知らない虫はまだ4倍もいる?~足元に広がる未発見の世界~

[ その他・雑記 ]

はじめに…青い巨大トンボが教えてくれた「知らない世界」

先日、目の前をかなり大きなトンボが飛んでいました。体格だけを見れば、最初に頭へ浮かんだのはオニヤンマです。「おお、立派なのがいるな!」と眺めていたのですが、どうにも色がおかしい。黄色と黒ではなく、水色と黒。しかも水色の方が目立って見えます。シオカラトンボより明らかに倍ほどに大きく、オニヤンマを思わせる迫力があるのに、これまで一度も見た記憶がありません。

長く暮らしていても、身近な空を飛んでいる生き物に「君、誰?」となる瞬間はあるものです。もちろん、初めて見たから新種という話ではありません。人間側が知らなかっただけ、ということの方がずっと多いでしょう。それでも、その1匹をキッカケに虫の世界を覗いてみると、もっと驚く数字に出会います。科学的に名前が付けられた昆虫より、まだ名前が付いていない昆虫の方が多く、推定によっては既知の種類の凡そ4倍が残っていると考えられているのです。

私たちは虫をたくさん知っているつもりでも、実際には巨大な世界の入口を覗いている途中なのかもしれません。

しかも未知の虫が、南国のジャングルをドーンと歩く巨大怪虫ばかりとは限りません。枯れ葉そっくりで目の前にいても気づかないもの、別の種類と瓜二つのもの、小さ過ぎて見過ごされるもの。千差万別の生き方がある以上、「まだ知らない」の理由まで千差万別です。顕微鏡で大きく見れば全部分かる……と思ったら、虫の世界はそんなに素直ではないらしい。人間、なかなか簡単には勝たせてもらえません。

そう考えると、未知という言葉には少し怖さがある一方で、ワクワクも混じってきます。まだ知られていない虫の中に、思いもよらない擬態の名人がいるかもしれない。変わった毒や防御法を持つものがいるかもしれない。そして願わくば、こちらが困っている虫を人知れず抑えてくれる、小さな助っ人だっているかもしれません。

見慣れた庭も、道端の草むらも、少し目線を変えれば未知との境目です。森羅万象という言葉がありますが、世界は人間が名前を付け終わるのを待ってくれてはいないようです。次に知らない虫を見つけたら、反射的に「うわっ」で終わる前に、ほんの少しだけ観察してみたくなります。

[広告]

第1章…名前がある虫よりもまだ名前のない虫の方が多い?

昆虫図鑑を開くと、カブトムシ、チョウ、トンボ、ハチ、アリ、カマキリ……と、物凄い数の虫が並んでいます。それだけ眺めれば「人間はもう虫のことを相当知っているんじゃない?」と思ってしまいます。ところが、その図鑑の分厚さを軽々と上回るほど、虫の世界には未解明の余白が残っています。

科学的に知られ、名前が付けられている昆虫は約100万種。一方、地球上に存在する昆虫全体は約550万種とする有力な推定があります。単純に差を取れば、およそ450万種がまだ未記載という計算です。未記載種(科学的に特徴が整理され、正式に種として記載されていない生き物)には、人間がまだ出会っていないものだけでなく、既に採集されていても別種だと判明していないものなども含まれます。

人類が名前を付けた昆虫1種の向こう側に、まだ4種ほどの知らない昆虫がいるかもしれないのです。

もちろん「世界には必ず550万種いる」と確定した数字ではありません。よく調べられた地域の昆虫の割合、植物と昆虫の関係、甲虫などの種数、体の大きさによる見つかりやすさなど、異なる角度から全体を推し量った結果です。推定には幅がありますが、それでも「既知より未知の方がかなり多い」という姿は見えてきます。百花繚乱ならぬ百虫繚乱、いや450万種ともなれば「百」でまとめる方が虫たちから苦情を受けそうです。

さらに興味深いのは、人間が見つけやすい虫から先に名簿入りしてきたことです。大きい、派手、昼間に活動する、人の暮らす場所にも現れる。そんな虫は当然、目につきやすくなります。反対に数ミリしかない、地中で暮らす、樹木の高い場所にいる、特定の季節に短期間だけ現れるとなれば、発見の難度は一気に上がります。森羅万象の自然界では、人間に見つけてもらうために虫が整列して待っているわけではありません。

そう思うと、「新種発見!」という言葉の印象も少し変わります。秘境で巨大な怪虫を発見して研究者が腰を抜かす場面ばかりではなく、身近にいた小さな虫を詳しく調べた結果、「君、別人……いや別虫だったの?」となる可能性もあるのです。

庭を歩くアリも、夜の窓辺に来る小さなガも、草むらから聞こえる虫の声も、その背後には私たちがまだ知らない途方もない世界があります。知らないことが4倍も残っているなら、それは知識不足というより、これから知れる楽しみが4倍残っていると考えた方が、ずっとワクワクします。


第2章…新種は巨大とは限らない~見えているのに気づかない虫たち~

「新種の昆虫が見つかった!」と聞くと、つい想像してしまう姿があります。手の平より大きな甲虫、見たこともない角を持つ虫、青や赤に輝く巨大なトンボ……そんなものが森の奥から現れたら確かにニュース映えしそうです。けれど、まだ知られていない虫の多くは、そんな自己主張の激しい登場をしてくれるとは限りません。

むしろ厄介なのは、目の前にいるのに気づかせてくれない虫たちです。枝そっくりの体、枯れ葉のような羽、樹皮に重なるまだら模様。擬態(周囲の生き物や景色に似た姿になること)や保護色(背景に紛れて見つかりにくくなる色や模様)は、捕食者から逃げたり獲物へ近づいたりするために発達してきました。人間の目にもその効果は容赦なく働きます。

山道で「虫なんていないな」と眺めていた枝に、実はナナフシがじっと付いていた。枯れ葉だと思って通り過ぎたものが突然動き出した。そんな経験をすると、視力の問題ではないことが分かります。目には入っているのに、脳が「枝」「葉っぱ」「木の皮」と処理してしまえば、その生き物は風景の一部になってしまうのです。

未知の虫は、見えない場所だけにいるのではなく、見えているのに人間が虫だと気づけない場所にも潜んでいます。

しかも隠れ方は変幻自在です。昼間は物陰に潜み、夜だけ活動するものもいれば、土の中や腐葉土の隙間で一生の多くを過ごすものもいます。樹木の高い枝葉を生活圏にしていれば、人間が地面を歩き回っていても、頭上では別世界が続いています。小さな体で数ミリほどしかなければ、見つけたとしても「小さい虫がいた」で終わってしまうことだってあるでしょう。

さらに難しいのが、見た目の似た仲間です。人間から見れば同じような色、同じような形でも、生息場所や食べるもの、活動する時間などが異なる場合があります。神出鬼没どころか、「ずっとそこにいましたけど?」という顔で別の種類が混じっている可能性まであるのです。虫好きの研究者からすれば宝探しでしょうが、虫が苦手な人には「宝箱を開けたら虫が増えた!」という、少々複雑な展開かもしれません。

新しい種類を見つけるというのは、大きな網を振り回して珍しい虫を捕まえれば終わりではありません。「何か少し違うぞ」と気づき、形や暮らし方を丁寧に比べるところから始まります。大発見の入口が、派手な姿ではなく、ほんの小さな違和感ということもあるわけです。

そう思えば、散歩中の草むらも少し違って見えてきます。葉が1枚揺れただけでも風とは限らないし、木の枝だと思ったものに脚が付いているかもしれません。怖がってむやみに触る必要はありませんが、少し離れて眺めるだけでも十分です。「何だこれ?」と立ち止まる数秒間が、知らなかった生き物と出会う入口になるのです。

[広告]

第3章…顕微鏡でも見抜けない?~擬態とそっくりさんの奥深さ~

顕微鏡という道具には、どこか「これで拡大すれば正体が分かる!」という頼もしさがあります。肉眼では点にしか見えなかった虫も、脚の節、触角、細かな毛、羽の模様まで大きく見える。擬態して木の皮に溶け込んでいた虫だって、捕まえて白い台の上に置けば背景という隠れみのは失います。流石に顕微鏡の中まで木の枝を演じ続けるのは無理だろう……と思いたくなります。

ところが、虫の奥深さはその先にあります。生物には隠蔽種(いんぺいしゅ・見た目が非常によく似ていて、外見だけでは別種と判別しにくい生き物)と呼ばれるものがあり、姿形を詳しく調べても簡単には区別できない場合があります。現代では体の細かな計測だけでなく、行動、生息場所、食べ物、DNAなど複数の情報を組み合わせて、長く同じ種類だと思われていた生き物が実は別種だったと判明することがあります。

顕微鏡は体を大きく見せてくれても、その虫の戸籍まで教えてくれる道具ではありません。

ここが、カメレオンのような擬態とは少し違う面白さです。背景に溶け込む虫は、人間の目に「そこには何もいない」と思わせます。隠蔽種は、見つかった後でも「この前の虫と同じですよ」と思わせる。前者が景色へのかくれんぼなら、後者は種類そのもののそっくりさんです。一目瞭然どころか、拡大した人間の方が腕を組んで「うーん……同じに見える」と悩まされます。

実際、日本でも、見た目のよく似たガの仲間を形態とDNAバーコーディング(DNAの一部分を使って種類の識別を助ける方法)の両方から調べ、新種として記載された例があります。さらに近年は、従来の顕微鏡観察にDNA解析や立体的な内部構造の観察まで組み合わせ、ゾウムシの仲間から複数の新種が見いだされた研究もあります。虫を見る技術が進歩すると、「見えなかった虫」だけでなく「見えていたのに分けられなかった虫」まで姿を現すわけです。

そして、ここには人間らしい面白さがあります。機械の性能が上がれば、未知が全部なくなるわけではありません。高倍率で見る、DNAを調べる、暮らしている場所を見る、何を食べるか調べる。研究者たちは試行錯誤しながら、違いを少しずつ拾っていきます。虫の側は別に人間をだます会議を開いているわけではないのですが、「そこまで調べます?」と言いたくなるほど巧妙です。

そう考えると、未来の新種発見は「見たこともない姿!」だけではなさそうです。「何十年も知っていた虫だと思っていたら、中に別の種類が混じっていた」という静かな大発見もあり得ます。未知とは、遠く離れた秘境だけにあるものではありません。私たちが「知っている」と思って通り過ぎているものの中にも、まだ小さな扉が残っているのです。


第4章…敵か味方かは未知数~人知れず暮らしを助ける虫への期待~

虫の話になると、人間はつい「これは害虫」「これは益虫」と札を貼りたくなります。刺す、かじる、家に入る、食べ物に集まるとなれば、歓迎できない気持ちもよく分かります。オオスズメバチが低い羽音を響かせて近づいてきたら、生態系の大切さを考えるより先に体が後ろへ下がります。理屈より避難が先です。それで正常です。

けれど自然界を少し広く見ると、虫同士は食べたり食べられたり、寄生したり追い払ったりしながら数の均衡を保っています。テントウムシがアブラムシを食べ、カマキリがさまざまな小動物を捕らえ、寄生蜂(他の昆虫などに卵を産み、その体を利用して育つハチの仲間)が特定の虫の増え過ぎを抑えることもあります。人間から見れば小さな出来事でも、草むらの中では弱肉強食の攻防が毎日続いているわけです。

私たちが気づかない場所で、別の虫を食べたり増え過ぎを抑えたりしている“小さな助っ人”は、既にたくさん暮らしています。

そうなると、まだ名前さえ付いていない昆虫にも期待したくなります。私としては、オオスズメバチや家へ侵入するアリ、そして昆虫ではありませんがムカデまで「この辺は任せろ!」と抑えてくれる頼もしい生き物が発見されたら拍手喝采です。そんな虫がいたら、食べ物は何だ、生息場所はどこだ、どうすれば増えてくれるんだ、と急に保護活動へ方向転換する人もいるでしょう。昨日まで虫を避けていたのに、今日は虫のために住環境を整える。人間とは現金なものです。

ただし、自然界は人間の希望通りに配役されてはいません。新しく見つかる虫が、人にとって都合の良い存在とは限らず、作物を食べるかもしれませんし、毒を持つ可能性もあります。別の貴重な生き物を食べる側かもしれません。「未知の虫=未来の味方」と決めてしまうのも、「見慣れない虫=危険」と決めつけるのも、どちらも少し早いのです。

ここで思い出したくなるのが「蓼食う虫も好き好き」ということわざです。人間には理解しにくい好みでも、生き物にはそれぞれ選ぶ理由があります。人間が嫌う虫を好んで食べる生き物がいれば、こちらから見れば英雄です。反対に、大切なものを食べる虫なら困った相手になる。同じ1匹のカウントでも、見る立場が変われば評価まで変わります。

この関係を知ると、「害虫を全部いなくすれば快適になる」という単純な話でもないことが見えてきます。餌になる虫が消えれば、それを食べていた虫も減ります。ある生き物だけを大きく減らせば、別の生き物が増えることもあります。自然は複雑怪奇で、人間の都合だけではなかなか帳尻を合わせてくれません。

それでも未知の虫が何百万種も残っていると考えると、希望まで捨てる必要はありません。農作物を守る働きに繋がる虫、特定の害虫だけを狙う虫、これまで知られていなかった受粉の担い手など、人の暮らしに役立つ性質が見つかる可能性はあります。それを見つけた時に大切なのは、すぐ大量に増やそうとすることではなく、その虫が何を食べ、何に食べられ、どんな場所で暮らし、周囲とどう関わっているかを知ることなのでしょう。

もしかしたら、私たちが「虫なんていなくなれば良いのに」と思った庭の片隅で、名も知らない小さな1匹が、別の困りものをセッセと退治しているかもしれません。そう想像すると、草むらを見る目がほんの少しだけ優しくなります。千差万別の虫たちには、まだ人間が知らない役割まで隠れているのです。

[広告]


まとめ…足元の小さな命にはまだ誰も知らない物語がある

知らない虫に出会った時、「新種かも!」と胸を躍らせるのは楽しいものです。ただ、実際には既に知られている種類で、自分が初めて出会っただけということも多いでしょう。それで十分だと思います。世界にとって既知でも、自分にとって初めてなら、その出会いには立派な発見があります。

昆虫は、人類が名前を付けたものだけでも約100万種。それでも全体の一部に過ぎず、まだ何倍もの未記載種がいると推定されています。大きくて派手な虫とは限りません。風景に紛れているもの、あまりにも小さいもの、既知の種類と瓜二つのもの、人間が歩かない場所や活動しない時間帯に暮らしているものまで千差万別です。私たちが毎日見ている自然にも、まだ「知らない」がギッシリ詰まっています。

そこには少し怖い可能性もあります。新しい毒を持つ虫や、農作物に困った影響を与える虫が見つかることだってあり得ます。一方で、害を与える生き物の数をひっそり抑えていたり、植物の受粉を助けたり、人間がまだ価値に気づいていない働きを担う虫が見つかる可能性もあります。敵か味方かという人間側の物差しだけでは測れない、複雑怪奇な関係が自然界には広がっています。

だから、見慣れない虫に出会った時は無理に捕まえなくても構いません。刺したり毒を持ったりする可能性も考え、少し距離を取って写真を残し、見た場所や時間、大きさ、色、飛び方などを覚えておくだけでも観察になります。「青かった」「オニヤンマくらい大きかった」「こんな飛び方だった」という記憶が、後から正体へ近づく手掛かりになることがあります。

知らない生き物がまだたくさんいるという事実は、世界が未完成なのではなく、私たちがこれから知れる楽しみをたくさん残してくれているということなのかもしれません。

道端の草むら、庭木の葉裏、夕暮れの空、水辺の小さな影。昨日まで何気なく通り過ぎていた景色も、「まだ知られていない虫の方が多い」と知った瞬間から少し違って見えます。虫が苦手なら、好きになる必要までありません。「これは何だろう」と少しだけ興味を持てれば、それで十分です。

そしていつの日か、大嫌いなオオスズメバチや困った虫たちの勢いを人知れず抑えてくれる、頼もしい新顔が見つかったなら……その日だけは盛大に歓迎したいところです。餌は何だ、住みやすい場所はどこだと調べ始め、気がつけば虫嫌いだった人間が保護活動に励んでいるかもしれません。世の中、何が味方になるか分からないから面白い。

足元には、まだ名前さえ知らない物語があります。森羅万象の世界は、人間が全部を知るまで待ってはくれません。次に見知らぬ小さな生き物と出会ったら、ほんの数秒だけ足を止めてみる。そんな小さな好奇心から、いつもの景色が少し広く、少し楽しく見えてくるはずです。

[ 広告 ]

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


[ 応援リンク ]

ブログランキング2つに参加しています。応援クリックをお待ちしております。

[ ゲーム ] 作者のitch.io(作品一覧)


  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。