新人介護士が赴任先で迷うこと~就職初日に見えてくる介護施設のギャップ~
目次
はじめに…習った介護と働く介護~その間にあるもの~
介護の勉強をして、五大介護と呼ばれる食事・入浴・排泄・移動・更衣の基本を学び、国家資格も取った。ここまで来れば、いよいよ現場で人の役に立てる。そう思って赴任先の扉を開けた新人介護士さんは、たぶん最初の数日で、胸の中に小さくない茫然自失を抱えることになります。
あれ?習った形と少し違う。あれ?個別に丁寧に関わるつもりだったのに、目の前では集団で流れる時間がある。あれ、見学のときに見えていた穏やかな空気の裏で、こんなに右往左往しながら回していたのか?頭の中では次々に浮かぶ「えっ???」が並びます。しかも就職初日は、誰も自分の心の字幕を読んでくれません。ここ、けっこう切ないところです。
介護施設の現場には、ホームページや事前の説明だけでは見え難いリアルな世界があります。理念は綺麗な言葉でたぶん本物ですし、丁寧な介護をしたい気持ちも現場にはあります。けれど、同時に時間、人手、役割分担、利用者さん全体の流れ、そして一日の業務という現実もあります。学校で学んだことが間違っていたわけではなく、現場が手抜きをしていると決めつけられるほど単純でもない。この“間”に立たされた新人さんが迷うのは、むしろ自然でリアルなことです。
この記事では、就職してすぐの新人介護士さんが感じやすいギャップを、愚痴だけにも説教だけにもせず、明るさを残しながら見つめていきます。落胆して終わる話ではありません。最初の違和感は、向いていない証拠ではなく、「大切にしたい介護」が自分の中にちゃんとある証拠かもしれないからです。理想と現実の間で心がぐらつくのは、手ぶらで現場に来た人ではなく、ちゃんと学んで来た人に起こりやすい。そう思うと、初日のため息も少しだけ意味を持って見えてきます。
[広告]第1章…学校で学んだ理想と施設で回っている現実は何故ズレるのか?
新人介護士さんが最初に知っておきたいのは、学校で学んだ介護と施設で行われている介護がズレて見えるのは、どちらかが間違っているからではない、ということです。ここを先に知っているだけで、就職初日の茫然自失は少しだけですが、少しは溜飲が下がり、和らぎます。学校で習った介護は、「こうあると良い」という土台です。施設で回っている介護は、「今日この人数、この時間、この体制でどう支えるか」という現実です。土台と現実がぶつかるのではなく、本当は同じ建物の1階と2階みたいな関係なのですが、初日は階段が見えません。ええ、いきなり2階に立たされて「はい、景色をどうぞ」と言われたような気分になります。
学校では、食事、入浴、排泄、移動、更衣の基本を丁寧に学びます。声掛けの順番、体の支え方、尊厳への配慮、個別性の大切さ。どれも欠かせない学びです。演習では、相手の状態を見ながら、安全に、落ち着いて、確認しながら進めます。ここで身に付くのは、介護の骨組みです。アセスメント(状態を見立てること)、課題分析や個別支援(その人に合わせた関わり)も、「なるほど、介護は流れ作業ではないのだ」と1つ1つが腑に落ちるように教わります。
ところが施設に入ると、同じ介護でも見える景色が変わります。利用者さんはお1人様ではありません。朝の起床介助が重なり、排泄のタイミングが重なり、食事の準備も進み、入浴日なら浴室の流れもあります。1つ1つを丁寧にやりたい気持ちは全員あるのに、時計は「お気持ちは分かりますけど、私は進み続けます」という顔で勝手に進行します。ここで新人さんは、心の中に理想と現実が逆さま現象みたいになった感覚を抱えます。たぶん、感覚としてはかなり近い感想のはずです。
学校では「その人に合わせる」が主語になりやすく、施設では「その人に合わせながら、全体も回す」が主語になります。この違いはとても大きいです。お1人様に10分かければ気持ちよく整う介助でも、同じ時間に他の方のコールや食事や送迎準備が重なれば、現場は少しずつ形を変えちゃいます。そこで「学校で習ったのと違う」と感じるのは、感性が鈍いからでも、現場を知らないからでもありません。むしろ逆で、ちゃんと学んできたからこそ、その差に気づくのです。ズバリ、優秀な出発とも言えます。
さらに、学校では基本的に「正しい手順」を中心に学びますが、現場では「正しい手順を、どう崩さずに回すか」が問われます。ここが新人さんにとって最初の壁です。介護記録、申し送り、食事形態の確認、排泄の誘導、離床の順番、フロア全体の見守り。どれも小さく見えて、積み上がると立派な山になります。新人さんはその山の前で、「聞いていた介護と違う」というより、「習った介護に、こんなにたくさんの裏方が付いていたのか」と気づくのかもしれません。
しかも現場には、言葉になり難い空気もあります。先輩は悪気なく早い。動きが洗練されていて、説明より先に手が動く。新人さんはメモを取りたい、確認したい、でも流れを一瞬でも止めてしまうことすら気が引ける空気というか強大な圧。結果、新人さんの頭の中だけが右往左往して、「今の移乗、どこで重心を取ったのですか?」「その声掛け、何故その順番なんですか?」と聞きたいことが行列になります。質問は心の中で大渋滞、口から出るのは「はい、分かりました」です。いや、分かった顔はしてみたけれど、心の中では全然まだ工事中、というのも新人あるあるなポイントです。
ここで大切なのは、学校の学びをがっかりして手放さないことです。学校で習った介護は、現場でそのまま再現できない場面があっても、方向を見失わないための北極星みたいなものです。現場の速さに戸惑っても、「本当はこういう配慮が必要だった」と思えるなら、その感覚はちゃんと生きています。むしろ、その違和感がある人の方が、将来でも介護を雑にし難いものです。
学校で学んだ理想と、施設で回っている現実がズレる理由は、人がいい加減だからでも、教科書が綺麗ごとだからでもありません。個別介護の正しさと、集団への介護提供の現実が、同じ場所で同時に求められるからです。この章で置いておきたいのは、その一点です。新人さんが最初に迷うのは、向いていないからではなく、介護の大事な両面をちゃんと見てしまったから。そう考えると、就職初日の溜め息の連続も、少しだけ真っ当に思えてきますよね。
第2章…新人が最初に戸惑いやすい~見学では見えなかった現場のギャップ~
見学の時には、とてもよく見えた施設が、就職した瞬間に少し違って見えることがあります。これは、見学が嘘だったという話ではありません。見学では見えやすいものと、働き始めてからでないと見え難いものがある、ということです。玄関の明るさ、掲示物の工夫、利用者さんの穏やかな表情、優しい声掛け。どれも本物です。ただ、その奥では同時進行で、時間管理、記録、排泄の対応、食事準備、コール対応、職員同士の連携が常に動いています。新人さんはここで、施設の表側と裏側が一体両面で成り立っていることを知ります。
真っ先に戸惑いやすいのは、やはり「個別に関わるつもりだったのに、全体の流れがとても大きい」という点でしょう。学校では、目の前の一人に集中して学ぶ時間が多くあります。ところが現場では、お1人に向き合いながら、同時にフロア全体の空気も見ます。朝なら起床介助が重なり、食事前なら整容やトイレ誘導が重なり、入浴日なら浴室の流れもあります。新人さんは「この方には今ゆっくり関わりたい」と思いながら、背後で時計の気配を感じるようになります。心の中で「ちょっと待ってください、私は今、理想と現実の二股交際で忙しいのです」と言いたくなる場面です。
次に驚きやすいのは、先輩の動きの速さです。見学では落ち着いて見えた先輩も、実際の業務に入ると、かなりの電光石火で動きます。歩くのも早い、判断も早い、準備も早い。しかも本人は慌てているつもりがないこともあります。新人さんからすると、「さっきの更衣介助、どこで声掛けを入れました?」「その食事介助の前に、何を確認しました?」と聞きたいことが山ほどあるのに、先輩はもう次の場面に向かっています。ここで「自分は覚えが悪いのかも…」と落ち込みやすいのですが、そうではありません。見えている情報の量、装備量が違うだけ、ということがよくあります。
さらに、働く前には気づき難いのが、「介護以外の仕事もかなり多い」という現実です。介助そのものだけで一日が出来ているわけではありません。お1人様ごとの情報量、そして個別に存在する介護記録、申し送り、物品補充、シーツ交換、食事形態の確認、受診の準備、家族対応、フロアの安全確認。介護職は、手を動かす仕事であると同時に、流れを整える仕事でもあります。学校では主役に見えていた介助が、現場では大切な仕事の1つとして平板化して、たくさんの裏方に支えられている。ここを知ると、新人さんは少し驚きます。「介護って、こんなに段取りだらけの生き物だったのか」と。
もう1つ、見学ではなかなか見え難いのが、言い難さの存在です。現場には、明文化されていない空気がたくさんあります。忙しい時間帯に質問する遠慮、先輩のやり方に口を出し難い感じ、ペア介助で呼吸が合わなくてもその場で言葉にしづらい瞬間。これは意地悪というより、現場が流れているからこそ起きやすいことです。新人さんはこの空気に触れて、「技術だけ覚えれば良いわけではないんだ」と知ります。相手の思考や介護技術力、コミュニケーションレベルの人間関係まで含めて仕事なのだ…、と分かった日の帰り道は、将来に向けた重圧で少しだけ肩が重くなるかもしれません。
そして多くの新人さんが胸の奥で静かに戸惑うのが、「丁寧にしたい」と「回さなくてはいけない」が同時に存在することです。見学では、利用者さんに寄り添う姿が印象に残ります。実際に入職すると、その寄り添いを支えるために、職員がかなり綱渡りしていることが見えてきます。ここで「こんなの理想と違う」と切り捨てるのは簡単ですが、現場に立つとそう単純ではありません。職員みんなが手を抜きたいわけではなく(…たぶん)、むしろ守りたいものが多いからこそ、全部を同時には守れない苦しさも出てきます。新人さんが落胆するのは、現場が冷たいからではなく、自分の中の「こうしたい介護」がちゃんと息をしているからです。
見学では見えなかったギャップに出会うと、人は少しがっかりします。けれど、そのがっかりは無駄ではありません。むしろ、何に戸惑ったかを自分で言葉に出来る人ほど、後で現場を丸ごと諦め難いものです。個別性、時間、人手、先輩の速さ、言い難い空気、裏方の多さ。新人さんが最初に戸惑いやすいのは、この辺りです。そして、その戸惑いは「介護職に向いていない」の札ではなく、現場をちゃんと見ている証拠でもあります。この章で持ち帰りたいのはそこです。見学で見えなかったものが見えたことに1つ1つ、あまりに多くのことに驚くのは、ごく自然な反応なのです。
[広告]第3章…落胆、受容、溜め息~それでも消えない違和感の正体~
新人介護士さんが現場で迷うのは、仕事が出来ないからではありません。むしろ、ちゃんと学んできた人ほど、就職してからの自問自答が増えます。利用者さんにもっとゆっくり関わりたい。声掛けも、体の向きも、待つ時間も、もう少し丁寧にしたい。そう思うのに、時計と現場は待ってくれない。そのたびに胸の中で、「いや、私は間違っていないはず」「でも今はこれ以上は止められない」と会議が始まります。しかもこの会議、議長も書記も自分なので、かなり疲れます。
最初の落胆は、たいてい静かにやってきます。怒られたからでも、はっきり否定されたからでもなく、「あ、こういうふうに流れていくのか」と知った瞬間に来ます。食事介助(食べる動きを支えるケア)で、もっと一口ごとの様子を見たかった。排泄ケア(トイレやおむつ交換の支援)で、もう少し気持ちの準備を待ちたかった。移乗(ベッドや車椅子への移動介助)で、声を揃えるより先に体を動かす場面があった。そういう細かな違和感が、砂時計の砂みたいに胸の中に溜まっていきます。ひと粒ずつはとても小さいのに、気づくと結構、山のようで重たいのです。
そこで多くの新人さんは、一度は受容の方へ傾きます。「現場って、こういうものなんだろうな」と。これは悪いことではありません。受け止めないと、その場では働けないからです。理想だけを握りしめたまま毎日正面衝突していたら、心が先にヘトヘトになります。リアリティショック(理想と現実の差で受ける戸惑い)という言葉がありますが、まさにこの時期はそれに近いものがあります。頭では理解しているつもりでも、気持ちがすぐには追いつかない。ここで自分を責め過ぎる必要はありません。
ただ、受容した後にも残るものがあります。それが違和感です。この違和感は、我儘でも反抗心でもなく、介護の軸が自分の中にまだ生きている証拠です。もし本当に何も感じなくなったら、雑な介助にも、乱暴な言葉にも、待たせ過ぎることにも、ピクリとも心が動かなくなってしまいます。新人さんの溜め息は、現場に向いていない証拠ではなく、「こうありたい」という理想と真実がちゃんと残っている証拠かもしれません。ここ、かなり大事なところです。
現場では、時々、「慣れたら気にならなくなるよ」と言われることがあります。確かに慣れること自体は必要です。手順に慣れる、流れに慣れる、先輩との連携に慣れる。それがないと仕事は回りません。けれど、全部を慣れで丸めてしまうと、後に残るのは一進一退の疲れだけになります。本当に守りたいのは、慣れることそのものではなく、慣れても鈍らせたくない感覚の方でしょう。
ここで新しい視点を置くなら、違和感は消すものではなく、育て方を考えるものだと思うのです。胸の中のモヤモヤを、そのまま溜め息に変えるだけだと確実に苦しくなります。でも、「自分はどこに引っかかったのか?」「何が気になったのか?」「今日すぐ変えられる小さなことは何か?」と分けて考えると、違和感は少しずつ形を持ちます。私はこれを気づいた時にメモして残すことが大事だと思います。もちろん、その気づきの山は整理して振り返れるようにする。もちろん、誰もが忘れたうっかりレベルじゃなくて、出来ない、やらないと理由付けして逃避するポイントです。
呑み込むことと、迎合することも少し違います。現場で働く以上、その場で全部を変えられるわけではありません。先輩のやり方、施設の流れ、人手の都合、利用者さん全体の状況。そこへ新人が初日から大改革、というのは、流石に朝礼で言うには勇気がいります。けれど、心の中まで全部合わせなくて良いのです。「今は学ぶ」「今は観察する」「でも、この違和感はけっして忘れない」と決めるだけでも、姿勢は随分と変わります。黙って無条件に従うのと、覚えて置くのは、同じ静かさであっても中身が違います。
落胆、受容、溜め息。その後にも違和感が残るのは、介護を雑にしたくない気持ちが自分の中にあるからです。この章で持ち帰って欲しいのは、そこです。新人時代の迷いは、未熟さの証明ではありません。むしろ、その迷いがある人の方が、後で介護の形だけでなく、中身まで見ようとします。現場に合わせながらも、自分の軸まで置いてこない。その静かな粘りが、いつか仕事の味わいになります。
第4章…呑み込むだけでは終わらない~小さな修正が未来の介護を育てる~
新人介護士さんが現場のギャップに出会ったあと、進み方は大きく分けて2つあります。1つは、「そういうものだ」と全部を呑み込んで、気持ちまで現場の速さに合わせていく道。もう1つは、今すぐ大きく変えられなくても、「ここはもう少し丁寧に出来るのでは?」と心の中に残しながら働く道です。私が大切だと思うのは、後者の方です。反発だけで仕事は続きませんが、迎合だけでも介護の中身は育ちません。必要なのは、現場に立ちながら、少しずつ形を整える試行錯誤です。
ここで言う「修正」は、立派な改革ではありません。新人さんが初日から施設の方針を変える、という話でもないのです。朝の更衣で、あとひと言だけ声を掛ける。食事介助の前に、相手の表情を見る一呼吸を忘れない。移乗の前に、車椅子の位置を自分の目で確認する。排泄ケアの後に、急いでいても衣類の乱れを整える。そういう、ごく小さなことです。けれど介護は不思議なもので、小さな修正ほど、後でジワジワと効いてきます。料理で言えば、火力を全部変えるより、塩を1つまみ整えた方が、味が落ち着くことがあります。介護現場も少し似ています。
新人さんにとって心強いのは、違和感を持った時点で、もう改善の芽を持っているということです。「この声掛けは少し急ぎ過ぎるかもしれない」「この順番だと利用者さんが落ち着かないかもしれない」と気づけるなら、その感覚は将来の財産です。カンファレンス(職員同士で情報や方針を共有する話し合い)や申し送り(必要事項を次の勤務者へ伝えること)の場で、いきなり大きな提案をしなくても構いません。まずは自分の介助の中で、守れるところを守る。それだけでも十分に意味があります。
しかも小さな修正は、自分だけのためではありません。新人さんが丁寧に確認する姿を見て、先輩が「そこ、確かに大事だね」と思うことも稀にあります。食事前のひと声、移乗前のひと呼吸、排泄後の整え直し。こうした場面は目立ちませんが、現場の空気を少しずつ変えます。改善というと書類の束や会議室を思い浮かべがちですが、実際にはフロアの片隅で生まれることも多いのです。言ってみれば、介護の現場には静かな底上げがあります。今日の小さな工夫が、来月には「あれが普通だよね」になっている。こういう変化は、派手ではない分、長持ちします。
もちろん、現実はそんなに甘くありません。自分なりに丁寧にやろうとしても、時間に追われる日もあります。周囲の流れに押されて、「今日は理想より速度優先だったなあ」と反省する日もあります。ありますとも。むしろ、ないと言い切ったり、自信満々過ぎる方が怪しいくらいです。それでも、毎日百点を取れなくても良いのです。介護はテストではなく、1つ1つの暮らしの支援です。昨日より少し落ち着いて声を掛けられた、今日は1つ確認を増やせた、その積み重ねで十分に将来に向かって前へ進んでいきます。
もう1つ大事なのは、「変えたい」と思う気持ちを、怒りだけで持たないことです。怒りは出発点にはなりますが、長く抱えるには重過ぎます。現場の問題を見て腹が立つ日もありますし、「いやいや、そこはもう少し何とかならないですか!」と心の中で天を仰ぐ日もあるでしょう。けれど、その感情をそのままぶつけるより、「では自分は何を崩さずに働くか」と問い直した方が、先へ進みやすくなります。ここで効いてくるのが、現場を見ながら自分の軸を保つ力です。これは、資格証には書かれていないけれど、介護職にとってかなり大切な技術です。
新人さんが現場で出来る修正は、小さいからこそ価値があります。いきなり全部を変えようとしない。けれど、気づいたことをなかったことにもしない。この姿勢は、派手さはなくても着実堅実です。呑み込むだけで終わらず、反発だけにもならず、目の前の介助で少しずつ形にしていく。そんな人がいる現場は、時間はかかっても、少しずつ柔らかくなります。
この章で置いておきたい結論は、ここです。新人時代の違和感は、タンスの奥深くに仕舞い込むためにあるのではなく、未来の介護を育てる種になるということ。今すぐ大きく変えられなくても、今日の介助を少し丁寧にすることはできます。そこから始まる修正は、思っている以上に遠くまで届きます。現場に慣れながら、気づく心まで慣らしてしまわない。その静かな踏ん張りが、後で誰かの安心に繋がっていきます。どれくらい?と尋ねられたら、私的には3~5年と返答します。仮に会社や上司や現場に反映することが少なくとも、3~5年持ち続けた、それこそ正しい視点は社会が確実に評価する基準になることがあります。そう初心忘れるべからず…真実化するのに遅くて5年…。いろんなことがあると思いますが、コツコツと将来に向かいましょう。
[広告]まとめ…最初の迷いは向いていない証拠ではなく大切にしたい気持ちの始まり
新人介護士さんが赴任先で迷うのは、準備不足だったからでも、向いていないからでもありません。学校で学んだ介護を大切にしてきたからこそ、現場で見えたギャップに心が反応するのです。就職初日に感じる戸惑いは、出来れば歓迎したくない感情ですが、見方を変えるとそれは原点回帰の合図でもあります。自分はどんな介護をしたかったのか、どこに違和感を覚えたのか。その輪郭が、一番ハッキリと見える時期だからです。
現場には、個別支援(その人に合わせた関わり)だけでは回らない様々に理由付けされた解けないパズルのような複雑な事情があります。時間、人手、全体の流れ、先輩の動き、言い難い空気。どれも本当にあるものです。けれど、その現実を知ったからといって、理想まで手放さなくて良いのです。急がば回れということわざのように、ほんのひと呼吸の確認や、あとひと言の声掛けが、結果として介護の中身を守ることがあります。現場に合わせることと、心まで諦めることは、同じようで少し違います。
大きなことをすぐに変えられなくても、今日の介助を少し丁寧にすることは出来ます。食事の前に表情を見る。移乗の前に位置を確かめる。排泄の後に衣類を整える。忙しい日ほど、こうした小さな修正は地味に見えます。けれど介護の質は、派手な言葉より、こういう細かな積み重ねで育っていきます。新人さんの違和感は、文句の種ではなく、未来の介護を整える種かもしれません。
もちろん、毎日がスッキリ働けるわけではありません。帰り道に「さっきの場面、もう少しどうにかならなかったかな」と、一人反省会が始まる日もあります。しかも反省会の相手はだいたい自分なので、なかなか終わらなくてループしてしまい、手強いものです。それでも、その思いが次の一手に繋がるなら、迷った時間はけっして無駄ではありません。現場に慣れることは必要です。でも、気づく心まで慣れさせてしまわないことも、同じくらい大切です。
最初の迷いは、介護の世界に入った人だけが持てる大事な感覚です。そこには、利用者さんを雑に扱いたくない気持ち、習ったことを生かしたい思い、もっと良い関わりをしたい願いがちゃんと入っています。もし今、赴任先で戸惑っているなら、その気持ちは消さなくて大丈夫です。紆余曲折しながらでも、違和感を抱えたまま丁寧に働こうとする人が、将来で現場を少しずつ変えていきます。最初の溜め息は、終わりの証拠ではなくて介護を自分の手で育てていく始まりなのだと思います。
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