塩ってスゴい!だけど摂りすぎたら笑えない!?~波と渚と塩の話~

[ 7月の記事 ]

はじめに…塩と聞いて浮かぶのは健康?料理?それとも海パン姿?

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7月3日。

カレンダーをふと見れば、今日も記念日がずらり。

波の日?

渚の日?

ああ、夏が来るなあ……なんて思ったのも束の間、「塩と暮らしの日」と聞いて、いきなり台所がチラついた方、あなたはもう“しおしおクラブ”の仲間入りです。

ちなみに「しおしお」は肩の力が抜けた感じのあだ名ではありません。

あくまで“塩との暮らし”に日々向き合ってる仲間たちの総称――と今勝手に命名しました。

ところで塩って、当たり前すぎて、改めて見つめることって少ないと思いませんか?

あの白くてサラサラしたやつ。

ふればなんでもおいしくなる(ような気がする)けど、かけすぎたら「うわっ!しょっぺぇ!」と叫ばれ、時には高血圧の元凶とまで言われる……なんとも評価が定まらない存在。

それでも、料理にも体にも欠かせない、ちょっと気になる奴。

それが塩です。

今回の主役は、そんな影の立役者“塩”。

海のどこかで生まれ、岩からも掘り出され、人やヤギを惹きつけてやまないあの塩を、ちょっとひねくれた視点とほんのり塩味の効いたユーモアで掘り下げてみたいと思います。

本当に天然なら安心?

おにぎりに振るか、味噌汁に溶かすか?

高齢者と6gの壁の間で揺れるこの白い粒子に、どうやって付き合っていけばいいのか――

波の日、渚の日、そして塩と暮らしの日🩷。

このトリプル記念日に敬意を表して、今日は塩と本気で向き合ってみましょう。

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第1章…塩は海の贈り物? それとも地球のカケラ?


塩って、ひとことで言うと“しょっぱい粉”。

でもその正体を知れば知るほど、「君、なかなかやるね」と言いたくなる奥深さがある。

だって、出身地からして違うんです。

日本の塩の多くは海から来るけれど、世界には山の中から生まれてくる塩もある。

海で潮風に育った海水塩と、太古の海が化石のように残った岩塩。

同じ「塩」と呼ばれてるけど、親戚程度の距離感で性格も全然違う。

海水塩は、まさに今の海をぎゅっと凝縮したような存在。

波にもまれたミネラルたちが結晶化して、私たちの食卓にやってくる。

瀬戸内、沖縄、能登、伊豆大島など、それぞれの土地の風・光・海の“性格”が味に出るっていうから面白い。

一方の岩塩は、まるで地球の記憶。

数億年前の海水が地中に閉じ込められて結晶になったものだから、「地球の昔話をなめてる」ような気分になれる。

しかもピンク、黒、白と色もさまざま。

見た目も派手でSNS映えには強い。

味はストレートで無口な感じ。

頼れるけど、愛想はないタイプ。

そんな個性派たちがなぜか「塩」という一言に集約されて売られてるんだから、そりゃあ選ぶ側も迷います。

最近ではスーパーの塩コーナーに立ち尽くす人も増えたとか。

「なにを基準にすればいいの?産地?粒の大きさ?価格?パッケージの可愛さ?」などと、頭の中で小さな会議が始まってしまうのです。

そして、動物界に目を向ければ、あのアイベックス。

イタリアのダムの崖をぺったり張り付いて登るあのヤギっぽい動物が、塩を舐めるためだけに断崖絶壁に挑むというから感動もの。

そんなにまでして塩が欲しいか。

欲しいんです。

塩は命に関わるミネラルですから。

ちなみに人間がアイベックス並みに塩を求めると、医者から注意されます。

そこは人間の弱さです。

塩は、どこで生まれたかで顔が違う。

海から来るか、山から掘り出されるか。

どこで育ったかで、味も、色も、相性も変わる🩷。

まるで人間のように多様で、それぞれに魅力があるのが塩の世界。

さて、次はそんな塩が、料理の世界でどうやって立ち回っているのか、そこんとこ見ていきましょう。

第2章…塩は料理の司令塔!? ちょい足しでシェフの風格


「塩ってしょっぱいだけでしょ」と思っていたあの頃に戻れるなら、自分にそっと言いたい。

「塩をなめるな」。

いや、文字通りの意味ではない。

塩は料理界の司令塔。

どの食材にどのタイミングで、どのくらいの塩を使うか。

それだけで「ただの焼き魚」が「プロっぽい香ばしさ」に昇格したり、「家庭の煮物」が「料亭の味」に近づいたりするのだから、もはや戦略的存在なのだ。

塩がないと食べ物はどうなるのか?

例えるなら、舞台で俳優が全員棒読みだったときのような、なんとも味気ない世界。

甘いも酸っぱいも、全部平らに感じる。

そんなとき塩をひとつまみ加えると、たとえばスイカの甘さがグッと立ち上がって「こんなに美味しかったっけ?」と再評価されるのはもはや夏の風物詩。

パスタの茹で湯に入れる塩は「海の味がするくらい」が基本。

これを忘れると、ソースはバッチリでも麺だけ味の抜け殻という寂しい結果に。

そう、塩は味の下地。

料理のキャンバスを整える下絵のような存在だ。

描きすぎれば主張が強すぎ、控えすぎれば印象がぼやける。

まさに“塩加減”という言葉の奥深さ。

さらに、表面にだけピンポイントで振る塩もあれば、食材に揉み込んで味を染み込ませる塩もある。

おにぎりなんか、あの表面にちょっとだけまぶした塩で「ご飯って甘いんだなぁ」と再認識させてくれる名人級のテクニック。

まるで、言葉少なな年配の職人さんが、背中で語る系のうまさだ。

塩があるから味がまとまり、食材が引き立ち、料理に“品”が出る。

逆に、塩が不在だと、どんな豪華な食材もどこかぼんやりした印象で終わってしまう。

つまり、塩の使い方次第で、料理は「家庭の味」から「伝説のレシピ」に変貌するのだ。

たったひとつまみが名シェフの風格を演出する、これこそが塩の底力。

さて、そんな頼れる司令塔にも、つきまとう悩みがひとつ。

それは「使いすぎたらどうなるの?」という永遠のテーマ🩷。

次章では、天然塩ならセーフ!と思い込んでると足元をすくわれる、ちょっとスパイシーなお話に続きます。

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第3章…天然塩だから安心…とは限らないぞ?


「天然」と聞くと、それだけでなんだか許された気になる。

天然パーマ、天然ボケ、そして天然塩。

なんとなく体にやさしそうで、少々しょっぱくても「まぁ天然だし…」と自分に言い訳しながら使い続けてしまう。

だが、ここで声を大にして言いたい。

「天然塩でも摂りすぎればただのナトリウム爆弾」だということを。

よくある誤解として、「天然=健康的=いくらでもOK」という思考回路がある。

でも冷静に成分表示を見れば、天然塩でもナトリウムはしっかり入っている。

確かにマグネシウムやカリウム、カルシウムなども含まれていて、「うわ、ミネラルすごい!」とテンションが上がるかもしれない。

けれど、その前にちょっと待った。

塩の主成分は、どんな天然塩でも、基本的には塩化ナトリウムである。

この現実からは逃げられない。

特に高齢者になると、ここが落とし穴になる。

健康のためにと買った減塩味噌や減塩しょうゆ、パッケージには「カリウム入り」の文字。

安心しきって常用していたら、数年後に「血中カリウム値が高いですね〜」なんて言われる未来が待っていたりする。

腎機能が衰えている高齢者にとって、カリウムの摂りすぎは冗談では済まない。

下手をすれば命に関わる。

この“塩選びの罠”は、誰にでも起こりうる。

しかも「おいしくて続けやすい」っていうのが、かえってタチが悪い。

味に慣れてしまえば、「これで健康になってる」と錯覚する。

でも実際には、知らぬ間にじわじわと塩分が蓄積されていく。

恐ろしいことに、塩はしれっと裏切ってくるのだ。そう、しれっとね。

では、もう塩なんて一切使わずに生きるべきか?

そんな極端な選択も違う。

塩は必要🩷。

だけど量と質、そして摂り方を見直すことが、これからの暮らしの“しおらしさ”かもしれない。

次章では、「塩を減らしてもおいしいって、ホント?」をテーマに、ちょっとずる賢く、でも体にやさしい“塩との共存方法”をご紹介します。

第4章…塩に頼らず美味しくなる!減塩の知恵くらべ


塩って、なくても困るけど、ありすぎても困る。

このジレンマを解消すべく登場するのが、「減塩」という名の作戦だ。

ただし、「減塩」と聞くとどうしても「味が薄い」「美味しくない」「物足りない」という三重苦が頭をよぎる。

だが安心してほしい。

現代の食卓には、塩が少なくてもおいしいと感じさせるテクニックがいくつもある。

まさに“知恵くらべ”の世界なのだ。

まず頼れるのは、うま味界の双璧。

昆布のグルタミン酸と、かつお節のイノシン酸。

このコンビがそろえば、塩を控えても味が深く感じられる。

つまり、ダシの勝利である。

味の柱がしっかり立っていれば、塩は補佐役に回ってもらっていい。

さらには、干ししいたけ、煮干し、あおさ、乾燥野菜と、地味ながら渋い実力者がそろっており、彼らのエキスが料理全体を「うまいぞ」と叫ばせてくれるのだ。

次なる刺客は酸味。

レモン、酢、ゆず果汁。

これらは料理に爽やかな刺激を加えつつ、「あれ、なんか味が濃い気がするぞ?」という錯覚を生む。

酸味は脳にピリッと信号を送り、「これは味がついてる」と認識させてくれる、非常にありがたい味覚のトリック。

おまけに口の中もさっぱりして、夏場の高齢者の食欲にもひと役買ってくれる。

そして見逃せないのが、香りと色。

しそ、柚子、ごま、にんにく、生姜、山椒、パセリ。

これらの存在感が強い香味野菜を使えば、塩の量は減っても“満足度”は減らない。

しかも彩りも良くなるから、食卓が楽しくなるというおまけつき。

人間って案外、見た目と香りで「おいしそう」と判断してる生き物なのだ。

最後の一手は、塩の使い方そのものを変えること。

料理全体に均一に塩を混ぜるのではなく、焼いた表面だけに塩を効かせたり、おむすびの外側だけに塩をまぶしたりと、「ここぞ」という場所でキメていくのが粋なやり方。

これだけで、全体の塩分は抑えられているのに、味は「おいしーっ!」と叫びたくなるレベルになるから不思議だ。

つまり減塩とは、「我慢」ではなく「戦略」なのである。

うま味、酸味、香り、見た目、そして塩の当てどころ。

五感をフルに使って、「あれ?これ減塩だっけ?」と感じさせない工夫こそが、本当の減塩ごはんの正体なのだ🩷。

そして、「減塩だから安心」と思い込んで油断するのではなく、「減塩だからこそ、塩との向き合い方にセンスを光らせよう」くらいの気持ちで、塩と付き合っていけたら、それはもう“しおらしい”人生の始まりかもしれない。


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まとめ…今日の塩加減は心の塩加減


塩。

それは白くて小さくて、軽く指先でつまめるほどの存在なのに、あまりにも重たい責任を背負わされている調味料だ。

料理の味を決め、健康のバランスに関与し、ときに崖を登るヤギを引き寄せ、スーパーの棚で人を悩ませ続ける。

こんなに多面的な白い粉が、ほかにあるだろうか。

…などと真面目なことを考えていたら、うっかり味噌汁がしょっぱくなった、なんてのは塩あるある。

7月3日は波の日、渚の日、そして塩と暮らしの日。

どれもが海を思わせる記念日で、潮の香りがしてきそうな並びだが、だからこそこの日を機に、私たちは塩とどう向き合っていくかを少しだけ考えてみるのも悪くない。

海から来たこの粒に、山から届くこのカケラに、私たちはどれだけ振り回され、どれだけ助けられてきたのだろう。

「減塩が良い」と聞いて塩を遠ざけると、料理の世界は薄ぼんやりと霞みがかり、「天然塩ならOK」と信じて振りすぎれば、高血圧がひょっこり顔を出す。

要するに、塩との関係は“ほどよい距離感”が命。

付き合いすぎず、かといって避けすぎず。

大切なのは、「この味、ちょうどいいな」と思える自分の舌と心の感覚なのかもしれない。

最後にひとこと。

今日のあなたの塩加減が、食卓の笑顔を左右します。

それがスイカに振るひとつまみであれ、にぎり飯にのせた愛情であれ、塩はいつだって“少しで十分、けれど無くては困る”やつなのです。

ではどうぞ、おいしくて、やさしい一日を。

できれば波の音を聞きながら🩷。

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