春の高校野球~特養のテレビ前が甲子園になる日【花見ドライブと裏話解説つき】~
目次
はじめに…春のテレビ前が何故か一番温かい
春が来ると、特養のフロアはふんわり明るくなります。窓の外は桜の準備運動、廊下は年度末の気配、そしてテレビ前だけが――何故か甲子園です。いつもは「音量、少し小さめでお願いしますねぇ」と穏やかな場所なのに、この季節だけは違う。地元の高校名がテロップに出た瞬間、空気が変わるんです。背筋が伸びる人が出てきます。拍手が一発入ります。誰かが深く頷きます。職員もつられて真顔になります。何故か皆で“同じ方向”を向くから不思議です。
そして、ここが特養の面白いところ。応援の仕方が、勝ち負けだけじゃないんですよね。
「昔、あの辺りに住んでた」
「うちの孫の友だちが通っとる」
「校歌だけは歌える」
そんな話がポロポロ出てきて、気づけばテレビ前が地元の寄り合いみたいになる。野球は切っ掛けで、主役は“その人の春の記憶”だったりします。
もちろん、理想を言えばこうなります。勝ったら凱旋パレード、して欲しい。できれば慰問にも来て欲しい。フロアを一周して、拍手を浴びて、最後に笑って手を振ってくれたら……もう、その日は施設の記念日です。でも現実は、来ないこともあります。忙しい。予定が詰まる。移動も大変。そういう“来られない事情”があるのも、こちらは分かっています。分かっているからこそ、特養の春は強いんです。
来ないなら、こちらが行く。会えないなら、応援の形を変える。桜の名所になっている高校周りをバスで、ぐるっと走って、車窓から「今年も応援してるぞ」と心の中で旗を振る。学校は通過で良い。何故ならこの時期の高校周辺は、トイレ事情がなかなかスリリングで、寄り道の難易度が高いからです。通過で成立する花見。これぞ大人の判断。春の外出は、勢いより段取りです。
さらに、もう1つの必殺技があります。職員さんの子どもさんや、身近な“当事者”を一人だけ招いて、試合を流しながらちょこっと話してもらう。ベンチで見ていた景色や、あの場面で何を思っていたか。テレビには映らない裏話が数本入るだけで、フロアの温度が一気に上がります。報酬はもちろん、社会勉強とおやつ。ここは大人の世界なので、ちゃんと大事なものを用意します。おやつは正義です。異論は受け付けません。
そんなふうに、特養の春の高校野球は「観る」だけじゃなく、「繋がる」行事になっていきます。ここから先は、テレビ前が応援席に変わる瞬間の話、来ないなら行く作戦、桜のバスルートの現実、そして最強助っ人の“プチ解説者”の登場まで。今年も、特養の春は温かい。何故かテレビ前が、いちばん温かいのです。
[広告]第1章…地元校が映った瞬間に特養が「応援席」に変わる件
特養のテレビ前って、普段は静かな場所です。お茶の湯気がフワッとしていて、誰かがウトウトし始めたら、周囲もつられて眠くなる。いわば「昼下がりの平和条約」が結ばれている空間です。ところが春だけ、その条約があっさり破られます。原因は1つ。地元の高校名が画面に出るからです。
テロップに校名が出た瞬間、まず起きるのは“背筋が伸びる現象”です。普段は座る姿勢がゆったりしている方が、何故かスッと前のめりになります。テレビとの距離が、気持ちだけ一気に近づく。次に起きるのは“声のボリューム会議”です。「音、もうちょい上げても良い?」と誰かが言う前に、職員がリモコンをそっと握ります。そこでフロア全体が無言で頷く。そして最後に起きるのが“地元トークの解禁”です。
「この学校は、昔から強いんだよ」
「ここ、校歌が良いんだ」
「この辺りの子は根性がある」
内容はざっくりしていても良いんです。大事なのは“語りたくなるスイッチ”が入ること。春の高校野球は、勝ち負け以前に、記憶の引き出しを開ける鍵なんですよね。
しかも特養の応援は、スポーツ観戦というより“寄り合い”に近い。試合を見ながら、いつの間にか昔話が混ざり始めます。
「わしが若い頃は、弁当がデカかった」
「坊主頭は寒いだろうなぁ」
「応援団って、声が裏返るんだよな」
テレビの中の選手を見ているようで、実はそれぞれの人生の春を見ている。だから、この時間はどこか温かいんです。
ここで職員側の“あるある”も出てきます。応援が熱くなるほど、職員の動きが妙に慎重になる。何故なら、盛り上がると同時に、飲み物の減りが速くなるからです。お茶の追加が間に合わないと、フロアの熱気は上がっても喉が渇く。熱気と水分はセット。春の高校野球は、体感的に「水分補給イベント」です。
そして試合が良い展開になるほど、職員の頭の中には別の実況が流れ始めます。
「この回が終わったらトイレ誘導を…」
「興奮し過ぎて立ち上がりそうな方、前に椅子を…」
「拍手が増える=血圧も上がる可能性、様子見…」
もちろんこれは冷静な支援として大事な視点なんですが、見方を変えると、職員は職員で“別チームのベンチ”にいるみたいなんです。監督の表情で流れを読む、あの感じ。施設の現場も、試合と同じで「準備が勝負」を決めます。
そんな中でも、一番、面白い瞬間があります。それは、利用者さんの誰かが“応援団長”になる瞬間です。声が大きいとか、昔野球をやっていたとか、そういう理由じゃないことも多い。例えば、ポツリと一言だけ言う人がいるんです。
「ここ、踏ん張りどころだ」
その一言で、周囲が頷く。拍手が揃う。空気がまとまる。特養の応援団長って、肩書じゃなくて“空気を結ぶ人”なんですよね。
そして勝っても負けても、試合が終わった後に残るものがあります。
「今日は楽しかったな」
「次も見たいな」
「桜、もう咲くかね」
こういう言葉が出るだけで、その日の生活が少しだけ前向きになります。春の高校野球が特養で愛される理由は、たぶんここです。勝敗じゃなく、“次の楽しみ”が生まれるから。
さて、ここまでで特養のテレビ前が応援席に変わる仕組みは整いました。次の章では、理想のひと言――「慰問に来て…」を胸に抱えつつ、来ない時はどうするか。ここからが、特養の春の底力の見せどころです。
第2章…「慰問に来て…」と言いつつも来ないならこちらが行く作戦
応援が盛り上がってくると、特養のテレビ前には“ある願い”がフワッと浮かびます。
「この子たち、来てくれたら良いのにねぇ」
「一回で良いから、顔が見たいねぇ」
「優勝して、パレードしてくれたら最高だねぇ」
言い方は柔らかいのに、気持ちは本気です。そりゃそうです。全力で走って、泣いて笑って、春を燃やした子たちなんですから。こちらも、その熱を分けてもらってるわけです。
もちろん施設側としても、一度は考えます。学校にお願いしてみようか、と。でも同時に、もう一人の自分が肩を叩くんです。現実という名の副監督が。
「今は忙しいぞ」
「遠征もあるぞ」
「部活は予定が詰まってるぞ」
「そもそも体調管理が最優先だぞ」
こういう“来られない事情”があることは、こちらも分かっています。むしろ現場の大人ほど分かる。だから、ここが特養の見せどころになります。
来ないなら、こちらが行く。この一言で、行事は一気に前向きになります。
「来てくれなかった」じゃなくて、「会いに行く春」に変わるからです。
ここでいう「会いに行く」は、校内に入るとか、誰かに会うとか、そういう大袈裟な話じゃありません。特養の外出は、勢いより段取り。大切なのは、安心して戻ってこられることです。だから作戦はこうなります。高校の周りをぐるっと回る、バスドライブ。これが、意外なほど効きます。
面白いのは、出発前からもうドラマが始まることです。職員が「今日は高校周りの花見ドライブです」と言った瞬間、利用者さんの記憶が動き出します。
「あの道、昔通った」
「あの川、春になると桜がね」
「校門のところ、坂だったな」
まだバスに乗ってもいないのに、もう心は車窓の外に出ている。これが春の魔法です。
そして当日、バスが動き出すと、テレビとは違う盛り上がり方が始まります。試合は一瞬で場面が変わりますが、ドライブはゆっくり進む。だから会話が生まれます。
「この辺りは風が気持ちいいね」
「桜、今年も来たねぇ」
「学校の近くって、若い匂いがするねぇ」
不思議なもので、校舎が見えるだけで、みんな少し若返ります。校庭がチラッと見えるだけで、背筋が伸びる。ここでもまた“特養の応援席”が出来るんです。今度はテレビ前じゃなく、バスの中に。
ただし、ここで大人の判断が光ります。この時期の高校周辺って、見た目は華やかでも、現場の条件はなかなか手強い。特にトイレ事情。校内に未整備のトイレしかないこともあったり、外部が気軽に使える場所じゃないこともあります。だからこそ、この作戦の肝は「寄らない勇気」です。
高校は、通過でいい。校門の前を通るだけでいい。窓から「応援してるよ」と言えれば、それで十分。むしろ無理に立ち寄ろうとして焦るより、通過ルートにして安全に進める方が、利用者さんも職員も笑顔でいられます。ここ、現場の正解です。
そして、通過で成立させるために、バスの中を“応援モード”にしてしまうのがコツです。座席に小さな応援タオル。温かい飲み物。車内アナウンス役の職員が、ちょっとだけ実況っぽく言う。
「右手に見えますのが、地元の青春工場でございます」
「ここを曲がると、桜の名所。皆様、心のカメラをご用意ください」
利用者さんが笑う。職員も笑う。これだけでドライブは勝ちです。桜は見てよし、笑ってよし、帰ってよし。三拍子揃います。
さらに、バスが高校の前を通る瞬間に、最後の一押しがあります。誰かが小さく言うんです。
「今年も、頑張れ」
それが聞こえたら、拍手が起きることがあります。窓の外に向けた拍手。誰も見ていないのに、ちゃんと届く拍手。これが特養の応援の美しさで、同時にちょっと面白いところでもあります。だって、通過なのに、みんな本気なんですから。
こうして「来て欲しい」という願いは、「こちらが会いに行く」という行事に変わります。そして次の章では、そのバスドライブをさらに“春の名物”に仕上げる話に入ります。桜は主役、高校は通過が正解。…でも通過だけで終わらせない、小技があるんです。
第3章…高校周りバスドライブは桜が主役~学校は通過が正解~
第2章で「来ないならこちらが行く」と腹を括りました。ここからは、その作戦を“ただの外出”で終わらせず、ちゃんと毎年の名物に育てる話です。
結論から言うと、主役は高校じゃなくて桜。高校は通過で正解。これが一番、上手くいきます。
高校の前に止まって「校門の写真を撮って…」みたいなことが出来たら素敵なんですが、現実はなかなか難しい。校内に未整備のトイレしかないこともあるし、外部が気軽に使える雰囲気じゃない日もある。さらに、春って風が強かったり寒暖差が激しかったりして、外で立ち止まるだけで体力を削られます。特養の外出は“勝ちに行く”より“無事に帰る”が優勝条件。だから、学校は通過で良い。車窓で十分。ここは大人の判断が光るところです。
でも「通過でいい」と言うと、たまにこんな顔をされます。
「え、通過だけ?」
その表情を見た職員が、ここでニヤッとするんです。
「通過だけ、だから楽しいんですよ」
そう、ここからが仕込みどころです。
バスドライブを“イベント”にするコツは、降りない代わりに車内を盛り上げることです。例えば、出発前にテレビ前で一度だけ試合の名場面を流しておく。皆が「あそこ良かった」「ここ怖かった」と温まった状態で乗り込むと、バスの中でも話が続きます。そして走り出したら、職員がさりげなく案内役になる。観光ガイドみたいに丁寧にやる必要はありません。むしろ少しふざけた方が、特養の春は上手く回ります。
「皆さま、右手をご覧ください。あちらが地元の青春工場でございます」
「左手に見えます桜並木、本日の主役でございます」
「本日のルールは1つ。降りない。焦らない。帰りは笑顔」
こういう小さなアナウンスが入るだけで、車内が“同じ方向”を向きます。特養のイベントは、空気が揃うと強い。これは本当にそうです。
桜のルートは、名所を欲張る必要はありません。川沿いの並木、校門前の坂道、遠くに見える山。見えるだけで春は成立します。ここで利用者さんがぽつりと昔話を始めることがあります。
「この道、昔はもっと狭かった」
「この辺りに市場があった」
「ここを歩いて通った」
この瞬間、ドライブが“その人の回想録”になる。これが強いんです。花見は見るものでもありますが、話が出ると一気に価値が上がります。桜は記憶の引き金なんですよね。
ただ、ここで職員の本音が飛び出します。
「桜、綺麗ですねぇ。…で、トイレはどこで挟みます?」
そう、春のバスドライブ最大の敵は、桜でも高校でもなく“トイレ計画”です。敵というか、神様です。ここを雑にすると、楽しい行事が一瞬で修行になります。
だからルート設計は、見どころより“安心の寄りどころ”を先に決めます。
高校周辺は通過で良い。その代わり、トイレ休憩は確実に使える場所で取る。
そして休憩の場所は「停まった瞬間にすぐ使える」ことが大事です。ここが混むと焦りが生まれ、焦りは疲れに繋がります。特養の外出は焦った時点で負け。ゆっくり、確実に、が優勝パターンです。
さらに、通過を“通過で終わらせない”ための小技があります。高校の前を通る瞬間に、車内で小さなセレモニーを入れるんです。拍手でも良いし、職員の一言でも良い。
「今年も応援してます」
「ここを走ると、春が来たって感じですね」
たったこれだけで、通過が“訪問”に変わります。降りていないのに、気持ちは届いた感が出る。特養の春って、こういう“気持ちの演出”が上手いと、グッと楽しくなります。
そして最後に、桜が一番綺麗な場所で、写真を撮るか撮らないか問題が出ます。ここは、撮らなくても良い。撮るなら“車内から”で十分。何故なら、集合写真を撮ろうとすると一気に段取りが増えて、外出が急に体育祭になるからです。特養の花見は、体育祭じゃなくて“春の散歩”。ここを間違えないのがコツです。程良く、緩く、でも心はしっかり満足。これが一番強い。
こうして桜が主役、高校は通過という作戦は、安心と盛り上がりを両立させます。そして次の章では、さらにもう一段、場を熱くする最終兵器が登場します。遠くの有名解説者は呼びません。特養の春に必要なのは、もっと身近で、もっとリアルで、しかもおやつで動く“解説者”です。
第4章…最強の助っ人は身近にいた!~職員の子ども解説で大盛況~
春の高校野球を特養で楽しむとき、テレビは頼れる相棒です。だけど、テレビにはどうしても映らないものがあります。ベンチの空気。声の掛け方。守備の位置をちょっとずらす、あの小さな駆け引き。打席に立つ前の深呼吸。監督の眉毛が一ミリ動いた理由。そういう“画面の外の物語”が一滴でも入ると、観戦の面白さは一気に増します。
そこで登場するのが、特養の春の最終兵器。有名人でも、解説者でもありません。身近にいる“当事者”を一人だけ招く作戦です。例えば職員さんの子どもさん。野球部でも、マネージャーでも、吹奏楽でもいい。ベンチにいた人、現場を知っている人は、言葉の重みが違います。そしてここが大事なんですが、人数は多くしない方が良いんです。1人で良い。1人が一番、上手く回ります。
何故1人が良いかというと、特養のテレビ前は舞台じゃなくて“居間”だからです。大勢が来るとイベント感が強くなり過ぎて、緊張が生まれます。緊張が生まれると、利用者さんもゲストも話しづらくなる。でも一人なら、「ちょっと寄って来てくれたんだね」の距離で済む。おしゃべりの井戸端会議の空気が守られます。これが強い。
もちろん、いきなり「何か話して」は酷です。大人でも固まります。中学生なら石になります。高校生でも木になります。だから事前に打ち合わせをしておきます。と言っても難しいことはしません。話すネタを数本、握っておくだけで良い。
おすすめは、こんな感じです。
「一番しんどかった場面はどこ?」
「あの時ベンチはどんな雰囲気だった?」
「テレビに映らない工夫って何かあった?」
この3つを軽く聞いておいて、当日は試合映像を流しながら、ちょうどその場面になったら職員が合図します。
「今のところ、例の場面だよね?」
するとゲストがポツリと話し始める。
「この回の前、実は…」
「ここ、声掛けが…」
「サインが見え難くて…」
この“ポツリ”が、特養にはよく効きます。声が大きい必要はありません。裏話は小声でも勝てるんです。
そして、ここからが特養の面白いところ。利用者さんの質問が飛びます。たまに鋭い。想像以上に鋭い。
「負けそうな時、泣きそうにならないの?」
「ベンチで怒られたことある?」
「緊張したら、どうするの?」
ゲストは最初こそ照れますが、質問に答えるうちに、表情が変わってきます。自分の体験が、誰かの楽しみになる。誰かの元気になる。その実感が、本人の背中を押すんですよね。気づけばゲストの方が堂々としてきて、職員の方が「え、今日の君、頼もし過ぎない?」みたいな顔になります。春は人を育てます。
進行は簡単で大丈夫です。職員が「今の場面、どうだった?」と振って、ゲストが話して、利用者さんが「へぇ〜」と笑う。もし会話が詰まったら、職員が助け舟を出せば良い。
「ベンチって寒い?」
「水っていつ飲むの?」
「応援の声って届く?」
こんな小学生レベルの質問が、一番盛り上がることもあります。複雑な戦術より、“現場の体感”の方が面白いからです。
さて、ここで大事な話をします。報酬です。ゲストに来てもらう以上、感謝は言葉だけじゃなく、形にもします。と言っても、立派なものはいりません。特養の最強の謝礼は、これです。社会勉強と、おやつ。これは間違いありません。おやつは正義です。ここは譲れません。
ゲストにとっても、これは良い経験です。年上の人に話を聞いてもらう。拍手をもらう。質問に答える。自分の頑張りが誰かの明るさに繋がる。大人が思う以上に、これは記憶に残ります。春の大会の思い出が、もう一段温かい思い出になる。特養のテレビ前は、何故かそういう力を持っています。
そして最後に、締めのひと言だけ用意しておきます。職員が言います。
「今日の話で、みんなの春が濃くなったよ。ありがとう」
すると利用者さんが拍手します。ゲストは照れます。なのに――おやつを受け取る手だけは、何故かプロみたいに迷いがない。ここで笑いが起きたら、もう大成功です。特養の春は、勝ち負けより“いい空気”で優勝します。
まとめ…会えなくても届く春に特養の応援は毎年強くなる
春の高校野球は、特養にとってただのテレビ番組じゃありません。あれは毎年やってくる「地元の春祭り」で、テレビ前が自然と寄り合いの席になり、昔話が芽を出し、拍手が揃い、誰かが応援団長になる日です。勝ち負け以上に、「今日は楽しかった」「次も見たい」が残るのが強い。春は、そうやって生活の中に明るい予定を増やしてくれます。
そして、理想はもちろんあります。勝ったら凱旋パレードをして欲しい。出来れば慰問にも来てほしい。フロアを一周して、手を振って、笑ってくれたら……その日の記憶は宝物になる。でも現実には、来ないことも当然あります。忙しい、予定が詰まる、いろいろある。だからこそ、ここで特養の底力が出ます。来ないなら、こちらが行く。会えないなら、応援の形を変える。すると“待つ春”が、“動く春”になります。
高校周りのバスドライブは、その最たるものです。桜を主役にして、学校は通過で正解。安全を優先して、無理なく、焦らず、笑って帰る。車窓から見える校舎と並木だけで十分に春は成立します。むしろ降りないからこそ、車内が落ち着いて、会話が増えて、思い出が深くなることもあります。花見は見るものでもありますが、特養の場合は「話が咲く」方が勝ちだったりします。
さらにもう一段、春を濃くする方法もありました。職員さんの子どもさんなど、身近な“当事者”を一人だけ招いて、試合を流しながら裏話を聞く。ベンチの空気、声掛け、あの場面で考えていたこと。テレビに映らない話が数本入るだけで、観戦の面白さは跳ね上がります。質問が飛び、笑いが起き、最後に拍手が起きる。報酬は社会勉強とおやつ。おやつは正義。ここは毎年、揺るぎません。
結局のところ、特養の春の応援は「会えるかどうか」より、「どうやって気持ちを届かせるか」で育っていきます。
テレビ前で甲子園を作る春。桜の道で地元に会いに行く春。裏話の一滴で熱が増す春。どれも立派な“特養の行事”です。来年もまた同じようにやれる。むしろ回数を重ねるほど、上手になって、毎年強くなる。
春のテレビ前が、何故か一番温かい理由は、ここにあります。応援は届く。会えなくても届く。だから特養の春は、今日もちゃんと優勝しています。
今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
[ 応援リンク ]
[ ゲーム ]
作者のitch.io(作品一覧)
[ 広告 ]
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。