にんじんポタージュが棚にいない件~記念日あるのに何故か私たちが温めるのは“お湯”だけ~

[ 4月の記事 ]

はじめに…にんじんは毎日の台所で主役にも脇役にもなれるのに何故か「飲む形」になると影が薄い…そんなモヤモヤから始まる話

にんじんって、不思議な野菜です。冷蔵庫の野菜室で静かに眠っているくせに、いざ料理が始まると、顔を出す場所がやたら多い。カレーに入って、シチューに入って、肉じゃがにもこっそり混ざって、サラダでは色担当として堂々と立つ。お弁当の隅でも頑張るし、細切りで炒め物にも出張する。しかも「栄養があるよね」と言われるたびに、にんじん本人が照れて背中を丸めている気がする。いい子、過ぎる。

ところがです。ここまで出番が多いのに、いざ「スープ」という世界に入った瞬間、にんじんは急に影が薄くなる。コーンは堂々と主役。かぼちゃも王様顔。玉ねぎも「甘み担当」として人気者。なのに、にんじんポタージュとなると、棚の前で首を傾げることになる。「今日、にんじんポタージュ飲みたいな」と思った気持ちが、売り場の端っこで迷子になる。記念日は意外と多いのに、肝心のポタージュが見当たらない。なんだこの片想いは、と私は思うのです。

しかも、にんじんは“塊で入っている料理”だと、割りと誰でも受け入れられやすい。カレーなら香りに紛れて気にならないし、シチューならクリームが包んでくれる。ところがスープは、にんじんが前に出る。つまり「にんじん本人」がしゃべる。そうなると、好きな人は歓声を上げ、苦手な人はそっと席を立つ。この“好みの差”が、にんじんポタージュが定番になり切れない理由の1つなのかもしれません。

でも、私は言いたい。にんじんポタージュは、ちゃんと美味しい。しかも、飲み物としてお腹に入るのに満足感がある。「にんじん食べなさい」みたいな説教臭さがなくて、普通にご褒美として成立する。スプーンを口に運ぶたびに、身体が「あ、こういうので良いんだよ」と言ってくる。にんじんが、やっと“飲まれる側の主役”になれる瞬間です。

さらに、スープという形は、忙しい日にも、体調が今1つの日にも、食べる側に優しい。噛む力が弱い人でも取り入れやすいし、温かさはそれだけで安心になる。だからこそ、にんじんポタージュがもっと身近にあっても良いのに、現実はなかなかそうならない。施設の献立でも、にんじんは具材としてはいるのに、ポタージュになると急にハードルが上がる。作る側の手間もあるし、既製品は値段の壁が出てくる。好きな側からすると、「にんじん、そこまで遠慮しなくて良いよ」と肩を叩きたくなるのです。

この文章は、そんな“にんじんポタージュ不在のモヤモヤ”を、笑いながら整理して、最後には「じゃあ私たちはどうする?」まで辿り着くための小さな旅です。取り寄せという手段もあるし、自分で作るという手もある。やり方が分かれば、にんじんポタージュは案外ちゃんと生活に住みつきます。棚になければ、鍋で呼ぶ。これが、にんじんポタージュ好きの生存戦略。

さあ、にんじんの話をしましょう。塊で脇役をやってきたあの子を、今日は堂々と「飲む主役」にしてあげる話です。

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第1章…にんじんの記念日は年に何回あるの?~数えてみたらにんじんの方が忙しい~

にんじんポタージュが棚にいない不満を語る前に、まずは事実確認からいきましょう。にんじん、記念日が意外と多いんです。もうね、にんじん本人が手帳を開いたら、赤丸だらけになっている感じ。「え、今日も主役の日?昨日もだったよ?」って、野菜室で肩を回してそうです。

有名どころで言うと、まずは2月3日。「にんじんの日」と呼ばれることがあって、沖縄の糸満市が制定した、と紹介されることが多い日です。由来としてよく語られるのが語呂合わせ。にんじんにそんな“数字芸”があったのか、と感心してしまいます。普段は千切りにされているのに、記念日では堂々と文字の主役。にんじん、やるときはやる。

そして4月4日。こちらは海外で広く知られている「International Carrot Day(国際にんじんの日)」という存在があって、世界規模でにんじんを愛でる日になっています。4月の春っぽさとにんじんの明るいオレンジが、まあ似合う。桜に混ざって、にんじんも咲いてみせる、みたいな季節感です。ここまでいくと、もはやにんじんは地域の名物ではなく、地球の名物。

さらに4月12日には「徳島県にんじんの日」という形で、県単位での“にんじん推し”も登場します。「よいにんじん」という語呂合わせが語られることが多く、日付に意味を込めるところが日本らしい。カレンダーの数字に気持ちを乗せるのは得意なんですよね。にんじんもそれを分かっていて、「じゃあ今日は徳島の顔でいきます」と、産地の帽子をかぶり直している気がします。

ここで少しだけ、ややこしい話もしておきます。記念日界隈では「にんじん」と書かれていても、文脈によっては“野菜のにんじん”ではなく、“高麗人参などの人参”を指すことがあります。同じ漢字を使うので、看板だけ見ると「あ、にんじんだ!」と近寄って、よく読むと「滋養に良い方の人参」だったりする。にんじん好きとしては「そっちの人参も尊いけど、今日はオレンジの方だよ!」と、心の中で優しくツッコミを入れたくなります。

こうして並べると、にんじんの記念日は「年に1回どころじゃない」んですよ。地域でも、県でも、世界でも、誰かがにんじんにスポットライトを当てている。なのに、私たちが日常で出会う“にんじんポタージュ”は、何故か控えめ。記念日では花道を歩くのに、売り場では裏口からこっそり帰る。これはもう、にんじんの照れ屋説が濃厚です。

でも、ここがこの記事の出発点なんです。にんじんは記念日がちゃんとあるほど愛されていて、料理の中でも毎日のように働いている。それなら「飲む主役」としての出番がもっとあっても、何にもおかしくない。ジュースはあるんだけども…。次の章では、にんじんが“万能役者”である理由を、栄養の話も交えながら、もう少し楽しく掘っていきます。にんじんの忙しさに、こちらも敬礼しながら。


第2章…にんじんは栄養だけじゃない料理界の万能選手~なのに“スープ界”では控えめ過ぎる問題~

にんじんの話になると、だいたい最初に出てくるのが「栄養がある」ってやつです。これはもう、にんじん本人の名刺みたいなもの。名刺の右上に、ピカッと「β-カロテン」って書いてあるイメージ。色がオレンジな時点で、もう自己紹介が終わってる。黙っていても目立つって、ちょっとズルいですよね。

β-カロテンは、体の中で必要に応じてビタミンAとして働く仲間として知られていて、目や皮膚の調子の話題で登場しやすい。さらに食物繊維もあり、毎日のリズム作りにも顔を出す。にんじんって「美容の友」みたいな扱いをされがちなのも、まあ納得なんです。野菜室に入っているだけで、何となく生活が丁寧になった気がする野菜ランキングがあったら、にんじんは上位の常連だと思います。実際、にんじんを買った日は「よし、今日はちゃんと生きてる」と思いがち。買って満足して冷蔵庫で眠らせる、というオチまで含めて、にんじんは人生の鏡です。

ただ、ここで大事なのは、にんじんが「栄養の話だけで終わる野菜」じゃないことです。料理の中での働きが、本当に幅広い。にんじんは主役にもなれるし、脇役にもなれる。しかも脇役の時の性能が高過ぎる。千切りにすると「彩り担当」になり、乱切りにすると「食感担当」になり、すりおろすと「甘み担当」になり、細かく刻むと「存在感を消しながら全体を底上げする担当」になります。つまり、にんじんは役職が多い。たぶん社内で名刺を刷る時に困るタイプです。

カレーやシチューに入るにんじんは、割りと堂々としているようで、実は“風味を丸くする仕事”もしてくれています。玉ねぎの甘みと一緒に、全体の角を取ってくれる。煮物なら、出汁を吸って「うん、こういうので良いんだよ」と言わせる。炒め物なら、色と甘みでテンションを上げる。サラダなら、シャキッとした食感で全体を若返らせる。お弁当だと、何も言わずに彩りの穴埋めをする。にんじんがいないと、茶色い世界が完成してしまう場面って意外と多いんです。茶色は美味しいけど、写真だと少し寂しい。そこににんじんが入ると、料理全体が急に「元気です!」って言い始める。にんじんは、料理の表情筋なんですよ。

それだけ万能なのに、なぜ“スープ界”では控えめなのか。ここが面白いところです。にんじんは、塊で料理に入っている時は、何だかんだ受け入れられやすい。カレーの中で踊っているにんじんは、スパイスの衣をまとっているので、にんじんっぽさが前に出難い。シチューの中ではクリームが包むので、穏やかに溶け込む。煮物なら出汁が主役だから、にんじんは「私は脇で良いです」という顔が出来る。つまり、にんじんは“集団の中では馴染める”。

ところがスープ、特にポタージュになると、にんじんは急に「単独トーク」を始めます。他の香りや具材に隠れ難く、にんじん本人の声がはっきり聞こえる。好きな人にはこれがたまらない。スプーンを入れた瞬間に「あ、にんじんだ」と分かるあの感じ。体が温まりつつ、甘みがフワっとくる。でも苦手な人にとっては、これが逆に「にんじんが前に出過ぎ」という感想になりやすい。つまり、にんじんポタージュは“好みの分かれ道”に立たされやすい飲み物なんです。

ここで誤解されやすいのが「スープにすると栄養が減るんじゃない?」という心配です。にんじんの主役であるβ-カロテンは、加熱が即アウトというタイプではなく、油と一緒に使う工夫で取り込みやすくなる、と言われることもあります。水に溶けやすい栄養は、ゆで汁を捨てると減りやすいけれど、ポタージュは煮たものを丸ごと食べる形に近いので、むしろ“置いてきぼり”が起き難い。ここがにんじんポタージュの良いところです。にんじん好きにとっては「飲むのに、ちゃんと食べた感がある」という、ありがたい矛盾が成立します。

要するに、にんじんは栄養の話だけじゃなく、料理の中での役割が広過ぎる万能選手です。そしてポタージュは、そのにんじんが「今日は私が前に出ます」と宣言する舞台。好きな人にはご褒美、苦手な人には挑戦状になりやすい。次の章では、この“好みの分かれ道”が、何故、スーパーの棚の並び方に影響してしまうのか。さらに、棚にいないなら家で呼び出す方法まで、現実的に、でも楽しく掘っていきます。にんじんの単独トーク、こちらも聞く準備はできています。

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第3章…スープなら凝縮して摂れるのににんじんポタージュがポピュラーになり難い理由と家で勝ちに行く作戦

売り場の棚って、冷静に見ると「多数決の世界」です。多くの人が迷わず手に取れる味が並びやすい。コーンは甘くて分かりやすい、かぼちゃはまろやかで安心、玉ねぎは“甘み担当”として受けが広い。そこに、にんじんが正面突破で割り込もうとすると、どうしても壁が出てきます。にんじんは良くも悪くも個性がはっきりしていて、ポタージュにすると「にんじん本人の声」がよく通るからです。好きな人には拍手喝采なのに、苦手な人には「席を立つ切っ掛け」になりやすい。この“好みの分かれ道”が、定番化の邪魔をしやすいのだと思います。

もう1つは、作る側の事情です。ポタージュは「なめらかさ」が命で、そこに手間が乗る。大鍋のカレーやシチューなら、にんじんは切って入れれば仕事をしてくれるのに、ポタージュは裏ごしやミキサーが欲しくなる。洗い物も増えます。さらに、保存が利く形にするなら品質の管理も大事で、色や香りが目立つにんじんは“変化がバレやすい”。作る側としては、同じ味に揃えて長く安定して出すには工夫がいる。だからこそ、にんじんは「ブイヨン側に入っている」くらいのポジションに落ち着きやすく、主役の座が棚に空き難い。にんじん本人は真面目なのに、環境が厳しいんです。

そして、ここで「じゃあキャロットジュースを温めたら良いの?」という発想が出てきます。これ、発想としてはかなり良いです。温かいにんじんは、体に入るだけでホッとする。ただし注意点があって、温めただけだと“ポタージュ”というより「温かいジュース」寄りになります。にんじんの声がストレート過ぎて、好みが分かれやすい。そこでおすすめしたい小技が、牛乳か豆乳を少し混ぜて、塩をほんの少しだけ入れることです。これだけで輪郭が丸くなって、「飲み物」から「スープ」に寄っていきます。余裕があれば、バターをほんの少し落とすと、満足感がグッと上がります。にんじんが急に上品な声でしゃべり始めます。

「加熱すると栄養が減るんじゃない?」という心配も、ここで優しく整理しておきます。にんじんの主役として語られやすいβ-カロテンは、加熱が即アウトというタイプではなく、油と一緒に食べる工夫で取り込みやすくなる、という考え方もあります。水に溶けやすい栄養は、ゆで汁を捨てると減りやすいけれど、ポタージュは“全体を食べる”形に近いので、置いてきぼりが起き難い。つまり、にんじんポタージュは「美味しいだけでなく、やり方としても筋が通っている」側に立てます。にんじん好きには朗報です。堂々と好きでいて良い。

とはいえ、スーパーの棚にないものはない。そこで「家で勝ちに行く作戦」です。にんじんポタージュは、家庭でちゃんと作れます。むしろ家庭の方が、好きな味に寄せやすい。基本は、にんじんと玉ねぎとじゃがいもを煮て、なめらかにして、牛乳で伸ばす。これだけです。ポイントは、玉ねぎをしっかり炒めて甘みを引き出すこと。ここを丁寧にすると、にんじんの香りが丸くなって「にんじんが前に出過ぎ問題」が起き難い。反対に、にんじんの主役感を楽しみたい日は、玉ねぎを控えめにして、にんじんを少し焼いてから煮ると香ばしさが乗ります。にんじんが“照れ屋”から“スター”に変わる瞬間です。

忙しい日には、さらに現実的な手があります。まとめて作って小分けにして冷凍する。これが、にんじんポタージュ好きの生活防衛です。作る手間は最初にまとめて払って、あとは温めるだけ。棚に無いなら、自分の冷凍庫に棚を作れば良い。そう考えると、にんじんポタージュが少ない現実すら、ちょっと楽しくなってきます。「ないからこそ、うちの定番にしてやる」という気持ちが芽生えるからです。

ここまでくると、にんじんポタージュの立ち位置が見えてきます。世の中の棚は多数決、にんじんポタージュは個性派。でも個性派は、好きな人の家で伸びる。次の章では、さらに現場寄りの話として、施設や日常の食卓で「続けられる形」にどう落とし込むか、そして“にんじんが消える”なんて未来を笑い飛ばすための着地を用意します。にんじんは脇役で終わる野菜じゃありません。スープの世界でも、ちゃんと主役になれます。


第4章…安い食材のはずが、手間と条件で消えかける?にんじんポタージュを「続けられる形」にして守る話

にんじんは、単体で見れば手に取りやすい食材です。けれど「にんじんポタージュ」という完成形になると、急に身分が変わる。にんじん本人は同じ顔をしているのに、周りの事情が重なって「今日は出番が難しいです」と言われてしまう。これはもう、にんじんの性格の問題ではなく、現場の都合の問題なんですよね。

施設の献立を思い浮かべると分かりやすいです。にんじんはカレーにもシチューにも煮物にも、当たり前のように入っている。大鍋で回せる料理なら、切って入れれば仕事をしてくれるし、加熱時間も読みやすい。ところがポタージュは「なめらかさ」が必要で、そこにミキサーやブレンダーの工程、洗い物、仕上げの加減、食形態に合わせたとろみ調整まで加わってきます。にんじんが急に“仕上げの繊細さ”を要求される舞台に立つわけです。忙しい厨房で「今日、ポタージュ行きましょう」と言うには、少し勇気がいる。にんじんポタージュが減りがちな理由は、ここが大きいと思います。

既製品を使えば手間は減ります。でも、そこで次の壁が「単価」です。日々の食数が多いほど、少しの差が大きくなる。結果として、にんじんは「ポタージュとして主役になる」より、「具材として登場する」方が現実的になりやすい。にんじん本人としては、塊で働くのも立派な仕事なんだけど、にんじんポタージュ好きの胸には小さな穴が開きます。棚にも献立にも、いつもあと一歩。

ここで「カリウムの問題」。カリウムは確かに気にする場面があるけれど、それだけで「にんじんが消える」ほど単純な話ではないです。むしろ、カリウムの話は「にんじんポタージュを続ける工夫」を語る材料になります。

腎臓の状態などでカリウム調整が必要な人がいる時、野菜の扱いは工夫が要ります。ここで大事なのは、にんじんを悪者にしないこと。にんじんが罪深いのではなく、食べる人の体調に合わせて形を変えるだけです。にんじんポタージュにするなら、下茹でをして水を切り、茹で汁は使わずに新しい水分で伸ばす、という発想が役に立つことがあります。逆に、煮汁ごと全部ミキサーにかける作り方だと、溶け出した分も一緒に飲む形になります。どちらが良いかは人によって違う。

そして最後に、にんじんポタージュが消えないための最大の答えは、案外シンプルです。「続けられる形」に落とすこと。棚に毎回あるのを期待し過ぎると、心が消耗します。だから、好きな人は手段を複数持っておく。取り寄せでご褒美の日を作っても良いし、自家製で日常の定番にしても良い。自家製なら、まとめて作って小分け冷凍しておけば、平日の自分が未来の自分に感謝します。「過去の私、ありがとう。にんじんポタージュがある…」と、レンジの前で拝みたくなるやつです。

にんじんポタージュは、放っておくと多数決の棚から押し出されやすい。でも、好きな人がちゃんと手を伸ばすと、生活に住みつける。手間がかかるからこそ、工夫が生きる。条件があるからこそ、作り方に意味が出る。そう考えると、第4章は「にんじんポタージュを守る現実策の話」になりせんか?にんじんは今日も野菜室で待っています。主役の日が少ないなら、こちらから主役にしてあげましょう。

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まとめ…結局は取り寄せか自作か?~でもそれってにんじんポタージュ好きには“最高の口実”かもしれない~

にんじんは、記念日がいくつもあるくらい愛されていて、台所でも毎日のように働いているのに、何故か「ポタージュ」という形になると急に影が薄くなる。これは、にんじんが人気がないからではなく、棚が多数決で出来ていることと、にんじんポタージュが“本人の声がよく通る個性派”であること、そしてポタージュという料理がどうしても手間を連れてくることが重なって起きる現象でした。にんじん本人は真面目に立っているだけなのに、周りの事情が「ちょっと今回は…」と言ってくる。にんじんのせいじゃないのに、にんじん好きだけが売り場で首を傾げる。何とも切ない。

でも、ここまで整理してみると分かります。にんじんポタージュが棚に少ない現実は、好きな人にとっては「終わり」ではなく「作戦を立てる合図」です。棚に毎回あることを願うのも良いけれど、好きな人ほど“自分の手元に置く”方向が向いています。取り寄せでご褒美の日を作るのも良いし、家でまとめて作って冷凍庫に小さな棚を作るのも良い。棚が多数決なら、こちらは少数精鋭でいけば良い。にんじんポタージュの世界は静かに熱い。

そして、栄養の話もここで優しく着地させておきたいです。にんじんの話は栄養だけで終わりがちだけれど、ポタージュは「美味しいから続く」という点で、とても現実的でした。飲み物として体に入って、満足感もある。水に溶けやすいものは「茹で汁を捨てると減りやすい」と言われるけれど、ポタージュは丸ごと取り入れる形に近い。だから、好きなら堂々と好きでいて良い。にんじん好きは、にんじんの味方であるだけでなく、自分の生活の味方にもなれます。

病院や施設の話に戻ると、にんじんポタージュが出難いのは、手間や単価、食形態の調整など、現場の事情が重なるからでした。カリウムなどの体調面の配慮が必要な人もいて、状況に合わせた作り方の工夫が求められる場面もある。だからこそ、にんじんポタージュは「誰にでも同じ形で出せる」ものではなく、「必要な人に合う形に出来る」ものとして価値があります。にんじんを悪者にしないで、にんじんの出番を作る。ここが大事です。にんじんは、だいたい悪いことをしていません。だいたい切られているだけです。

結局のところ、にんじんポタージュ好きが辿り着くのは、取り寄せか自作か、という道でした。でも私は思います。それって、けっこう幸せな話でもあります。好きなものを「手に入れる方法」が複数あるということは、好きが生活に根を張れるということだからです。売り場に無いなら、鍋で呼べば良い。今日の自分が少し元気がないなら、冷凍庫の自分が助けてくれる。そうやって、にんじんポタージュは日常の中でちゃんと続いていきます。

最後にひとこと。にんじんポタージュが棚に少ないことに不満を持てるあなたは、かなり健全です。何故なら、それは「美味しいものがあるのに埋もれている」ことに気づける舌を持っているから。にんじんポタージュは、静かに美味しい。だから静かに広めましょう。にんじんの記念日が増える前に、まずはあなたの家のカップが増えるかもしれません。飲み物としてのにんじん、今日から堂々と主役の仲間入りです。

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