種なし?芭蕉?未来のバナナ?──8月7日は“バナナの日”

目次
はじめに…8月7日はバナナの日~でも“あの人”にとっては特別な日~
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8月7日。
世間はなんとなく“真夏”のピークを迎え、クーラーと扇風機の争奪戦に明け暮れる季節。
そんななか、冷蔵庫の片隅で、ひときわ堂々とした存在感を放つ果物がある。
そう、バナナである。
黄色いボディにやさしい甘さ、どこか昭和のヒーロー感が漂うその姿。
皮をむけばすぐ食べられるし、お腹にもやさしい。
高齢者も子どもも、朝食を食べそびれたサラリーマンも、なんならうっかり朝を迎えた夜勤明けの猫までも、つい手を伸ばしてしまう――それが、バナナだ。
だけど、ただの便利フルーツと思ったら大間違い。
実はこのバナナ、種が…ある?ない?
しかも“芭蕉”って、あの松尾芭蕉と関係がある?
さらに海外では、おかずになることもあるって?
今日はそんな“知ってるようで知らなかった”バナナの秘密を、思いっきり皮ごとむいて、味わい尽くしてみようと思う。
だって今日は、8月7日。
そう、“バナナの日🩷”。
そして、あるおじいちゃんにとっては、ちょっと特別な日でもあるのだ──。
第1章…バナナの中に“種”はある?ない?の話
バナナをパクリとかじったことのある人なら、誰でも一度は気づく。
……あれ?中に黒い粒が並んでる。
あれってもしかして、種?
そうなのだ。
見た目は“種っぽい”。
でも実際のところ、あれは“種のなりそこない”。
つまり、“種になりたかったけど、なれなかった何か”である。
なんとも切ない。
言うなれば、種界の「補欠」みたいな存在である。
なぜそんなことになったのかというと、実は今出回っているバナナのほとんどが「種なしバナナ」として品種改良された仲間たちなのだ。
品種で言うと「キャベンディッシュ種」、名前はちょっと英国貴族風だけど、性格はいたって素直。
ちゃんと育てれば、ちゃんと甘くなる、努力型のエリートフルーツである。
だけどこのバナナ、性質上“クローン”でしか増えられない。
タネが作れないから、増やすときは人間の手を借りて、株分けでちまちまと増やしていく。
農家の人たち、ありがとう。
あなたたちがいなければ、我々は朝ごはんに間に合わない。
じゃあ「種ありバナナ」ってどこに行ったのか?実はまだちゃんと存在している。
東南アジアの山奥やアフリカの村々で、今もこっそり、いや堂々と育っている。
野生のバナナたちは、カチコチに硬い種を身の中にしっかり抱えていて、かじると「ガリッ」。
びっくりしてバナナを投げる人もいる。
現地の人は「それが普通だけど?」という顔をして、黙って食べる。
たくましい。
でも種が硬いだけで、果肉はちゃんと食べられる。
むしろ、これがなかなかに美味い。
種類によっては酸味がきいていて、香りも強く、甘さもぎゅっと濃縮されていたりする。
あの“おとなしめのバナナ”に慣れた日本人が食べると、「バナナって、こんなに野性味あったっけ!?」と目を見開くレベル。
しかも栄養だって、基本は変わらない。
カリウムもビタミンB群も、食物繊維も、しっかり詰まっている。
でんぷんが多めの品種もあれば、ポリフェノールが豊富なものもある。
つまり、「ただのフルーツ」どころか、種類によっては“力強い生き物”のような風格を感じる。
ただし日本のスーパーで買える日は…おそらく来ない。
タネが硬すぎて、「お子さまにも安心☆」とは言えないし、「皮むいてすぐ食べられる!」という最大の利点が通用しない。
そりゃ、種なしが重宝されるわけである。
でも本当は、バナナって種があるのが“ふつう”だった。
種を捨て、ひたすら人に優しく進化してきたのが、今のバナナなのだ🩷。
そう思うと、朝ごはんで食べているあの1本が、ちょっとだけ神々しく見えてくる。
あの黒いツブツブは、きっと今も、どこかで芽を出す日を夢見ている──。
第2章…松尾芭蕉とバナナの不思議な縁
「芭蕉」と聞いて思い出すのは、ほとんどの人があの俳句の大家、松尾芭蕉である。
旅を愛し、奥の細道をのんびり歩き、「古池や…」と静かに一句詠む、あのイメージ。
ところがこの“芭蕉”という名、実はとっても南国な植物の名前だったということをご存じだろうか。
そう、芭蕉とは、まさかのバナナなのである。
いや、正確に言えば「バショウ科の植物」のことで、バナナもその仲間。
もともと日本に自生していたのは実のならない観賞用のバショウ。
見た目は立派だが、果物としては“見る専門”。
その姿を気に入ったある弟子が、松尾さんにプレゼントとして庭に植えたところ、これがたいそう元気に育った。
葉っぱが大きくて風に揺れ、なんだか風流だし、庭に影を落とす様子も情緒たっぷり。
これに感動した松尾氏、「もう芭蕉でいいや」とそのまま俳号にしたという。
ネーミングセンスが渋すぎる。
そして時は流れて現代。
スーパーの果物コーナーに「バナナ」という名で並んでいる黄色い果実を、松尾芭蕉がもし見たとしたら、こう言ったに違いない。
「え…これ、我の名前のアレと親戚なの?」
そう、あの芭蕉と、いま食べているバナナは、血縁関係にあったのだ。
バナナがまだ“甘蕉(かんしょう)”とか“実芭蕉(みばしょう)”と呼ばれていた頃、日本ではそれが食べられるものだとはあまり認識されていなかった。
本格的に食卓にのぼるようになったのは、ずっとあとの話である。
芭蕉は旅をしながら一句を詠み、バナナは世界を旅して品種改良され、種をなくし、甘くなり、どこへでも持ち運べるようになった。
もし、このふたりが出会っていたら、きっと意気投合していたに違いない。
風に揺れるバナナの葉を眺めながら、芭蕉は一句こう詠んだ…かもしれない。
「ひとむきで 旅の栄養 バナナかな🩷」
そう考えると、現代の我々がバナナを手にするたび、ほんのすこしだけ“芭蕉の風”を感じているのかもしれない。
たとえそれが、朝のバタバタの中でコンビニで買った1本でも──それはそれで、風流なのだ。
第3章…バナナは世界を旅するグルメだった
バナナは、ただ甘いだけの黄色い果物ではない。
その実、世界中を股にかけて活躍する、れっきとした旅するグルメである。
そもそも原産は、今のマレー半島あたりの熱帯地域。
そこから気づけばインドへ、中国へ、アフリカへ、そして南米へ。
ときに商人の背中に揺られ、ときに植民地政策に巻き込まれながら、バナナはしれっと世界中に広がっていった。
しかも、行く先々で“姿かたち”も“性格”も変えるという適応力の高さ。
人間顔負けである。
たとえばアフリカでは、でんぷんが多くてお芋のように使われる「料理用バナナ」が主流で、揚げたり煮たりして主食になる。
中にはスープにされるものまである。
バナナをスープに!?と驚くかもしれないが、現地の人に言わせれば「それが普通だけど?」である。
たくましい、やっぱり。
南米では「プランテン」というバナナがよく使われる。
これも加熱向きで、スライスして揚げればほんのり甘く、まるでバナナチップスの進化系。
塩をふっておつまみにすることもあれば、甘いソースと絡めてデザートになることもある。
甘いのかしょっぱいのか、あなた次第。
バナナ界、自由すぎる。
フィリピンでは「トゥロン」というバナナ春巻きが人気だ。
細く切ったバナナを春巻きの皮で包み、カリッと揚げて砂糖をまぶせば、もうそこは南国スイーツ天国。
パリッ、トロッ、ジュワッ……ダイエット中の人は聞かなかったことにしよう。
一方、日本では「皮をむいて、そのまま」が大正義。
シンプルイズベスト。
いや、ズボライズ最高。
ときどき冷蔵庫に入れてしまって真っ黒にしてしまい、「バナナが怒ってる…」と罪悪感に襲われるのもまた、バナナあるあるである。
でも本当は、バナナはそのままでも、揚げても、煮ても、焼いても、ちゃんとウマい🩷。
その証拠に、地球上のほとんどの地域で、何かしらの形で料理に使われている。
まるで「どんな国でもやっていける」頼れる親戚のお兄さんみたいな果物なのだ。
それでもやっぱり、今日も日本では、朝ごはん代わりに片手でパクリといく。
バナナは文句ひとつ言わない。
旅慣れたグルメは、どんな食べられ方でも笑顔なのだ──たぶん。
第4章…高齢者施設のカリウム制限でもこうすれば安心♪
「おじいちゃん、バナナはダメです!」
ある夏の午後、施設のリビングで響く声。
いつも温厚な管理栄養士さんが、やさしい笑顔でバナナを持ったおじいちゃんにブレーキをかけたその瞬間、時間が止まった。
バナナがダメ…それはつまり、“夏の楽しみを一つ失う”ということ。
なぜならバナナは、甘くて柔らかくて、スプーンもいらずにスルッと食べられる“最強のおやつ”。
その上、食物繊維もあるしエネルギーにもなるし、なにより食欲がない日でも口に入りやすい。
…なのに、なぜダメなのか。
そう、それは「カリウム」。
バナナにはカリウムが豊富に含まれており、腎臓に疾患のある方や、特定の薬を服用している方にとっては、ちょっぴり注意が必要な存在なのだ。
カリウムが体にたまりすぎると、心臓に負担がかかることもある。
だから施設では、うっかり“よかれと思って”が命取りにならないよう、細心の注意を払っているわけである。
でも、ここで終わってはバナナが泣く。
というわけで登場するのが、バナナ界の影の救世主「カリウム対策」だ。
たとえばこんな裏技がある。
バナナを輪切りにして、水にさらす。
それだけで、多少なりともカリウムが水に溶け出す。
さらに、さっと煮てから冷やせば、甘さがほんのり残りつつもカリウムは軽減。
なんだか“バナナのコンポート”みたいな雰囲気で、ちょっと高級感すら漂う。
そして量も大事。
まるごと1本ではなく、半分、いや3分の1。
小さなバナナでも、満足感は意外と大きい。
そこに少しだけヨーグルトや寒天を添えて、「なんだかパフェ気分」なんて言われた日には、こっちまで嬉しくなってしまう。
大事なのは「ダメ」じゃなくて「どうしたら大丈夫?」の視点。
高齢者にとっての“楽しみ”を守るには、ほんのひと手間が希望になる。
ちなみに、例のバナナおじいちゃん。
その後は小さくカットされた“おしゃれバナナプレート”を満面の笑みでぺろり。
「なんだ、うまいじゃねえか🩷」とご満悦。
栄養士さんはその背中を見て、こっそりガッツポーズを決めたとか、決めないとか。
第5章…未来のバナナと私たちの食卓
いつかなくなるかもしれない──そんな話が、実はバナナにはある。
そう言われて「え、またまたご冗談を」と笑い飛ばせればいいのだが、残念ながらこれはわりとガチな話である。
今、私たちがよく食べているバナナの品種──そう、「キャベンディッシュ」。
スーパーでおなじみ、朝食の定番、冷凍しても美味しい、あの安定のキャベンディッシュくんが、じわじわと“病気に弱い”という理由で、世界の農家さんたちの頭を悩ませているのだ。
なにせこのキャベンディッシュ、みんな同じクローン兄弟。
つまり「同じ弱点を、全員が持っている」という悲しい運命。
どこかで病気が流行れば、全員がドミノ倒しにやられる。
まるで全員同じカギをかけている家に泥棒が来たみたいな感じで、もはや無防備の極みである。
しかも、すでに中南米やアジアの一部では、その“バナナ病”がじわじわと広がっている。
農家さんたちは必死に対策を講じているけれど、「このままじゃ、あのバナナが食べられなくなる日が来るかもしれない…」という声が、現実味を帯びてきているのだ。
でも、希望もちゃんとある。
新しい品種の開発が世界各地で進んでいて、病気に強いバナナ、種があっても食べやすいバナナ、甘さが濃いバナナ、でんぷんが多くて料理向けのバナナ…まるでバナナ界の新人オーディションみたいな競争が、いま舞台の裏で繰り広げられている。
もしかしたら、あと10年もすれば「このバナナ、ちょっと梅の香りがするね!」とか「黒糖風味のバナナ見つけた~!」なんて、バナナ売り場がちょっとした味くらべの場になっているかもしれない。
それはそれで、楽しみである。
バナナは、変わっていく。
でもきっと、変わらずそばにいてくれる。
朝の慌ただしい時間、ランドセルを背負った子どもが1本持って飛び出していく。
昼下がりの施設で、おじいちゃんがうれしそうに小さなバナナを味わっている。
夜勤明けの看護師さんが「これだけは胃に優しいのよ」と言いながら頬張っている。
それぞれの生活に、それぞれのバナナがある🩷。
未来の食卓にも、やっぱりバナナがいてくれたらいいな──そう思う。
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まとめ…バナナは甘くてちょっぴり切ない“物語”を持っている
こうして振り返ってみると、バナナって思ったよりずっと“ドラマチック”な果物だった。
種がないのに世界を旅して、病気に泣かされながらも、今も毎朝ちゃんと食卓にいる。
俳人・松尾芭蕉の名を背負い、芭蕉の葉に風を受けながら、今この瞬間も、どこかの国で誰かがバナナを収穫している。
食べるときは、つい何気なく皮をむいてしまうけれど、よく考えたらこの黄色い1本には、何世代もの農家さんの知恵と手間と、それからちょっぴりロマンも詰まっている。
そして私たちは、それを10秒でパクリ。
バナナ、すまん。でも美味しいんだ。ありがとう。
高齢者施設でも、小学校でも、コンビニでも。
バナナはいつも、ちょっと控えめに、でもしっかり私たちのそばにいてくれる。
カリウム制限があっても、工夫すれば食べられるし、種があっても、ちゃんと未来がある。
8月7日。
今日はそんなバナナに、ちょっとだけ敬意を払って「ありがとう」と言いたい。
それがきっかけで、誰かがバナナを好きになってくれたら──
きっと、バナナの葉のどこかが、ちょっとだけ揺れる気がする。
来年の夏も、やっぱりバナナと一緒に過ごしたい。
そんなことを思いながら、冷蔵庫のドアをそっと開ける午後。
そこには、黒くなりかけた1本が、今日も静かにこちらを見つめている。
──食べる?
……うん、食べる。ありがとう。やっぱり君は、夏のヒーローだ🩷。
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