認知症を遠ざける暮らし方~脳だけを見ない毎日の整え方~

[ 旬の食と暮らし ]

はじめに…もの忘れを怖がり過ぎないために~暮らしを足元から見直そう~

冷蔵庫の前で「さて、私は何を取りに来たのだったか」と立ち止まる日があります。眼鏡を探していたのに頭の上に乗っていた、なんてことまで起きると、自分で自分に小さくツッコミを入れたくなるものです。けれど、もの忘れに一喜一憂しているうちに、心までしょんぼりしてしまうのは少しもったいない気がします。

認知症は、ただ年齢だけで決まる話ではなく、脳の働きに関わる日々の積み重ねと深く結びついています。血流(血の巡り)、眠り、食事、動く量、気分の波。そうした身近なことが静かに重なって、毎日の冴え方にも差が出てきます。認知症を遠ざける暮らしの土台は、特別なことより毎日の小さな整え方にあります。派手さはなくても、日進月歩で効いてくるのが暮らしの力です。

気になるのは、大きな出来事より、何となく続いている習慣かもしれません。煙を吸うこと、飲み過ぎること、寝不足のまま頑張り続けること、動かない時間が長いこと。どれも「まあ今日はいいか」と言いやすい顔をして近づいてきますが、後から見ると、なかなか手強い相手です。そんな毎日の癖を優しく見つめ直していくと、心と体の景色は少しずつ変わっていきます。

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第1章…認知症は「記憶の問題」だけではない~毎日の元気が揺らぐ時~

認知症という言葉を聞くと、まず「もの忘れ」が頭に浮かびます。確かに記憶障害は中核症状(病気そのものから出る中心の症状)としてよく知られていますし、その先に被害妄想や徘徊などの周辺症状(不安や環境の影響も重なって出やすい症状)が見られることもあるとされています。初期から中等度では、本人の中で「分からない」「思い出せない」「うまく言えない」が重なり、重度になると無気力になったり、寝たきりに近づいたりする流れも語られています。けれど、そこで話を終わらせてしまうと、少し景色が平たくなり過ぎます。

暮らしの中で起きていることは、そんなに単純明快ではありません。朝は穏やかだったのに夕方になると急に落ち着かなくなる人もいれば、家族のひと言で表情がフッと曇る人もいます。反対に、好きな歌が流れたら急に口ずさみ始めたり、おやつの時間だけは妙に機嫌が良かったりもします。人の心と体は千差万別で、「認知症だからこうなる」ときっちり箱に入れられるほど素直ではないのです。こちらは説明を急ぎがちですが、当の本人は「急に世界が分かり難くなった」と感じているのかもしれません。そう思うと、周りの見え方も少し変わってきます。

認知症のつらさは、忘れることそのものより、分からなくなった不安を毎日抱えることにあります。ここが見えてくると、困った行動に見えていたものが、助けを求める小さな合図に見えてくることがあります。何度も同じことを聞くのも、責めたいからではなく、胸の中にある不安を何とか落ち着かせたいからかもしれません。家族としては「さっきも言ったよ」と口から出そうになります。ええ、出ます。人間ですから。けれど、その一呼吸の差が、安心と混乱の分かれ道になることもあるのです。一進一退の日々でも、安心できる相手の前では、人は思ったより穏やかさを取り戻します。

しかも、進み方には暮らしの空気がかなり関わります。周囲の理解が薄いと、本人は叱られた気持ちや置いていかれる感覚を抱えやすくなります。すると気力が萎み、動くことも話すことも減りやすくなる。そうなると、ますます元気が細って見えてしまう。まるで悪循環ですが、逆に言えば、安心できるやり取りや落ち着ける習慣があれば、そこから少し持ち直す余地も見えてきます。情けは人のためならず、とはよく言ったもので、優しい関わりは相手を助けるだけでなく、家族の気持ちまで軽くしてくれます。


第2章…脳を曇らせる習慣は静かに偲び寄る~煙と酒と興奮の落とし穴~

体に堪える習慣というのは、だいたい派手な顔をしていません。むしろ「いつものことですけど?」という顔で、日常茶飯の中にスッと混ざっています。認知症を遠ざけたいと考えた時、まず目を向けたいものとして、煙を吸い込む習慣、飲酒が続く暮らし、そして快楽や興奮に身を預け続ける状態が挙げられていました。見た目には別々でも、どれも脳や血流に負担を重ねやすい、という点では似た者同士です。

煙の影響は、とても分かりやすいようで見え難い部分があります。煙草はもちろん、工場の煙や排気ガス、焼却の煙なども、呼吸を通して体に入り、酸素の取り込みに関わる負担に繋がりやすいとされています。酸素が十分に巡らない時間が積み重なると、脳にとっては落ち着かない環境が続くことになります。本人はただ「吸っているだけ」のつもりでも、体の中では油断大敵の小さな消耗が起きているのかもしれません。禁煙しようとしてイライラし、「こんなに落ち着かないなら一本だけ」と戻ってしまうあの流れ、気持ちは分かるのですが、脳から見ると少々ありがたくない往復です。

お酒もまた、ほど良い楽しみの顔をしながら近づいてきます。けれど、飲酒が続き過ぎる暮らしは、脳の働きを鈍らせる方向に傾きやすいと考えられています。さらに、強い刺激や快楽に何度も身を委ねる生活も、脳を興奮状態に寄せやすいものとして触れられていました。楽しいことそのものが悪いのではなく、いつも刺激がないと落ち着かない、静かな時間が手持ち無沙汰でたまらない、という状態が続くのが曲者です。脳を守る暮らしは、我慢大会ではなく、興奮し過ぎない落ち着いた時間をちゃんと持つことから始まります。

ここで大切なのは、急に完璧を目指さないことです。昨日まで夜更かしと晩酌が当たり前だった人が、今日から清廉潔白の仙人みたいに暮らそうとしても、大抵、三日目くらいで冷蔵庫に向かって「麦の炭酸は野菜ではないのか?」と心の会議が始まります。そうなるより、回数を減らす、吸う場所や時間を見直す、刺激の代わりに散歩や入浴や音楽へ寄せる。そんな一進一退の工夫の方が、暮らしには馴染みます。脳は、特別な日よりも、普通の日の重なり方に正直です。

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第3章…予防は特別なことじゃない~運動・食事・睡眠で脳のご機嫌を守る~

先の章で、認知症を遠ざける暮らし方として挙げられていたのは、とても王道でしたね。煙や飲酒などの負担を避けることに加えて、全身運動、食生活、そしてリラクゼーション(心身をゆるめる休息)と睡眠。この4つをバランスよく保つことが大切だとされています。派手な裏ワザではありませんが、毎日の土台を整えるには、やはりこの道が近道です。脳を守る暮らしは、頑張る量を増やすことより、整える習慣を続けることにあります。十人十色の暮らしでも、ここは共通の出発点になりやすいところです。

まず運動は、ただ動けばよい、という話ではありません。年齢によっても差があり、1つの正解に決めつけ難いこと、そして瞬発力(すばやく動く力)と持久力(長く動き続ける力)のバランスが大切だとも言えるでしょう。昨日だけ急に張り切って歩き、今日はソファと固い友情を結ぶようでは、体も少し戸惑います。軽く続けられる散歩、家の中での体操、階段をゆっくり使う工夫。そんな試行錯誤の積み重ねの方が、暮らしにはよく馴染みます。

食事もまた、特別な料理より日々の重ね方がものを言います。油の摂り過ぎ、味の濃さ、カロリー過多に気をつけながら、肉類を少し控えて野菜類を増やす。書くと地味ですが、この地味さが頼もしいのです。脳のための食事というと急に難しそうに見えますが、台所で出来ることは案外たくさんあります。お皿の色を増やす、汁物を温かくする、夜遅くにドッサリ食べない。それだけでも、体の機嫌は変わります。高血圧(血圧が高い状態)や糖尿病(血糖の調整が乱れやすい状態)など、血管や血液に関わる病気があると発症や進行のリスクが高まりやすい、と言われている点も見逃せません。だからこそ、食べ方は心身一如の土台になるのです。

そして、見落とされがちなのが休み方です。眠る前の空気、枕や布団の感触、温度や湿度、香りまで含めて、翌日に疲れを残さない工夫。寝ることは、ただ目を閉じることではなく、体と脳に「今日はここまでで大丈夫」と伝える時間でもあります。夜更かしを武勇伝みたいに語りたくなる日もありますが、脳からすると「いや、静かに休ませてくださいよ…」という気分かもしれません。眠りを整えることは、明日の頭の冴えを守る、一番身近な準備です。


第4章…心が萎むと暮らしも細る~周りの言葉と空気が与える見えない影響~

認知症の進み方は、病気そのものだけで決まるとは言い切れません。初期から中等度、重度へ移っていく流れについて、「本当に病気の進行だけなのだろうか?」という疑問がないですか?そして、周囲にいる人の理解が足りないことで、本人の心が崩れていくのではないか?という見方が私は気になります。つまり、脳の問題として眺めるだけでは見落とすものがあり、暮らしの空気まで含めて見ることが大切なのです。

人は、軽く言われたひと言でも意外なくらい覚えています。うっかりミスをした時に、からかうように「もうボケてきたんじゃない?」と返される。言った側は冗談半分でも、受け取った側の胸には小さな傷が残ります。そうした言葉が積もると、気持ちが沈み、心因性の鬱症状(心の負担がキッカケで気分や意欲が落ち込む状態)を伴い、活動不活発へ繋がり、本格的な認知症の始まりへ連なる流れも珍しくない、という理論です。正に暗中模索で不安を抱えている人に、追い打ちのような言葉が乗ってしまう流れです。

人の心は、薬より先に、毎日の言葉で元気をなくすことがあります。だからこそ、家族や周りの人が出来ることは意外と大きいのです。急かさない、笑いものにしない、分からない顔をされたら言い直すより安心させる、出来たことを先に拾う。たったそれだけ?、と思うかもしれませんが、その「たった」が侮れません。こちらは親切のつもりで一気に説明したくなりますが、相手には情報が多過ぎて、頭の中が満員電車になることがあります。少し待つ、短く伝える、穏やかな表情を添える。その方が、心機一転のキッカケになりやすいものです。

暮らしを守るのは、立派な言葉より、日々の柔らかい空気です。失敗を責める家庭より、笑ってやり直せる家庭の方が、人は動きやすくなります。介護の場でも家の中でも、安心できる空気があると、表情が緩み、声が出て、体も少しずつ動きやすくなります。情けは人のためならず、ということわざの通り、優しい言葉は相手だけでなく、自分の心まで静かに整えてくれます。暮らしの中にある声掛けは、見えないけれど確かな環境作りです。

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まとめ…今日の過ごし方が明日の安心になる~優しい習慣は未来への贈り物~

認知症を遠ざけたいと思った時、目を向ける先は、難しい知識の山よりも、今日の暮らしの置き方なのだと思います。煙や飲酒との付き合い方を見直すこと、体を少しでも動かすこと、食べ方を整えること、ぐっすり休める夜をつくること。そして、失敗した人を笑わず、不安そうな人に強い言葉を投げないこと。どれも華々しくはありませんが、こういう日々の工夫こそが、脳にも心にもじんわり効いてきます。

年を重ねると、出来なくなることばかり数えたくなる日もあります。けれど、暮らしはそんなに捨てたものではありません。朝の空気を入れ替える、少し歩く、味つけをほんの少し優しくする、眠る前に気持ちをほどく。そんな小さな一手が、明日の冴えや穏やかさに繋がっていきます。未来の安心は、今日を丁寧に過ごした人の足元から育っていきます。それは本人のためでもあり、家族のためでもあり、同じ家で笑って過ごす時間を守るためでもあります。

もし最近、もの忘れやぼんやりする時間が気になっていたとしても、そこで気持ちまで萎ませなくて大丈夫です。暮らしは、今日から少しずつ変えられます。完璧を目指さず、泰然自若とまではいかなくても、「昨日よりほんの少し整った」で十分です。気づいた日が、暮らしを優しく立て直す始まりになります。

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