1月3日はひとみの日~“スマホ疲れ”の目と心をリセットするお正月~

[ 1月の記事 ]

はじめに…ひとみの日を「目と心のリセット記念日」に

お正月の三が日といえば、初詣や親戚回りで賑やかな時間が続きますが、少し落ち着き始めるのが1月3日辺りです。家でゆっくりしながら、おせちを摘まみ、テレビの特番を点けっ放しにして、合間にスマホで年賀メッセージやSNSを眺める──気がつけば、一日中、画面を見ていた、という人も少なくないのではないでしょうか。

そんな1月3日は「ひとみの日」。本来は目の大切さを考える日ですが、今の時代に合わせて言い換えるなら、「スマホと情報に追いかけられがちな目と心を、一端、リセットする日」としてみるのも良さそうです。画面越しの情報や人間関係に常にさらされていると、目だけでなく、頭や心までじんわり疲れていきます。それでも私たちは、「少し疲れたかな」と感じながらも、つい指先で画面をなぞり続けてしまいます。

「スマホ疲れ」と聞くと、若い世代だけの問題のように思えるかもしれませんが、実際には中年世代から介護職、家族介護を担う人たちにも深く関わっています。仕事の連絡、介護の情報収集、家族とのやり取り、そして自分の楽しみ。気づけば、休憩時間までスマホやタブレットを見て過ごしている。テレビも含めれば、一日のうちかなりの時間を「画面」と向き合って暮らしているのが、今の私たちの生活です。

しかも、情報の流れは年々早く、濃くなっています。ニュース、動画、広告、知人の近況、介護の悩みを語る体験談……。どれも大事で役に立つ一方で、「見過ぎるほど心がザワザワする」「頭がいっぱいで眠りづらい」と感じている人も少なくありません。画面を閉じても、さっき見た言葉や写真が頭の中でグルグル回ってしまう。これもまた、目と心が疲れているサインと言えるでしょう。

この記事では、まずお正月の間に私たちの目に何が起きているのかを、「スマホ」と「テレビ」という身近な存在から見つめ直し、次に「見る物が多過ぎる時代」にどう距離をとるかを考えていきます。合わせて、介護職や家族のように、普段から人を支える立場にいる人ほど陥りやすい「視野が狭くなる心のサイン」にも触れながら、1月3日に試してみたい小さなリセット習慣を提案していきます。

一年の始まりだからこそ、「今年一年、どんなものを見て、どんな心で過ごしたいか」を選び直すチャンスでもあります。ひとみの日を合図に、スマホやテレビと上手く付き合いながら、自分の目と心を守る方法を、一緒にゆっくり考えていきましょう。

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第1章…スマホとテレビで疲れた目~お正月に起きていること~

お正月の三が日は、本来ゆったり休む時間のはずなのに、目だけはいつも以上に働かされていることがよくあります。朝起きてなんとなくテレビをつけ、そのまま特番を流し見しながら、おせちの写真を撮ってスマホで家族や友だちに送る。合間には動画やニュースを眺め、夜は布団の中でも画面をスクロールし続ける──気がつけば、一日中「画面」を見ていた、という人も少なくないでしょう。

テレビとスマホを行ったり来たりしていると、目の疲れ方はジワジワと積み重なっていきます。スマホは顔から近い距離で見続けることが多く、常に細かい文字や画像にピントを合わせ続けなければなりません。一方、テレビは画面全体をぼんやり見ているようでいて、テロップや細かい情報を読もうとすると、やはり目はフル稼働します。どちらも長時間続けていると、目の奥が重くなったり、ピントの切り替えが遅くなったりするのは自然なことです。

お正月は、普段以上に「ながら見」が増える時期でもあります。こたつでみかんを食べながら、なんとなくテレビを点けっ放しにする。横になったままスマホをいじる。姿勢が崩れた状態で画面を見続けると、首や肩の筋肉も緊張しやすくなり、その強張りが目の周りの血流を悪くして、疲れ目をさらに強くします。「目がショボショボする」「頭が重い」「肩こりがひどい」といった不調の裏には、こうした姿勢の問題も隠れています。

また、画面を集中して見ている時、人は瞬きの回数が自然と減ってしまいます。特にスマホは、小さな画面に目を凝らすため、瞬きが少なくなりがちです。瞬きが減ると、目の表面を守っている涙の膜がすぐに乾いてしまい、ゴロゴロ感や霞み、痛みに繋がります。冬は暖房で空気が乾きやすいため、この「乾燥+画面」の組み合わせは、目にとってかなり厳しい条件と言えるでしょう。

情報の多さも、目と心の両方を疲れさせます。お正月には、特番やCM、ネット上の話題、年賀メッセージなど、普段以上にたくさんの「見て欲しいもの」が流れ込んできます。画面を開くたびに新しい情報が飛び込んでくると、「見落としたくない」「追いついていたい」という気持ちが働き、つい次から次へとスクロールしてしまいます。その結果、目は休むタイミングを失い、頭の中も情報でいっぱいになってしまいます。

介護職や家族介護を担っている人にとっては、スマホは仕事道具でもあり、心の逃げ場でもあります。勤務の連絡、シフト調整、家族とのやり取り、介護の知恵を探すための情報収集。休憩時間や移動中も、ついスマホを手に取ってしまい、「画面から離れている時間」がどんどん短くなりがちです。いざ家に帰っても、今度は自分の楽しみとして動画やゲームを開いてしまい、目も心も完全には休めないまま一日が終わってしまうことも少なくありません。

高齢の家族にも、同じようなことが起きています。離れて暮らす子どもや孫の写真や動画を、スマホで見る機会が増えました。年賀状代わりに届くメッセージを読むために、小さな文字とにらめっこすることもあります。テレビとスマホを行き来しながら、「楽しいけれど、何だか目がくたびれる」という状態になっている方も多いはずです。それでも、「せっかく送ってくれたから」「ここで見ておかないと」と、頑張って画面を追い続けてしまいます。

このように、お正月は「体は休んでいるのに、目と頭は全然休めていない」という状態になりやすい時期です。とくに1月3日のひとみの日の頃には、その疲れがジワジワと表面に出てきます。「最近、画面を見るとすぐに目が重くなる」「寝る直前までスマホを見てしまい、眠りが浅い気がする」と感じたら、それは目と心からの小さなSOSかもしれません。次の章では、こうした「見過ぎの時代」に、情報との距離をどうとっていけばよいのかを、少し視野を広げて考えていきます。


第2章…“見るもの”が多過ぎる時代~情報との距離のとり方~

今の私たちは、一日を通して「見ようと思えば、いくらでも見られてしまう世界」に生きています。テレビのチャンネルは増え、録画も簡単になり、スマホを開けば動画やニュース、誰かの日常の写真が、終わりのない帯となって流れてきます。かつては「見逃したら終わり」だった番組も、今はいつでも見直せるようになり、その代わりに「いつ切り上げるか」を自分で決めなくてはいけない時代になりました。

こうした環境は一見、とても便利です。しかし、「見ようと思えば、いくらでも見られる」という状況は、裏を返せば「どこかで線を引かないと、延々と見続けてしまう」ということでもあります。スマホを手に取って、ちょっと年賀メッセージをチェックするつもりが、関連する動画や記事に誘われて、気づけば何十分も画面に釘付けになっていた──そんな経験は、多くの人に思い当たるところがあるはずです。

情報が多過ぎると、目だけでなく心の方も、どこか落ち着きを失いやすくなります。楽しい話題もあれば、不安になるニュース、誰かの愚痴や怒り、悲しい出来事の報告も混ざっています。次々と目に入ってくる出来事に、心が追いつかないまま、「知ってしまった」「見てしまった」そんな状態だけが積み重なっていくと、頭の中が常にザワザワしたままになり、夜になってもスイッチが切れない感覚に陥りがちです。

介護職や家族介護を担う人にとっては、この「情報の多さ」は別の形でも圧し掛かります。介護技術や制度の最新情報、同じ立場の人の体験談、医療的な解説、便利グッズの紹介……どれも役に立ちそうで、「これを知らないままでいていいのか」「自分だけ勉強不足ではないか」という不安を呼び起こします。「少しでも良いケアをしたい」という真面目さがあるほど、「見ておかなければ」という気持ちに背中を押され、いつの間にか情報の海を泳ぎ続けることになってしまいます。

さらに厄介なのは、「見た情報の中身」が、全て自分の身近な現実と同じ重さで感じられてしまうことです。遠くの地域の事件やトラブル、知らない人の介護の失敗談であっても、画面の中では自分の生活と地続きに並んでしまいます。「こんな大変なことが起きている」「自分の対応は大丈夫だろうか」と、必要以上に自分を追い詰めてしまうこともあります。本来なら、そこまで抱え込まなくてよい情報まで、目を通した瞬間に心の荷物として背負い込んでしまうのです。

だからこそ、これからの時代は「どれだけたくさん見るか」ではなく、「どの距離感で見るか」が大切になってきます。全てを細かく追いかけ続けるのではなく、「今の自分に必要な情報はどれか」「今は目と心を休ませる時間か」を、ゆっくり選び直すことが求められます。例えば、ニュースをまとめて見る時間帯を1日の中で決めて、それ以外の時間には通知を切っておく。夜寝る前の1時間だけはスマホを別の部屋に置いて、紙の本やラジオに切り替える。そんな小さな工夫だけでも、「いつでも見られる」状態から、ほんの少し距離をとることが出来ます。

高齢の家族がスマホやタブレットを使っている場合も同じです。「せっかく覚えたから」と、つい長時間画面を見続けてしまう方には、「今日はここまでにして、お茶でも飲みましょうか」と、区切りを作ってあげる大切な役割が、周りの家族にはあります。画面を取り上げるのではなく、「次の楽しみ」にそっと誘導するイメージです。テレビも同様に、「この番組を見たら、一度消して窓の外を眺める」「お風呂に入る前に、画面を消してストレッチをする」といった「終わり方のルール」を緩く決めておくと、目にも心にも余白が生まれます。

情報との距離のとり方は、人によってちょうど良い加減が違います。他人と比べて「減らさなきゃ」と自分を責める必要はありません。「見過ぎて頭が休まらない気がする」「目が重たくて、楽しいはずの画面を見るのがしんどい」と感じた時が、自分に合ったペースを探し始めるサインです。ひとみの日は、その「ちょうど良い距離」を考え直すのにピッタリの日と言えるかもしれません。次の章では、特にケアする立場にいる人ほど陥りやすい、「視野が狭くなる心のサイン」に目を向けていきます。


第3章…ケアする人ほど危ない?~視野が狭くなる心のサイン~

目の疲れやスマホ疲れの話をしていると、つい「画面の見過ぎ」という身体の問題だけに目が向きがちです。でも実は、情報や人間関係にさらされ続けることで、心の方の「視野」もジワジワと狭くなっていきます。そして、この影響を一番強く受けやすいのが、介護職や家族介護をしている人たちです。日常的に誰かのために気を張り続けている分だけ、自分の疲れや限界に気づき難くなってしまうからです。

ケアする立場の人は、「目に入るもの」の多くが、責任や心配ごとに繋がっています。利用者さんの様子、家族からのメッセージ、業務連絡、制度の情報、他の事業所の取り組み……どれも「知っておいた方がいい」「対応しなければならない」と感じさせるものばかりです。画面を通して見える世界の多くが、「何かをしなきゃいけない対象」になってしまうと、頭も心も、常に緊急モードのままになりがちです。

その状態が続くと、心の視野は少しずつ狭くなっていきます。例えば、利用者さんのちょっとした変化を、「自分の観察不足だったのではないか」と、すぐに自分の落ち度として受け止めてしまう。家族からのメッセージにすぐ返事をしなければ、と焦ってしまい、返せない自分を責めてしまう。本来なら「人間だから完璧には出来ないよね」と受け流せることまで、「ちゃんとしなきゃ」に飲み込まれてしまいます。

視野が狭くなっているサインは、普段の言葉や考え方の中にも表れます。「いつも」「絶対」「どうせ」といった言葉が増えてきたら、少し注意が必要かもしれません。「あの人はいつもワガママだ」「自分は絶対に休めない」「どうせ分かってもらえない」といった言葉が頭の中でくり返されるとき、心は既に余裕を失い、自分にも他人にも厳しくなっています。目に映る出来事の中から、「上手くいっていない部分」だけが強く見えてしまう状態です。

スマホやテレビの情報も、この「視野の狭まり」に拍車をかけることがあります。介護や医療のニュース、トラブル事例、炎上した話題などを目にするたびに、「こんな風になったらどうしよう」「自分も責められる側になるかもしれない」と、不安の方だけが大きくなっていく。SNSで他の人の頑張りや努力を見れば見るほど、「自分はまだ足りない」と落ち込んでしまう。情報そのものよりも、それをどう受け止めているかが、心の疲れ具合を大きく左右します。

介護職や家族介護の人は、真剣で真面目な人ほど、「自分のしんどさ」を後回しにしがちです。「利用者さんの方が大変」「親の方がつらい」「仕事だから仕方ない」と、自分の辛さを横に置いてしまう癖がついていることも多いでしょう。その結果、体は限界に近づいているのに、「まだやれる」「まだ踏ん張れる」と感じてしまい、ある日急に糸が切れたように動けなくなることもあります。

心の視野が狭くなり始めた時に出やすい、小さなサインがあります。楽しみにしていたはずの番組や趣味の時間なのに、何となく集中できない。誰かの何気ないひと言に、いつも以上にイライラしたり傷ついたりする。夜、布団に入ってからも、仕事や介護の場面が何度も頭の中で再生されてしまい、心地良く眠れない。こうした変化は、「弱くなった証拠」ではなく、「ちょっと立ち止まった方がいいよ」という心からの合図です。

視野が狭くなっている時ほど、「自分だけが頑張っている」「自分はやるしかない」と感じやすくなります。でも実際には、少し頼ったり、少し力を抜いたりしても、世界は意外とちゃんと回っていきます。ひとみの日に、目の疲れだけでなく、「最近、自分の心の視野はどうだろう」と振り返ってみることには、大きな意味があります。「ああ、ちょっと余裕が減ってきているな」と気づけたら、それだけで一歩前進です。次の4章では、1月3日を「目と心のリセット記念日」にするために、今日から試せる小さな習慣を具体的に見ていきます。


第4章…1月3日に試したい~目と心を緩める小さな習慣~

ここまで、スマホやテレビで酷使されがちな目のこと、情報の多さに押し潰されそうになる心のことを見てきました。では、ひとみの日である1月3日に、実際に何をすると「目と心のリセット」に繋がるのでしょうか。特別な道具がなくても、その日だけ意識してみたい小さな工夫を、暮らしの場面ごとにイメージしてみます。

まずおすすめしたいのは、「画面を見ない時間帯を、短く区切って作ること」です。いきなり一日中スマホ断ちをする必要はありません。例えば、午前中のうちの1時間だけ、テレビもスマホも置いておくと決めてみる。こたつを離れて、窓辺の席に移動し、ただ外の景色を眺めながらお茶を飲む。遠くの空や建物、道行く人をぼんやり見る時間は、目のピントを遠くに合わせ直す良いチャンスになります。同時に、頭の中に押し寄せていた情報の波も、少しずつ静まっていきます。

次に、「目を温めて休ませるちょっとした儀式」を作るのも効果的です。清潔なタオルをぬるま湯で濡らして固くしぼり、少し冷ましてから、瞼の上にそっと乗せます。椅子にもたれて、深呼吸をゆっくり数回。忙しい日常の中では数十秒で終わってしまう時間かもしれませんが、お正月の三箇日くらいは、1~2分かけてじっくりと目を休ませるつもりでいても良いでしょう。タオルの温かさがじんわり伝わってくると、目の奥だけでなく、肩の力や心の強張りまでほどけていくのを感じられるはずです。

介護職や家族介護を担っている人には、「一人で静かに外を眺める時間」を、敢えて自分にプレゼントすることもすすめたいところです。いつもは利用者さんや家族の目線に合わせて景色を説明したり、相手の表情を気に掛けたりしている人ほど、「自分のためだけに景色を見る」という時間が少なくなりがちです。1月3日くらいは、ベランダや玄関先、近所の公園のベンチなどで、数分だけで構いませんので、自分のペースで冬空を見上げる一時を作ってみてください。雲の形や光の色を眺めていると、「今日はここまで頑張ったら十分かもしれない」という感覚が、フッと心に浮かんでくることがあります。

高齢の家族がいる場合は、「一緒に目を休める時間」を共有すると、安心感も生まれます。例えば、テレビを消して、窓の外を親子や祖父母と孫で眺めてみる。「あの家の屋根は何色かな」「あそこに見える木は、春になったらどんな花が咲くんだろう」といった他愛もない会話は、目にも心にも優しい刺激になります。スマホで写真を見せ合う代わりに、アルバムを開いて紙の写真を一緒に見るのも良い方法です。紙の写真は画面ほどまぶしくなく、ペースもゆっくりなので、目にも気持ちにも余裕が生まれます。

「夜の締めくくり方」をいつもと少し変えるのも、ひとみの日らしい習慣です。普段は布団に入る直前までスマホを見てしまう人も、1月3日の夜だけは、「画面とは別の終わり方」を選んでみる。例えば、寝る前の30分だけ、照明を少し落として、紙の本や雑誌をゆっくり読む時間にする。文字を追うのがしんどい時は、ラジオや音楽を掛けて目を閉じて聴く時間に切り替える。画面の光から解放されることで、目の奥の緊張がほぐれ、眠りへの入り口が自然と近づいてきます。

大事なのは、「これを毎日続けなければ」と気負わないことです。ひとみの日は、あくまでリセットの切っ掛け。1月3日に試してみた習慣のうち、「これは気持ち良かったな」「無理なく続けられそうだな」と感じたものがあれば、その一部を日常に持ち帰れば十分です。逆に、「これは合わなかったな」と感じたものは、その日に一度切りでも構いません。目も心も、人それぞれちょうど良いペースが違いますから、自分や家族に合う形を探していく感覚を大切にしたいところです。

ひとみの日に、ほんの少しだけ立ち止まり、「自分は今、何をどれくらい見ているだろう」「どんな景色をもっと見られたら嬉しいだろう」と考えてみる。そこから生まれた小さな工夫や習慣は、1月4日以降の一年にもジワジワと効いてきます。次のまとめでは、そんな「目と心のリセット記念日」としてのひとみの日を、これからの一年の暮らしにどう繋げていけるかを、改めて整理していきます。

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まとめ…ひとみの日から「これからの一年の見え方」を選び直す

1月3日のひとみの日は、カレンダーの上ではさりげない記念日かもしれませんが、今の時代に生きる私たちにとっては、とても意味のある区切りの日になり得ます。お正月の賑わいもひと息つき、テレビやスマホの画面を眺めながら、何となく過ごしてしまいがちなこの日を、「目と心のリセット記念日」として意識してみることで、一年のスタートが少し変わって見えてきます。

この記事ではまず、お正月の間に私たちの目が置かれている状況を辿りました。テレビの特番、SNSの年賀メッセージ、動画サイトのおすすめ……画面を開けば、いつまでも見続けられる世界が広がっています。こたつで寛ぎながら、横になった姿勢のまま延々と画面を見続けることで、目のピント合わせの筋肉や、瞬きの回数、首や肩の強張りに、知らないうちに負担が掛かっていることも見てきました。「休んでいるつもりなのに、目と頭だけはまったく休めていない」という状態になりやすいのが、今のお正月です。

同時に、「見るものの多さ」が心に与える影響についても、改めて考えました。画面を通じて流れ込んでくる情報は、楽しい話題だけでなく、不安や怒り、悲しみを呼び起こすものも含んでいます。それらを細かく追い駆け続けていると、頭の中が常にざわざわして、夜になってもスイッチが切れない感覚に陥りがちです。特に介護職や家族介護を担う人にとっては、「知らないと不安」「勉強しないといけない」という思いから、情報の海を泳ぎ続けてしまい、自分でも気づかないうちに心の視野が狭くなっていきます。

3章では、その「心の視野の狭まり」が、どんな形で表れてくるかを見つめました。「いつも」「絶対」「どうせ」といった言葉が増え、自分にも周りにも厳しくなってしまう。楽しめていたはずのことに集中できない。布団に入っても仕事や介護の場面が何度も頭をよぎり、眠り難くなる。こうした変化は、弱さの証拠ではなく、「そろそろ立ち止まってほしい」という心からの合図でもあります。本当は助けを求めても良いのに、「自分が頑張るしかない」と肩に力を入れ続けてしまう人ほど、このサインを見逃しやすいのかもしれません。

だからこそ、4章では、ひとみの日である1月3日に試してみたい、小さなリセット習慣を提案しました。午前中の1時間だけ画面から離れて、窓の外の景色を眺めながらお茶を飲む。温かいタオルを瞼にそっと乗せて、目と一緒に肩の力も抜いてみる。介護職や家族介護をしている人が、自分のためだけに冬空を見上げる時間を敢えて作る。高齢の家族と一緒にテレビを消して、紙の写真やアルバムをゆっくり眺める。寝る前の30分だけ、スマホではなく本やラジオで一日を締めくくる。どれも、派手ではないけれど、目と心に静かな余白を取り戻してくれる工夫です。

大切なのは、「1年中完璧に続ける」ことではありません。ひとみの日にいくつかの習慣を試してみて、「これは気持ち良かった」「自分に合っていそうだ」と感じたものを、少しずつ日常に連れて帰れば十分です。逆に合わなかったものは、その日だけの体験にして手放しても構いません。目の疲れ方も、心の限界ラインも、人によって違います。自分や家族にしっくりくるペースを探りながら、「このくらいがちょうど良い」という感覚を育てていくことが、何よりのケアになります。

一年の計は元旦にありと言われますが、「一年の見え方」を決め直す日は、ひとみの日でも良いのかもしれません。今年はどんな景色をたくさん見たいのか。誰の表情を、どんな距離で見守っていきたいのか。そして、自分自身は、どんな目で世界を眺めていきたいのか。1月3日にそんな問いをそっと胸に置き直すことで、「ただ忙しく過ぎていく一年」から、「自分で見え方を選びながら過ごす一年」へと、少しずつ舵を切ることが出来ます。

ひとみの日は、目の健康だけでなく、自分の暮らしそのものを見つめ直すチャンスです。スマホやテレビと上手く付き合いながら、時々は画面を閉じて、目の前の人や風景にピントを合わせてみる。その積み重ねが、「よく見える一年」「安心して過ごせる一年」への静かな第一歩になっていくはずです。

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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