理事長と事務長が桜の下で介護家族会議!~祖父母のお花見裏ワザ帖~

[ 3月の記事 ]

はじめに…理事長「桜は歩けなくても咲く!」事務長、静かにうなずく

春になると、桜って不思議です。昨日まで「まだ寒いねぇ」と言っていたのに、ある朝いきなり町がピンク色になって、空気まで少しだけ甘くなる。そんな季節になると、施設でもデイでも、地域でも、お花見はだいたい“恒例行事”になります。

ところが、ここで毎年ひっそり起きる事件があります。名付けて「お花見、行けない人ほど遠慮してしまう問題」です。歩くのが大変、車椅子が必要、トイレが心配、長く外にいると疲れる。理由は全部まっとうなのに、本人ほど「自分は迷惑になるから」と言って、最初から“参加しない”を選びがち。家族も家族で「無理させたら悪いし…」と気づけば、桜だけが満開で、当人の予定表は真っ白。桜は咲くのに、気持ちが咲かない。これ、もったいないんです。

そこで我らが理事長と事務長が立ち上がります。理事長は言います。「桜は歩けなくても咲く。なら、咲いてる場所へ運べば良い!」と。事務長は静かに資料を捲りながら言います。「その前に、トイレと導線と座る場所の確保が先です」と。熱血と現実がぶつかり合いながら、結論はいつも同じ。介護が必要な祖父母とのお花見は、“気合い”ではなく“段取り”で勝てる、ということです。

このお話は、立派な特別イベントの話ではありません。遠出もしない、長居もしない、でも「ちゃんと春を味わった」と胸を張れるお花見の作り方です。祖父母の不安を小さくして、家族の負担も増やし過ぎず、孫がいれば「思いやりってこういうことか」と自然に学べる。ついでに、帰り道に「来年も行こうか」と言える空気まで持ち帰る。そんな“ちょうど良い花見”を、理事長の勢いと事務長の段取りで、笑いながら整えていきましょう。

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第1章…事務長の恐怖「トイレが見えないと心が先に帰宅する問題」

理事長は言うのです。「お花見は気合いだ!」と。桜の下でドンと座って、家族で笑えば勝ちだ、と。事務長は黙って頷きません。何故なら、介護が必要な祖父母にとって“気合い”より先に立ちはだかるものがあるからです。そう、現地に着く前から始まる、心の中の“先回り会議”です。

まず一番大きいのが「自分は迷惑になるかもしれない」という気持ちです。歩くのがゆっくりになった、段差が怖い、立ち上がりが大変。これだけでも外出は十分ハードルが上がります。けれど当人は、それを“困りごと”として出すより先に、「家族に手間を掛けさせたくない」とブレーキを踏みがちです。本人の優しさが、一番の敵になる。ここが最初の落とし穴です。

次に来るのが「知らない場所は不安」という問題です。桜の名所って、基本的に人が多い。音がする。道がデコボコしている。どこに座れるか分からない。いったん不安が湧くと、頭の中で小さな“もしも”が雪だるま式に増えます。もし雨が降ったら、もし寒かったら、もし人にぶつかったら、もし帰りたくなったら。理事長が「大丈夫!」と笑っても、事務長は分かっています。安心は、掛け声では増えないのです。

そして、最大級のボスが登場します。そう、トイレです。これは本当に強い。「トイレ、どこ?」が分からないだけで、体より先に心が疲れます。尿意があるかどうかは関係ありません。“いつでも行ける”という見通しが持てないことが不安の正体です。特に、我慢が難しくなってきた方、失敗が怖い方、紙パンツに抵抗が残っている方ほど、ここで参加を断ってしまいがち。「行きたいけど、怖い」が言えないから、「行かない」で終わるんですね。

さらに現実的な話をすると、会場まで車で行けても終わりではありません。駐車場から桜の下までが遠いことが多い。途中に坂がある、砂利道がある、段差がある。歩ける方でも“往復”を計算すると、体力の残高が心配になります。花見中は座っていられるとしても、「行き帰りで使う力」が読めないと、本人はだんだん顔が強張ってきます。これは、外から見るとただの遠慮に見えるので、家族が気づき難いポイントでもあります。

ここまで聞くと、理事長が急にしょんぼりします。「じゃあ、やっぱり無理なのか…」と。でも事務長は、ここで勝ち誇りません。むしろ、ニヤッとします。何故なら、課題がハッキリすると、打ち手もハッキリするからです。介護が必要な祖父母のお花見は、“全部を頑張る”のではなく、“不安の芽を先に摘む”だけで、急に実現しやすくなります。

つまり第1章の結論はこうです。祖父母が行けない理由は、気持ちの弱さではありません。段差でもありません。桜でもありません。一番の壁は「先が読めない不安」です。
理事長が桜を見上げて熱くなる横で、事務長は地図を見て静かに言うのです。「大丈夫。安心の設計が出来れば、桜はちゃんと楽しめます」と。


第2章…理事長のドヤ顔「桜の力で祖父母の笑顔がふわっと戻る瞬間」

事務長が不安の種類を淡々と並べると、理事長は一度だけ深呼吸をします。そして急に、春の空みたいな顔で言い出すのです。「でもね、だからこそ“行けた時の価値”がデカいんだよ」と。事務長はペンを持ったまま止まります。理事長がこういう時に語り出すのは、だいたい“現場で見た顔”が頭に浮かんでいる時だからです。

介護が必要な祖父母にとって、外に出ることは、ただの移動ではありません。家の中、施設の中で整った生活は安心だけれど、景色や匂いはどうしても同じになりがちです。そこへ桜の季節が来る。あの淡い色、ヒラヒラ舞う花びら、少し冷たい風。目に入る情報が一気に増えて、「ああ、春だねぇ」と、身体より先に心が動くことがあります。これが強い。理事長はここをよく知っています。桜は、リハビリの号令より先に、人の表情を緩めてしまうんです。

特に印象的なのは、普段はあまり感情を表に出さない方が、桜を見る瞬間だけ“素”に戻ることがある点です。目がフッと上がって、口元がやわらかくなって、「昔、ここでね…」と記憶が出てくる。会話が短くなっていた方が、急に語り出す。介護する側はその瞬間に出会うと、「連れて来て良かった」と心の底から思えます。事務長はここでこっそりメモします。理事長の話は長いけれど、時々、核心がありますと…。

そして家族でのお花見には、施設や地域の行事とは違う“特別さ”があります。桜そのものより、「誰と見るか」が効いてくるんですね。孫がいれば、祖父母はつい背筋を伸ばします。「良いところを見せたい」という気持ちは、年齢が上がっても消えません。逆に孫からすると、祖父母が笑う瞬間を“春の記憶”として持ち帰れます。これは後からジワジワ効いてくる家族の財産です。

さらに、食べ物と飲み物が少し入るだけで、体験が“行事”から“思い出”に格上げされます。ここで理事長が急に張り切ります。「桜の下で食べるおにぎりは、だいたい3割増しで旨い!」と。事務長は「科学的根拠はありません」と即ツッコミを入れますが、否定し切れないところが悔しい。外の空気、桜の景色、家族の笑い声。このセットは、普段の食事よりも“ご馳走感”が出やすいのです。少量でも満足感が出るのは、介護が必要な方にとって実はありがたいポイントでもあります。

もう1つ、理事長がよく言う“裏の効果”があります。「お花見は、本人のためだけじゃない。介護してる家族の肩の力も抜ける」と。介護が続くと、気づかないうちに家族の視野が狭くなることがあります。「失敗させない」「転ばせない」「疲れさせない」と、守りの姿勢が強くなる。もちろん大切な視点ですが、そればかりだと心が疲れてしまう。桜の下では、家族も少し笑いやすい。春の景色に助けられて、「まぁ今日はいいか」と許せる幅が広がる。事務長はここでまたメモします。介護は真面目な人ほど苦しくなる。だからこそ、季節の力を借りるのは賢い。

ただし理事長は、最後にちゃんと釘も刺します。「満開のテンションで、予定を詰め込み過ぎないことだ。桜は逃げないけど、体力は逃げる」と。名言っぽいのに若干ややこしいですが、言いたいことは分かります。介護が必要な祖父母のお花見は、“大成功”より“無事に楽しかった”が一番良い。翌日からの生活が崩れない範囲で、春を持ち帰る。それが、結果的に次の外出への自信にも繋がっていきます。

つまり第2章の結論はこうです。課題が多いからこそ、外に出て桜を見られた時の喜びは大きい。祖父母の表情がフワッと柔らかくなる瞬間は、準備の苦労を一瞬で回収してくれます。理事長がドヤ顔になるのも、まあ…春だから許しましょう。


第3章…準備は愛!~事務長の段取り術「車椅子は荷物係➡帰りはVIP席」~

理事長は、桜を見るとテンションが上がって「よし!行こう!」で突っ走りがちです。でも事務長は、桜より先に“安心”を咲かせます。ここでの合言葉は、気合いではなく「見通し」です。祖父母が不安になるのは、体力がないからだけじゃなくて、「どうなるか分からない」から。だから段取りは、先回りして“分かる”を増やす作業になります。

まず事務長が最初に決めるのは、場所取りのルールです。「桜が近い」より「トイレが見える(または迷わない)」を優先します。見えるっていうのは本当に強くて、祖父母の顔付きが変わります。トイレに行ける道が平らか、段差が少ないか、人の流れが強過ぎないか、座ったままでも桜が見えるか。ここまで整うと、理事長の口癖「大丈夫大丈夫」が、ようやく本物になります。

次に事務長がやるのは、時間の設計です。お花見って、何故か長くなりがちです。理事長は「せっかくだから」と言い、孫は「もうちょい遊ぶ」と言い、皆の気持ちが春風みたいにフワフワ広がる。けれど祖父母の体力は、春風ほど自由ではありません。ここは割り切って、「短くても成功」というルールにします。到着して座って、桜を見て、少し飲んで食べて、写真を1枚撮って、帰る。短いのに満足できるのは、桜の力が強いからです。理事長が「え、もう帰るの?」と言い出したら、事務長はニコッとして「来年も来るためです」と言い切ります。強い。

そして、いよいよ持ち物です。ここは“多ければ安心”に見えて、実は“多いほど疲れる”罠があります。事務長は、安心に直結するものだけを厳選します。例えば排泄周りなら、必要に応じた紙パンツや尿取りパッド、着替え一式、汚れ物を入れる袋、手を拭けるウエットティッシュ。寒暖差対策なら、脱ぎ着しやすい羽織り、膝掛け、冷える人には小さめのカイロ。乾燥しやすい時期でもあるので、飲み物は「お茶」と、体調に合わせて経口補水系を少し。これだけで不安はかなり小さくなります。理事長は「事務長のカバン、ドラえもんみたいだな」と言いますが、事務長は真顔で「ドラえもんではありません。備えです」と返します。桜の下で言うことじゃないのに、何故か頼もしい。

ここで事務長が必ず入れる“見えない持ち物”があります。それは役割分担です。誰が祖父母の横に座るか、誰がトイレの付き添い役か、誰が車の出し入れを担当するか。これが決まっていないと、その場で家族がバタついて、祖父母が「やっぱり迷惑だった」と思ってしまいます。役割が決まっているだけで、祖父母は安心して甘えられるようになります。甘えるのは悪いことじゃなくて、外出を成功させる大事な技術なんです。

それから、歩ける祖父母でも車椅子を用意する作戦はかなり効きます。行きは元気に歩けるなら歩いてもらい、車椅子は荷物運びとして活躍してもらう。帰りは疲れが出る頃なので、車椅子がそのまま祖父母の“VIP席”になります。本人に「車椅子に乗って」と言うと気が引ける方もいますが、「荷物を運ぶために持ってきたんだよ、ついでに座っても良いよ」という言い方なら受け入れやすいことが多いです。理事長が「ついで扱いで良いの?」と聞いたら、事務長は即答します。「ついでで良いから、安心が増えます」と。

最後に、事務長は“逃げ道”も用意します。疲れたらすぐ帰れる車の位置、混んできたら場所を変える案、雨が怪しければ車内から眺める“桜ドライブ”への切り替え。逃げ道があると、祖父母は挑戦しやすくなります。「無理なら戻れる」と分かっているだけで、心は一歩前に出られるんですよね。

こうして段取りが整うと、理事長の「桜は心のリハビリだ!」が、ただの名言ごっこではなくなります。準備は、祖父母を縛るためじゃなくて、祖父母の自由を増やすためのもの。事務長が静かに準備するほど、当日は皆がのびのび笑える。これが、介護家族のお花見を成功させる“裏ワザ”の正体です。


第4章…桜より強い財産~家族の絆と孫の学びが“後から効いてくる”~

理事長は、桜の下でよく“良い話”を始めます。話の途中で空を見上げ、花弁が1枚肩に落ちたら、もう止まりません。「桜というのはね、人生の縮図でね…」とか言い出します。事務長はそのたびに「理事長、食べ物のフタを閉めてから語ってください」と現実に引き戻すのですが、実は理事長の言いたいことも分かるんです。介護が必要な祖父母とのお花見は、桜を見て終わりじゃない。帰ってから、ジワジワ効いてくる“家族の財産”があるのです。

まず、祖父母が得るのは「自分は家族の輪の中にいる」という確かな実感です。普段の生活では、介護を受ける側はどうしても“してもらう人”になりやすい。すると本人は、知らないうちに遠慮を覚えます。「迷惑を掛けたくない」「邪魔になりたくない」。この気持ちは優しさでもあり、同時に寂しさでもあります。ところが家族で桜の下に座り、同じ景色を見て、同じ風を感じ、同じ写真に写るだけで、「自分もこの家族の一員として、ちゃんと今日を過ごした」と感じやすくなる。これって、実は心の体力を増やしてくれるんですね。次に何かへ出かける時の自信にも繋がります。

そして家族側が得るのは、「介護はイベントで一気に片付けるものではなく、段取りで楽になる」という実感です。準備して、役割を決めて、短時間で楽しむ。これが1回上手くいくだけで、家族の中の空気が変わります。「外出は怖い」から、「外出は工夫すれば出来る」に変わる。すると、次は散歩、次は近所のカフェ、次は季節の行事…と、生活の選択肢が増えていきます。理事長はここで胸を張ります。「桜は“第一回外出会議”に最適なんだよ!」と。事務長は小声で「議題が多過ぎると失敗します」と返しつつ、内心では頷いています。

さらに、孫がいる家庭では、ここが最大の“教育現場”になります。ただし説教はいりません。桜の下で、祖父母が座りやすいように場所を空ける。飲み物を渡す。寒くないか聞く。トイレに行く時にさっと付き添う。こういう行動を子どもはよく見ています。「優しさって、こうやって形にするんだ」と、目で覚える。逆に大人がバタついていたら、それも見てしまう。だから事務長は言います。「孫の前ほど、段取りが大事です。大人の背中が一番しゃべるので」と。理事長は「背中がしゃべるなら俺は黙る!」と言いながら、結局しゃべります。春ですから。

もう1つ、家族の財産になるのが“写真”です。写真はただの記録に見えて、実は心の支えになります。介護が続くと、どうしても大変な場面の記憶が残りやすい。夜間の対応、通院、転倒予防、食事や排泄の悩み。もちろん大事な現実です。でもそれだけだと、家族の気持ちが削られていきます。そこへ、桜の下で笑っている1枚があると、「この人は困りごとだけの存在じゃない」「一緒に楽しめる時間がある」と思い出せる。祖父母にも家族にも効く、心の貯金になります。事務長はここで珍しくロマンチックなことを言います。「写真は、次の外出の許可証になります」と。理事長は「格好良い!」と拍手しますが、すぐに「じゃあ俺の変顔も許可証だな!」と言って撮ろうとするので、事務長が全力で止めます。許可証にも限度があります。

そして最後に、もっと大きな意味があります。祖父母にとって春の行事は、「来年もまた」という未来に繋がりやすい。人は“次の約束”があると、日々が少し強くなります。家族が「来年も行こうね」と言えるだけで、祖父母は楽しみを持ちやすくなる。理事長は毎回ここで締めに入ります。「桜は一日で散るように見えて、毎年戻ってくる。だから、こっちも戻ってこよう」と。事務長は頷きながら、最後に現実的な一言を添えます。「戻ってくるには、無理をしないことが条件です」と。

桜の美しさはもちろん主役です。でも、介護が必要な祖父母とのお花見の本当の“持ち帰り”は、家族の中に残る空気です。準備して、短く、安心して、笑って帰る。たったそれだけで、翌日からの介護が少しだけ柔らかくなる。桜の下で作ったその柔らかさこそ、家族にとっての大きな財産なのだと、理事長と事務長は毎年、花弁と一緒にこっそり確認しているのです。

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まとめ…理事長「来年は下見係を任命!」事務長「書類も一緒に咲きました」

お花見は、桜を見る行事のようでいて、本当は「安心を設計する行事」でもあります。介護が必要な祖父母が外に出難くなる理由は、体力だけではなく、先が読めない不安が大きい。特にトイレ、移動の距離、寒暖差、混雑、そして「迷惑を掛けたくない」という本人の遠慮。これらが重なると、心が先に帰宅してしまうんですね。

でも逆に言えば、不安の芽を先に摘んでしまえば、お花見はグッと現実になります。桜の近さよりトイレの見通し、長居より短時間で成功、気合いより段取り。車椅子は“荷物係”として連れて行き、帰りに“VIP席”へ昇格させる。飲食は少量で質と楽しさを残し、水分と防寒で体調を守る。役割分担を決めてバタつきを減らし、逃げ道も用意して「無理なら帰れる」を確保する。事務長の準備は地味に見えて、当日の笑い声を増やすのは魔法のようです。

そして桜の下で起こる一番の奇跡は、祖父母の表情がフワッとほどける瞬間です。春の空気や花弁は、人の記憶や言葉を引き出してくれます。家族で同じ景色を見て同じ写真に写るだけで、「私はこの輪の中にいる」という実感が生まれ、介護する側も「工夫すれば出来る」を持ち帰れる。孫がいれば、思いやりを言葉ではなく背中で学ぶ。お花見は、祖父母だけのイベントではなく、家族みんなの未来に効いてくる行事なのだと、毎年あとから分かります。

理事長は最後に、満開の桜を見上げて必ず言います。「来年はもっと上手にやろう。桜は逃げないから!」と。事務長は静かに頷きながら付け加えます。「桜は逃げませんが、体力は逃げます。だから短く、確実に、楽しく」と。この“短く確実に楽しく”が出来たなら、それは大成功です。今年のお花見が「行けた」で終わらず、「来年も行こう」で終わるように。桜の季節に、家族の春がちゃんと戻ってくるように。そんな一日を、是非、皆さんも狙って作ってみてくださいね。

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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