虻蜂取らずの我が家流~自然と共に生き抜くファミリー作戦~

目次
はじめに…風をまとう家族に自然に敵にならず
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休日の午後。パパのTシャツには5歳の娘の手形が、ママの帽子には謎の茶色い点々が…。
玄関前の小さなひまわり畑は見事に咲き誇り、空には一匹、ぶぅぅん…と低音の旋律。
「…来た。」
ママがそっとつぶやくと、8歳の息子がピタリと動きを止めた。
「ねぇママ、今の音、虻?それとも蜂?」
「どっちも来てる。あと3秒でパパが逃げ出す。」
予言通り、パパは汗をぬぐった瞬間、ズボンの裾を気にしはじめ、そわそわキョロキョロ。
そして例の一言を放つ。
「おかしいな…今日オレ、虫除けしてるはずなんだけどな…?」
そのとき娘が大声で叫んだ。
「パパ、背中に虫ー!!なんかちょっとデカいのー!!」
その声に反応したのはパパだけじゃなかった。
虫本人も、「はい、呼ばれましたー」的に張り切って大移動を開始。
まるで子どもたちの叫び声を合図にしたように、虻と蜂の合同軍が本格的に飛び回りはじめた。
その場にしゃがみ込み、両手で風を仰ぐママはこうつぶやいた。
「もしかして私たち…自然に嫌われてない?」
この日から始まった、“風をまとう”我が家の試行錯誤。
誰も叩かない。
誰も殺さない。
でも誰も刺されたくない。
そうしてたどり着いたのは、昔の人がひっそりと語り残した、あのことわざだった。
──『虻蜂取らず』
あれ?
ただの“欲張り注意”の話じゃなかったの?
そう思ったあなたにこそ、読んでほしい。
知恵と工夫と麦わら帽子と、ちょっとした風の話を🩷。
第1章…“虻蜂取らず”ってそんなに欲張った話じゃないらしいよ?
「ママー、“虻蜂取らず”って知ってる?社会で出たー」
5歳の娘がなぜかドヤ顔で言ってのけたその瞬間、8歳の息子が口に牛乳を含んだまま吹き出した。
「おまえまだ社会ないでしょ!それ“しょかい”じゃなくて“しゃかい”ね、っていうかそれ知ってるの!?」
パパはというと、スマホを片手に「昔の人ってやっぱ、二兎追う者は~とか言うよね…」と首をかしげる。するとママがポツリとつぶやいた。
「でもさ、“虻”も“蜂”も、そもそも取る必要あったのかな?」
この問いが、夕飯前の食卓にざわめきを呼んだ。
「え、虻って取るの?」「蜂って刺すやつだよね?」「取るってどういう意味で?」
ママは箸を止め、真剣な目で言う。
「“取る”って、“捕まえて使う”って意味もあるよ。昔の人がそういうこと言ったのは、もしかして…?」
ここで息子がすかさずタブレット検索……したそうになったところで、ママが止めた。
「そういうのは体験で学ぶの!とりあえず明日、あの花壇で観察するわよ!」
明くる日、観察隊ごっこが始まった。
風に揺れるひまわりの周りに、小さな影がちらちらと飛ぶ。そう、それが“虻”だった。
思ったよりも地味。でも、花にせっせと顔を突っ込んでる。
そして少し離れた場所では、やや高めの音で“ぶぅぅぅん”と飛ぶ蜂が、華やかな花に舞い降りていた。
なんかこう、仕事人って感じ。
そこでママはつぶやいた。
「…これ、両方捕まえたら花が実らないんじゃない?」
「え?虻も蜂も、受粉するの?」とパパ。
「らしいよ。いちご農家のおじさんが言ってたもん」
「いやそれ、誰情報?しかも農家の知り合いいたの!?」
とまあ家族はざわついたが、確かに花は咲いているのに実が少ない場所もある。
もしかしたら昔の人は、虻も蜂もむやみに“取るな”と伝えたのではないか🩷。
欲張って取ったからじゃなくて、取ってしまったら自然のサイクルが止まってしまうから。
「じゃあ、“虻蜂取らず”って、欲張り失敗談じゃなくて…?」
ママがそう言うと、娘が一言。
「とらないでえらいってこと?」
うん、なんかそれ、ちょっとイイかも。
そうして我が家のことわざ観は、ひっそりと書き換えられたのだった。
第2章…草花が語る虫と実りの密約
朝の散歩道。8歳の息子が唐突にしゃがみ込んだ。
「ママ、これ何の花?…あっ、ほら、また飛んでる!虻?蜂?え?どっちでもない?どっちでもある?」
その横で、5歳の娘がまったく違うテンションで歌っている。
「はちさんはね〜♪ おみつをね〜♪ とりにきたのよ〜♪ だけどさされたら いたいのよ〜♪」
それを聞いたパパが、「お前の歌、結構リアルやな…」と微妙な顔で反応したそのとき。ママは手にしていた麦茶の紙コップを指さした。
「ちょっと見て。あのコップの中に蜂が入りそうで入らないの。風、感じてるんだね…」
息子が即答した。
「オレのネックファンで風向き変えたから!」
「…天才かもしれん」とママは小声でつぶやいた。
ママの頭の中ではいろんな記憶がつながっていく。
昔、いちご農家のおじさんが教えてくれた言葉。
「虻も蜂も、ちゃんと仕事してるんだよ。あいつらいなくなると実がならん」
そのときはピンとこなかったけれど、いま目の前で花と虫が何かを交わしているのを見ると、なんだか胸にしみるものがあった。
花はただ咲いているだけじゃダメで、ちゃんと受粉しないと実にならない。
しかもその“受粉”を助けてるのが、よりによって子どもたちがギャーギャー言って逃げ回る虻や蜂。
まるで魔法使いの弟子みたいに、ちょっと不器用だけど大事な仕事をしている存在。
「ってことはさ、あのことわざ、やっぱり“欲張ったらダメ”じゃなくて、“手を出しすぎるな”って意味なんじゃない?」
ママがそう言うと、パパが腕を組んでうなった。
「取らなかった人が、次の実りを手に入れるってことか…。これ、投資の話?」
「ちがう」と3人から即ツッコミが入る。
でもきっと、昔の人たちは知っていた。
虻や蜂をむやみに捕まえたり追い払ったりすれば、来年の実りがなくなるということを🩷。
ことわざというより、農業と自然の知恵のかたまりだったのだ。
そう考えると、あの“取らず”という言葉には、ものすごくやさしい意味が込められていたのかもしれない。
誰かを支える存在を奪わずに、共に生きる。
草花が語っていたのは、虫たちとの静かな約束だった。
第3章…風をまとう者は自然に避けられる説~ネックファン無双!
その日も、空はごきげんな青。セミの合唱が背景BGMのように鳴り響き、8歳の息子が玄関で大声をあげた。
「なあパパー!なんでまたパパだけ刺されてるん!?」
パパはというと、右腕をさすりながら憤慨していた。
「おかしいやろ!?同じとこにいたのに、なんでオレだけ!?」
「多分ね…動きがうるさいんじゃない?」とママ。
「それか、柔軟剤がパパだけメロンソーダっぽい匂いするんだよね」と娘。
「汗もな…」と息子が追い打ちをかける。
「おい、パパ心折れるぞ…」とパパ。
そんなとき、救世主のように首から何かをぶら下げたママが登場。
「ふふん♪見て。わたし、今日は“風の術”を使うから!」
首元で静かに回るネックファン。風の女神降臨である。
「ちょっ、それズルくない?」「オレもやりたいー!」と子どもたちは叫び、パパは「それって本当に効果あるの?」と眉をひそめる。
ママは花壇の前にすっと立ち、堂々と風をまとってひと言。
「これね、実は…虫が風を嫌うって知ってる?特に蜂は、風に逆らって飛ぶのが苦手なんだって」
「それオレのタブレット情報パクったやろ」と息子がつぶやいたが、ママは聞こえないフリ。
「しかもね、首元に風があると匂いも拡散しづらいの。香水とか、柔軟剤とか、そういう“虫にモテる香り”が届かなくなる。結果、誰も来ない。近寄らない。もうこれは、家族内での防虫システム完成よ!」
実際、ママの周りには、蜂も虻も一切近づかない。
風下へと流れていく彼らは、まるでママを避けて生きているかのよう。
「これ…もう“風のバリア”って呼んでいい?」と娘。
「いや、むしろ“風柱”やろ」と息子。
その後、パパが同じようにネックファンを装備してみたところ、なんと夕方まで刺されゼロ。
「…おれ、虫に嫌われるって、こんなに幸せなことだったんだな…」
涙ぐむパパを見て、娘が言った。
「パパ、これからは風まとう人って呼んであげるね!」
そうして、我が家はついに学んだのだった。
叩かず、逃げず、暴れず、ただ静かに風をまとう。それだけで、自然と仲良くなれる術があるということを。
ネックファン無双――その風は、家族の平和も守っていたのである。
万が一、逃げる時は風上に向かってね🩷。
第4章…黒き者は狙われる~麦わら帽子が時代を越えて生き残る理由
ある暑い午後、パパが届いたばかりの真っ黒なキャップをかぶって登場した。
「どう?ちょっと引き締まって見えない?パパもまだまだ現役よ〜」と得意気だったその姿に、5歳の娘が一言。
「それ、虫さん来そうな色だねぇ」
その横で8歳の息子が真顔でうなずいた。
「パパ、それ…狙われるフラグ立ってるよ」
「え?黒ってオシャレやん?それがなんで…?」
そう言っていたパパが、庭に出て3分後。すでに虻の飛行音が周囲にこだましていた。
「ちょっ…待って待って!なんで!?今日虫よけしてるってばー!」
ママが風のバリアをまといながら静かに言った。
「蜂も虻も、黒いものを攻撃対象にするんだって。クマに似てるからだって説もあるよ」
「いやオレ、クマじゃないし!」
「でも汗かいてフラフラしてたら、充分それっぽいよ」と息子。
ママは麦わら帽子をかぶりながら続ける。
「昔から農家の人やおばあちゃんたちが被ってた“麦わら帽子”、実は虫除けにも理にかなってたの。明るい色で熱もこもらず、風も通って、自然素材だから変な匂いもしない」
「すげえ…今さらだけど、麦わら帽子って最強かよ…」と息子がつぶやく。
「というか、パパは今、全身モノトーンで汗だくで香水つきって、もはや虫界では“絶対に刺したいランキング”上位よ」
「そんな不名誉なランキングある!?」
娘がクスクス笑いながら言った。
「パパのこと、蜂のなかまって思われちゃったのかもねぇ」
「いや、どんな同族認定よそれ!」とツッコミながらも、パパはしぶしぶ麦わら帽子を手に取った。
「…たまにはこういうのも、アリか」
そうつぶやいたパパの頭には、いつのまにか風と笑いが集まっていた。
結局、パパも麦わら帽子とネックファンのコンボに落ち着き、そこには少しだけ、昔の知恵と現代の快適さが肩を並べている風景が広がっていた🩷。
「見た目より、中身と風通しだな…」
そうつぶやいたパパに、家族みんながうなずいた。
第5章…虻と蜂を追うなかれ~風下へ導く叡智という名のそよ風
「ちょっと、また来てる!」
「やばい、顔の近く飛んでるー!」
5歳の娘が大慌てでくるくる回り、8歳の息子はうちわを手に回転しながら全方位を警戒。
パパは風の使者(ネックファン)を首から提げながらも、つい手で払ってしまい「それ逆効果だってば!」とママに怒られていた。
「どうしても反射的に手が出ちゃうんだよぉ…」とパパ。
ママはため息をつきながら、ふと足元の小さな花に目を向けた。
その上を、虻が一匹、ふわりと舞っている。静かに、まるで誰にも気づかれないように。
「見てごらん、虻ってこうしてるとすごく静かで優しいんだよ」
「うそだー!だってさっきパパの耳元でブーンって…」と息子が反論しかけたそのとき。
ママはひらりとうちわを振った。
風はゆるやかに、虻のいる方向へ。
「わっ、飛んでった…」
「風に逆らえないんだよ。あの子たち。だから無理に叩いたり叫んだりしなくても、ちゃんと風で導いてあげればいいの」
「おお…まさかうちわが交渉ツールだったとは…」とパパが感心していると、娘が得意げに自分のうちわを振り回し始める。
「じゃあこれって、むしのおさんぽリモコンってことー?」
「いや、使い方に気をつけてね」とママ。
実際、そっと風を送るだけで、虻も蜂もするすると風下に移動していく。
人間だけが大騒ぎしていたけれど、もしかしたら虫たちはただ、ちょっと道に迷っていただけなのかもしれない。
「なんだか、強く出ると強く返されるって、虫も人も一緒なのかな」
ママのつぶやきに、8歳の息子がうなずく。
「先生もそんなこと言ってた。“やさしく伝える方が聞いてもらえる”って」
「えっ、それ虫にも当てはまるの!?先生すごいな…」とパパ。
その日の午後、家族みんなで風を使って“そよそよ虫避けごっこ”を楽しんだ。
風の通り道に誘われて、草花は揺れ、虫たちは静かに場所を変え、そして人間たちは、誰も刺されなかった。
叩かず、怒らず、ただ一枚のうちわと、首元のファンがあればいい。
虫たちがそっと風下へ行くたび、子どもたちは拍手していた。
それはきっと、自然に対して拍手していたんだろう。
「こっちから争わなければ、向こうも争わないんだよ🩷」
そう語るママの言葉が、今日も風に乗って、ふわりと庭の奥へと消えていった。
第6章…一寸の虫にもご機嫌のタイミングがある件について
お昼ごはんのあとのひととき、風が気持ちよく通るリビングで、5歳の娘がひとこと放った。
「ママ、さっきの蜂、たのしそうだったよ」
「…たのしそう?」とママが聞き返すと、娘は真顔でうなずいた。
「なんかね、飛びながら“ぶぅぅん♪”って歌ってたの」
その横で8歳の息子が笑いながら解説する。
「それ、ただの飛行音でしょ!てか、蜂って気分で音変わるの?」
ママは考え込んだあと、ふとつぶやいた。
「でも…たぶんあると思うよ。ご機嫌なときと、怒ってるときと。こっちが騒げば騒ぐほど、向こうもテンション上がって刺してくるみたいな」
「じゃあさ、今日のパパが刺されたのは…?」
「ええと…機嫌が悪いときに近づいたから…?」
「ちょっと待て、それオレ悪くないよね?ね!?」
パパの叫びは風に消えたが、そのあとの虫たちは、なぜか穏やかだった。
「もしかして、昼下がりは虫たちも眠いんじゃない?」
「ほら、人間も3時くらいって一番眠くて機嫌悪いし」
「いやそれはパパ限定でしょ」と、全会一致。
ママは続ける。
「“一寸の虫にも五分の魂”って、ただ“虫にも意地がある”ってことじゃなくて、もしかして“タイミングによっては心穏やかで協調できる”って意味もあるのかもね」
「それって、怒ってるときの息子に近づくのと同じってこと?」
「そうそう。“宿題やった?”って聞くタイミング次第で雷落ちるでしょ」
「いやそれはオレの魂のせいじゃなくてママの圧だから!」
そんなやりとりをしながら、家族は今日も静かに、でも賑やかに過ごしていく。
虫たちと共に過ごすには、相手の“気分”や“時間帯”にちょっとだけ気を配ればいい。
強く当たらず、タイミングを見て、風を送って。
「まるで人生そのものだね」なんて、ちょっとかっこつけたパパのセリフが、なぜかこの日は家族にウケていた。
一寸の虫にも、その日の風がある🩷。
今日のその風は、どうか穏やかでありますように。
そう願いながら、ママはそっと、もう一度ネックファンのスイッチを入れた。
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まとめ…“虻蜂取らず”は家族を守る呪文だったのかもしれない
その日、風はいつもよりやさしく吹いていた。
庭のひまわりは首をかしげ、カラスノエンドウは細い葉先をゆらしながら、まるで誰かと会話しているようだった。
その足元で、5歳の娘は拾ったクローバーを大事そうにポケットにしまい、8歳の息子はネックファンの風量を「弱」に設定していた。
「このくらいが、自然と仲良くできる風速だと思うんだよね」
そう言ったその横で、パパがまたこっそり柔軟剤の香りを気にしている。
「大丈夫、今日は香り控えめだから」とママが微笑むと、虻が一匹、くるりと空を描いて風下に舞っていった。
誰も追わない。誰も騒がない。
けれどちゃんと、虫たちは離れていく。
あれほど大騒ぎしていた虫との攻防戦も、今では“風”という名のやさしい作法に変わった。
麦わら帽子の陰でほほ笑むママの姿は、どこか昔話に出てくる賢者のよう。
パパもとうとう「黒のシャツ封印宣言」をし、子どもたちも自然相手に“ご機嫌のタイミング”を考えるようになった。
そうして思い出したのが、あの不思議なことわざ。
“虻蜂取らず”
最初は「欲張りすぎて失敗するってことでしょ~?」なんて軽く笑っていたけれど、今は少し違う。
彼らは取るものじゃなかった。近づきすぎず、奪わず、騒がず、ただそこにいてくれることの意味。
そしてそれを「取らず」と表現した昔の人の感性は、きっと今でも通じる、風のように静かで強いやさしさだったのかもしれない。
結局、“取らず”の意識で守ったのは、草花も実りもそうだけど、風のように変わりやすい、わたしたちの毎日だった🩷。
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