50代の髪はまだ物語の途中~6月7日に考える毛との付き合い方~

[ 旬の食と暮らし ]

はじめに…「ムダ毛はいらない」と「その毛ください」が同居する日

6月7日は「ムダ毛なしの日」。6と7を「ムダ毛ナシ」と読ませる語呂から生まれた日です。腕や脚の毛を見ながら「もう少し薄ければなぁ」と思う人がいる一方、朝の鏡の前では頭頂部をそっと確認して、「そっちは減らなくて良いんだけど…」と願う人もいる。人間とは実に勝手なもので、毛に対してまで適材適所を要求してしまいます。

若い頃は髪があることなど当たり前で、寝癖に腹を立てたり、整髪料をつけ過ぎて慌てたりしたものです。それが年齢を重ねると、髪の一本一本が急に貴重品扱いになるから面白いところ。「抜け毛発見!」で朝から緊急会議を開きたくなる日もあります。いや、参加者は自分1人なんですけどね。

けれど、髪の変化は単純に「若さを失った」という話だけではありません。年齢と共に体が変わるのは自然なことであり、頭皮や髪にも同じように日々の積み重ねが表れます。食事、眠り、洗い方、運動、そして気持ちの持ち方まで、暮らし全体を見つめるキッカケにもなります。髪を気にすることは、これからの自分を丁寧に扱う入口にもなれるのです。

悲喜交々、鏡の前には人それぞれの毛事情があります。減ったことを笑える日もあれば、ちょっと落ち込む朝もあるでしょう。それでも右往左往しながら、自分なりの付き合い方を見つけていけばいい。6月7日は、いらない毛を考えるだけでなく、「残ってほしい毛」にも少し優しくしてみる日にすると、なかなか味わい深い記念日になりそうです。

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第1章…抜きたい毛と残したい毛~人類は毛に注文が多過ぎる~

洗面所の鏡の前には、時々、不思議な人間模様が現れます。腕を見れば「この毛、もう少し目立たなければ良いのに…」と思い、視線を少し上へ移して頭を見ると、「いや、そっちはもう少し頑張ってくれ」と願う。同じ体に生えている毛なのに、片方には退場をお願いし、片方には残留要請を出しているのです。

腕や脚、脇などの毛は、見た目や身嗜みの好みによって処理する人も少なくありません。なめらかな肌を気持ちよく感じる人もいれば、特に気にしない人もいるでしょう。ところが髪になると話が変わります。若い頃には寝癖を見て「もう、邪魔!」と押さえつけていたはずなのに、年齢を重ねると1本の抜け毛まで気になってしまう。正に一喜一憂です。

考えてみれば、人は毛に対してかなり細かい注文を出しています。「ここは薄く」「そこは濃く」「眉は形よく」「鼻からは出ないで」「頭頂部は全員集合でお願いします」。そんな都合の良い配置転換ができれば苦労はありません。毛根側からすれば、「注文が多いな!」と朝礼を始めても不思議ではないでしょう。

けれど、この取捨選択こそ人間らしいところでもあります。毛そのものに絶対的な「必要」「不要」があるというより、自分がどんな姿で心地良く暮らしたいかによって評価が変わっていきます。若い頃には気にも留めなかった場所が気になったり、逆に長年悩んでいたことを「まぁ、これも自分か」と受け入れられるようになったりする。年齢と共に変わるのは髪だけではなく、毛を見るこちら側の眼差しでもあるのです。

「ムダ毛」と呼ぶか「残ってほしい1本」と呼ぶかは、毛ではなく私たちの気持ちが決めています。そう考えると、鏡の前で頭頂部を確認する時間も少しだけ面白くなります。今日も元気な1本を見つけたなら、抜け毛監視員になるより「よし、君はそのまま頼む」と心の中で声を掛けるくらいがちょうど良さそうです。


第2章…50代の頭皮で何が起きる?~毛根より先に知りたい髪の一生~

お風呂上がりに髪を乾かし、ふと鏡を見る。「あれ、ここってこんなに地肌が見えていたっけ?」。昨日まで気づかなかった場所ほど、見つけた瞬間から猛烈に気になります。照明の角度を変え、前から見て、横から見て、最後には合わせ鏡まで持ち出す。健康診断より念入りではないか、と自分で突っ込みたくなるほどです。

けれど、1本の髪は生えたまま永遠に居座っているわけではありません。髪にはヘアサイクル(髪が成長し、やがて抜け、新しい髪へ移っていく周期)があり、生える時期と休む時期を繰り返しています。抜け毛を1本見つけたからといって、その瞬間に毛根の全てへ「営業終了」の札が掛かったわけではありません。髪が少なく見える背景には、1本1本の育ち方や抜け替わり方も関わってきます。

50代になると、若い頃と同じ感覚で髪を眺めるのが難しくなることもあります。以前なら多少乱暴にタオルで拭いても、翌朝には何事もなかったように髪が暴れていた。「元気なのは分かったから少し静かにしてくれ」と思った寝ぐせさえ、今となっては少し頼もしく見えるかもしれません。正に栄枯盛衰、髪にもそれぞれの時間が流れています。

そこで怖いのが、地肌が見えた瞬間に「もう終わりだ」と決めてしまうことです。鏡に映っているのは、その日の髪の状態まで。頭皮の奥で何が起きているのかを、目だけで全て判断することは出来ません。抜けた1本を数えるより、これから生えてくる髪が過ごしやすい毎日を作る方が前向きです。

もちろん、髪の変化には個人差があります。急に抜け毛が増えた、頭皮に赤みや痒みが続く、短期間で目立って薄くなったなど、気になる変化があるなら自己判断だけで抱え込まないことも大切です。髪の問題だからといって、洗面所で眉間にシワを寄せながら1人で緊急対策本部を開く必要はありません。

髪との付き合いは一進一退。昨日より多い、少ないと毎朝判定していては、鏡を見るだけで疲れてしまいます。50代の髪に必要なのは、20代へ時計を巻き戻すことより、今の頭皮と髪に合った付き合い方を見つけること。毛根たちにも勤務時間があります。「全員、今すぐ出勤!」と号令を掛けるより、まずは働きやすい職場……ではなく、頭皮を作ってあげたいところです。

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第3章…フサフサ願望は急がない~食事・眠り・洗い方から整える毎日~

髪が気になり始めると、人は急に勤勉になります。朝は鏡、夜は鏡、お風呂では排水口まで確認し、「今日は何本だ?」と数えたくなる。昨日まで適当に乾かしていたドライヤーにも慎重になり、頭皮へ向ける角度まで気になってくるのです。そこまで真剣になれるなら、学生時代の試験前にも発揮したかった集中力ではあります。

けれど、育毛は一朝一夕で結果を求めるものではありません。朝に何かをつけて、翌朝にフワッと大増量……そんな展開を期待すると、髪より先に気持ちが疲れてしまいます。毎日のケアを続けながら、小さな変化と付き合っていくくらいの構えが似合います。育毛剤を使う場合も、頭皮をゴシゴシこするのではなく、指でやさしく触れ、洗った後は乱暴に拭かず、熱過ぎるドライヤーを避ける。派手さはなくても、そうした日々の扱い方が積み重なっていきます。

食事や眠りも、「髪のために完璧にしなければ」と肩に力を入れる必要はないでしょう。食卓まで毛根中心に考え始めると、「この味噌汁は頭頂部に届くのか?」などと妙な審査会が始まってしまいます。食べる、動く、休む、清潔にする。自分の体を労わる暮らしの中に、髪の手入れも自然に置いておく。そのくらいなら無理なく続けやすく、生活全体にも窮屈さがありません。

そして鏡の前で、小さな産毛らしきものを発見する日が来るかもしれません。「おっ」と顔を近づけ、「いや、照明か?」と角度を変え、もう一度見る。期待と疑いが五分五分の、あの妙に真剣な時間です。1本の変化を大事件のように喜べるのも、年齢を重ねたからこその楽しみでしょう。

髪を育てる時間は、結果を急ぐ時間ではなく、自分の暮らしを丁寧に扱う時間でもあります。「継続は力なり」と言いますが、毎日を完璧に続ける必要まではありません。今日は丁寧に洗えた、昨夜はゆっくり休めた、それで十分。日進月歩とはいかなくても、昨日より少し自分を労われたなら、それも立派な前進です。

50代の育毛は、若い頃の毛量を追いかける競争ではありません。朝晩の小さな習慣を楽しみながら、「今日も頼むぞ」と頭皮に声を掛けるくらいがちょうど良い。返事は聞こえませんが、聞こえたら聞こえたで少し怖いので、そこは静かな関係で参りましょう。


第4章…生やす・隠す・短くする~髪型より大切な「自分で選べる」楽しさ~

髪が薄くなってくると、鏡の前で始まるのが「どう見せるか会議」です。前へ流すか、横へ流すか、思い切って短くするか。帽子という援軍を呼ぶ手もありますし、育毛を続けながら今ある髪を生かす道もあります。ところが朝の忙しい時間に分け目を右へ左へ動かしていると、途中から「私は何と戦っているんだろう?」と思えてくる。相手は髪なのですが、こちらの指示をほとんど聞いてくれません。

薄毛になると「隠すのは格好悪い」「潔く短くした方が良い」といった声を耳にすることもあります。しかし、髪型は多数決で決めるものではないでしょう。短くして気分が晴れる人もいれば、残っている髪を大切に整えたい人もいる。帽子を楽しむ人もいれば、育毛を続けながら変化を待ちたい人もいます。十人十色で、そのどれにも本人なりの理由があります。

大切なのは、「薄くなったからこの髪型にしなければならない」と自分を追い込まないことです。髪は顔立ちや服装と同じように、その人の雰囲気を作る一部ではありますが、その人そのものではありません。髪が減ったから魅力まで減るわけでもなければ、フサフサなら人生が自動的に絶好調になるわけでもないのです。もし毛量で全てが決まる世界なら、朝のニュースで「本日の毛量運」を確認し、面接では履歴書と一緒に頭頂部の写真を提出することになるでしょう。……そんな社会、かなり疲れます。

若い頃には流行の髪型を追いかけた人も、50代になると少し違う楽しみ方ができます。顔つきも、服も、生きてきた時間も変わっているからです。髪だけを20代に戻そうと頑張るより、今の自分に似合う長さや整え方を見つける方が、鏡の中の表情まで自然になります。試行錯誤しながら「これなら悪くない」と思える形に出会えたら、それは十分に立派なオシャレです。

髪があることより、自分の姿を自分で選べることの方が、ずっと自由です。生やしたいなら生やす努力をする。短くしたければ切る。少し隠したければ工夫する。そして今日は何もしない、という選択もあります。臨機応変に付き合えるようになると、髪の変化は「失ったもの」だけではなく、新しい自分を試すキッカケにもなっていきます。

鏡の前で「もう少しあったらなぁ」と笑えるくらいでも良いのです。髪の量は自由にならなくても、髪との付き合い方なら自分で決められる。その余裕が出てきた頃には、頭頂部を照らす光さえ「今日は照明が張り切ってるな」と受け流せるかもしれません。そこまで来れば、なかなか頼もしい50代です。

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まとめ…髪の本数を数えるよりも鏡の前で笑える今日を増やそう

6月7日の「ムダ毛なしの日」から眺めてみると、毛というものは何とも不思議です。腕や脚では「少なくなってほしい」と願われ、頭では「どうか残ってください」と頼まれる。同じ毛なのに待遇が随分と違います。それでも年齢を重ねれば、髪の変化も含めて自分の体と付き合っていく時間が増えていきます。

50代になって髪が気になり始めても、毎朝の鏡を反省会の会場にする必要はありません。丁寧に洗い、きちんと乾かし、食べて、眠って、動く。気になる変化があれば専門家にも相談しながら、自分に出来ることを無理なく続けていく。その上で髪型を変えるのも、育毛を続けるのも、帽子を楽しむのも自由です。七転八起というほど気合いを入れなくても、「今日はこれで良い」と思える日が増えれば十分でしょう。

若い頃には見向きもしなかった1本の髪を、今ではありがたく眺められる。それは少し寂しいようでいて、悪い変化ばかりではありません。小さなことに気づき、自分を労わり、昨日とは違う自分を面白がれるようになった証でもあります。髪が増えた日はもちろん嬉しい。増えていない日でも、朝ご飯がおいしくて、服が似合って、鏡の中の自分に「まあ、悪くない」と言えたなら、その日の勝負は十分です。

髪の量が人生の豊かさを決めるのではなく、今の自分を楽しめる余白が毎日を明るくしてくれます。分け目が少し広がったなら、人生の視野も広がったことにしてしまいましょう。少々こじつけですが、そのくらいの融通無碍さが50代には似合います。

ムダ毛を減らしたい人も、頭の毛を増やしたい人も、最後に願っているのは「自分らしく気持ちよく過ごしたい」ということなのかもしれません。鏡を見るたび本数を数えるより、「今日もなかなか頑張ってるな」と笑える朝を増やしていく。髪にも自分にも少し優しくなれたなら、6月7日はなかなか素敵な記念日です。

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