「よいしょ」は何を持ち上げている?~よっこいしょ・どっこいしょに隠れた人間の起動音~
はじめに…立つだけなのに物語が始まる~口からこぼれる小さな掛け声~
静かな部屋で椅子から立ち上がろうとした瞬間、口から「よいしょ」と声がこぼれる。重い荷物を持ったわけでも、山頂を目指しているわけでもありません。ただ、お茶を入れに行くだけです。
ところが隣にいた人から、「今、よいしょって言ったね?」と笑われると、急に気恥ずかしくなります。
いや、言いましたけども。立ちますからね。こちらにも準備というものがあります――と、心の中で小さく反論したくなる場面です。
「よいしょ」「よっこいしょ」「どっこいしょ」。言葉の長さや響きは違っても、どれも人が何かを始める直前に現れます。椅子から立つ時、荷物を持つ時、子どもを抱き上げる時、仕事へ取り掛かる時。疲れている日だけでなく、失敗したくない場面や、一念発起して動き出す時にも自然と声が出ます。
声を出すことで、心は「行くぞ」と前を向き、体は動き出すタイミングを掴みます。祭りで神輿を担ぐ人も、綱引きをする子どもたちも、誰かを安全に支える人も、掛け声を使って力と動きを揃えています。それなのに、一人で立つ時の「よいしょ」だけが、老いの証しのように笑われるのは少し不思議です。
「よいしょ」は年齢が漏れた声ではなく、自分の心と体へ送る小さな号令なのかもしれません。
転ばないように足元を確かめ、手を置く場所を決め、呼吸を合わせてから動く。本人が意識していなくても、その一声には意外なほど用意周到な働きが隠れています。何気ない口癖のようでいて、今日を動かすための小さな応援でもあるのです。
そう思えば、次に「よいしょ」が出ても、慌てて口を押さえる必要はありません。無事に立ち上がった自分へ、「はい、よく出来ました」と心の中で丸をつけておきましょう。もっとも、お茶を入れに立ったのに、台所へ着いた瞬間に目的を忘れた場合は……掛け声ではなく、別の作戦が必要になりそうです。
[広告]第1章…「よいしょ」は老いの声?~笑われると急に恥ずかしくなる不思議~
椅子から立ち上がった人が「よいしょ」と言う。それを聞いた家族が、すかさず笑います。
「年を取ったねえ」「おじいちゃんみたい」「まだそんな年齢じゃないでしょう?」
言った本人も、つられて笑うかもしれません。けれど胸の中では、「立つ時くらい好きにさせてくださいな」と、ほんの少し引っ掛かっていることがあります。
本人にとっては、ほとんど無意識の掛け声です。ところが誰かに指摘された瞬間、それまで何でもなかった一声が、急に年齢の札を貼られたように感じられます。声が問題なのではなく、周囲が「老いの証拠」と決めつけたことで、気恥ずかしいものへ変わってしまうのです。
考えてみれば、若い人も日常のあちこちで声を出しています。重い段ボールを抱える時には「せーの」。スポーツで力を込める時には「ハッ」。混み合う電車へ乗り込む時には、声にこそ出さなくても、心の中で「ヨシ、行くぞ!」と唱えているでしょう。
そこに年齢制限はありません。
それでも「よいしょ」だけは、何故か老けた人の専売特許のように扱われます。音の響きがゆったりしているせいでしょうか。「よっこいしょ」まで伸びると、周囲の判定員が勝手に十歳ほど加算してくることもあります。いやいや、こちらは立っただけです。戸籍まで動かさないでいただきたいところです。
人の口癖や動作は十人十色です。育った家で両親が使っていた言葉が残る人もいれば、職場で身についた掛け声が染みついている人もいます。幼い子どもが大人の真似をして「どっこいしょ」と座る姿などは、老いどころか愛嬌そのものです。
同じ言葉でも、誰が発したかで受け取り方が変わる。そこには、聞く側の思い込みも混ざっています。
「よいしょ」と言ったから体が弱っているとは限りません。慎重に動こうとしているのかもしれませんし、気持ちを切り替えているだけかもしれません。少し疲れている日もあれば、ただの習慣という日もあります。毎回の一声に一喜一憂して、健康診断のような判定を下す必要はないでしょう。
人の何気ない掛け声を、勝手に老いの印へ変えないことも、小さな思いやりです。
笑い合える関係なら、軽いツッコミが楽しい時もあります。ただし、相手が笑っているからといって、心まで平気とは限りません。「また言ったね」と繰り返されれば、次から声を我慢しようとする人もいます。
けれど、体を動かす時に出る声は、その人なりのリズムです。音程が少々渋くても、無事に立てたなら上出来。立ち上がった後で用事を忘れずに済めば、なお上出来です。
「よいしょ」と言った人を見た時は、年齢を数えるより、その人が今から何をしようとしているのかを眺めてみる。そこには、洗濯物を取り込む、孫を抱く、仕事を始める、誰かを助けに向かうといった、小さな暮らしの続きが待っています。
一声の向こうにある行動まで見えた時、「よいしょ」は老いの声ではなく、前へ動こうとする人の頼もしい合図に聞こえてきます。
第2章…体と心を同時に動かす~掛け声が失敗をそっと支える瞬間~
重い箱を持ち上げる時、人は無言でいきなり動くより、「せーの」「よいしょ」と声を添えることがあります。二人で運ぶなら、なおさらです。声が合わなければ、片方だけが先に持ち上げて「ちょ、ちょっと待って」と箱の下で小さな事件が起こります。
掛け声には、力を増やす呪文のような働きがあるわけではありません。けれど、「今から動く」という合図を自分や相手へ届け、呼吸や動作の始まりを揃える助けになります。
椅子から立つ時にも、同じことが起きています。
足を少し引く。前へ体を傾ける。手すりや肘掛けに手を置く。そして、「よいしょ」と立ち上がる。
見た目には一瞬でも、その人の中ではいくつもの準備が用意周到に並んでいます。掛け声は、その準備を1つの動作へまとめるスタートボタンなのでしょう。
高い棚へ食器を戻す時、眠った子どもを抱き上げる時、熱い鍋を食卓へ運ぶ時にも声が出ます。どれも少し慎重になりたい場面です。失敗すれば、皿が割れる、子どもが起きる、鍋の中身が盛大に旅へ出る。口から出る「よいしょ」には、力だけでなく「頼むから無事に終わってくれ」という願いまで含まれています。
掛け声は、心の決心と体の動きが別々に出発しないよう、両方の手を繋ぐ合図です。
スポーツ選手が力を出す瞬間に声を発したり、祭りで神輿を担ぐ人たちが掛け声を揃えたりする姿にも、似た働きが見えます。一人の力を誇るためではなく、動く瞬間を合わせるための声です。複数人で誰かを支える介助でも、「立ちますよ」「せーの」と声を掛け合えば、支える人と動く人が一心同体になりやすくなります。
反対に、掛け声を恥ずかしがって無理に飲み込むと、動き出す合図まで曖昧になることがあります。声を出さないことが上品なのではなく、安全に落ち着いて動けることの方が大切です。
もちろん、「よいしょ」と言えば必ず失敗しないわけではありません。勢いよく立ったものの、何をしようとしていたか忘れて、そのまま静かに座り直す日もあります。
「よいしょ」
「……何だったかな」
そして再び、
「どっこいしょ」
立つ時より座る時の方が、やや貫禄が増しています。とはいえ、慌てて歩き回るより、一旦、座って思い出す方が平和です。掛け声は失敗を完全に消すものではなく、失敗しそうな自分を少し支えてくれる存在なのかもしれません。
大事な動作の前に声が出たなら、それは体が弱いからとは限りません。慎重さ、集中、覚悟、そして無事に終えたいという気持ちが、短い音になって口から現れたのでしょう。
今日の「よいしょ」は、何かを持ち上げただけではありません。転びたくない気持ちや、失敗したくない願いまで、そっと一緒に持ち上げているのです。
[広告]第3章…よっこいしょ・どっこいしょ大集合~育ちと土地で変わる人間の起動音~
同じ椅子から立ち上がるだけでも、口から出る音は人によって違います。
「よいしょ」と短く決める人。「よっこいしょ」と助走をつける人。「どっこいしょ」と腰を落ち着けてから動く人。
中には「ほいっと」「うんしょ」「こらしょ」と、少し軽やかな掛け声を使う人もいます。何も言わずに立つ人だって、心の中では「さて」と号令を出しているかもしれません。
掛け声は千差万別です。育った土地だけでなく、家族の口癖、学校、職場、よく一緒に過ごした人の言葉まで、知らないうちに混ざり合います。幼い頃に祖父母の「どっこいしょ」を聞いて育った人が、大人になって同じ音を口にすることもあります。
本人は誰かの真似をしているつもりなどありません。けれど、言葉は暮らしの中で静かに受け継がれます。
子どもがおもちゃ箱を持ち上げながら、「よっこらせ」と言う。その声を聞いた親が、「誰に教わったの?、それ」と笑う。大抵は、目の前で笑っている親本人が日頃から使っています。
犯人は現場に戻ると言いますが、口癖の場合は最初から現場におります。しかも自覚なしです。
声の長さにも、その人らしさが表れます。
「よいしょ」は、すぐに動きたい時の小さな点火音。「よっこいしょ」は、心と体へ少し長めに準備時間を渡す音。「どっこいしょ」は、重さも疲れも受け止めながら腰を据える音。
もちろん、言葉ごとに決まった効能があるわけではありません。それでも、音の伸び方や勢いには、その時の気分が滲みます。元気な日の「よいしょ」は歯切れよく、疲れた日の「よっこいしょ」は少し深くなる。座る時の「どっこいしょ」には、「本日の立ち仕事、ただいま終了」という閉店の響きまで漂うことがあります。
掛け声は、育った場所と歩いてきた時間が一瞬だけ声になって現れる、暮らしの小さな方言です。
家庭の中だけで通じる掛け声もあります。荷物を二人で持つ時の「いくよー」、子どもを抱き上げる時の「高い高い」、作業を始める時の「さあ、やるか」。長く一緒にいる人同士なら、声を聞いただけで次の動きが分かります。
それは、ちょっとした以心伝心です。
介助や共同作業では、掛け声が違うと動きもズレやすくなります。「せーの」で動くつもりの人と、「せーの、よいしょ」で動くつもりの人が組むと、出発地点が一拍違います。たった一拍ですが、重い物や人の体を支えている時には大切な差です。
「せーので立ちますね」「よいしょで動きますよ」
そんな短い確認があるだけで、お互いの呼吸は合わせやすくなります。掛け声は個性であると同時に、人と人を繋ぐ合図でもあるのでしょう。
誰かの「よっこいしょ」を聞いて、自分とは違うなと思ったら、年齢を判定するより少し耳を澄ませてみたいところです。その一声には、家族の顔や故郷の空気、長年の仕事のリズムが潜んでいるかもしれません。
そして数日後、自分の口から同じ「よっこいしょ」が出ても驚く必要はありません。口癖は、聞いているうちに仲間を増やします。人間の起動音は、今日も家庭や職場を軽やかに渡り歩いているのです。
第4章…人の癖を笑わない~そのひと言には小さな事情と努力がある~
家族が立ち上がるたびに「よいしょ」と言う。最初の一度なら、つい笑ってしまうこともあるでしょう。
「また出ました、よいしょ」「本日の1回目ですね」
そんな軽口が通じる関係もあります。本人も笑っているなら、暮らしの楽しい掛け合いです。けれど、毎回のように指摘されると、何気ない一声が公開採点されているような気分になることがあります。
自分では気づいていなかった口癖を、人から指摘された途端に気にしてしまう。歩き方、食べ方、笑い声、くしゃみの音も同じです。それまで自然に出来ていたことが、「また見られるかもしれない」と思った瞬間から、ぎこちなくなります。
「よいしょ」を我慢しようとして、無言のまま勢いよく立ち上がる。ところが心と体の準備が合わず、足元がふらつく。それでは、老けて見えないために安全まで差し出すようなものです。少々割に合いません。
人の癖を笑う前に、その人が何を無事に成し遂げようとしているのかを見たいものです。
椅子から立つ人は、ただ声を出しているのではありません。次の用事へ向かおうとしています。重い買い物袋を持つ人は、中身を落とさないように集中しています。子どもを抱き上げる人は、小さな体を驚かせないように力を加減しています。
その一声の裏には、悪戦苦闘と呼ぶほどではなくても、その人なりの工夫があります。体を動かす準備、失敗を避けたい気持ち、疲れた自分をもう一度動かす覚悟。外から聞けば短い音でも、内側ではいくつもの働きが重なっているのです。
介助の場面でも、本人の掛け声を消すより、そのリズムを生かした方が動きを合わせやすいことがあります。
「いつもの『よいしょ』で立ちましょうか」「声が出たら一緒に動きますね」
そんな声掛けなら、本人のやり方を奪わず、安全な共同作業へ繋げられます。支える側の都合だけで「せーの」を押しつけず、どの言葉で動き始めるのかを確かめる。そこには相互理解の小さな入口があります。
もちろん、いつもより声が苦しそうだったり、立つ時に痛みを訴えたり、何度も動き直したりするなら、笑って済ませず様子を見ることも大切です。「また、よいしょと言った」ではなく、「今日は立ちにくそうだけど大丈夫?」と尋ねれば、同じ一声から受け取れるものが変わります。
人は、他人の変化にはよく気づきます。問題は、その気づきを笑いの材料にするか、心配りに変えるかです。
誰かの「どっこいしょ」が聞こえたら、「年を取ったね」と判定する代わりに、無事に動けたことを何となく見届ける。そのくらいの距離が、本人にはちょうど良いのかもしれません。
そして自分の口から「よっこいしょ」が出た時も、慌てて周囲を確認しなくて大丈夫です。誰も聞いていなければ、そのまま進む。誰かに聞かれていたら、堂々と進む。必要なら「今のは高性能な起動音です」と説明しておきましょう。
人の癖には、その人が長い時間をかけて身につけた暮らし方が宿っています。直す必要のない一声まで取り上げず、今日も無事に動き出したことを、そっと応援できる関係でありたいものです。
[広告]まとめ…今日も自分に「よいしょ」~前へ進む人が自分へ送る優しい号令~
朝、布団から起きる時。椅子を離れて台所へ向かう時。買い物袋を持ち上げる時。人は暮らしの節目で、「よいしょ」と小さく声を出します。
その音は、老いが漏れ出した溜め息ではありません。気持ちを切り替え、呼吸を整え、体へ動き出す時刻を知らせる合図です。誰かに「せーの」と支えてもらわない時には、自分で自分へ声を掛けている。そう考えると、「よいしょ」は実に働き者の言葉です。
「よっこいしょ」と少し長くなっても構いません。「どっこいしょ」と貫禄が加わっても、無事に動ければ立派なもの。声の長さで若さを競う大会は、今のところ開催されておりません。
掛け声とは、今日をもう一歩進むために、自分が自分へ差し出す小さな手助けです。
人の口癖を聞いた時も、年齢や体力を勝手に採点するより、その人が何を始めようとしているのかを見てみたいものです。痛みや苦しさが滲んでいるなら気遣いを向け、いつもの調子なら静かに見守る。そんな臨機応変な受け止め方が、暮らしの空気をやわらかくします。
掛け声が出る日もあれば、黙ってスッと動ける日もあります。どちらが立派という話ではなく、その日の自分に合った動き方を選べば十分です。勢いだけで進まず、必要な時には声も手すりも周囲の助けも使う。その方が、毎日はずっと無事平穏に続いていきます。
今日、何かを始めるのが少し億劫になったなら、遠慮なく声を出してみましょう。
「よいしょ」
その一声で立てたなら、もう小さな前進です。立った後で用事を思い出せなくても、ひとまず落ち着いてください。思い出した時に、もう一度「よっこいしょ」と始めれば良いのです。
人間は、何度でも自分に号令を掛け直せます。今日の一歩を持ち上げる声が、明日の元気まで少し支えてくれることでしょう。
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