8月7日は自分史の日~私を私の言葉で残す未来の家族への小さな贈り物~

[ 季節と行事 ]

はじめに…思い出は綺麗にまとめなくても残していい

ふとした時に、昔好きだった味や、誰かに言われて嬉しかったひと言を思い出すことがあります。台所から漂う煮物の匂い、夏の夕方に聞こえた風鈴、押し入れから出てきた古い写真。そんな小さな記憶は、忙しい毎日の中では忘れたフリをしていても、心の奥でちゃんと出番を待っています。

8月7日は「自分史の日」です。立派な本を作る日と思うと少し身構えてしまいますが、肩肘張る必要はありません。好きな食べ物を1つ書く。忘れられない出来事をひと言残す。スマホに声で吹き込む。それだけでも、自分史の入り口になります。自分で書いてみたら「思ったより普通だな」と興ざめする日もあるでしょう。あります、あります。人生を文字にしたら、急にスーパーの買い物メモみたいに見える瞬間。けれど、その普通の中にこそ、その人らしさが静かに光っています。

家族は身近だからこそ、よく知っているようで少しずつ見落とします。施設に入る時のアセスメント(生活や心身の状態を知るための聞き取り)でも、本人の想いと家族の記憶がピッタリ重なるとは限りません。自分史は、未来の自分を誤解させないための、やさしい置き手紙です。好きな味、落ち着く呼ばれ方、苦手な音、若い頃に夢中だったこと。そうした小さな手がかりが残っていれば、家族も支える人も、その人の暮らしにそっと近づきやすくなります。

人生は十人十色。大切なのは、凄い出来事を並べることではなく、ホッコリを思い出すキッカケを残しておくこと。今日1つ、心に浮かんだことをメモしてみる。それだけで、未来の誰かが「ああ、この人はこういう時間が好きだったんだ」と笑顔になれるかもしれません。

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第1章…自分史の日は「話す」ことから始まるやさしい記念日

8月7日は「自分史の日」です。8と7で「はなし」と読めるところが、何とも日本らしい語呂合わせです。こういう記念日は、少し油断すると「また語呂合わせかい」と心の中の小さな審査員が腕を組みます。けれど、よく考えてみると、話すという行為は、人の人生を残す上でとても自然な入口です。

8月は、記憶に手を合わせる機会が多い月です。広島や長崎の原爆忌、終戦の日、お盆。家族のこと、祖先のこと、平和のこと、命のことを、静かに思いやすい季節でもあります。蝉の声がにぎやかなのに、夕方になるとフッと心が内側へ向く。そんな不思議な空気があります。

自分史と聞くと、年表を作って、原稿を書いて、写真を並べて、最後は立派な冊子に……と考えてしまいがちです。そこまで想像した時点で、そっとノートを閉じたくなります。早い。まだ1文字も書いていません。けれど、本当の入口はもっと小さくて構いません。

「子どもの頃、何をして遊んでいたかな」「初めて給料をもらった日は、何を買ったかな」「昔から変わらず好きな味は何だろう」

そんな1つの問いに、ポツリと答えてみるだけでも、自分史は始まります。起承転結の立派な物語でなくても、記憶の欠片にはその人の息遣いがあります。話してみたひと言が、未来の家族にとっては思いがけない宝物になることがあります。

もちろん、文字にすると少し照れることもあります。頭の中では映画の名場面のようだった思い出が、メモにすると「夏、川で遊んだ。楽しかった。」で終わる。いや短い、俳句より説明がない。そんな自分ツッコミが出る日もあるでしょう。でも、その短さも味です。そこに写真が1枚あれば、家族はきっと続きを想像できます。

自分史の日の良さは、人生を立派に飾ることではなく、話すキッカケをそっと渡してくれるところにあります。思い立ったが吉日。声にする、書いてみる、スマホに残す。方法は何でも構いません。和顔愛語のように、やわらかな顔と言葉で思い出に触れた時、忘れていた自分の好きな時間が少し戻ってきます。

一期一会という言葉がありますが、人生の出来事もまた、その時の自分にしか感じられなかった出会いです。後から見れば小さな出来事でも、その人の心を育てた大切な場面かもしれません。8月7日は、そんな記憶に「まだそこにいる?」と声をかける日。返事が聞こえたら、まずはひと言だけ残してみる。それくらいの気楽さが、長く続く自分史にはちょうど良いのです。


第2章…家族が知る私と私が残したい私の間

家族は、とても近い存在です。近いからこそ、本人のことをよく知っています。好きな食べ物、怒った時の顔、疲れた時の口癖、昔から変わらないこだわり。長い年月を一緒に過ごしてきた家族の記憶には、病院の書類にも施設の記録にも載らない、生きた情報がたくさん詰まっています。

けれど、近過ぎるからこそ見えにくいこともあります。本人が本当に好きだったものと、家族が「好きだと思っているもの」が、少し違うことがあるのです。

「お父さんは静かな人です」と家族が話す。けれど本人の胸の中には、若い頃に祭りで声を張り上げていた思い出が残っているかもしれません。「お母さんは和食が好きです」と言われる。けれど本人は、外食で食べたクリームソーダのことを、何十年たっても心の中でこっそり大事にしているかもしれません。「おばあちゃんは何でも我慢できます」と言われる。けれど、それは我慢できる人なのではなく、我慢するしかなかった時代を生きてきただけかもしれません。

家族の想いは、ほとんどの場合、善意から生まれます。そこに悪気はありません。むしろ、どうにか本人のことを伝えようと一生懸命です。ただ、人の記憶は不思議なもので、長く一緒にいるほど「知っているはず」という安心感が育ちます。以心伝心で通じると思っていたことが、実は少しずつズレていた。家族あるあるです。リモコンの置き場所なら笑って済みますが、好みや暮らし方になると、なかなか大切な話になります。

介護施設に入る時やサービスを使い始める時には、アセスメント(生活や心身の状態を知るための聞き取り)が行われます。食事、排泄、入浴、移動、病気、薬、家族関係、生活歴(その人が歩んできた暮らしの背景)。短い時間の中で、たくさんのことを確認します。聞く側も真剣です。けれど、本人が緊張していたり、疲れていたり、家族が代わりに答えたりすると、本人の小さな本音がすっと通り過ぎてしまうことがあります。

自分の言葉で残したひと言は、未来の自分を「家族の記憶だけ」に預け過ぎないための支えになります。

もちろん、家族の記憶は大切です。本人の言葉だけが正しくて、家族の言葉が間違いという話ではありません。十人十色の人生には、本人から見た景色と、家族から見た景色があります。どちらも本物です。けれど、その2つが並んだ時、支える人はグッと本人に近づきやすくなります。

「私は朝、すぐに話しかけられるのが苦手です」「味噌汁は薄めが落ち着きます」「名前ではなく、昔からの呼び名で呼ばれると嬉しいです」「にぎやかな場所も嫌いではないけれど、疲れたら1人になりたいです」

こんな短い言葉でも、介護の場面では立派な道しるべになります。職員が声をかける時、家族が面会する時、ケアマネージャー(介護サービスの計画を一緒に考える専門職)が暮らしを組み立てる時、その人らしさを思い出す手がかりになるからです。

人は年を重ねるほど、周りから「お年寄り」「利用者さん」「入所者さん」と呼ばれやすくなります。もちろん便利な言葉ではありますが、それだけでは少し寂しい。そこに、その人だけの味や口癖や思い出が加わると、急に輪郭が戻ってきます。煮豆が好きな人、演歌よりロックが好きな人、実はピンクの服に憧れていた人。人生は、ラベルよりずっとカラフルです。

家族が知る私。私が残したい私。支える人が知ろうとする私。

その3つがやさしく重なった時、介護はただのお世話ではなく、その人の暮らしを一緒に守る時間になります。自分史は、その重なりを作る小さな橋なのです。

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第3章…好きな食べ物1つが未来の暮らしを助けてくれる

「好きな食べ物を残すだけで、自分史になるの?」と思う人もいるかもしれません。なります。かなり、なります。人の記憶は、立派な出来事より、湯気や香りや歯触りにくっついて残っていることが多いものです。

炊きたてご飯にのせた梅干し。夏休みに飲んだ冷たい麦茶。運動会の朝に詰めてもらった卵焼き。仕事帰りに食べたラーメン。誰にも言っていないけれど、実は甘いプリンが好き。

食べ物の話は、人生の入口としてとても優秀です。難しい話をしなくても、自然にその人の暮らしが見えてきます。「好きな食べ物は?」と聞かれて「カレー」と答えるだけなら、ただの献立メモに見えます。けれど、「若い頃、夜勤明けに食べたカレーが忘れられない」と残してあれば、そこには働いていた時代の空気までフワッと立ち上がります。

介護の現場でも、食べ物の情報はとても役に立ちます。栄養管理(体に必要な栄養を整えること)や嚥下状態(飲み込みの力の様子)も大事ですが、それだけでは食卓は少し寂しくなります。食事は、体を支えるだけでなく、気持ちをほどく時間でもあるからです。

もちろん、年を重ねると、昔好きだったものをそのまま食べられないこともあります。硬いものが難しくなったり、塩分を控えたり、糖分を気にしたり。そうなると「もう食べられないから意味がない」と思いがちです。けれど、味そのものを完全に再現できなくても、香り、器、見た目、会話で近づけることがあります。

昔、ちらし寿司が好きだった人なら、酢飯の香りだけで表情がやわらぐかもしれません。あんこが好きだった人なら、小さな一口の甘味で目元が緩むかもしれません。ラーメンが好きだった人には、スープの香りだけでも「おっ」と心が動くことがあります。本人の体に合わせながら、思い出の入口を探す。そこに施設や家族の工夫が生まれます。

自分史に残す項目は、何も食べ物だけではありません。

好きな色。落ち着く音。苦手なにおい。呼ばれると嬉しい名前。若い頃に夢中だったこと。人に言われて忘れられない言葉。

1つずつで十分です。全項目を埋めようとすると、急に宿題感が出てきます。宿題感が出た瞬間、人は静かに逃げます。ノートを閉じ、スマホを伏せ、何故か急に台所の片づけを始めます。身に覚えがあり過ぎて、胸が痛いところです。

だから、気分の良い日に1つだけ残すくらいがちょうど良いのです。今日は好きな食べ物。明日は好きな歌。来週は昔住んでいた町。書けない日は休む。これで十分、悠々自適とまではいかなくても、心に無理のない自分史になります。

小さな好みの記録は、未来の暮らしをその人らしく整えるための合図になります。

家族が迷った時、施設の職員が声かけに悩んだ時、ケアマネージャー(介護サービスの計画を一緒に考える専門職)が生活を組み立てる時、その合図がそっと役に立ちます。「この人は甘いものが好きだった」だけでも、面会のおやつ、誕生日の楽しみ、食欲が落ちた日の声かけに繋がるかもしれません。

人生の好みは千差万別です。渋いお茶が好きな人もいれば、炭酸のシュワシュワが忘れられない人もいます。静かな部屋が落ち着く人もいれば、誰かの笑い声が聞こえる場所で安心する人もいます。その違いを残しておくことは、未来の自分に「私はこういう時間が好きでした」と手を振っておくようなものです。

自分史は、凄い人生を証明するためのものではありません。好きな食べ物1つ、嬉しかった出来事1つ、ほっこりした記憶1つ。そんな小さな灯りを集めておくことが、いつか誰かの迷いをやさしく照らしてくれます。


第4章…ボイスメモでもスマホメモでも良いのでほっこりの種を集めよう

自分史という言葉には、少しだけ机に向かう気配があります。背筋を伸ばして、ペンを持って、立派なノートに美しい文字で……となると、始める前からお茶を入れたくなります。お茶を入れたら入れたで、お菓子も欲しくなる。気づけば自分史ではなく、休憩史が始まっています。

けれど、それでも良いのです。自分史は、綺麗な文章で残すものだけではありません。スマホのメモに一行だけ書く。ボイスレコーダーに声を入れる。写真を見ながら短い感想を残す。家族との会話をキッカケに、思い出したことをその場で書き留める。形にこだわり過ぎない方が、気持ちは続きやすくなります。

声で残す良さもあります。文字にすると照れてしまうことでも、声なら少し自然に出てくる時があります。「あの時は嬉しかったなあ」「あの店のうどん、もう1回食べたいなあ」そんな何気ない声には、文字だけでは伝わりにくい間や息遣いがあります。声の調子、笑い方、少し迷う沈黙。そこまで含めて、その人らしさです。

一方で、文字には文字の良さがあります。短くても読み返しやすく、家族や支える人に伝えやすい。スマホメモなら、思いついた時にすぐ残せます。買い物メモの下に「昔、母が作ったコロッケが好きだった」と書いてあっても、何の問題もありません。むしろ、急に心が混ざってくる感じがして、ちょっと良いものです。スーパーでじゃがいもを見ながら人生が動く。なかなか味わい深い瞬間です。

大切なのは、上手に残すことより、未来の自分がホッと出来る種を少しずつ集めておくことです。

介護の場面では、回想法(昔の思い出を話して心を整える関わり)が使われることがあります。懐かしい歌、写真、季節の行事、昔の道具などをキッカケに、その人の表情がフッとやわらぐことがあります。ただし、思い出は楽しいものばかりではありません。無理に話を引き出すより、本人が安心して触れられる記憶をそっと選ぶことが大切です。自分で残したメモがあれば、その人に合う話題へ近づきやすくなります。

残す項目は、思いついた順で構いません。好きだった歌、苦手だった行事、落ち着く場所、よく着ていた服、嬉しかったほめ言葉、人生で少しだけ誇らしかった日。全部を一気に埋めようとすると、急に提出物の顔をしてきます。自分史に締切の顔をさせてはいけません。のんびり気分次第で、今日は一粒、明日はお休み。そのくらいが自然体です。

そして、書いたものを見返して「なんだか普通だな」と感じても、それは失敗ではありません。日進月歩で前へ進む人生にも、平々凡々に見える毎日にも、その人だけの温度があります。すごい事件がなくても、何度も食べた味、何度も歩いた道、何度も聞いた声が、その人の暮らしを作ってきました。

ボイスメモでも、スマホメモでも、紙切れでも、写真の裏でも良いのです。ほっこりを思い出すための小さな入口が残っていれば、未来の家族も、未来の自分も、きっと助かります。忘れたくないことを残すのではなく、思い出したら少し心が温まることを残す。そんな自分史なら、今日からでも始められます。

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まとめ…自分史は、未来の自分をそっと守る道しるべになる

自分史は、人生を立派に飾るためだけのものではありません。好きな食べ物、懐かしい歌、安心する呼ばれ方、少し苦手なこと、誰かに言われて嬉しかったひと言。そんな小さな記録が、未来の自分をそっと助けてくれることがあります。

家族は近くにいるからこそ、たくさんのことを知っています。けれど、家族が見てきた姿と、自分の心に残っている姿が、いつもピッタリ重なるとは限りません。施設やサービスを利用する時も、限られた時間の聞き取りだけで、その人の全てを知ることは難しいものです。だからこそ、自分の言葉で少しだけ残しておくことに意味があります。

書いてみたら、思ったより普通に見える日もあります。声に出してみたら、少し照れて笑ってしまう日もあります。それで良いのです。平凡に見える一文の中に、その人が歩いてきた日々の温度があります。自分史は、未来の誰かに自分を説明させるためではなく、未来の自分が自分らしく過ごすための小さな道しるべです。

何も一気に作らなくて構いません。今日は好きな味を1つ。明日は昔よく歩いた道を1つ。気が向いた時に、ボイスメモでもスマホメモでも、紙の端でも残しておく。継続は力なりと言いますが、自分史は気合いの継続より、気まぐれの積み重ねくらいがちょうど良さそうです。気合いを入れ過ぎると、何故か文房具だけ増えて本文が増えない。これもまた、人生のあるあるです。

8月7日の自分史の日は、過去を重く背負う日ではなく、ほっこりを拾い直す日です。忘れかけていた好きなものを思い出し、まだ言葉にしていない想いを少し残す。そこから、家族との会話が生まれ、介護の場面でもその人らしさを守る手がかりが生まれます。

人生は、誰かに全部分かってもらうには少し広過ぎます。けれど、1つの好み、1つの思い出、1つの声が残っていれば、未来の暮らしはほんの少しやさしくなります。自分史は、過去への手紙であり、未来への合図。今日の小さなひと言が、いつか大切な誰かの笑顔に繋がるかもしれません。

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