5月28日は花火の日~夜空の一瞬に世界の物語が咲く~

[ 季節と行事 ]

はじめに…ドンッと咲いて、すっと消えるから心に残る

5月28日は「花火の日」。 夏の夜、少し蒸した空気の中で「ドンッ」と大きな音が響くと、さっきまで屋台や飲み物に夢中だった人まで、揃って空を見上げます。老若男女、知らない人同士まで同じ方向を向くのですから、花火というものはなかなかの人心掌握術です。尤も、油断している時の一発目には肩がビクッ。「分かってたのに!」と自分にツッコミを入れるところまでが夏の夜かもしれません。

花火の面白さは、大きくて綺麗だからだけではありません。火薬が弾け、色が広がり、ほんの数秒で消えてしまう。その短さまで含めて完成した景色です。ずっと光っていたらイルミネーションになってしまいますし、何十分も同じ形で浮かんでいたら、こちらも途中で首が疲れてきます。消えてしまうと分かっているからこそ、その一瞬を見逃すまいと空を見上げる時間まで思い出になるのでしょう。

しかも花火は、日本だけの夏景色ではありません。国や季節が変われば、新年を祝う光になったり、大きなお祭りの合図になったり、人々の願いや歴史を背負った夜空の演出にもなります。それぞれの土地で育った楽しみ方を知ると、いつもの一発にも別の表情が見えてきます。正に一期一会。同じ花火大会へ出掛けても、その日の空、その時、傍にいた人、その瞬間の気持ちまで同じ夜は二度とありません。

今年、夜空に大輪が開いたら、少しだけ色や形、音の間にも目を向けてみませんか?「綺麗だった」で終わっていた花火が、「どうして丸いんだろう?」「この色はどうやって出すんだろう?」と、ちょっと楽しい寄り道を連れてきてくれます。花火の夜は、打ち上がる前からもう始まっています。

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第1章…花火は「音」から始まった~火薬が夜空の芸術になるまで~

今では「花火」と聞けば、夜空いっぱいに広がる赤や青、金色の大輪を思い浮かべます。ところが、その長い旅の出発点にあったのは、美しい色よりも「音」でした。花火のルーツは古い中国に辿り着き、火薬を使って大きな音を鳴らし、悪いものを追い払うという意味を持っていたとされています。今の花火大会を想像しながら考えると、随分と雰囲気が違います。「夜空の芸術作品を作ろう!」ではなく、まずは「パンッ!」だったわけです。

その後、火薬を扱う技術は海を越え、13世紀頃にはヨーロッパへ伝わっていきました。中世のイタリアでは教会の祭りや王の戴冠式など、特別な場面を彩るものとして使われるようになります。驚かせる音だったものが、人の集まる祝いの場へ入り込み、少しずつ「見て楽しむもの」へと役割を広げていったのでしょう。長い年月の試行錯誤を思えば、一発の花火にも人類の工夫がギュっと詰まっています。

日本へ花火の文化が届いたのは16世紀頃とされ、本格的に人々の楽しみとして広がっていったのは江戸時代でした。そして5月28日と花火が結びつく大きな出来事が、1733年の隅田川で行われた川開きです。前年の飢饉や疫病で亡くなった人々を弔う意味を込めて花火が打ち上げられ、それが後の夏の風物詩へと繋がっていきました。華やかな光の奥に、祈りや鎮魂の気持ちがあったと知ると、夜空の見え方も少し変わります。

花火は、ただ派手に空を照らすものではなく、人の願いと祝いと祈りを火薬に託しながら育ってきた文化でもあります。

そう考えると、江戸の人々も現代の私たちも、案外やっていることは似ています。夕暮れから場所を取り、「まだかな」と待ち、最初の一発が上がれば一斉に空を見る。江戸時代にスマートフォンはありませんから、撮影場所を探して右往左往する必要だけはなかったでしょう。そこは少し羨ましい気もします。

音から始まり、祝いとなり、祈りを背負い、やがて夜空を彩る芸術へ。そんな紆余曲折を経ても、人が花火に心を奪われる瞬間は変わりません。何百年も前の誰かが見上げた空と、私たちが見上げる夏の空。その間を、一筋の火花が静かに繋いでいるのです。


第2章…丸い大輪には理由がある~色と形を生み出す花火職人の技~

夜空に打ち上がった1本の光が、フッと止まったように見えた次の瞬間、「ドンッ!」。そこから光が四方へ走り、見事な円になって広がります。何度見ても当たり前のように丸く咲きますが、冷静に考えると不思議です。あんな高い空で、誰かがコンパスを使っているわけでもありません。

花火玉の中には、「星」と呼ばれる火薬の粒がたくさん詰められています。その星を内部にバランスよく配置し、中心付近の火薬が爆発すると、星が四方へほぼ均等に飛び出します。夜空に大きな円が生まれるのは、この仕組みがあるためです。 ほんの少し配置が崩れれば、広がり方も変わります。何気なく見上げている丸い花火の裏側には、緻密な準備と試行錯誤が隠れているのです。

さらに面白いのが色です。赤、青、緑、黄色と千変万化に輝く花火は、火薬に加えられた成分によって色が変わります。赤にはストロンチウム、青には銅、緑にはバリウム、黄色にはナトリウムなどが使われ、高温になった時にそれぞれ異なる色の光を放ちます。「赤い絵の具を入れているのかな?」と思った人、残念ながら夜空は巨大なお絵描き帳ではありません。とはいえ、色を組み合わせて空に絵を描くという意味では、それほど遠くない気もします。

日本の花火には、綺麗な円形だけでなく、淡い色や深みのある色まで丁寧に作り込む楽しみがあります。一方、海外ではハートや星、笑顔を思わせる形など、形そのものを遊ぶ花火も見られます。同じ火薬から始まっても、作り手の狙い次第で夜空の表情が変わる。正に創意工夫の世界です。

花火の一瞬の美しさは、偶然できたものではなく、火薬を並べる位置から色の組み合わせまで積み重ねた技術の結晶です。

次に花火を見る時は、ただ「丸くて綺麗」と眺めるだけでも十分ですが、ほんの少しだけ中心から外側へ広がる光を追ってみるのも楽しいものです。どの色が先に開き、どこで色が変わり、最後の火花がどう消えていくのか。数秒しかない光の中に、職人の手仕事がギュっと詰まっています。

大きな花火が綺麗に開いた時、会場から自然に「おおーっ」と声が上がることがあります。知らない人たちが示し合わせたわけでもないのに、見事なくらい同時です。夜空の職人技に対する、観客側の即席合唱団なのかもしれません。そんなところまで含めて、花火大会はなかなか粋な時間です。

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第3章…世界の花火はお国柄まで映す~夜空で出会う祝い方と文化~

日本で花火と聞くと、浴衣姿で河川敷へ向かい、屋台の匂いにちょっと寄り道しながら夏の夜空を待つ風景が浮かびます。けれど世界へ目を向けると、花火は必ずしも「夏の夜のお楽しみ」ではありません。国によっては新年を迎える合図になり、歴史を記憶する行事になり、宗教的な祝いの光にもなります。同じ火薬が空へ上がっているのに、その下で人々が祝っているものは実に多種多様です。

アメリカでは7月4日の独立記念日に各地で盛大な花火が打ち上げられ、人々が公園や川沿いなどに集まって祝います。「静かに夜空を鑑賞しましょう」というより、歓声も拍手もひっくるめて祝祭そのもの。花火が上がった瞬間に「うおーっ!」と盛り上がる光景を思えば、こちらまで少し元気になります。日本で場所取りをして「このシート、もう5センチ右かな」と微調整している頃とは、なかなか景色が違います。

イギリスでは11月5日のガイ・フォークス・ナイトに、花火や焚き火を楽しむ文化があります。その背景には1605年の火薬陰謀事件があり、過去の出来事を記憶する日が、長い年月を経て人々の集う夜へと育ってきました。一方、南半球のオーストラリアでは、大晦日のシドニー湾を舞台に新年を迎える花火が夜空を埋めます。午前0時を待ちながら大勢でカウントダウンし、年が変わった瞬間に光が弾ける光景は豪華絢爛。日本の除夜の鐘とは音量差が随分ありますが、どちらも「新しい年が来た」とみんなで感じる時間なのは同じです。

スペインでは火と花火が入り交じる情熱的な祭りがあり、中国では旧正月に花火や爆竹の音が街を包みます。インドのディワリでは、光が闇に勝利するという意味を持つ祭りの中で花火が夜を彩ります。夜空に上がる光だけを切り取れば似ていても、その向こう側には歴史や信仰、祝い方、季節まで詰まっているのです。

世界の花火を眺める面白さは、光の違いだけでなく、その光を見上げる人々の暮らしまで見えてくるところにあります。

花火は一瞬で消えます。それでも世界各地で何百年も形を変えながら続いてきたのは、人には「大切な時をみんなで分かち合いたい」という気持ちがあるからなのかもしれません。国境を越えて千差万別の祝い方があっても、空に光が開いた瞬間に顔を上げるところはよく似ています。

次に海外の花火映像を見る機会があれば、「派手だなあ」で終わらせず、その日は何を祝っているのだろうと少し想像してみるのも楽しいでしょう。ことわざの「所変われば品変わる」の通り、夜空の楽しみ方にも土地柄が表れます。そして違いを知った後で日本の花火を見上げると、身近な夏の景色にも、また新しい味わいが生まれてきます。


第4章…浴衣も屋台も待ち時間もご馳走~花火の夜を丸ごと楽しむ~

花火大会の楽しさは、夜空に最初の一発が上がってから始まるわけではありません。夕方、少し早めに家を出るところから、もう特別な時間が動き始めています。浴衣の帯を整え、団扇を持ち、会場へ近づくにつれて屋台の匂いと人の声が濃くなっていく。「花火を見る」という目的なのに、たこ焼きの前で足が止まり、かき氷にも目移りする。この寄り道まで含めて、日本の夏らしい花火の夜です。

会場に着いたら、まずは快適に過ごせる場所を整えたいところです。レジャーシートや飲み物、汗を拭くタオル、必要なら虫よけなどがあると、打ち上げまでの時間も随分と楽になります。人混みの中では「さっき通った道、どっちだっけ?」が発生しやすいもの。屋台を一周しただけなのに、帰り道だけ軽く迷子――夏祭りあるあるです。華やかな夜ほど、少しの用意周到が気持ちの余裕に繋がります。

海外でも、花火を待つ時間そのものを楽しむ文化があります。アメリカでは公園やビーチにレジャーシートを広げ、食べ物や飲み物を囲みながら待つ光景が見られます。イギリスの肌寒い季節の花火では温かな飲み物が似合い、オーストラリアではピクニック気分で食事を楽しみながら新年の花火を待つスタイルもあります。 国が変わっても、「始まるまで何をして過ごすか?」が思い出の一部になるところはよく似ています。

花火大会のご馳走は、夜空の大輪だけではなく、その日を誰とどう過ごしたかという時間そのものです。

そして肝心の花火が始まったら、少しだけ画面から目を離して、自分の目と耳で味わう時間も残しておきたいものです。胸の辺りまで響く音、開いた直後の光、遅れて届く歓声、消えた後にほんの少し残る煙。写真には残しにくいものほど、その場にいた人の記憶には鮮明に残ることがあります。

帰り道も花火大会の一部です。「最後まで見たい」と「混む前に帰りたい」が心の中で真剣勝負を始めます。最後の大玉を見届けて大満足、その後の人波で「やっぱり一発前で帰れば……」と思うところまで含めて、毎年どこか懐かしい夏の風景なのでしょう。とはいえ、最後が一番大きい花火だったりして…。

豪華絢爛な打ち上げも、手に持った団扇も、冷たい飲み物も、誰かとの何気ない会話も、全部が同じ一夜の中にあります。花火を見る日ではなく、「花火のある夜を楽しむ日」と考えると、待ち時間さえ少し愛おしくなってきますね。

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まとめ…消えるからこそ忘れない~今年も夜空に会いに行こう~

花火は、空に上がっている時間だけを見れば驚くほど短いものです。大きな音と共に開き、色を広げ、火花を落としながら消えていく。それなのに、何年も経ってから「あの夏の花火」を思い出せることがあります。光そのものだけではなく、隣にいた人の顔や屋台の匂い、暑かった帰り道まで一緒に心へ残っているからでしょう。

その光は、長い歴史の中で姿を変えてきました。音から始まった火薬の文化は、祝い、祈り、娯楽へと広がり、職人の技によって色も形も豊かになりました。そして海を越えれば、新年を迎える空にも、歴史を記憶する夜にも、人々が集う祭りにも花火があります。国や時代が違っても、「大切な瞬間を光と一緒に分かち合いたい」という気持ちは、不思議なくらいよく似ています。

花火が心に残るのは、ずっと輝いているからではなく、消える一瞬までみんなで見届けるからなのかもしれません。

そう考えると、花火の夜は一期一会です。同じ場所へ翌年出掛けても、空の色も風も、一緒にいる人も少しずつ違います。「去年より大きかったかな?」と記憶を頼りに話したところで、だいたい全員の記憶が少しずつ盛られているのもご愛敬。最後には「綺麗だったから、まあ良いか」で丸く収まります。花火だけに、綺麗な丸で終わるのがちょうど良いところです。

今年、遠くから「ドンッ」と音が聞こえたら、少し空を探してみてください。大きな大会へ出掛けても良いですし、遠くに小さく見える花火を眺めるだけでも構いません。色や形の仕組みを思い出し、世界のどこかでも誰かが同じように空を見上げていると想像すれば、数秒の光が少しだけ豊かに見えてきます。

夏の夜空は、何もなくても十分に広いものです。そこへ一瞬だけ咲く花火があるから、私たちはまた顔を上げます。今年も「おおっ」と声が出る一発に出会えたなら、それだけでなかなか良い夏です。

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