忘れるのは悪いことじゃない~認知症を怖がる前に知る記憶と暮らしの優しい組み立て方~
目次
はじめに…忘れもの1つで心まで置いてこないために
冷蔵庫の前まで来て、「あれ、何を取りに来たんだっけ」と立ち止まる。スマートフォンを手に持ちながら「スマホどこ?」と探す。そんな日常茶飯のひとコマに、自分で自分へ小さくツッコミを入れたくなることがあります。けれど、笑って済む忘れものと、胸の奥がヒヤっとする忘れものは、どうしても同じ顔ではありません。
若いほど、忘れることは怖く感じやすいものです。これから覚えたいことが多く、会いたい人も、進みたい道も、まだまだ前に広がっているからでしょう。仕事でも勉強でも、「覚えていること」がそのまま自信に繋がる場面は少なくありません。記憶が揺らぐと、未来までグラリと揺れた気がして、内心穏やかではいられないものです。
その一方で、人は忘れるからこそ、昨日の嫌なひと言を薄めながら、また朝を迎えられます。失敗を全部をクッキリ抱えたままだったら、心は満身創痍です。忘れることには困る面もあれば、助けられる面もある。そこが人の記憶の面白いところで、なかなか白黒キッパリとは分けられません。忘れることは、ダメなことばかりではなく、暮らしを続けるための余白でもあります。
気になるのは、忘れないように気合いで踏ん張ることより、忘れても暮らしがちゃんと回る形をどう作るかです。人の脳は、機械の引き出しではありません。疲れる日もあれば、気が散る日もあり、どうにも頭に入ってこない日もあります。そんな日に「しっかりして」と言われても、しっかりしたいのは本人のほうです、と言いたくなる場面もあるでしょう。
だからこそ、記憶だけに全部を背負わせない工夫は、年齢を問わず優しい知恵になります。認知症をただ恐れるより、忘れることとどう付き合うかを知っておく方が、日々は少し明るくなります。肩の力を少し抜いて、記憶と暮らしの距離感を緩やかに見つめていくと、見える景色も変わってきます。
[広告]第1章…若いほど記憶が揺らぐのは怖い~未来が広いほど人は不安になる~
若い頃の物忘れは、年齢以上に胸へ刺さることがあります。約束の時間をうっかり勘違いした、習ったはずの公式がスポポポンと抜けた、送ろうと思っていた返事を忘れていた。そんな出来事は、後から見れば日常茶飯でも、その瞬間は晴天の霹靂です。「え、私こんなことする?」と、自分にびっくりしてしまいます。
若い人ほど、忘れることを大事件に感じやすいのには理由があります。まだ先へ進むために、覚えたいことが山ほどあるからです。勉強も仕事も人付き合いも、未来へ向かうほど記憶は出番が多くなります。覚えることは前進の道具で、忘れることは後退の合図のように見えやすい。心がざわつくのも無理はありません。
しかも若い時期は、体が動く分だけ何とか取り返せる場面もあります。昨夜あまり眠れなくても、気合いで学校や仕事へ向かえてしまう。メモを忘れても走って戻れる。多少の無理が利くから、表面上は乗り切れてしまうのです。けれど内側では、「覚えていられなかった」という小さな不安が、ジワリと残ります。元気があるから平気、とは限らないのが人のややこしいところです。
反対に、高齢になると忘れることの意味合いが少し変わります。もちろん不安が消えるわけではありません。ただ、人生経験を重ねるほど、「人は抜ける日もある」「昨日まで出来たことが今日は少し揺れることもある」と受け止める幅が生まれやすくなります。若い頃のように、1つの物忘れを即座に人生全体の危機へ結びつけにくくなるのかもしれません。百戦錬磨とまではいかなくても、心の中に“慌て過ぎない椅子”が1つ置かれる感じです。
ここには、少し切ない明るさがあります。若い人の記憶の不安は、まだ人生をたくさん抱えている証でもあるからです。これから覚えたいことが多い、失いたくない毎日がある、ちゃんと前へ進みたい。そんな気持ちがあるから、忘れもの1つで心が揺れるのです。若いほど忘れることが怖いのは、まだ未来をたくさん信じているからかもしれません。
机の前で「この単語、さっき見たのに」と固まる日もあれば、職場で「あの確認を飛ばしたかも?」と青ざめる日もあります。そんな時、人はつい自分を責めます。けれど、記憶が揺れたことそのものより、「揺れてはいけない」と思い込み過ぎる、思い込まされ過ぎる方が、心にはこたえます。脳だって、ずっと満席の電車みたいなものです。朝から晩まで次々乗り込まれたら、「済みません、本日は立ち見です」と言いたくもなるでしょう。
忘れることへの恐れは、怠けや甘えとは別のところにあります。むしろ真面目な人ほど、きちんと覚えていたい気持ちが強く、1つ抜けるだけで必要以上に落ち込みます。そこへ「若いんだから大丈夫」と雑に言われると、いやいやいや、こっちは大丈夫じゃないから焦っているんですけど?と心の中で小さな会議が始まります。あの会議、なかなか長引きます。
若い人が物忘れを怖がるのは、弱いからではありません。前へ進みたい力があるからこそ、記憶の揺れが気になるのです。その不安を恥ずかしがらず、「人はこういうことで揺れるものだ」と知っておくだけでも、気持ちは少し軽くなります。怖さを消し去るより、怖さの正体に名前をつける方が、次の一歩は踏み出しやすくなります。
第2章…忘れる力にも役がある~心機一転できる脳のありがたさ~
忘れることには、困る顔と助かる顔があります。この話をすると、「いやいや、忘れないほうが良いに決まってるでしょう」と言いたくなる気持ちもよく分かります。宿題を忘れる、約束を忘れる、買い物で肝心の醤油だけ忘れる。醤油不在の夕ご飯は、かなりしょんぼりします。けれど人の脳は、何でも永久保存できる倉庫ではありません。入ってくるものが多いほど、手放すものも出てきます。
考えてみると、人は忘れるから前へ進める場面があります。失敗した日の帰り道、胸の中で何度も再生されるひと言。腹が立った会話。やってしまったミス。あれらを一生新品のまま抱えていたら、心は息切れしてしまいます。時間が経つにつれて輪郭が少しずつ薄れるから、次の日にまた立ち上がれます。これは逃げでも手抜きでもなく、脳の大切な働きです。忘れることは、心が暮らしを続けるための静かな休憩でもあります。
学生の頃もそうです。覚えたはずの公式が抜ける日はありますし、社会人になれば昨日聞いた手順がフッと曖昧になる日もあります。そんな時、「自分はダメだ」と一喜一憂し過ぎると、今度は落ち込んだ気持ちが新しい記憶の席まで埋めてしまいます。頭の中で反省会が始まり、議長も書記も自分1人。しかも会議が長い。あれはなかなか骨が折れます。
忘れることの厄介さは、場面で姿を変えるところにもあります。昔の楽しかった思い出が残っていて、つらかった出来事が薄れているなら、それはその人を支えることがあります。反対に、少し前のことが抜け落ちると、不安や混乱が大きくなります。短期記憶(少し前のことを覚えておく力)が揺らぐと、「さっきまで何をしていたのだろう?」と足元がぼんやりします。忘れて助かることもあれば、忘れて困ることもある。記憶は善悪ではなく、暮らしとの相性で見た方が分かりやすいのかもしれません。
だから、忘れることをただ敵にしない視点は大切です。全部覚えていられる人間を目指すより、忘れた時に慌て過ぎない自分を育てる方が、毎日は少し軽くなります。喜怒哀楽の中で、脳はいつも試行錯誤しています。心を守るために薄める記憶もあれば、生きるために残しておきたい記憶もある。その働きを少し理解するだけで、「忘れた自分」への当たりは和らぎます。
記憶は、完璧であるほど立派というものでもありません。少し抜ける日があるから、人はメモを書く。声をかけ合う。確認する。暮らしの道具を工夫する。そうやって人は、自分の弱いところを責める代わりに、暮らしの方を整えてきました。忘れることには困った面がある。それでも、忘れられるから救われる夜もある。そう思えるだけで、記憶との付き合い方は少し優しくなれます。
[広告]第3章…忘れない努力よりも忘れても回る暮らし~仕組み作りは安心作り~
人は、忘れないように生きるより、忘れても困りにくいように暮らすほうが楽になります。ここに気づくと、肩の荷が少し下ります。気合いで全部覚える作戦は、元気な日には上手くいっても、忙しい日や疲れた日にはすぐぐらつきます。そんなたびに「私の記憶力が足りない」と反省会を開いていたら、脳より先に心がヘトヘトです。
暮らしは、記憶力だけで回してはいけないのです。朝の支度でも、仕事の手順でも、家の中の用事でも、忘れる前提で置き方や流れを決めておくと、景色が変わります。鍵を置く場所を決める。薬は見える位置に置く。やることは頭の中だけで抱えず、紙や予定表に逃がす。こういう工夫は地味ですが、堅実無比です。派手さはなくても、毎日をちゃんと支えてくれます。
しかも、このやり方は自分を甘やかすのではなく、自分を助ける知恵です。「忘れたらだめ」ではなく、「忘れても戻れる道を作っておこう」と考えるだけで、失敗の後味が変わります。うっかりをゼロにするのは難しくても、うっかりしても立て直せる形には出来ます。忘れない努力より、忘れても戻れる仕組みの方が、暮らしにはよく効きます。
仕事でも同じです。忙しい時ほど、人は順番を飛ばします。確認したつもりで抜けます。頭の中では分かっていたのに、手が追いつかないこともあります。そんな時に必要なのは、根性論より試行錯誤です。手順を短くする、目につくところへ置く、声に出して確認する、他の人が見ても分かる形にする。人の脳に完璧を求めるより、忘れにくい流れを作る方がずっと親切です。
家の中でも、これがあるだけで穏やかさが増します。買い物メモを書いたのに、そのメモを家に置いて出た。もう笑うしかありませんが、笑って終われるならまだ平和です。問題は、忘れたことで自分を責め過ぎることです。人は機械ではないのだから、多少の抜けや揺れはあります。ならば、抜けても転びにくい床を作っておく。そんな発想の方が、長い目で見ると暮らしに合っています。
忘れることを前提にした工夫は、年齢を重ねてから急に始めるものでもありません。若い人にも、大人にも、高齢者にも役立ちます。覚える力に頼る日があってもいい。けれど、それだけに任せきらない。そうすると、うっかりのたびに右往左往しなくて済みます。記憶に全部を背負わせない暮らしは、少し手間に見えて、じつは心を軽くする近道なのです。
第4章…医療と介護の現場ほど記憶に優しく~理不尽より納得が人を動かす~
医療や介護の現場ほど、「覚えていて当然」で回してしまう怖さがあります。命や安全に関わることが多く、確認の抜けが大きな不利益に繋がる場面もあります。その緊張感は大切ですし、軽く扱って良い話ではありません。けれど、現場で働く人がみんな無限の記憶力を持っているわけではありません。忙しい日もあれば、急な変更が重なる日もあり、頭の中が満車になる日もあります。認知負荷(頭の中に同時に乗っている情報の多さ)が高い状態では、真面目な人ほど悪戦苦闘しやすくなります。
ここで必要なのは、「忘れるな」と気合いを積み増しすることだけではありません。人は緊張し過ぎても、理不尽を飲み込み過ぎても、記憶が働きにくくなることがあります。納得できる説明もなく、細かなことまで怒鳴られる空気が続けば、脳の方が「もう入りません」と戸を閉めたくなるのも自然なことです。職場の空気は目に見えませんが、記憶にはかなり響きます。風通しの悪い部屋で深呼吸しにくいのと少し似ています。
もちろん、大事なことを注意する場面はあります。事故に繋がること、利用者さんや患者さんの不利益になること、見過ごせない抜けが起きた時に、きちんと止めるのは必要です。ただ、その伝え方が「相手を縮こまらせるだけ」になってしまうと、次の行動が良くなるとは限りません。委縮して頭が真っ白になれば、また別の抜けが生まれやすくなります。叱ることと、育てることは、似ているようで少し違います。自分を棚に上げて叱り続けると自分を追い込む枷にもなりかねません。
現場を支えるのは、記憶力だけではなく、流れの見やすさです。手順が分かる配置、確認しやすい記録、誰が見ても迷いにくい動線、声をかけやすい雰囲気。こうした工夫は、派手ではなくても効果があります。試行錯誤しながら、「人が忘れにくい形」を職場の側で作っていく方が、長い目で見ると事故も減りやすくなります。人を責めるより、忘れにくい仕組みを育てた方が、現場は静かに強くなっていきます。
介護でも医療でも、覚えることは年々増えていきます。制度、記録、手順、連携、機器、説明、気配り。頭の中は年中無休の大売り出しで、レジが足りませんと言いたくなる日もあるでしょう。そんな中で必要なのは、「根性で何とかする人」を褒める文化だけではなく、「抜けにくい形をみんなで作る人」を大切にする目線です。個人の努力に全部を背負わせない方が、働く人にも、支えられる人にも、優しい景色になります。
記憶に優しい現場は、単純に甘い現場というわけではありません。むしろ、必要なことをちゃんと残し、ちゃんと伝え、ちゃんと戻れるようにしている現場です。誰かの頭の中だけに大事なことを閉じ込めない。分からなくなった時に聞ける。迷った時に立ち返れる。そんな土台がある職場は、右往左往しながらも崩れにくいのです。人の脳を責め立てるより、人の脳が働きやすい場所を整える。その積み重ねが、利用者さんや患者さんの安心にも繋がっていきます。
[広告]まとめ…記憶に頼り切らない方が毎日はむしろ明るくなる
人は忘れる生きものです。それは少し心細くて、時々は面倒で、予定のないところで小さなため息を呼びます。けれど、忘れることがあるから、嫌な記憶が少しずつ遠のき、今日の失敗を抱えたままでも明日へ向かえます。記憶は完璧でなくても良くて、暮らしはその不完全さごと支え合いながら回っていきます。
認知症を思うと、どうしても「怖い」「困る」「支えなきゃ」という気持ちが先に立ちます。もちろん、その視点はとても大切です。ただ、そこで話を止めてしまうと、人が本来持っている知恵まで見えにくくなります。忘れることを責めるのではなく、忘れても戻れる道を作る。そこに目を向けると、景色は随分と柔らかくなります。用意周到も大事ですが、少し抜ける日がある前提で整える暮らしには、もっと深い安心があります。
家でも、学校でも、仕事でも、医療や介護の現場でも、記憶力だけに全部を任せない工夫は、人を弱くするどころか、むしろ人を助けます。見える場所に置く、書いて残す、声をかけ合う、戻れる流れを作る。そんな地道なことの積み重ねが、気持ちを軽くし、失敗を大事故に育てにくくします。転ばぬ先の杖とは、年齢を重ねてから急に持つものではなく、元気な日にもそっと脇へ置いておくものなのかもしれません。
忘れない人になることより、忘れても暮らしを立て直せる人でいること。その方が、毎日は少し明るく、少し機嫌よく進みます。記憶に頼り切らない工夫は、自分を甘やかすことではなく、明日をちゃんと守る優しい知恵です。頭の中に全部を詰め込まなくても大丈夫。人は時々、忘れながら、それでもちゃんと暮らしていけます。そう思えるだけで、今日のうっかりにも、少し笑って会釈できそうです。
(内部リンク候補:『要介護になってからも暮らしは優しく立て直せる~血流と生活のリズムが明日を変える~』)
今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
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