5月8日はゴーヤーの日~苦味を消すより「好き」を選べる食卓へ~
はじめに…ゴーヤーを前に箸が進む人と止まる人
初夏のスーパーで、濃い緑色のゴーヤーが並び始めると、「今年もこの季節か」と手を伸ばす人がいる一方、「いやいや、君は苦いんだよ」と静かに通過する人もいます。同じ野菜を見ているのに、この温度差。5月8日の「ゴーヤーの日」は、なかなか個性豊かな食材が主役になる日です。
ゴーヤーと云えば、やはり特徴はあの苦味。卵や豚肉と炒めたゴーヤーチャンプルーを待ちわびる人もいれば、ほんの一切れ混ざっているだけで見事に発見する人もいます。「そこまで分かる?」と聞きたくなりますが、味覚は正に十人十色。苦手なものを無理に好きになる必要はありませんし、好きな人が「みんな苦手だから」と遠慮する必要もありません。
食事は栄養を体へ届ける時間であると同時に、「美味しい」「また食べたい」「これはちょっと苦手だな」と自分の感覚を確かめる毎日の楽しみでもあります。家庭でも高齢者施設でも、大勢に合わせようとすると無難な料理へ寄りやすくなりますが、それだけでは消えてしまう楽しさもあるでしょう。
好きな味を楽しめて、苦手な味は無理をしない。そんな小さな選択が、食卓をその人らしい時間にしてくれます。ゴーヤーという少しクセのある野菜から眺めてみると、「何を食べるか?」だけではなく、「どう楽しんで食べるか?」まで見えてきます。苦い顔をするのも、嬉しそうに箸を伸ばすのも、その人の立派な味覚。さて今年の初夏、緑のゴツゴツを前に、あなたの箸は進むでしょうか?
[広告]第1章…苦いのには理由がある~ゴーヤーの味と夏に嬉しい栄養~
ゴーヤーを初めて口にした時、「野菜がこんな顔で攻めてくるとは聞いていない!」と思った人もいるかもしれません。表面はゴツゴツ、切れば白いワタと種が現れ、口へ運べばしっかり苦い。甘いトマトや瑞々しいキュウリとは随分と違う方向から夏を名乗ってきますが、その個性的な苦味こそゴーヤーらしさでもあります。
ゴーヤーの苦味に関わる成分として知られているのが「モモルデシン」です。そして緑色の果肉にはビタミンCも含まれており、暑さが近づく季節の食卓に取り入れやすい野菜でもあります。とはいえ、栄養の話を聞いた瞬間に苦味まで甘く感じるほど、人間の舌は単純ではありません。「体に良いならどうぞ」と差し出されても、苦手な人の箸がピタッと止まることはあるものです。
ここで思い出したくなるのが「良薬は口に苦し」ということわざですが、ゴーヤーは薬ではなく、れっきとした食べ物です。苦味を我慢して攻略する相手にしてしまうより、「この味をどう楽しもうか?」と考える方が食卓はずっと明るくなります。卵や豚肉と合わせれば味に丸みが出ますし、サッパリした味つけにすれば独特の風味が夏らしいアクセントにもなる。苦味は欠点ではなく、使い方次第でゴーヤーらしさになる個性です。
旬の野菜には、それぞれ色も香りも食感も違う面白さがあります。何でも甘く、柔らかく、誰にでも好かれる味へ寄せてしまえば安心ではありますが、それでは少々もったいない。適材適所という言葉のように、ゴーヤーにはゴーヤーが活躍できる料理がありますし、「苦いけれど、これが旨い!」と感じる人にとっては待ち遠しい季節の味でもあるのです。
初夏の店先であの緑色を見つけたら、栄養だけを理由に買う必要も、苦味だけを理由に避ける必要もありません。「今年はどう食べようかな?」と一度立ち止まってみる。そのくらいの距離感から始めるほうが、ゴーヤーとは意気投合できそうです。
第2章…「体に良い」と「食べたい」は別の話~味覚の個性を大切に~
「体に良いんだから食べなさい」。子どもの頃、一度くらいは言われた覚えがあるのではないでしょうか?言っていることは分かる。でも、その皿の上に自分の苦手なものが鎮座していると、正論が急に遠く感じます。ゴーヤーなら、なおさらです。栄養の説明を聞きながら箸を伸ばしても、舌は容赦なく「苦いものは苦い」と判定します。ここで舌に説教しても、たぶん聞いてくれません。
味覚にはかなり大きな個人差があります。同じ料理を食べても、「ちょうど良い」と感じる人がいれば、「薄い」「濃い」「甘い」「苦い」と感じる人もいる。正に十人十色です。ゴーヤーの苦味を夏の楽しみとして待っている人もいれば、一切れだけでも存在を察知する人がいます。どちらが正しいわけでもなく、それぞれの舌がそれぞれの経験を積み重ねてきた結果です。
この違いは、家庭の食卓なら比較的受け止めやすいものです。「お父さんは辛め」「子どもは薄め」「私はネギ多め」など、いつの間にか家族専用の調整が出来上がっていることがあります。ところが、大人数へ同じ料理を提供する高齢者施設などでは事情が変わります。多くの人が食べやすい献立を考える必要があるため、ゴーヤーのような好みの分かれやすい食材は登場しにくくなります。
それは決して悪いことではありません。毎日の食事を安定して提供するには大切な考え方です。ただ、「嫌いな人がいるから出さない」だけで終わると、今度は好きな人の楽しみまで消えてしまいます。ゴーヤーが大好物の人から見れば、「苦手な人がいるので今年もありません」は、夏祭りへ行ったのに屋台が全部閉まっているような寂しさかもしれません。そこまでですか?、と自分でツッコミたくなりますが、食べる楽しみは毎日のことだけに侮れません。
そこで役立つのが臨機応変な考え方です。全員が同じものを同じ量だけ食べることだけを目標にせず、好きな人には楽しめる選択肢を残し、苦手な人には無理をさせない。家庭なら取り分けた後で味を変えることも出来ますし、施設なら小鉢や薬味など、小さなところから個人差を取り入れる方法も考えられます。
食事の豊かさは、みんなが同じものを食べることより、「私はこれが好き!」と言える余白から生まれることがあります。栄養を考えることと、食べたい気持ちを大切にすることは対立する話ではありません。どちらも食事には欠かせないからこそ、ちょうど良いところを探していけば良いのです。
ゴーヤーを見て「食べたい!」と言う人と、「私は今日は遠慮します」と言う人が同じ食卓にいても構わない。それぞれが気持ちよく箸を動かせたなら、その食卓は十分に成功でしょう。好き嫌いを無くすことより、好き嫌いがあっても一緒に楽しく食べられること。その方が、毎日のご飯には少し似合っている気がします。
[広告]第3章…苦味は消し過ぎなくていい~調理で広がるゴーヤーの楽しみ~
ゴーヤーが苦手な人に食べてもらおうとすると、つい「苦味を全部なくしてしまおう」と考えたくなります。けれど、折角、ゴーヤーを使うのに、最後には「緑色の何か」になってしまったら少し寂しいもの…。苦味は敵ではなく、量を調整する相手くらいに考えると、台所での付き合い方がグッと楽になります。
苦味を和らげたい時は、薄く切って塩で揉み、短時間だけ湯へ通す方法があります。さらに甘酢のような酸味と甘味を合わせれば、苦味の角が取れて食べやすくなります。卵や豚肉と炒めれば、まろやかさと旨味が加わり、ゴーヤーらしい風味を残しながら全体の味がまとまりやすくなります。
この時に大切なのは、一気呵成に苦味を追い出さないことです。「苦い、もっと抜こう」「まだ苦い、さらに茹でよう」と突き進んでいるうちに、気がつけば食感まで元気を失っていた……では、ゴーヤー本人も「そこまで嫌われていましたか?」と言いたくなるでしょう。塩気、甘味、酸味、旨味を少しずつ重ねながら、その人が心地良く感じるところを探す方が料理としても面白くなります。
反対に、苦味が好きな人には無理に優等生の味へ変える必要はありません。厚みを少し残して炒めたり、歯応えを楽しめる仕上がりにしたりすれば、「これこれ、この苦味!」と季節を味わえます。家庭なら同じゴーヤーを途中で取り分け、苦味を残した一皿と、まろやかに仕上げた一皿を作るのも1つの手です。少々鍋は増えますが、洗い物担当から抗議が届かない範囲で臨機応変にいきたいところです。
高齢者施設などでも、必ずしも何種類もの料理を大掛かりに用意する必要はありません。調理方法や味付けに小さな変化を持たせるだけでも、「食べない」か「同じものを食べる」かの二者択一から離れられます。食べたい人が選べるゴーヤー料理を用意する発想は、好きな人にも苦手な人にも無理をさせない食卓に繋がります。
美味しくする工夫とは、苦味を消すことではなく、その人にちょうど良い場所まで味を連れていくことです。同じゴーヤーでも、切り方や加熱時間、合わせる食材で表情は変わります。少し苦いからこそ卵のやさしさが分かり、酸味を添えるからこそ後味が軽くなる。そんな相乗効果も料理の楽しさです。
「苦いからダメ」で終わらず、「どこまでなら美味しいだろう」と匙加減を探してみる。そこには失敗もありますが、その失敗さえ次の一皿のヒントになります。ゴーヤーは少々手強い野菜ですが、こちらが歩み寄れば、意外なほど付き合い上手な夏の相棒になってくれそうです。
第4章…全員同じより「選べる一皿」~家庭と介護の食卓に残したい自由
家族が数人集まるだけでも、「辛いのが好き」「酸っぱいのは苦手」「肉は少なめが良い」と好みは分かれます。まして高齢者施設のように多くの人が同じ時間に食事をする場所では、全員の希望を完璧に揃えるのは至難の業です。だからこそ、献立はどうしても無難な方向へ寄りやすくなります。けれど、毎日の食事がずっと「誰も困らない味」だけになったら、少し物足りなく感じる人もいるでしょう。
ゴーヤーのように好みがはっきり分かれる食材は、その問題をとても分かりやすく見せてくれます。「苦手な人がいるから出さない」と決めれば運営は楽チンになりますが、好きな人の楽しみまで一緒に消えてしまいます。反対に、全員へ同じ量を出して「体に良いから食べましょう」と迫れば、苦手な人にとって食事が小さな修行になってしまいます。食卓で修行僧を増やす必要はありません。
そこで役立つのが、「全員同じ」から少しだけ離れる発想です。ゴーヤーが好きな人には小鉢で提供し、苦手な人には別の野菜料理を選べるようにする。あるいは、同じ炒め物でもゴーヤー入りとゴーヤーなしを用意する。大規模な特別食でなくても、ほんの小さな選択肢があるだけで、食べる側の気持ちは随分と違ってきます。
これは家庭でも同じです。鍋を2つ並べるほど頑張らなくても、仕上げ前に少し取り分けるだけで味は変えられます。ゴーヤー好きには苦味を残し、苦手な人には卵や調味料でまろやかにする。各人各様という言葉の通り、同じ食卓を囲んでいても、好きな味まで同じである必要はありません。むしろ、その違いを笑って受け入れられる方が、食卓には温かさが残ります。
高齢者施設では、食事が生活の楽しみとして占める割合も小さくありません。だからこそ、「食べられるかどうか」だけではなく、「食べたいと思えるかどうか?」も大切です。好きなものが出る日を楽しみにすること、嫌いなものを無理に食べなくて良い安心感、今日はどちらにしようかと選ぶ時間。それらは栄養価の数字だけでは測れない、日々の暮らしの手触りです。
食事の個別性は、特別扱いではなく、その人らしい暮らしを食卓まで繋げる工夫です。全ての希望を叶えるのは難しくても、「選べるところは選べるようにする」という発想なら、家庭でも施設でも始められます。千差万別の味覚を1つに揃えるのではなく、違いがあっても同じ食卓を楽しめる形を探していく。その方が、食事はずっと人間らしくなります。
ゴーヤーが好きな人は笑顔で一皿を選び、苦手な人は「今日は別のものにします」と気兼ねなく言える。そんな光景が当たり前になれば、食卓は少し自由になります。全員が同じものを食べることより、全員が気持ちよく食べられること。その小さな違いが、毎日のご飯を楽しみに変えてくれるのではないでしょうか…。
[広告]まとめ…好きも苦手も食卓の個性~自分の味覚で夏を楽しもう~
ゴーヤーは、なかなか面白い野菜です。あの苦味を「夏が来た!」と待ちわびる人がいる一方で、一口食べただけで眉間に力が入る人もいる。同じ一皿なのに反応は十人十色で、その違いまで含めて食事なのだと思うと、ゴーヤーの日が少し違って見えてきます。好きな人には存分に楽しめる料理を、苦手な人には無理をしなくて良い選択肢を用意する。そんな考え方なら、どちらかが我慢役になる必要はありません。
調理にも正解は1つではありません。苦味を少し和らげたいなら塩揉みや短い湯通しを使い、卵や豚肉、甘酢などと組み合わせれば味の印象は変わります。反対に、あの苦味が好きなら無理に消さなくても良い。ゴーヤーを料理することは、「苦味を退治する作戦」ではなく、自分が美味しいと思える場所を探す小さな味覚実験くらいがちょうど良さそうです。
家庭でも高齢者施設でも、全員の好みを完全に揃えることは難しいものです。それでも、「同じものを出すしかない」と決めつけず、小鉢を変えたり、途中で取り分けたり、食べたい人が選べる余地を残したりすることは出来ます。食卓で大切なのは、好き嫌いをなくすことより、それぞれの「食べたい」を大切に出来ることです。毎日繰り返す食事だからこそ、その小さな自由は暮らしの楽しさに繋がっていきます。
5月8日にゴーヤーを食べても良いし、食べなくても良い。「今年は少し薄く切ってみようかな?」と挑戦するのも、「私はやっぱり苦手です」と笑って別のおかずを選ぶのも立派な楽しみ方です。和気藹々とした食卓は、全員が同じ味を好きだから生まれるのではなく、違う好みを気持ちよく認め合えるところから育つのでしょう。
初夏の緑色のゴツゴツを見かけたら、自分の舌に一度だけ聞いてみてください。「今年はどうする?」と。答えが「食べる」でも「今日はやめとく」でも、それで十分。自分の味覚を大事にしながら、今年の夏も美味しく迎えていきましょう。
[ 広告 ]今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
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