やさしごはんの日にやさしくない話をひとつ~レトルトの向こうに見えた“味気ない現実”~

目次
はじめに…8月3日と4日は「やさしごはんの日」
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8月3日と4日、それは世間的にはただの平日だったり、夏休み真っ只中だったりする。
だけど、ある人たちにとっては、この2日間がちょっと特別な意味を持つ。
そう、「やさしごはんの日」――名前だけ聞けば、まるでアニメに出てくる小動物がもりもりごはんを食べてそうな、ほんわか響き。
でもこのやさしごはん、実は“特定の食材をあえて使わない”という、なかなかに真剣なミッションを背負ったシリーズなのだ。
これならアレルギーのある人でも、みんなで同じメニューを囲めるという、いわば“共食の救世主”。
それって、すごくすばらしいじゃない?
たしかにそう。
家庭の食卓で、大人も子どもも「これなら食べられるね」って笑えるのって、もう涙が出るほどありがたい。
でもね、そんな“やさしさ”が、ある場所ではちょっと違う風に使われてたりするの。
たとえば、とある施設の食堂で。
そこに暮らす80歳のおばあちゃん、在宅生活を長く頑張ってたけど、いろんな事情でとうとう施設にお引っ越し。
娘や孫や曾孫と暮らしてたおばあちゃんが、新しい場所で初めて出会ったのは……そう、レトルトのやさしごはんだったわけです。
お皿にも移されず、パウチのまんま、あったかいけどなんかさみしい。
しかも、毎日それ。
おばあちゃん、心の中で思ったの。
「あのね、やさしいって、そういうことだったっけ……?🩷」
さてさて、今回はそんな“やさしごはん”の本当の姿を、ちょっと笑いながら、でもしっかりまじめにのぞいてみようと思います。
おばあちゃんのモノローグに、ぜひ耳を傾けてみてくださいませ。
第1章…おばあちゃんは“家族の味”で育ってきたんだよ
おばあちゃんは、煮しめと麦ごはんとぬか漬けで育った。
そういう人なんです。
白米より、あのちょっと茶色くて香ばしい麦の混ざったごはんが落ち着くっていう、いまどき少数派かもしれないけれど、本人にとってはとても大事な“自分らしい味”だったのよね。
在宅生活では、介護士の娘が食事の支度をし、孫夫婦がスマホでレシピを調べては「ばあば、今日はオシャレにカフェ風プレート!」なんて張り切ってくれてた。
曾孫はといえば、「今日のスープ、変な味~」と正直で、でもなぜか最後には完食してた。
ああ、あれが日常。
うるさくて、てんやわんやで、でもあったかい、うちの食卓。
そんな家族の中で、「私、もう迷惑かけたくないのよ」とおばあちゃんは言った。
娘の忙しさも、孫の苦労もちゃんと見えてた。
だからこそ、「特別養護老人ホームっていうところに、私行ってみようと思うの」と、笑って話したその姿に、誰もが返す言葉を失った。
そして入居の日。
施設の職員さんは、まるで旅館のチェックインのように丁寧に対応してくれて、「食事の好みもしっかり伺いますよ」「選択メニューもございますから」と、にこやかに言ってくれた。
おばあちゃん、ちょっと胸が高鳴った。
「もしかして、ここでも私らしい暮らしができるのかしら」ってね。
ところがどっこい、現実はそんなに甘くなかった。
はじめのうちはよかったの。
お皿に盛られたおかず、まあまあだったし、お味噌汁もあったかかった。
けど、ある日を境に何かが変わった。
ごはんと一緒に届いたのは、見慣れない容器。
パウチに入った何かが、湯気を出しながら無言で置かれた。
「やさしごはんですよ」って、笑顔で渡されたそれは――まさに、“やさしいけど、心には響かないごはん🩷”だった。
第2章…栄養士さん…これって配慮?それともただの手抜き?
レトルト容器の中身って、なんであんなに見た目が無表情なのかしらね。
おばあちゃんは思った。
色は妙に均一、湯気は立ってるけど、どこかで見たような茶色。
おかずっていうより、パズルのピースが詰まった何か。
しかも、一皿に全部が寄り添いすぎて、まるで“味の相部屋”。
しかも、初めは「たまたまかな?」と思った。
けれど、次の日も、その次の日も……来る日も来る日もレトルト。
そしてある日気づいた。
あっ、このテーブルには、もう“手作りのにおい”は来ないんだって。
「栄養士さん、これは一体……?」と心の中で聞いてみた。
でも返事はいつもこうよ。
「アレルギーにも対応していて、やさしいごはんなんですよ~」。
うん、うん、知ってる。
そういうパンフレット、私も読んだ。
でもね、でも……それって、“食べること”ってこういうことでしたっけ?
かつての家では、娘が作った味噌汁の塩加減に「今日、ちょっとしょっぱいわね」とか言ったりしてた。
でもそれは、“言える関係”だったからこそ。
でもここでは、パウチが笑ってるだけで、誰も味の文句なんか聞いちゃくれない。
ましてや「ちょっと味が濃い」なんて言おうものなら、「味覚の変化でしょうね~」で片付けられる。
変化って、都合のいい言葉よね。
老化にも、流行にも、レトルトにも使える万能パスワード。
厨房の奥からは、包丁の音も、フライパンのじゅわ~っという音も、まったく聞こえない。
聞こえてくるのは、電子レンジのチーンと、レトルトの湯煎のちゃぷんだけ。
それで「やさしい食事です」と言われても……どこか、心が迷子になるのよ。
もちろん、誰も悪気があるわけじゃない。
むしろ、優しさでやってくれてるのかもしれない。
でも――でもね、この優しさ、なんだかとても“無難で、誰にも向いてない”の🩷。
第3章…“みんな同じ”が一番やさしいなんて誰が決めたの?
やさしい、やさしいって、そんなにみんな同じがいいのかしら。
おばあちゃんは心の中で、レトルトのおかずと目を合わせながらつぶやいた。
誰かが決めた「安心設計」。
それがこの四角い容器の中にきっちり詰まっていて、誰にも文句を言わせない雰囲気をまとっている。
まるで、優等生の通知表。
でもね、私が食べたいのは、たまにちょっと焦げちゃった焼き魚とか、煮物が少し甘すぎた日の味なのよ。
ああいう“家庭の不完全さ”が、なぜかホッとしたの。
娘はよく言ってたわ。
「今日は失敗作だから覚悟してね!」って。
そのたびに、私は笑いながら食べたの。
美味しいかどうかじゃないのよ。
“その人が作ってくれた”ということが、もうすでにごちそうなのよね。
だけど今は、完璧な栄養バランスと、厳密に管理された安全基準が、全部を決めてくる。
塩分、糖分、アレルゲン、やわらかさ……「ほら、これなら安心でしょ?」って顔で。
ええ、そうね、たしかに安心。
だけどそれって、安心なだけで――“楽しくはない”。
誰にも当たり障りなく、誰にも文句を言わせず、みんなで同じ物を同じ形で食べる。
そうすれば、トラブルも起きない。
うん、わかるのよ。
でもそれって、どこかで聞いたことあるわ。
そう、給食っていうのよ、そういうの。
私はね、もう一度あの自由な台所の音を聞きたいの。
だって私は、生きてるんだもの。
若い人の流行り言葉で言えば、これはきっと「無機質」ってやつね。
まるでロボットにごはん作ってもらってる気分。
まぁ、ロボットは文句言わないけど、こっちは文句の一つでも言わなきゃ、気が済まないお年頃なのよ!🩷
第4章…やさしごはんは家庭で食べたら最高だった説と施設で出すと涙が出る理由
やさしごはんって、本来は家庭で食べるものだったはずよね。
パッケージには「家族みんなで同じ食卓を」なんて書いてあって、テレビCMではほっぺたが落ちそうな子どもが「おいし〜!」って笑ってる。
あれ見て「ほう、今のレトルトは進化したもんだわ」って、私も思ったのよ。
だから最初に施設でそれが出てきたときも、「まあ時代ね」くらいに思ってたの。
でも違うのよ。
あれはね、“誰かと一緒に食べるから”意味があるのよ。
家族がそばにいて、「今日はばぁばも一緒に同じの食べられるね」って言ってくれるからこそ、そのやさしさが伝わるの。
ところが施設じゃ、どう?
横にいるのは、隣のおじいちゃん。
いつも無言で、時々寝てる。
しかもお互いの食事は、なぜか全員まったく同じレトルトメニュー。
もはや「みんなで食べる」っていうより「まとめて処理」って感じ。
おまけに、お皿に移すわけでもなく、パウチのままトレーにドン。
お味噌汁までレトルトってどういうこと?
せめて汁くらい鍋で温めなさいよ、って思うわけ。
娘がいた頃は、どんなに忙しくてもお味噌汁だけは鍋で作ってくれたのよ。
具が少ない日は「冷蔵庫と相談した結果です」って笑ってたわ。
それにね、家でのやさしごはんは、“ちょっと手抜きした日の味方”だったの🩷。
今日は忙しかったからこれにしよう、でも気持ちは込めてるよ、っていう日常の味方。
でも施設で出されると、それが“メインディッシュ”なのよ。
そこが大違い。
ほんとのやさしさって、たとえば「今日はおばあちゃんの好きな煮しめに近い味ですよ」って言ってくれることじゃないかしら。
たとえ冷凍だろうと、お皿に移して盛り付けてくれるだけでも違うの。
そこに“あなたのことを覚えてますよ”っていう気持ちがあるのよね。
だけど今の私は、ただのレトルトの置き場になってるのかしら。
しかも、きっちり温まってるかどうかさえ分からないまま。人間、80年も生きてきて、最終的にレンジとタイマーだけで扱われるなんて、笑っちゃうわよね……いや、笑えないけど。
第5章…皿にすら移されないレトルト――尊厳までパウチされてますけど?
ある日とうとう、おばあちゃんのテーブルから“お皿”という文化が消えた。
まるで神隠しよ、ほんとに。
気づけば目の前に並ぶのは、ぺらっぺらなプラトレーと、熱々だけど見た目は妙にしんとしたパウチの集合体。
それを見たとき、ばぁばは思ったの。
「あ、私の人生、パウチされて保存されちゃったのかしら」って。
もうね、お皿すらないのよ。
盛り付け? なにそれ、美味しいの?ってくらいの潔さ。
パウチのまま、湯煎されたまま、まるで「はい、お薬です」って出されるような感覚。
ここまでくると、もはやごはんじゃないのよ。
配給よ、配・給。
若い頃、おばあちゃんはお正月の料理に3日かけてたのよ。
黒豆をコトコト煮て、きんとんを裏ごしして、煮しめを飾り切りで美しく盛り付けてた。
そこには「見た目もごちそう」という美学があったの。
今、それがすべて真空パックでギュウギュウに詰め込まれてる。
あの頃の私は、パウチと聞いたら、おせちの昆布巻きくらいしか思い浮かばなかったわよ。
でも今じゃ、毎日の食事がパウチ。
しかも、「やさしいですよ」って言われながら出てくる。
いやいや、やさしいなら一言くらいかけてよ。
せめて「今日はちょっと和風寄りですよ」とか、「おばあちゃん、煮物好きでしたよね」とか。
なんでごはんが無言なのよ。
湯気すらしゃべらないなんて、寂しすぎるじゃないの。
そしてついに、ばぁばの心にひとこと浮かんだの。
これ、もはや“尊厳ごとパウチ”されてるじゃない……?
なんてこった。80年も生きてきて、最終的にごはんから「あなたらしさ」が全部消えちゃうなんて、そんなことってある?
笑うしかない。
いや、笑わないけど。
いや、でも泣くのも悔しいし……あーもう、箸で叩いたろか!って思ったわよ、ほんと🩷。
第6章…そろそろ“その人だけの味”を取り戻しませんか?
もう私には選ぶ権利がないのかしら――パウチのごはんを眺めながら、ふとそんなことを思った。
いやね、わかってるのよ。
ここは大勢の人が暮らす場所。
効率も安全も必要。
栄養バランスだって大事。
だけどね、私がほしいのは、それらの全部を満たした“完璧な食事”じゃないの。
ただ、ひとこと。
「今日はおばあちゃん、何が食べたいですか?」って聞いてほしいだけなの。
お味噌汁の具がワカメだったら、ちょっと「豆腐のほうが好き」と言ってみたい。
煮魚が出たら、「今日はちょっと煮すぎかしら?」って笑いたい。
そんな、食べ物にちょっぴり文句を言える自由が、私からすっかり抜け落ちていた。
施設に来る前、曾孫がね、「ばぁば、またあの卵焼き作ってね」って言ってくれたのよ。
あれは特別なレシピじゃない。
ただの甘じょっぱい卵焼き。
でも、きっとその味には、私なりの手の加減があった。
記憶のどこかに、ちゃんと私が残る味。
あれこそが、「自分だけの味」だったのよね。
だから私は言いたいの。
全部がやさしごはんじゃなくてもいい。
でも、**“その人だけのごはん”がたまにはあってもいいんじゃないの?”**って。
月に1回でもいい。
いや、3ヶ月に1回でも、何かのイベントでもいいから、「今日はおばあちゃんスペシャルです」って言ってもらえたら、私はまた箸を持つ手に力が入る気がするのよ。
生きるって、選べるってことじゃないかしら。
選ぶことをすべて失ったら、それはただの管理よ。
私はね、**ごはんから自由を取り戻したいの。
**それって、大げさなようで、すごく大切なことだと思うのよ🩷。
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まとめ…やさしごはんの日にほんとの「やさしさ」を見つめ直すために
やさしごはん。
たしかに、それはとても思いやりのある言葉。
食べられないものがある人でも、みんなと同じものを楽しめるように…その願いが詰まってる。
だけどね、願いは、どう扱うかで“救い”にも“無関心”にも変わってしまうの。
ばぁばの目の前に並べられた、味気のないパウチの列。
それは誰のために、何のために、用意されたものだったんだろう。
“やさしい”と言われて出てくる食事が、なぜこんなにも、心を冷えさせるのだろう。
たしかに、みんなが同じものを食べるって、楽だし、安心かもしれない。
でも、ばぁばは知ってるの。人間って、“違っていい”ことこそが、生きる喜びなのよ。
誰かに合わせることばかりを求められる食卓なんて、まるで静かな独房みたい。
ちょっとワガママでもいい。ちょっと面倒でもいい。
「今日はおばあちゃんの好きな味にしてみましたよ」っていう一言が、どれだけ人を元気にするか、私たちは忘れちゃいけない。
施設という場所は、決して“終わりの部屋”じゃない。
そこに住む人たちの暮らしは、まだまだ続いている。
その日々の真ん中にある“ごはん”が、笑える日もあって、涙が出るほど懐かしい日もあって……そんな“人生の続き”がそこにちゃんとあること、それを大切にしていきたいのよね。
やさしごはんの日に、あえて問いかけてみたい。
やさしさって、誰のためにあるの?
そして、あなたが“最後に食べたいごはん”は、どんな味ですか?🩷
ばぁばは今日も、ひと匙のごはんに、静かにその答えを探しているのかもしれないね。
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