八朔の日に学ぶ挨拶とお辞儀!心得や眼目ってどんなもの?

はじめに

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八朔の日とは、旧暦の8月1日、現在では8月末頃の暦です。

京都の舞子さんが、日頃からお世話になっている人に対して挨拶回りをして贈り物を届ける伝統文化です。

身嗜みに気を付けて、言葉遣いや所作まで気配りして挨拶回りをする姿…。

じつに立派ですよね。

今日は挨拶とお辞儀について記事にしてみました(*^▽^*)



八朔の日に学ぶ挨拶とお辞儀の心得とは?

夏の暑い最中のことですから、舞妓さんも準備に余念がありません。

お化粧落ちしないように、水分を控えたりします。

脱水で倒れた…というニュースは聞いたことがありませんが、きっとそんな方もおられることでしょう。

その日の体調次第のところもありますからね。

舞妓さんが日本文化の象徴の1つであることから、伝統や格式を崩さないように大切に取り組むわけです。

たった数時間の行事ですが、その準備から達成までにかける意気込み・熱意を感じますよね。

気合いだぁーーーーー…では、片付けられないところでしょう?

さて、舞妓さん。

優雅な手つきやしぐさに目を奪われがちですが、歩き方など動作全般からたたずまい、動かない時のあり方まで徹底して学ばれています。

魅せるプロ技術です。

いつ、いかなる時も客観的に自分がどのように映るのか?

これを知り、言葉の挨拶からお辞儀の角度やタイミングまで丁寧に学ばれて行きます。

もちろん、そうあるように指導してくださる芸事の師匠さまの指摘や導きがあってこそ。

ですから、八朔の日はご挨拶回りをするという文化が根付いているのかもしれませんね。

八朔の日に学ぶ挨拶とお辞儀の眼目とは?

私、学校の先生にそんなに丁寧に教わったこともないと思えば、丁寧な挨拶を続ける…なんてこともしてこなかったかもしれません。

罰当りな…。

先に生まれたと書いて先生。

師の匠と書いて師匠。

ここに大きな差が文字にして出ていると思いませんか?

単に先に生まれて導く人と何かしらの匠として師となる人…。

スキルの差を表していると言えるでしょう?

舞妓さんは師匠に付く。

芸をあらゆる角度から身に付けていく…。

そこには学びたいという意欲があり、師匠の長年培った技術の世界があるというわけです。

もともと学校でピンと来ない学びに義務教育という名の下に突入してピントがズレた教育を仕込まれては…尊敬も難しいものです。

もちろん、先に生まれて先輩であるので、物知りであり学ぶ要素も広く浅く内包されているのが先生なわけですが…。

そう考えてみますと、大事なのは
□ 自分がいかに育ちたいか?☞目的意識を持つこと
□ あらゆる角度から目的を達成する⇒分析と集中すること

スペシャリスト、自己実現の世界はここに尽きるのかなと思います。

八朔の日に学ぶ挨拶とお辞儀の心得と眼目の意味するところ

先述してきたように、
□ スペシャリストの境地がそこにある!
□ 準備から完遂までプロのお仕事!

というところまでは伝わったでしょうか?

最後にやはり、心・素直さ・実直さが伴わなければ、どんな美辞麗句も伝わらないでしょう。

親しみ、慕う心があってこそ、厳しい修行にも耐え上達できることでしょう?

あとは油断や隙を無くすべく、精進あるのみ!

形に出来ない理想論ではありますし、見えないからこそ適当にされがちな現代社会。

見えない心づかいを大切にしたいものですよね。

2章、先生を貶めてしまいましたね…。

先に生まれて得た経験、それは紛れもなく人生の先輩として次代の若者の指導で引き継がれるべきことですよね。

教育委員会、PTA…会社組織みたいな学校現場ですが…。

個性なくマニュアルに徹する先生も多いのが事実…。

やはり技術だけではなくて、そこには、その人の心のあり方が問われるかもしれませんね。

まとめ

先生と教え子…学校教育に偏ってしまいましたが…。

舞妓さん、綺麗で美しい所作で挨拶とお辞儀をされますよね。

テレビで見るたびに、ほぉ~とため息で見とれてしまいます。

心技体と言いますので、バランス良く油断や隙がないように…。
自分磨きをすること。

そして自分磨きを手伝ってくれる周囲の人に感謝して好循環な人間関係をもって成長していきましょう(*^▽^*)

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