそうな人間の顔だ。

「モカちゃん、今日もいっぱい生きてるねぇ〜」

……うん?それってつまり、わたしの毛が家中にある=元気な証、ってこと?

なるほど、そういう解釈もあるのね。

でも問題は“ブラッシング”よ。

ママがブラシを手にした瞬間、わたしの中の“野生”が目を覚ます。

逃げる、避ける、ソファの後ろへダイブ!

あれはまるで、わたしの中の戦闘スイッチが入る儀式みたいなもの。

でも、不思議なことに――

うまく撫でられて、ちょうどいい強さで毛をとかされると、いつの間にかウトウト…。

「モカ、うっとりしてるじゃん〜」と、ママがにんまりしてるのが少しだけ悔しい。

でも、ちょっと気持ちいいんだもん。

仕方ないじゃない。

ブラッシングが終わると、まるで枕に羽毛詰めたみたいに、抜け毛がもっさり。

それを見て、「うわぁ〜やば〜(笑)」と喜ぶパパとお姫さま。

なんならその毛を“おもち(毛玉団子)”にして「モカ毛コレクション♡」とか言い出す始末。

やめて。

猫の尊厳に関わる。

でも、わたしは知ってる。

この家族は、毛だらけになっても嫌な顔ひとつしない。

コートにも、布団にも、果てはランドセルにまでわたしの毛がくっついてても、「今日もモカが一緒にいてくれたんだね」って笑ってる。

――それって、すごく幸せなことじゃない?

毛が抜けても、気分屋でも、いたずらしても、「可愛いね」って撫でてくれるこの人たちに、わたしは今日も“わたしらしく”甘えて、眠るのです。

たまにコロコロごと踏みつけてやるけど、それも愛ってことで🩷。

第7章…洗濯物と袋にコードはぁ―全部わたしの実験対象です


家の中には、わたしの研究対象が山ほどある。

洗濯カゴ、紙袋、コード類、ビニール、カーテン、ぬいぐるみ、観葉植物、ボックスティッシュ――この家って、どうしてこんなに好奇心を刺激する物であふれてるのかしら?

もはや、毎日が研究発表会。

ママが洗濯物を畳もうとしているとき、わたしが上に乗る。

それは「お手伝い」ではなく、布の温度と香り、肌触りを調べるためのサンプリング行動。

とくにタオルはフカフカ具合の確認が必要だし、服の上でごろんとするのも立派なフィードバック。

それにしても、あの“畳みたての洗濯物”って、どうしてあんなに居心地がいいのかしら。

そしてビニール袋――あれは音、形、反射光、全てが魅惑の塊。

「食べちゃダメ!」とママに叫ばれながらカシャカシャしてるけど、わたしはただ研究してるだけよ。

食べないってば。

たぶん。

コード類に関しては、パパが最も敏感。

「噛んだら感電するから!絶対ダメだぞ〜!」って言いながら、コードにカバーを巻き、棚の上に避け、果てはスマホをわたしの目の届かない場所に隠してる。

でもさ、わたし、もう覚えたの。

“見つけたらかじるフリするだけで、かまってもらえる”って。

カーテンの裏に隠れて飛び出すのも、ティッシュを全部引き出すのも、ちびのお人形を棚から落とすのも、わたしにとっては“自然な衝動”。

わたしはただ、生きてる。

それだけのこと。

でも、人間たちはそれを「やめて~!」とか「も〜またモカぁ~!」と毎回反応してくれる。

ママなんか、ティッシュ50枚を無言で片づけながら「はい、出してすっきりしたね〜」と笑ってた。

あれは怒っていいタイミングだったんじゃない?

いや、もしかして笑うことで“許し”を教えてるのかもね。

なんだかんだ、ママってすごい。

わたしのいたずらに付き合って、コードにカバーをつけ、棚のモノを固定し、家の中がどんどん“猫基準の安全設計”に変わっていく。

その努力をわたしはちゃんと見てる。

見てるけど、やめるかどうかは――別の話。

だって好奇心って、生きものがちゃんと“生きてる証”でしょう?

わたしがやめない限り、この家もまだまだ進化していくってこと。

そう思うと、今日もちょっとだけ、新しい実験を始めてみたくなるのよね。

たとえば……観葉植物の土って、掘ったら何か出てくると思わない?🩷

第8章…今日もこの家でわたしは撫でられて眠る~それがすべて!


夜になると、家の中がふわっと静かになる。

お姫さま(5歳)はすでに眠りの国へ旅立ち、パパはリビングでうとうと、ママはキッチンで麦茶を沸かしながら、少しだけ明日のことを考えてる。

わたしはその隙をぬって、そっとママの足元へ近づき、くるんと丸くなって眠る準備に入る。

この時間が好き。

特別なことは何も起きないけど、家族みんながそこにいて、静かに呼吸してる。

誰かが誰かを見守っていて、わたしはそのまんなかに、ちゃんといる。

ときどき、「猫ってなに考えてるんだろうね〜」なんてパパが言うけど、本当のところを教えてあげようか?

わたしが毎日考えていることは――「ここにいてもいい?」って、それだけ。

それに対してママはいつも、ごはんやお水や、やさしい撫で方で答えてくれる。

パパはお腹を貸してくれるし、ちびはどんなときも「モカちゃん大好き!」と叫んでくれる。

だからわたしは、今日も安心して、好きな場所で眠ることができる。

この家の光と音とにおい、全部が自分のものみたいに感じられるって、たぶんすごくすごく幸せなことだと思うんだ。

8月8日が“世界猫の日”だってママが言ってたけど、正直、わたしにはあんまり関係ない。

だってわたしにとっては、毎日が“わたしの日”だから。

ただ、今日だけはちょっとだけ――

「ありがとう」って気持ちを、胸のどこかで思っている。

この家族と出会えて、ここで生きて、毎日を共にできること。

それがどれだけありがたいか、ちゃんとわかってるよ。

眠る前、ママが「モカ〜おやすみ〜」と声をかけてくれた。

わたしは返事をしないけど、しっぽを1回だけ、ふにゃんと動かす。

それが“今日も幸せでした”の合図🩷。


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まとめ…“手がかかる”は“心が通ってる”の裏返し~わたしと家族の物語に今日も“ありがとう”を~


猫と暮らすということは、可愛い瞬間だけを切り取って味わうものじゃない。

朝起こされて、食べないごはんに悩まされて、ティッシュを全部出されて、抜け毛まみれの服を着て、それでも「この子がいてよかったな」と、ふと思える毎日。

世界猫の日――そんな素敵な響きを持つ記念日も、実際にはいつものように猫が床をふみふみして、棚からぬいぐるみを落として、気が向いたときだけすり寄ってくる、ただの“ふつうの日”だったりする。

でもね、その“ふつう”の中にこそ、猫を愛し、猫に振り回され、猫によって笑い、癒されて、そして猫から“信頼”という贈り物をもらえる、かけがえのない時間が詰まっている。

うちの猫は世界で一番かわいくて、世界で一番わがままで、世界で一番、大切な存在。

だからわたしたちは、今日も洗濯物を畳みなおし、抜け毛を掃除し、トイレを整えて、チュールの在庫を確認して、そっと撫でる手の温度を、忘れないようにする。

8月8日は世界猫の日。

でもそれは、誰かに祝ってもらうための日じゃなくて、わたしたち自身が、“猫と共に暮らす幸せ🩷”を静かにかみしめる日なのかもしれない。

――今日もいてくれて、ありがとう。

そう心の中でつぶやきながら、ふわふわのしっぽに、そっとキスをおくる。

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