電車の優先席は“正義席”じゃない?~高齢者に譲らない選択を介護目線で考える~
目次
はじめに…満員電車は“道徳テスト会場”ではありません
電車の優先席って、なんだか不思議な場所です。座っているだけなのに「人間性が問われる席」みたいな空気が漂う。目の前に高齢の方が立つと、こちらの背中に“無言のナレーション”が乗ってくる感じ、ありませんか。「さあ、あなたは譲るのか、譲らないのか。今、あなたの徳ポイントが…」みたいな。
でも、ここで1つ言いたいんです。満員電車は、道徳の試験会場じゃありません。みんな仕事や用事で疲れてるし、朝の車内はだいたい「人間の形をした荷物」が密集している状態です。そこに“正解はこれ!”みたいな単純なルールを持ち込むと、だいたい誰かが苦しくなります。譲る人もしんどい、譲られる側もしんどい、周囲も気まずい。電車って、時々「気まずさの共同制作」みたいになりますよね。
そこで今回の記事は、少し挑戦的にいきます。タイトルの通り、「高齢者に優先席を譲らないのは悪いことなのか?」を、介護の現場目線で一度じっくり考えてみたい。ここで大事なのは、“高齢者に冷たい話”をしたいわけじゃないってことです。むしろ逆で、本当に助けが必要な人に、ちゃんと助けが届く空気を作るにはどうしたら良いか。ここをちゃんと考えたいんです。
介護の世界って、外から見えるイメージと、実際の運用がけっこうズレています。例えば「弱い人は座らせるべき」という優しさは、もちろん正しい面もある。でも、現場では「座れる状況を作ってから出掛ける」という発想がまず最優先になりがちです。遠出ならなおさらで、体力の見積もりが甘いと、本人がつらいだけじゃなく、同行者も周りの人も巻き込んでしまう。だからこそ、介護の現場では“気合いで乗り切る”より“仕組みで安全を確保する”が基本になります。
そう考えると、優先席の前で起きているモヤモヤって、「譲る・譲らない」の二択では片付かない気がしてきませんか。譲ることが優しいのは確か。でも、譲られないことが即座に悪とも限らない。さらに言うなら、譲ることが逆に“別の誰か”を苦しめる場合だってある。優先席って、意外と奥が深いんです。深過ぎて、たまに底なし沼です。
この記事では、まず「介護現場の当たり前」を持ち込みつつ、優先席を巡る空気の正体を分解していきます。そして最後には、「年齢」よりも「体調」や「状況」で判断する視点、譲る側だけが背負わない考え方、お願いする側のマナーの話まで、出来るだけ現実的にまとめていきます。
ちなみに私は、電車で席を譲るのが嫌いなわけではありません。むしろ、必要なら譲りたい派です。ただ、譲るかどうかを“年齢だけで決める”のは、もう少し丁寧に見直しても良いんじゃないか。そんな気持ちで、ちょっと笑いも混ぜながら、でも芯は真面目にいきます。優先席の前で固まるあの3秒を、少しでも軽くするために。
[広告]第1章…電車のマナーで迷う瞬間~優先席の前で固まる3秒問題~
優先席の前に立つと、空気が急に“体育館の朝礼”みたいになる瞬間があります。誰も声は出していないのに、何故か背筋が伸びる。視線は散り散りに逃げているのに、何故か全員が同じ話題を共有している。そう、あの「お年寄りが来たぞ、どうする?」という、無言の会議です。
座っている側は、だいたい3秒だけ固まります。「譲るべき?」「いや、今の自分もけっこう限界…」「でも譲らないと悪人に見える?」「いや、別に悪いことでは…」と、心の中で議案が並び、可決も否決もされないまま時間だけが過ぎる。気づけばスマホの画面が異常に魅力的に見えたり、急に吊り広告の漢字が読めるようになったりします。人間、追い詰められると視力が上がるんですね。
ここで厄介なのは、優先席が「譲る/譲らない」の話を超えて、いつの間にか“人格の判定”みたいになってしまうところです。譲った人は聖人、譲らない人は冷酷、みたいな短絡が生まれやすい。でも現実はそんなに単純じゃない。何故なら、車内には「譲りたいけど立てない人」「譲ったら次の駅まで倒れそうな人」「仕事で神経がすり減って座らないと持たない人」も普通にいるからです。人の体力と気力は、見た目だけじゃ分からない。ここがまず大前提です。
そしてもう1つ。譲られる側も、いつでも“ありがたく座れる”とは限りません。高齢の方にもプライドがあるし、「譲られる=弱者認定」と感じてしまう人もいます。中には、断りたいのに断るタイミングを失って、気まずさだけが残るケースもある。優先席の前って、譲る側だけじゃなく、譲られる側も「立ち振る舞いの難易度」が上がる場所なんですよね。
この“気まずさ”を強くしているのが、優先席の存在そのものというより、「優先席=常に譲るべき」という空気の固定化です。例えば妊婦さんの表示、障害のある方の支援、ケガや体調不良など、明確に守るべきケースは当然あります。そこに異論はありません。問題は、高齢者というカテゴリが余りにも広いことです。元気に山登りする方もいれば、立っているのがつらい方もいる。同じ“高齢者”でも状態がまるで違うのに、車内では一括りにされがちです。
介護の現場にいると、ここが特に気になります。現場では「年齢」より「状態」を見ます。見た目の元気さ、歩行の安定、息切れ、顔色、手すりの掴み方、声の張り、反応の速さ。つまり、「この人はいま危ないかどうか」を判断する癖がついている。だから電車の優先席も、本当は同じ見方が必要なんじゃないかと思うんです。年齢で自動的に“譲る対象”にするより、「今困っているか」で見る方が、ずっと優しい。
さらに言うと、優先席って“正義の椅子”にしない方が、長い目で見てみんなが楽になります。正義の椅子になると、譲る人は「やって当然」になり、譲らない人は「やらない罪」になり、譲られる側は「座って当然」になりやすい。これ、全員がしんどい三重苦です。椅子1つで、誰も幸せにならない謎のトライアングルが完成します。
じゃあどうするのか。ここでこの章の結論を、少しだけ先に置きます。優先席の前で固まる3秒問題を減らすコツは、「譲る/譲らない」を道徳の二択にしないことです。まずは“観察”する。相手の様子を見る。自分の状態もちゃんと確認する。必要がありそうなら、声を掛ける。必要がなさそうなら、変に罪悪感で自分を責めない。この“間”があるだけで、車内の空気はだいぶ変わります。
次の章では、介護の現場での「遠出の考え方」や「座れる準備」の話を持ち込みながら、「そもそも本当に座席が必要な人は、どう行動していることが多いのか」を掘っていきます。電車の優先席を、もう少し現実に沿った視点で見直していきましょう。
第2章…介護現場の常識はこうだった~「遠出=座れる準備」が基本の世界~
介護の現場にいると、「外出する=まず座れる場所を確保する」という感覚が、かなり当たり前にあります。これは優先席の話というより、もっと根っこの「安全設計」の話です。体力って、気合いで増えないんですよね。しかも外出は、家の中と違って“逃げ場”が少ない。しんどくなっても、都合よく椅子が出てくるわけじゃない。だから現場では、遠出の前に「座れるルート」「休めるポイント」「混む時間を避ける」みたいな、地味だけど超大事な準備が先に来ます。
例えば、介護が必要な方が電車で移動するなら、車椅子スペースを使うことが多いです。結果として、座席の確保は最初から成立している。ここがポイントで、現場の感覚だと「座りたいから優先席を使う」ではなく、「安全に移動するために最初から座れる状態を作る」が基本になります。言い方を変えると、優先席は“主食”じゃなくて“非常食”なんです。頼る前提で毎回外出すると、どこかで無理が出てしまう。
一方で、介護が必要なほどではないけれど、年齢や持病で体力が落ちてきた方もいます。ここが一番難しい層です。動けるからこそ、無理が出来てしまう。「今日は大丈夫」と思って出かけて、途中で電池が切れる。しかも本人の中では「まだやれる」が残っているから、休む判断が遅れやすい。現場でよく見るのは、こういうタイプほど“頑張り過ぎて崩れる”んです。頑張り屋さんほど危ない。これ、ほんとに皮肉です。
じゃあ、何故、電車の中だと「譲ってもらうのが当然」みたいな空気が生まれやすいのか。私はそこに、現場と実社会のズレがあると思っています。介護の現場では、本人の安全を守るために「準備」と「段取り」を徹底します。ところが日常の電車だと、その段取りが見えない。見えないから、判断が“年齢っぽさ”に寄ってしまう。すると、座っている側は「譲るべき?」で固まるし、立っている側は「譲られるべき?」で構える。気まずさが増えるわけです。
ここで少し、意地悪な真実も言ってしまいます。優先席という仕組みがあることで、「本当に必要な人」が遠慮して、「元気な人」が堂々と座ってしまうことも起きます。現場でも同じで、福祉の制度や配慮は、必要な人ほど“迷惑を掛けたくない”が強くて引っ込みがちなんですよね。だからこそ、周りが“年齢で一括判断”するのは危うい。大事なのは、必要性をちゃんと見分ける目と、声を掛ける勇気の方です。
とはいえ、「じゃあ高齢者は外出するな」なんて話ではありません。むしろ外に出ることは、心にも体にも大事です。だからこそ、現場の知恵として提案したいのは、外出を“根性イベント”にしないこと。混む時間を避ける、休める予定を先に織り込む、無理しない行程にする。こういう“安全の仕込み”があるだけで、電車の中でのつらさも、周囲への気まずさも減っていきます。
そして次の章では、ここからもう一歩踏み込みます。「じゃあ席を譲るべきなのはどんな時?」を、年齢じゃなく体調のサインから見ていきます。優先席の前で固まるあの3秒を、“観察して判断する3秒”に変えるための話をしていきましょう。
第3章…席を譲る基準は年齢より体調~顔色・冷や汗・震えのサインを見逃すな~
優先席の前で固まる3秒問題。これを解決する最大のヒントは、実はとてもシンプルです。「高齢者かどうか」より、「今、その人が危ないかどうか」を見る。介護の現場では当たり前の視点ですが、電車の中だと急にこれが難しくなる。何故なら、車内は情報量が多過ぎるんです。揺れる、押される、暑い、眠い、スマホの通知が鳴る、仕事のことが過る。そんな中で“人を見る”って、けっこう高度な技なんですよね。
でも、出来れば身につけたい。何故なら、この視点があるだけで「譲るべきか」の判断が、道徳じゃなく“安全”になるからです。安全の話に変わると、気まずさが減ります。譲る側も「正しいことをした」というより「危ないからサポートした」に近くなる。譲られる側も「若者に説教する」ではなく「助かった、ありがとう」になりやすい。優先席が“正義席”から“救命ベンチ”に近づく感じです。
この人は危ないかも~このサインはわりと分かりやすい~
体調が崩れかけている人って、意外と見た目に出ます。もちろん完璧には分からないけれど、「年齢」よりずっと手掛かりがあります。顔色が妙に白い、逆に赤く火照っている、唇の色が薄い。汗が変で、真夏でもないのに冷や汗っぽい、額やこめかみに脂汗が滲む。立ち方が不安定で、揺れとは別に小刻みに震えている。手すりを握る手に力が入っているのに、体がついてこない。目の焦点が合っていない、ぼんやりしている。こういうサインが重なる時は、年齢に関係なく「席どうぞ」の出番です。
ここで大事なのは、気づいても“正面から圧を掛けない”こと。電車内は、助けたい気持ちと同じくらい「目立ちたくない気持ち」も強い場所です。なので声掛けは、柔らかく短くが正解です。「良かったら座られますか?」くらいで十分。相手が断っても、追撃しない。断られたら「分かりました」と引く。これだけで、かなりスマートに見えます。スマートに見えると、自分の心もラクになります。結局、心の平和が勝ちです。
妊婦さんは“見えない変化”が大きいので基本は守る方向で
妊婦さんについては、ここは迷わない方が良いと思っています。妊娠期間は体に急に負荷が増えるし、睡眠不足や貧血、つわりなど、外から分かり難いしんどさが重なりやすい。しかも車内の急ブレーキや押し合いは、危険度が高い。だからこそ「席どうぞ」は、優先度が高い。もし座ると腰に響きそうだとしても、立ったまま押されて転倒するリスクの方が怖い場面が多いんです。
ここもポイントは、やっぱり圧をかけないこと。「妊婦さんでしょ?」と決めつけるより、「良かったらどうぞ」の方が角が立ちません。マークが見えても見えなくても、体調優先で考えるのが良いと思います。
高齢者は“経験のある体”だからこそケースが広い
高齢者の難しさは、ここです。同じ年齢でも体力差が大きい。元気に歩ける人もいれば、立つだけでふらつく人もいる。さらに言えば、高齢の方ほど「自分の体の癖」を長年つき合って知っていることも多い。だから、本人が平然としているなら、本当に平然としている場合もある。逆に、平然を装っている場合もある。ここが判断をややこしくします。
だから私は、「年齢だから譲る」ではなく、「危なそうなサインがあるなら譲る」に寄せたいと思っています。これって冷たい話ではなくて、むしろ公平に近い。若い人だって体調が悪い日はあるし、持病だってある。見た目だけで判断されると、助けが届かない人が出てしまう。電車という場所は、弱っている人ほど“弱って見せない”ことがあるので、余計にです。
席を譲るのは“年齢への敬意”というより“転倒予防”だと思うとラク
「譲るべきか」の悩みを軽くするコツがあります。それは、席を譲る行為を“礼儀作法”というより“転倒予防”だと考えること。礼儀作法だと、正解不正解の世界になってしまう。でも転倒予防なら、状況判断の世界です。状況判断は、間違っても良い。断られても良い。むしろ「断れる余裕があるなら良かった」と思える。
だから、優先席の前で固まる3秒は、こう使うと良いです。「この人は危ないか?」を観察する3秒にする。危なそうなら声を掛ける。危なくなさそうなら、無理に背負わない。これで、心の中の裁判官が少し黙ります。裁判官が黙ると、電車が静かになります。静かになると、人生も少し静かになります。たぶん。
次の4章では、もう少し踏み込んで「譲る側だけが頑張らない」話をします。優先席って、譲る人の善意だけで成り立たせようとすると、どこかで歪みます。お願いする側のマナー、周囲の空気の作り方、そして“当然顔”が何故、揉め事を呼ぶのか。ここをユーモア多めで、でも現実的に整理していきます。
第4章…譲る側だけが頑張らない~「当然顔」より「お願いします力」が平和を呼ぶ~
優先席の話題って、最終的にここに着地しがちです。「譲るべきか、譲らないべきか」よりも、「空気が悪くなる瞬間をどう減らすか」。そして空気を悪くする最大の燃料は、だいたい“当然顔”です。これは座っている側でも、立っている側でも発生します。どちらか一方が悪いというより、人間が混むと起きる現象です。満員電車って、理性がギリギリのところで踏ん張ってますからね。電車が揺れているのではなく、皆のメンタルが揺れている。そんな日もあります。
まず、譲る側の話からいきます。譲れない日があっても良いんです。自分も疲れている、体調が微妙、腰が痛い、立って帰る自信がない。こういう日はある。ここに罪悪感を盛り過ぎると、優先席が“正義席”になってしまい、乗るたびに心が摩耗します。譲れないなら、譲れないで良い。ただし、その代わりに「困っていそうな人がいるなら、せめて気づく」くらいは持っていたい。気づいた上で譲れないなら、心の中で「今日は私が守られてる日」として受け取って良い。優しさって、ずっと出し続けると枯れるので、チャージ日が必要です。
そして立っている側、つまり譲られる可能性がある側の話です。ここは少しだけ現実的に言いますが、「お願いする力」は大事です。介護の現場でも、サービスを受ける側が“丁寧にお願い出来る”かどうかで、周囲の空気が変わることがあるんです。もちろん、体調が悪くてそれどころじゃない場合は別です。でも元気があるなら、譲ってもらう行為は“当然”ではなく、“助けてもらう”に寄せた方が、圧倒的に上手くいきます。
ここで登場するのが、あの有名な「無言で若者の前に立って圧をかけるムーブ」です。これはもう、電車内の小さなホラーです。怖いのは、言葉がないのにメッセージだけが強いところ。「早く気づけ」「察しろ」「ほら、席はそこだ」って、視線で語りかけてくる。察する力が強い人ほどダメージを受けます。しかも、察しが悪い人には効かないので、結果として“優しい人が損する”構図が生まれます。これ、社会のバグです。
だから私は、声に出すのが一番平和だと思っています。大きな声じゃなくて良い。「すみません、少し座っても良いですか」「体調が悪くて…」このひと言があるだけで、座っている側の3秒会議が即終わります。譲る側も「押しつけられた」ではなく「頼まれた」に変わる。頼まれたなら、人は割りと動けます。これは心理の不思議というより、人間の仕様です。
「譲る」より「交換する」と思うと空気が柔らかい
優先席の話をギスギスさせないコツがあります。それは、譲るを“上下”の行為にしないこと。譲るって言葉には、どうしても上から下の匂いが混ざることがある。だから、心の中では「交換」くらいにしておくと良いです。今日はあなたが座る日、明日は私が座る日。電車は回る、席も回る、人生も回る。回り過ぎて目が回る。そういう世界観です。
実際、今日あなたが座っているのは、あなたが“譲られなかったから”じゃないかもしれない。たまたま席が空いた、早めに乗った、運が良かった。なら、明日も運が良いとは限らない。人はいつでも、立つ側にも座る側にもなる。そう思えると、「譲らなかった自分」を過剰に責めないし、「譲られなかった自分」を過剰に怒らない。怒りって、だいたい“固定された立場”から生まれます。
優先席が揉めるときの正体は「席」じゃなく「尊厳」
もう1つ、介護現場目線で言うと、優先席で揉める時、争点は席そのものじゃないことが多いです。正体は尊厳です。譲る側は「自分もつらいのに、悪者扱いされたくない」。譲られる側は「軽んじられたくない」「ぞんざいに扱われたくない」。どちらも、根っこは“人として扱って欲しい”なんです。だからこそ、丁寧な言葉が効きます。譲る側も「どうぞ」だけじゃなく、できれば目を見て一瞬頷くだけで違う。譲られる側も、会釈1つで空気がほどける。礼儀って、偉さのためじゃなく、摩擦を減らすためにあるんだなと感じます。
そして結局、優先席の理想形はこうです。「必要な人が遠慮し過ぎず、必要ない人が威張らず、譲る側だけが罪悪感で削れない」。そのためには、譲る側の善意に全部背負わせるより、お願いする側のマナーと、周囲の“観察する目”が一緒に働いた方が上手くいきます。
次はいよいよ「まとめ」です。ここまでの話を、電車の中で使える現実的な形に整えつつ、「譲らない判断が成立する場面」と「譲るべき場面」を、年齢ではなく状況で整理して締めます。最後は少し笑って降りられるように、上手く着地させましょう。
[広告]まとめ…善意は押し付けず勇気はケチらず~今日の電車は今日だけ~
ここまで、優先席の前で固まる3秒問題から始まって、介護現場の「遠出は準備が命」という感覚、年齢より体調のサインを見る話、そして“当然顔”が空気を壊しやすい話まで進めてきました。結局なにが言いたいのかというと、優先席って「正しい人が勝つ席」じゃなくて、「危ない人が倒れないための席」なんだと思うんです。
だからこそ、「高齢者だから必ず譲る」「若者だから必ず立つ」みたいな、年齢だけの一律ルールに寄せ過ぎると、どこかで歪みます。元気な高齢者もいれば、体調が悪い若者もいる。見えない事情を抱えた人もいる。電車という場所は、そういう“見えないもの”がギュウギュウ詰めになって走っている乗り物です。席の取り合いに見えて、その中身は尊厳のぶつかり合いになりやすい。だからこそ、判断の軸を「年齢」から「状態」へ寄せた方が、みんながラクになります。
譲るべきときは、実は割りと分かりやすい。顔色が悪い、冷や汗が出ている、立ち方が危うい、揺れと関係なく震えている、目の焦点が合っていない。こういう時は、老若男女を問わず「大丈夫ですか」「良かったら座りますか」が一番強い。これは道徳の問題じゃなく、転倒予防です。転倒予防は、誰の味方でもあります。
一方で、譲らない判断が成立する場面もちゃんとあります。自分の体調が厳しい日、自分が立てない日、座らないと帰れない日。あるいは、相手が元気そうで、手すりもしっかり掴めていて、足元も安定している時。そんな時まで「譲らない=悪」にしてしまうと、優先席の前が毎回“裁判所”になります。裁判が多い車両って、つらいじゃないですか。通勤は移動であって、被告席じゃない。
そしてもう1つ、この記事の裏テーマは「譲る側だけが頑張らない」でした。優先席が平和になるかどうかは、座っている人の良心だけに掛かっていません。お願いする側が、丁寧に言葉を添えられるか。周囲が、無言の圧ではなく“観察の目”を持てるか。こういう小さな協力で空気はかなり変わります。無言で圧を掛けるより、短いひと言の方がずっと強い。しかも揉めない。これが一番賢い。
最後に、私が一番好きなまとめ方をします。電車の中で起きることって、だいたい「その日だけの事情」です。今日あなたが座っているのは、あなたがズルいからじゃなく、今日はあなたが座る日だっただけかもしれない。今日あの人が立っているのも、今日は立てる日だっただけかもしれない。明日になったら立場は入れ替わる。電車は回る、席も回る、人の体調も回る。回り過ぎて、たまに人生が空回りする。そんなもんです。
だから、善意は押し付けず、勇気はケチらず。危ない人がいたら声をかける。自分が無理なら無理をしない。お願いする時は丁寧に。断る時も丁寧に。これだけで、優先席は“正義席”ではなく、ちゃんと“安全席”として機能し始めます。
そして何より、電車を降りた後に「今日の自分、割りと良かったな」と思える日が増えます。優先席で一番大事なのは、席の正しさじゃなくて、降車後の心の軽さかもしれませんね。
今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
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