甦れ!50代のフサフサ毛根!~6月7日ムダ毛なしの日に叫ぶ~

[ 6月の記事 ]

はじめに…ムダ毛なき日、なぜ頭はムダ毛を欲するのか

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6月7日は「ムダ毛なしの日」。

語呂は「ム(6)ダ毛ナ(7)シ」。

なるほど上手い、座布団一枚…と感心していたが、ふと鏡を見て私は思った。

いやいや、ムダ毛どころか…肝心なとこも無くなってるやんけ!

ツルッと滑るこの頭頂部。

若かりし頃には存在していたであろうモジャモジャたちは、どこへ旅立ったのか。

代わりに残されたのは、ペシペシと軽快に響く頭皮の打音。

朝の洗顔時、タオルをあてた瞬間にも「パフン」と乾いた音が鳴るこの切なさ…これが“50代のリアル”というやつだ。

世の中がムダ毛ムダ毛と脱毛に沸いているこのご時世。

脇も脚も腕も、サロンや家電でつるっつる。

なめらか肌が正義、毛は悪!みたいな風潮である。

だが我々50代、特に男たちにとっては――その毛、ください…の一言に尽きる

頭皮だけは毛が欲しいのだ。全力で欲しいのだ。

これだけ願っても生えてこない毛、なぜか無駄だと切り捨てられる毛。

この世界、どうかしている。

今日はそんな“毛の矛盾”に真っ向から向き合い、笑い飛ばし、そして少しだけ、未来の毛根に希望を託す日🩷。

いざ、ムダ毛なしの日に――フサフサを夢見て突撃だ!

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第1章…ムダ毛文化の進化と、ペシペシの午後


あれはまだ肌寒い春先の午後だった。

洗面所でうつむき加減に頭を拭いたその瞬間、

「パシッ」

いや、「ペシッ」かもしれない。

とにかく妙に軽やかで乾いた音が、頭頂部から響いたのだ。

えっ?いま音鳴った?

タオルをどけて鏡を見る。

ああ、確かにそこにあるのは…「地肌」。

うっすら光を反射する、それは見事なまでのペシペシゾーン。

思えば若者たちは脱毛に夢中である。

ムダ毛は悪だ、滑らかさこそ美学だとばかりに、せっせとレーザーを当て、除毛クリームを塗り、毛根根絶に余念がない

だが、こちらは違う。

こちらは1本でも多く生やしたい側である。

脇毛がちょっとでも顔を出せば「キャーッ」などと騒がれる一方で、私の薄くなったつむじには誰も何も言ってくれない。

もう少し…こう…「頑張ってるね」とか、「ふわっとしてるね」とか、そういうの欲しい。

街ゆく青年たちは言う。

「毛?いらないっすよ~」

こちらは思わず握手を求めそうになる。

「その毛…今すぐ譲渡できないかい?」

“ムダ毛文化”とは、まさにフサフサの世界でこそ成立する豊かさの象徴。

余裕があるからこそムダと呼べるのだ。

こちらのようにギリギリの綱渡りをしている者にとって、毛は命。

毛は誇り。

毛は…プライド。

スキンヘッドという選択肢も、もちろんある。

あるが…絶対にやりたくない。

剃ってしまったら、負けた気がする。

「全部無くしたら楽だよ」なんて言われるが、違うのだ。

そうじゃない。

“あるフリ”をしてでも、戦いたいのだ。

そう、今日も私の頭は風に舞う。

心🩷にペシペシ、音を鳴らしながら。

第2章…毛根の冬眠、それは終わりではなく序章だった


毛根はもうダメなのか?と、ふと夜更けに思い詰めてスマホを握る。

「毛根 死んだら 復活」――検索結果に表示された言葉は、やさしくも残酷だった。

「毛根が死んでいなければ、まだ間に合います」

…おぉ!?

まるで恋愛コラムの「彼の心が冷めていなければまだ可能性はある」みたいな展開に、ちょっと心がざわめいた。

毛根、戻ってこい。

できれば20代の頃のボリュームで。

できれば後頭部だけでなく、前髪も頼む。

でも、どうやら毛根は“死ぬ”というより、“眠る”のだそうだ。

うーん、まるで童話の眠れる森の美女。

だがこっちは森じゃなくて頭皮だし、美女じゃなくてオジサン。

それでも私は、起こしてみせる。

育毛という名のキスで。

さぁ、いざ目覚めよ毛根たち。

ミノキシジルという名の魔法のしずく、フィナステリドという頼もしき守護騎士、そして頭皮マッサージという物理的な愛撫。

科学と努力と執念のトリプルアタックが、ペシペシ頭にふたたび毛の息吹を呼び戻す。

確かに若さという名の自然の追い風は、もう吹いていないかもしれない。

だが今の我らには**「知恵」と「技術」と「課金」**がある。

10代の毛根には無い、ドラッグストアの知識がある。

コンディショナーは頭皮につけない。

シャンプーはアミノ酸系がよい。

ドライヤーの風は熱すぎるとダメ。

この毛根ケア大全を日々学び、50代は進化する。

そう、毛根はもう死んではいない。

目覚めを待っているだけなのだ。

私は思う。

これはまるで古代遺跡に眠る王のようなものだと。

地肌の奥深く、静かに力を蓄えている“あの子たち”。

きっといつか、生えてくる。そう信じて…今日も私は、育毛剤を振る🩷。

シュッ、シュッ。ペシペシ。

静かに闘志を燃やしながら、50代の夜は更けてゆく

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第3章…薄毛と向き合う。それは第二の青春である


育毛と聞いて、即効性を期待してはいけない。

これはもう、はっきり言っておこう。

「今日塗って、明日フッサー!」なんて夢を見ていたら、頭皮だけでなく心もハゲる。

育毛とは筋トレ。

毎日コツコツ。

地味でつらくて、でもやめたら元通り。

サボればペシペシ、続ければ…産毛がふわり。

この違いを噛みしめながら、我ら50代は今日も朝晩のルーティンをこなす。

シュッシュと育毛剤を噴霧し、クルクルと指で優しくマッサージし、ゴシゴシとシャンプーはしないように気をつけて、ゆるやかなタオルドライで仕上げる。

すべては、たった1本の毛のために。

この年齢になって、こんなに1ミリを大事に思ったことがあっただろうか?

鏡の中でふと気づく、産毛。

「…おや?」

思わず息を呑む。

光の角度か?

幻覚か?

指でなぞってみる。

そこに、かすかな感触。

…生えてる。これは…生きてる!

もう、涙。

ただの1ミリ。

されど1ミリ。

この1ミリが、かつての20代の毛量に連なる道の第一歩だと、私は信じる。

それまでのペシペシ音が、まるで応援の拍手のように聞こえてくる。

「よく頑張ったな」「おかえりなさい」「あなたの毛ですよ」

幻聴かもしれない。

でも、そんなふうに思わせてくれる1ミリに、私は人生を見た。

髪が戻れば若返るわけじゃない。

でも髪を求めて頑張ることが、心🩷を若返らせてくれる。

あの頃より、ずっと真剣だ。

あの頃より、ずっと丁寧だ。

この歳で見つけた“伸びる喜び”に、私は静かに胸を熱くした。

育毛よ、ありがとう。

君は私に、第二の青春をくれた

第4章…もしも世界がフサフサ信仰だったなら


もしこの世界が“フサフサこそ正義”という価値観だったなら、我らの人生はどれほど輝いていただろうか

いや、フサフサでなければ履歴書が通らず、髪の量で進学先が決まる社会。

そんな極端すぎる世界でも構わない。

とにかく、我ら“毛求め民”にとっての桃源郷。

それを想像するだけで、心がぬくぬくと温まるのだ。

想像してみてほしい。

朝のニュース番組では「今日の毛量占い」。

「本日フサフサの方は運気絶好調、薄めの方はスカーフでラッキー補完!」

就職活動の自己PRでは「毛根への執念と根気には自信があります」

面接官がメモを取る。「毛根への愛、評価高し」と。

なんだそれは。

学校の体育では「毛伸び測定週間」が設けられ、生徒は測定器の前で直立不動。

「すごい!夏休み明けに0.7ミリも増えてる!」

それを聞いた先生が目頭を押さえ、

「努力したんやなぁ…」と感動。

なんだそれは(二度目)

電車の広告も全然違う。

「この分け目、芸術です。」

「あなたの頭頂部に、ストーリーはあるか?」

カメラ目線のオジサンが、照明に照らされた毛束をなびかせて微笑む…そこには確かに美があった。

推し活も変わってくる。

「フサドル(=フサフサアイドル)」たちがステージで風を受け、毛をなびかせながら叫ぶ。

「今日も、毛根に届けっ!」

ライブのラストは恒例の「毛起立!」で、会場全員で頭をなでながら起立。

毛根たちよ、立て…!

なにより法律だって違うかもしれない。

「公共の場において、無断でスキンヘッドを露出することを禁ず🩷」

「他人の毛を触った場合、本人の許可を要する」

そんな世界なら…うん、なんかもう、それはそれで生きづらい。

でもね、思うのだ。

実際にそんな世界じゃなくてよかった。

笑いながら「フサフサいいなぁ」と言える今が、じつは一番自由で、楽しいのかもしれない。

だから私は、これからも笑っていようと思う。

髪の毛は少ないかもしれないが、笑いの量は増やせるから。


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まとめ…希望は生えてくる。だから、あきらめない


毛にはじまり、毛に終わる人生。

剃る毛があれば、生やしたい毛もある。

脱毛と育毛、どちらも人類の永遠のテーマ。

でも今日、6月7日だけは――我ら“毛を愛する民”の物語に耳を傾けてほしい。

ペシペシと鳴る頭に、最初はちょっと落ち込んだ。

ああ、かつては生い茂っていたこの丘も、今では見晴らしの良い展望台。

洗面所の光が、よく反射するようになった。日照率は上昇中である。

だが、ただでは転ばない。

いや、転んでも起き上がって、育毛剤を振るのが50代というものだ。

若い頃には気づかなかった、たった1ミリの奇跡に感動できるようになったのだから。

これを“老い”と呼ぶのは失礼だ。“深み”と呼んでほしい。

毛が生えるたびに、心も少しずつ育っている気がする。

フサフサを失っても、笑いを得た。

分け目が広がっても、人生の幅も広がった。

鏡を見るたびに、「おっ」とつぶやく習慣もついた。

おかげで毎日、ちょっと面白い。

スキンヘッドにする覚悟はまだない。

まだもう少し、あがいてみたい。

分け目の奥に潜む毛根たちに、そっと呼びかけてみたい。

「さぁ、起きる時間だぞ」と。

最後に一句、心を込めて。

ペシペシと 響く頭に 春の風
いざ目指さん フサの向こうの未来へ

6月7日――それはムダ毛を笑い飛ばし、そして希望を生やす、大人の記念日。

毛よ、生えよ。

笑いよ、咲け。

未来よ、フサフサたれ🩷。

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