今日の15分はあなたのもの~介護施設の予定表に「私の時間」を取り戻す声掛けと楽しみ方~
はじめに…時計通りの一日に「私の時間」はありますか?
朝は起きる時間があり、食事の時間があり、薬、水分補給、排泄、入浴、おやつと続いていきます。介護施設の一日は、まるで時刻表のように規則正しく進みます。平穏無事に暮らしてもらうためには、この流れが欠かせません。便通が整いやすくなり、脱水や薬の飲み忘れも防ぎやすくなる。予定には、きちんと人を守る力があります。
けれども、時計の針に心まで引っ張られてしまうと、少し息苦しくなります。
「お茶の時間ですよ」「体操が始まりますよ」「そろそろトイレへ行きましょう」
どれも親切な声掛けなのに、朝から晩まで続くと、本人の1日は「次に呼ばれるのを待つ時間」へ変わっていきます。さっきお茶を飲んだ気もするけれど、またお茶です。お茶は悪くありません。むしろありがたい。ただ、時計が施設長になってはいけないのです。
必要なのは予定表を壊すことではなく、その隙間に本人だけの時間を戻すことです。
ほんの15分でも、「今日は何をしましょうか」と聞かれ、自分で選んだことを職員と楽しめたなら、その時間は余った時間ではありません。誰かに動かされた1日の中で、自分の手に戻ってきた大切なひと区切りです。
何かをしても良い。何もしなくても良い。外の風に当たりたい日もあれば、静かに座っていたい日もあります。臨機応変に選べる小さな時間があるだけで、施設の1日は少しやわらかくなります。
[広告]第1章…整った生活は大切だけど心まで時刻表に乗せなくていい
介護施設の生活リズムは、無くしてしまえば良いものではありません。決まった時間に起き、食べ、飲み、体を動かし、夜になれば休む。昼夜逆転を防ぎやすくなり、排泄の調子も掴みやすくなります。服薬や水分補給を忘れにくいことも、大きな安心に繋がります。
大勢の暮らしを少ない職員で支えるためにも、予定は必要です。朝食が午前7時の人、午前10時の人、正午の人と自由自在になれば、厨房も介護職員も目を回します。食堂発、トイレ経由、お風呂行き。施設の1日は、少し大きな駅のようです。乗り換え案内まで必要になったら、流石に大騒ぎでしょう。
けれども、予定には一長一短があります。
体を守る流れが整う一方で、いつも同じ時刻に、同じ場所へ、同じ声で誘われ続けると、「自分で決める場面」が少しずつ減っていきます。本人が何も言わないため、困っていないように見えるかもしれません。実際には、希望がないのではなく、希望を出す順番が回ってこなくなっていることがあります。
「もう少し寝ていたい」「お茶は後で飲みたい」「今日は体操より新聞がいい」
そんな小さな気持ちは、健康記録の数字には現れにくいものです。体温も血圧も安定し、食事量も十分。それでも胸の内では、「今日も全部、決められているなあ」と感じているかもしれません。人の心には、測定器を当てても表示されない欄があるのです。
生活習慣を整えることと、本人の希望を先回りして消してしまうことは同じではありません。午前10時に水分補給をする決まりがあっても、飲み物まで全員同じにする必要はないでしょう。お茶、白湯、好みの飲み物から選べるだけでも、その時間には本人の意思が戻ります。
体操の時間にも、参加する、見学する、部屋で別のことをするという道が考えられます。安全や体調に問題がなければ、「今日は辞めておきます」も立派な返事です。毎日必ず笑顔で体操に参加する人ばかりなら、職員の方が「私より健康的では?」と不安になるかもしれません。
良い生活リズムとは、全員を同じ形にはめることではなく、安心の土台の上で本人が選べる余白を残すことです。
必要な場面では予定に沿い、気持ちが動いた時には臨機応変に寄り道する。その程度の揺らぎがある方が、1日は人間らしくなります。予定通りに終わったことだけを喜ぶのではなく、「今日は自分でこれを選んだ」と言える瞬間にも目を向けたいところです。
体の調子を守る時刻表は残して良いのです。ただし、心まで指定席に座らせる必要はありません。
第2章…「次はお茶です」から「今日は何をしましょうか」へ
午後3時が近づくと、ワゴンに湯飲みが並び、食堂には甘いお菓子の香りが漂い始めます。
「お茶の時間ですよ」
聞き慣れた声に顔を上げる人もいれば、読んでいた新聞を静かに閉じる人もいます。窓の外を眺めていた方も、編み物の続きをしていた方も、同じ時刻に同じ場所へ向かいます。
お茶の時間は、ホッとできる大切なひと時です。ただ、毎日同じ言葉だけで始まると、「お茶を飲みたいか」ではなく、「お茶の時間だから動く」という形になりやすくなります。
職員側にも事情があります。何人もの方へ声を掛け、飲み物を配り、咽込みや水分量にも気を配らなければなりません。1人ずつ長い相談会を開いていたら、おやつが夕食に追いつきます。いや、それは流石に困ります。
それでも、最初のひと言を少し変える余地はあります。
「温かいお茶が入りました。今、飲まれますか?」
「食堂とお部屋なら、どちらでゆっくりしましょうか?」
「今日はお茶と白湯がありますが、どちらが良さそうですか?」
同じ水分補給でも、尋ね方が変われば、本人が選ぶ場面が生まれます。自己決定支援(本人が自分の希望を選び、決められるように助けること)は、大きな外出計画だけに必要なものではありません。飲み物、場所、始める時刻といった小さな選択にも宿ります。
声掛けは人を動かす号令ではなく、その人の気持ちが出てくる扉でありたいものです。
「今日は何をしましょうか」と尋ねる時にも、少し工夫が要ります。
急に広い質問を渡されると、本人も困ってしまいます。長く決められた流れで生活してきた方なら、なおさらです。「何でも好きなことをどうぞ」と言われても、自由が大海原すぎます。こちらは親切のつもりなのに、相手の頭の中では小舟が漂流しているかもしれません。
そんな時は、普段の会話や表情から、選びやすい2つほどの道を差し出します。
「外の風に当たるのと、懐かしい歌を聴くのでは、どちらが今の気分ですか?」
「写真を一緒に見るのと、少しお話しするのならどうでしょう?」
「お部屋で休むのも大丈夫ですよ」
最後のひと言が、とても大切です。何かを選ばなければ職員を困らせる、折角、誘ってくれたから断れない。そんな遠慮を抱える方は少なくありません。「今日は休みたい」も歓迎されると分かれば、次に出てくる「やってみたい」も本音に近づきます。
人の好みは千差万別です。同じ方でも、昨日は歌が聴きたくて、今日は静かに窓の外を見たいことがあります。生活歴を知っているからといって、「この方は園芸が好き」と決め切ってしまうのも惜しいところです。好きなことにも休日があります。園芸好きだって、毎日鉢植えを差し出されたら、花より先に自分が水切れします。
アセスメント(その人の暮らしや思いを知るための情報集め)は、過去の趣味を確認して終わるものではありません。その日の表情、視線が止まった物、何気なく口にした言葉にも、今の希望が隠れています。
声掛けを少しゆっくりにして、返事を待つ。最初の「別にないよ」で引き下がらず、押しつけにもならない距離で選択肢を添える。急がば回れと言いますが、数十秒のやり取りが、その後の穏やかな15分を生むことがあります。
「次はお茶です」と伝えるだけだった時間に、「今日はどうしましょうか?」が加わる。それだけで、予定に従う一日は、自分も参加して作る1日へ少しずつ変わっていきます。
[広告]第3章…希望を聞くより希望が出てくる空気を作ろう
「何かしたいことはありますか?」
そう尋ねた職員に、高齢者さんが「別にないよ」と答える。介護現場では珍しくない場面です。返事を聞いた職員は、「今日は希望なし」と受け止めて、次の仕事へ向かうかもしれません。
けれども、そのひと言だけで、本当に何も望んでいないと決めるのは少し早いでしょう。
希望は、注文票のように分かりやすく出てくるとは限りません。「散歩を30分、帰りに温かいコーヒーをお願いします」と、レストラン並みに伝えてくれる方ばかりなら助かります。介護職員もメモを片手に「かしこまりました」と言えますが、現実の気持ちはもう少し照れ屋です。
「外は暑そうやな」と何度も窓を見る。隣の方の新聞へ少し視線を向ける。懐かしい歌が流れた時だけ、指先で拍子を取る。職員が花瓶を整えていると、「その花は長持ちするんか」と尋ねる。
こうした小さな反応が、希望の入口になります。
アセスメント(その人の生活や心身の状態を知り、支援へつなげること)は、質問用紙を埋める作業だけではありません。何に目を向け、どんな時に表情が変わり、誰との会話なら声が弾むのか。毎日の何気ない姿には、その方から届く静かなヒントがあります。
ただし、以心伝心で全部分かった気になるのも危険です。窓を見ていたから散歩したいとは限りません。「眩しいからカーテンを閉めてほしい」と思っている可能性もあります。職員の想像は答えではなく、本人へ確かめるためのキッカケとして使います。
「少し外を見に行きますか。それとも、カーテンを閉めましょうか?」
こんなふうに尋ねれば、本人は答えやすくなります。観察して、さりげなく誘い、反応を見る。違っていれば、すぐに引き返せば良いのです。
希望は無理に聞き出すものではなく、安心して口にできる空気の中から少しずつ顔を出します。
その空気を作るには、断っても関係が変わらないと伝えることが欠かせません。
「せっかく準備したのに」「少しだけでも参加しましょう」「皆さん待っていますよ」
励ますつもりの言葉でも、本人には断りにくい圧力になることがあります。職員が残念そうな顔をすれば、次からは本音よりも職員を喜ばせる答えを選ぶかもしれません。
「今日はやめておきます」と言われたら、「分かりました。また気が向いた時に声を掛けてくださいね」と笑って引く。その安心が積み重なると、別の日に「今日は行ってみようかな」が生まれやすくなります。
十人十色というだけでなく、1人の中にも10通りくらいの気分があります。昨日は将棋を楽しんだからといって、今日も盤を抱えて登場すれば良いとは限りません。毎朝、職員が将棋盤を持って立っていたら、本人も「私は名人戦の最中だったかな」と戸惑うでしょう。
生活歴や趣味は大切な手掛かりですが、それだけで人を固定しないことです。昔は畑仕事が好きでも、今は土に触るより、野菜の話を聞く方が楽しいかもしれません。料理が得意だった方も、調理をしたい日と、誰かが作る様子を眺めたい日があります。
マンツーマンの支援では、立派な活動を完成させる必要はありません。写真を1枚見る。歌を1曲聴く。廊下の先まで歩く。湯飲みを本人に選んでもらう。途中で気が変われば、別のことへ移っても構いません。
職員が用意するのは完成した楽しみではなく、本人の気持ちが動き出せる小さな入口です。「何がしたいですか?」と答えを求めるより、「これ、少し気になりませんか?」と一緒に覗いてみる。そんな柔らかな関わりから、その人らしい時間が育っていきます。
第4章…マンツーマンの15分が小さな冒険になる
職員と1対1で過ごせる15分ができたとしても、特別なイベントを用意する必要はありません。
「折角だから、何か立派なことをしなければ」
そう考え始めると、企画書、準備物、記念撮影と話が膨らみ、気づけば小さな自由時間が施設行事へ成長しています。15分の散歩に開会式はいりません。本人が「ちょっと行ってみようかな」と思えた時点で、もう十分な始まりです。
マンツーマンの良さは、集団では拾いにくい小さな希望へ寄り添えることにあります。
玄関先へ出て、季節の風を感じる。売店で飲み物を一本選ぶ。昔住んでいた町を地図で眺める。好きな歌を一曲だけ聴く。鏡の前で髪を整える。家族へ電話をかける。どれも華やかな活動ではありませんが、本人が選んだ瞬間から、その時間には物語が生まれます。
職員が連れていく散歩と、本人が「今日はあの木を見たい」と決めた散歩は、同じ道を歩いても少し違います。
前者は予定の中の移動になりやすく、後者は本人が行き先を決めた外出です。廊下の端から窓の外を見るだけでも、「自分が決めて来た場所」なら景色の見え方は変わります。
楽しみの大きさは移動距離ではなく、自分で選べた実感によって決まります。
ある方は、職員と庭へ出ることを選ぶかもしれません。花を見て終わると思いきや、「あの鉢は水が足りない」と園芸監督へ早変わりすることもあります。職員が水差しを持ち、本人が指示を出す。気づけば役割分担も完璧です。監督の目が厳しくても、それはそれで頼もしい時間でしょう。
別の方は、お茶を飲みながら昔の仕事の話をしたいかもしれません。
話を聞くことは、手を止めているように見えて、立派な生活支援です。昔の自慢話が少し長くなっても構いません。同じ話を何度か聞く日もあるでしょう。「その続き、知っています」と心の中で呟きつつ、今日の表情や言葉に耳を傾ける。昨日と同じ話でも、今日そこに込められた気持ちは同じとは限りません。
写真を見る時間にも、小さな発見があります。
アルバムを最初から最後まで見る必要はありません。1枚を手に取り、「この時はどこへ行ったのですか?」と尋ねるだけでも話は広がります。家族の名前が出てこなくても、無理に当ててもらう必要はないでしょう。記憶力を試す時間ではなく、その写真を見た時の温かさを分け合う時間だからです。
飲み物を選ぶことも、小さな冒険になります。
普段は決まったお茶を飲んでいる方へ、「今日は温かいものと冷たいもの、どちらが良いですか?」と尋ねる。売店へ行けるなら、棚の前で選んでもらう。職員が効率よく選べば数秒ですが、本人が迷う時間にも意味があります。
「どっちにしようかな」
その迷いは困り事ではなく、選択肢を持てた証拠です。優柔不断に見えても、急かさず待ちます。迷った末に、いつもの飲み物を選ぶこともあるでしょう。大冒険の結末が定番のお茶でも、それは本人が帰ってきた港です。
一方で、15分を何もしない時間に使いたい方もいます。
窓辺でぼんやりする。職員と天気の話だけをする。好きな場所で静かに座る。誘いも説明もなく、1人になる。何かを完成させなくても、その時間が心を休ませるなら十分です。
介護現場では、職員が傍にいると、つい何かしてあげたくなります。会話が途切れれば話題を探し、手が止まれば活動を勧めたくなるものです。沈黙に耐えられず、職員のほうがソワソワすることもあります。
しかし、1対1の支援は職員が15分間しゃべり続ける競技ではありません。静かな時間を一緒に守ることも、立派な阿吽之息です。話したくなったら話し、黙りたければ黙る。その自然な間が、施設の忙しい1日を少し緩めてくれます。
15分の過ごし方は、その日ごとに変わって構いません。
昨日は散歩、今日は音楽、明日は何もしない。前に喜んだからといって、同じ活動を定番コースに固定しないことです。本人の気持ちは日替わりですし、職員のおすすめメニューを毎日注文する義務もありません。
また、マンツーマンの時間を担当職員だけの記憶で終わらせず、短く共有しておくと次の楽しみに繋がります。
「昔の町の地図を見て笑顔があった」「冷たい飲み物より温かい飲み物を希望された」「今日は会話より静かに過ごすことを選ばれた」
これは活動の成果を採点する記録ではありません。その方が今どんなことへ心を向けているのか、職員同士で受け渡す小さな手紙です。記録が増えれば、「この方にはこれをさせよう」ではなく、「今日はどんな気分だろう」と考える材料になります。
15分で全てが変わるわけではありません。それでも、1日の中に自分で決めた時間が1つあると、「今日も施設の予定に乗せられた」だけでは終わりません。
外へ出た。好きな歌を選んだ。お茶を迷った。何もしないと決めた。
その小さな一歩が、予定表には書き切れない本人の1日を育てます。千里の道も一歩からと言いますが、施設で取り戻す自由は、玄関先までの数歩から始まっても良いのです。
[広告]まとめ…予定表の隙間にその人の1日が帰ってくる
介護施設の予定表は、高齢者さんの体調と安全を守り、大勢の暮らしを滞りなく支えるためにあります。決まった時間の食事や水分補給、排泄、入浴には、毎日を健やかに整える大切な役割があります。
予定があること自体が、息苦しさの原因ではありません。
その予定の中に、自分で選べる時間がほとんどないこと。断る、迷う、立ち止まるといった気持ちを置く場所がなくなること。それが少しずつ、「私の1日」という実感を遠ざけてしまいます。
職員が作る15分は、長い外出でなくても構いません。玄関先の風を感じる。飲み物を自分で選ぶ。懐かしい歌を聴く。昔の話をする。静かに窓の外を眺める。
本人が選んだのであれば、「何もしない」も立派な予定です。
介護の予定表に必要なのは空白を全て埋めることではなく、その人が自分で書き込める余白を残すことです。
「何がしたいですか?」と急に尋ねるだけでは、希望が出てこない日もあります。そんな時は、表情や視線に気づき、2つほどの選択肢を差し出し、返事を待つ。断られても和顔愛語で受け止める。小さな安心が積み重なるほど、「今日はこれがしたい」という声は育ちやすくなります。
職員にとっては、ほんの15分かもしれません。
けれども、その方にとっては、朝から続いた「してもらう時間」の中で、自分が主人公へ戻れるひと時です。外出できなかった日でも、お茶を自分で選んだ。活動に参加しないと決めた。誰かに昔の話を聞いてもらった。それだけで1日の手触りは変わります。
もちろん、毎日全ての方へマンツーマンの時間を作るのは簡単ではありません。職員が分身の術を身につける日は、まだ少し先でしょう。それでも、担当を交代しながら週に一度作る、普段の介助の中で選択を1つ増やすなど、出来る形から始められます。
良い施設とは、時計通りに1日が終わる場所だけではありません。
「今日はこれを自分で決めた」と、1人1人が小さく胸を張れる場所です。決まった流れの隙間に、その人だけの時間が1つ灯れば、施設の1日はもっと自由闊達で、もっと人らしくなっていきます。
予定表の最後に残るのは、丸印の数ではありません。
「今日は、ちょっと良い日だったな」
そんな心の呟きが1つ増えたなら、その15分は時間以上のものを届けているのです。
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