9月15日は楽しみを考える日~レクリエーション介護士から見える介護の未来~
はじめに…長生きを祝うなら今日の楽しみも忘れずに
介護の毎日は忙しいものです。食事を整え、着替えを手伝い、トイレへ付き添い、お風呂へ入り、安全に移動してもらう。それだけでも時計の針は容赦なく進みます。そこへ「今日は何をして楽しみましょうか?」と聞かれたら、「まず、この仕事を全部終わらせてからね」と言いたくなる日もあるでしょう。……いや、その「終わってから」が永遠に来ないんですけどね、と自分でツッコミを入れたくなるのも介護現場のあるあるです。
けれど、人の暮らしは食べて、眠って、清潔にしていれば完成するものでもありません。窓の外の秋空を眺めること、昔好きだった歌を口ずさむこと、庭の花を気にかけること、誰かとくだらない話をして笑うこと。そんな喜怒哀楽の中に、その人らしい1日はあります。
9月15日は「レクリエーション介護士の日」です。「高齢者を楽しませる資格の日」とだけ考えると少し小さく見えますが、この記念日には介護の大きな問いが隠れているように感じます。体を守る専門性があるなら、心が動く暮らしを支える力も、もっと堂々と介護の仕事として扱われても良いのではないでしょうか?
血圧や体温なら数字にできます。排泄回数も食事量も記録できます。ところが「今日は楽しかった」は数字にしにくい。だから後回しを徹底される――では、少し寂しい話です。
長生きを支える介護の中には、「今日を生きていて良かった」と思える時間も入っていて欲しいものです。
9月15日から始まる高齢者に縁の深い一週間を歩きながら、レクリエーションを「余った時間の遊び」ではなく、暮らしを元気にする仕事として眺めてみましょう。
【 2026年の敬老の日は9月21日 月曜日 】
[広告]第1章…9月15日から始まる一週間~老人の日と敬老の日を繋ぐ物語~
9月のカレンダーを眺めて、「敬老の日って15日じゃなかったっけ?」と首をかしげる人は、きっと少なくありません。長く9月15日が敬老の日だったため、その記憶がしっかり残っているのです。現在の敬老の日は9月の第3月曜日。
それなら9月15日は役目を終えたのかというと、そんなことはありません。この日は現在も「老人の日」とされ、9月15日から21日までの7日間が「老人週間」です。15日に老人の日を迎えて一週間が始まり、その間か後くらいに敬老の日がやって来ます。少し離れて見える2つの日ですが、ちゃんと一本の道で繋がっています。
この流れの出発点には、戦後間もない1947年、兵庫県の一地域で開かれた敬老行事があります。高齢者を大切にし、その知恵を借りながら地域をより良くしていこうという思いから始まった取り組みが広がり、9月15日は「としよりの日」、やがて「老人の日」と呼ばれるようになりました。そして1966年には国民の祝日「敬老の日」となります。
その後、祝日を月曜日へ移して連休を作る制度によって、2003年から敬老の日は9月の第3月曜日へ移動しました。ただ、長年親しまれてきた9月15日までカレンダーの舞台袖へ追いやるのは寂しい。そこで9月15日は老人の日として残り、そこから21日までが老人週間となりました。日付の歴史もなかなか紆余曲折です。カレンダーさんも意外に忙しいのである……と妙なところに同情したくなります。
そして9月15日には、もう1つ、高齢者の暮らしに関わる記念日があります。「レクリエーション介護士の日」です。日付には「レク(09)リエーション・かいご(15)し」と読む語呂合わせと、かつて9月15日が敬老の日だったことが関係しています。レクリエーション介護士は、高齢者とのコミュニケーションやレクリエーションの企画、安全への配慮などを学び、高齢者の楽しみや笑顔に繋げていく民間資格です。
老人の日と同じ日に、「楽しみ」を扱う資格の記念日がある。これは偶然の並びとして眺めるより、少し想像を広げたくなります。
老人週間という言葉からは、健康や福祉、安全といった大切な課題が浮かびます。そこへもう1つ、「この人は最近、何を楽しみにしているだろう?」という問いを置いてみる。敬老の日にご馳走を用意することも素敵ですが、15日から21日まで毎日ほんの少しずつ、好きな音楽を聴く、秋の花を見る、昔話をする、好物を味わう、外の空気に触れる。そんな日々の積み重ねなら、特別な行事がなくても作れます。
9月15日から敬老の日までの7日間は、長寿を祝う準備期間ではなく、「これからも楽しんで暮らす」を考える一週間にしても良いのです。
敬老という言葉には礼儀正しく頭を下げるような響きがありますが、長生きした人に必要なのは拍手だけではありません。明日の予定に小さな楽しみが1つあることも、立派なお祝いになるでしょう。そんな一期一会の時間を日常の中へ増やしていくことが、9月15日から始められる新しい敬老の形なのかもしれません。
第2章…レクリエーション介護士って何者?~資格より大切な「楽しませる力」の育て方~
「レクリエーション介護士」と聞くと、風船バレーの達人や、歌のお兄さん・お姉さんのような人を想像するかもしれません。いやいや、毎朝ポケットから折り紙を出して華麗に鶴を折る資格ではありません。レクリエーション介護士は、高齢者とのコミュニケーションや心身の状態、レクリエーションの企画や安全への配慮などを学び、日々の楽しみへ繋げていく民間資格です。現在は2級、1級、マスターという段階があり、2級取得者は2025年10月末時点で4万人を超えています。
2級では、自分の趣味や特技も生かしながら高齢者に喜ばれる活動を考える基礎を学びます。1級になると、ケアプラン(介護サービス全体の支援計画)や施設の介護計画に沿って目標を立て、要介護度や障害、その人の身体面・知的面・情緒面・社会面まで見ながら活動を組み立てる内容へ深まります。さらにマスターは、人を育てる講師としての役割まで視野に入っています。こうして見ると、「レクのネタをたくさん覚える資格」という印象より、ずっと試行錯誤の多い学びです。
では、この資格を持てば介護現場で特別な専門職として扱われるのかというと、話は少し違います。国家資格ではなく、介護福祉士や看護師のように資格そのものが配置や業務を大きく左右する仕組みではありません。施設によって評価や資格手当に繋がる場合はあっても、一般的な介護職と比べて大きな給与差が生まれる資格とは言いにくいのが現状です。
ここで「じゃあ取っても意味ないじゃん」と判定すると、少々もったいない。資格証を額に入れて休憩室へ飾っただけでは高齢者は笑えませんが、既存のスタッフと勉強した人の目のつけどころが変わるなら、それには十分な価値があります。
同じ歌でも、みんなに一斉に歌ってもらうだけなら行事です。ある男性が若い頃によく歌った曲だと知り、その曲から仕事や家族の思い出がポツポツ出てくるなら、そこには個別支援の意味が生まれます。園芸が好きだった女性なら、立派な作品作りより鉢植えの土へ指を入れる方が心を動かすこともあるでしょう。参加を嫌がる人に「楽しいですよ」と押し切らず、今日は見学、明日はお茶だけ、その次は少し話してみるという関わり方だってあります。適材適所は、人だけでなく楽しみ方にも必要です。
資格の本当の値打ちは「持っていること」より、その人の楽しみを見つける目が育ったかどうかに現れます。
だから、レクリエーション介護士の日を資格取得の宣伝だけで終わらせる必要はないでしょう。資格を取る人も、取らない人も、「この人は何をすると少し表情が変わるだろう?」と考えることは出来ます。そして体系的に学ぶ人がいることで、その感覚を偶然や職員個人のセンスだけに頼らず、支援の技術として育てていけます。
問題は、その技術を身につけた人が現場へ戻った時です。「おっ、資格取ったの?じゃあ今日からレク係ね。あ、入浴介助も忘れずによろしく」と、仕事が1個増えただけなら、少し笑えない程度のオチになります。
楽しみを学ぶ人がいる。それは良いことです。次に考えたいのは、介護の職場がその力を使う時間まで用意できているかどうかなのでしょう。
[広告]第3章…レクしてる暇があったら介護して?~五大介護だけでは暮らしにならない~
朝の食堂では食事介助が始まり、食べ終わればトイレへ向かい、その合間に移乗介助、着替え、入浴、記録が続きます。介護職員の一日は、時計を見るたびに「さっきより針が速くなってない?」と疑いたくなるほど慌ただしいものです。そんな時間帯に職員が高齢者と庭先で花を眺めながら話していたら、「随分と余裕があるね」と上司から見られるような職場もあるかもしれません。
施設を運営する側から考えれば、その気持ちがまったく分からないわけでもありません。限られた人数で食事、排泄、入浴、更衣、移動といった五大介護を回さなければならず、介助を待っている人もいます。事故を防ぎ、決められた仕事を終え、記録も残す。人手不足の現場ほど、「楽しみより、まず介護を回してほしい」と考えたくなるでしょう。
ただ、それだけで1日を埋め尽くしてしまうと少し妙なことが起こります。食べてもらうために食事介助をし、清潔を守るために入浴介助をし、安全に暮らしてもらうために移動を支える。その全てが必要なのに、何のために元気で暮らしてもらうのかという部分だけが空白になってしまうのです。命を守る仕事へ真剣になるほど、暮らす楽しみを削ってしまったら本末転倒でしょう。
昼下がり、昔は畑仕事が好きだった人が窓際から庭を眺めています。職員が「外へ出てみます?」と声をかけ、ほんの10分だけ一緒に庭へ出る。土の匂いを感じながら、「今年は暑いから野菜も大変やな」と話し始める。その10分間で入浴介助が1件進むわけでも、記録が1枚完成するわけでもありません。
それでも、その人が夕食を少し多く食べたり、翌日に「昨日の花、どうなった?」と自分から話したりするかもしれません。楽しみには、すぐ数字へ表れない働きがあります。話す、動く、見る、選ぶ、思い出す、誰かを待つ。こうした小さな活動が日常に散らばるほど、暮らしには張りが生まれます。
もちろん、レクリエーションをすれば病気にならないとか、救急搬送を防げると単純には言えません。けれど、何もしない日が続き、動く機会も人と話す機会も減り、食欲や生活リズムまで崩れていけば、心身の活力が落ちる方向へ進みやすくなります。フレイル(加齢によって心身の力が弱り、健康と要介護の中間にある状態)を考える時も、単調になりがちな運動や固定的な栄養だけでなく、人との繋がりや社会参加は大切な要素になります。
だから、レクリエーションの30分を「介護していない時間」と見るか、「これ以上介助ばかりの暮らしにしないための時間」と見るかで、現場の景色は変わります。「急がば回れ」ということわざがありますが、高齢者介護では少し立ち止まって一緒に笑う時間が、遠回りどころか暮らしを整える近道になることもあるでしょう。
五大介護は人が暮らすための土台であり、レクリエーションはその土台の上に「今日を楽しむ理由」を置く仕事です。
だからといって、毎日大掛かりなイベントを開く必要はありません。午後2時から全員集合、司会者はマイクを持って「さあ皆さん盛り上がってまいりましたぁ!」と始めなくても良いのです。まだ誰も盛り上がってないよ、と心の中でツッコミが入りそうです。
窓を開けて秋の風を感じる。食事の前に季節の果物について話す。新聞を一緒にめくる。庭の花へ水をやる。昔よく聴いた歌を流す。こうした小さな楽しみなら、五大介護と争わせなくても日常の中へ忍ばせられます。介助と楽しみを別々の仕事にせず、一石二鳥になる瞬間を見つける工夫も、介護職の腕の見せどころでしょう。
高齢者に必要なのは、介助を受けながら1日を無事に終えることだけではありません。「明日は何かあるかな」と思える余白も必要です。食べることも、お風呂に入ることも、歩くことも、その先にある暮らしを楽しむための支えだと考えれば、レクリエーションは決して仕事の邪魔者ではなくなります。
第4章…介護に「楽しみの専門職」がいたら~遊びを本気の支援へ育てる未来図~
もし介護施設に、「この人の楽しみは何だろう」と本気で考える専門職がいたら、現場はどんなふうに変わるでしょうか?
朝の申し送りで看護師が体調を確認し、介護職が食事や排泄の様子を伝え、リハビリ職が歩行状態を確認する。その輪の中で、「この方、最近ほとんど笑わなくなっています。昔は園芸が好きだったので、今週は鉢植えから試してみませんか?」と提案する人がいる。単なるレク係ではなく、暮らしの楽しみを専門的に見ている人です。
そんな役割があっても不思議ではありません。
本気で専門職として育てるなら、ゲームや制作物の種類をたくさん知っているだけでは足りないでしょう。アセスメント(その人の生活や心身の状態を見立てること)ができ、認知症や身体疾患、障害、疲労の出方を理解し、生活歴や趣味、人間関係まで見ながら活動を組み立てる力が必要です。
「この方には風船バレー」と決めるのではなく、「昔は何をしていたのか?」「今できる動きは何か?」「誰と一緒なら落ち着くのか?」「何時頃なら調子が良いのか?」まで考える。そこまで出来れば、レクリエーションは余興ではなく立派な個別支援になります。
さらに、実施した後も「盛り上がりました」で終わらせないことが大切です。モニタリング(支援した後の変化を確かめること)を行い、会話が増えたのか?、離床する時間が伸びたのか?、食事への意欲が変わったのか?、次の日にもその話題が出たのかを見る。その積み重ねがあれば、「楽しかった気がする」から「この人には、この関わりが合っている」へ進めます。
ここまでの仕事をするなら、資格証を取って「はい、明日からレク担当ね」で済ませるのは少々乱暴な話です。専門性を求めるなら、学ぶ時間も必要ですし、施設の中で提案できる立場も必要です。研修を受け、実践を重ね、他職種と切磋琢磨しながら育つ仕組みがあってこそ、専門職としての役割が形になります。
介護支援専門員が暮らし全体を組み立て、看護師が健康状態を見守り、PT・OT・STなどのリハビリ職が身体機能や生活動作を支える。その横に、「生きがい」「社会参加」「趣味」「季節」「役割」を専門的に見つめる人が加われば、多職種連携(異なる専門職が協力して支援すること)の景色も少し変わるでしょう。
楽しみを専門性として扱うなら、「何をして遊ぶか?」ではなく「この人が何を楽しみに生きるか?」まで見て欲しいのです。
もちろん、専任職を1人置けば全部解決するほど単純ではありません。人手もお金も必要ですし、「楽しみ専門ですので排泄介助は知りません」と言われたら、それはそれで会議室がざわつきます。専門分化した結果、隣の仕事が見えなくなるのも困ります。
目指したいのは、レクリエーションだけ別世界へ切り離すことではなく、楽しみを介護全体へ染み込ませる役割でしょう。
入浴の日なら、好きな入浴剤や昔の温泉旅行の話を取り入れる。食事なら、旬の料理や思い出の味を話題にする。歩行練習なら、廊下を往復するだけでなく、花を見に行く目的を作る。適材適所で日常の介助と楽しみが重なれば、「レクの時間」をわざわざ大量に確保しなくても暮らしは変えられます。
その調整役として専門的に学んだ人がいれば、現場の介護職にも助けになるでしょう。「今日は何をやろう」と毎朝ゼロから悩むのではなく、1人1人の好きなことや反応が共有され、チームで育てていけるからです。
そして、その役割に責任を求めるなら、評価や待遇も伴って欲しいところです。勉強して、企画して、現場を動かして、それでも「好きでやってるんでしょ」で終わったら、流石に笑顔を作る人の笑顔が消えます。
高齢者の暮らしを豊かにする仕事には、体を支える技術と同じように、人の心を動かす技術があります。その価値をきちんと認めることができた時、レクリエーション介護士という言葉も、単なる資格名を越えてもっと大きな意味を持つのかもしれません。
[広告]まとめ…今日ちょっと楽しかったが明日を連れてくる
介護の仕事には、食べること、排泄すること、清潔を保つこと、着替えること、移動することを支える大切な役割があります。どれも暮らしを守るために欠かせません。ただ、その全てが滞りなく終わった日の最後に、「ところで今日は楽しかったですか?」と聞いた時、返事が何も浮かばない暮らしでは少し寂しいものがあります。
9月15日は老人の日であり、レクリエーション介護士の日でもあります。そして2026年は、そこから老人週間を通って9月21日、そして敬老の日へ向かいます。この7日間を長寿のお祝いだけで終わらせず、「最近、この人は何に笑っただろう」「明日を楽しみにするものはあるだろう」と考える時間に出来れば、敬老の意味も少し広がります。
レクリエーション介護士という資格も、資格証そのものが人を笑顔にするわけではありません。けれど、高齢者の生活歴を知り、心身の状態を見ながら、どんな活動なら無理なく楽しめるのかを学ぶことには意味があります。資格の有無だけで線を引くより、その学びを日々の介護へどう生かすか。そこに創意工夫の余地があります。
そして、楽しみを支える役割を本気で専門性として求めるなら、その人が学び、実践し、提案できる時間や立場も必要でしょう。「レクの資格を取ったんだって?じゃあ今日の司会よろしく。終わったら入浴介助もね」と全部乗せにしたら、笑顔を作るはずの職員が先に遠い目をしてしまいます。適切な評価や多職種との協力まで含めて育ててこそ、その力は介護現場の財産になります。
レクリエーションは、大きな行事だけを指す言葉ではありません。秋風を感じること、好きな歌を聴くこと、昔の仕事を話すこと、花へ水をやること、誰かとお茶を飲むこと。それぞれの人に合った小さな楽しみを丁寧に拾えば、平凡な1日にも喜怒哀楽が戻ってきます。
介護が守りたいのは長く生きる時間だけではなく、「今日もちょっと良かった」と思える1日の積み重ねなのだと思います。
高齢になっても、要介護になっても、楽しみまで卒業する必要はありません。明日は何を食べよう、誰と話そう、どんな空を見よう。そんな小さな期待が1つあるだけで、1日は少し違って見えます。9月15日をキッカケに、1人1人の「楽しみの種」を見つけて育ててみる。そこから始まる日々なら、敬老の日を過ぎてもきっと続いていくでしょう。
[ 広告 ]今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
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