無農薬野菜って誰が守ってる?~畑の裏側に拍手したくなる話~
目次
はじめに…畑は年中無休、私の気持ちだけ先に息切れ
皆さん、日頃のお野菜ってどこで買ってます?近所のスーパー、直売所、宅配、たまに「道の駅で出会った謎の大根(やけに誇らしげ)」みたいな運命の一本…いろいろありますよね。
で、私が売り場でつい立ち止まるのが「無農薬」や「減農薬」って書かれた野菜たちです。言葉の響きがもう、健康診断の結果が良かった日の空気に似てる。安心って、こういうことか…って思わせてくるんですよ。しかも値札がちょい強気でも、「いや、これは“畑のガチ勢”の作品だ」と、こちらも変に背筋が伸びたりして。
でも、ふと考えるんです。無農薬って、いったい誰がどれだけの手間を背負って成り立ってるんだろう?虫は待ってくれないし、雨も風も気分屋だし、土だって毎年同じ顔をしてくれない。畑って、優しい顔して実は「年中無休の現場」なんですよね。土日は?祝日は?そんなものは畑のカレンダーには印刷されていない。あるのは天気と季節と、作物のご機嫌だけ。
昔の農家さんなんて、寝てる時間以外は全部仕事みたいな世界だったって聞きます。今は機械や仕組みが進んで形は変わっても、力と知恵と段取りのバランスで成り立つ“重要なお仕事”なのは変わらないと思います。むしろ現代の方が、流通や価格や消費者の期待値まで背負わされて、別の意味で難易度が上がってない?…なんて、スーパーのレタスを見ながら勝手に語りたくなるわけです(完全に棚の前で立ち尽くす人)。
そこで今回は、スーパーに並ぶ野菜の向こう側にいる「畑の人たち」の話を、ちょっとユーモアも混ぜながら掘ってみようと思います。無農薬にこだわる理由って何?広い畑って憧れるけど、実際どうなの?野菜工場みたいな新しい形は敵なの味方なの?そんな疑問を、なるべく難しくならないように、でも大事なところは外さずに。
さあ、今日の主役は野菜…じゃなくて、その野菜を守っている“見えないヒーロー”たちです。私たちは買い物かごを持ってるだけなのに、畑の方は毎日が本番。まずはその温度差から、覗いてみましょう。
[広告]第1章…スーパーの棚の向こう側で虫と猪と私が会議している件
スーパーの野菜売り場って、静かに見えて実は情報量が多い場所ですよね。大根が並んでいるだけなのに、「産地」「旬」「おすすめ」「鍋」「サラダ」「お買い得」みたいに、野菜たちが小声で話しかけてくる。しかも一角には、ちょっと背筋が伸びる札があるんです。「無農薬」「減農薬」「特別栽培」などなど。もう雰囲気が“真面目枠”なんですよ。制服のボタンが全部留まってるタイプの野菜。
私はそこでよく、脳内会議が始まります。
「無農薬って、虫どうするの?」
「広い畑なら、なおさら無理じゃない?」
「え、猪って来るの?野菜の売り場に猪はいないのに?」
この時点で、私の中では虫と猪が席に着いてます。たぶん畑側からすると『お客様、会議参加ありがとうございます』じゃなくて『あなたは誰ですか』なんですけど。
広い畑ほど大変という当たり前が刺さる
よく「東京ドーム〇個分の畑で栽培してます」って聞きますよね。響きはロマンです。数字のスケールが急にファンタジーになる。ところが畑って、広いほど“面倒を見る相手”が増えるってことでもあるんです。
草は伸びるし、雨が続けば病気が出やすいし、晴れが続けば水が足りなくなる。相手は作物だけじゃなく、土の機嫌と天気の気まぐれと、季節の急カーブです。畑は毎日違う顔をして、同じ手が通用しない。これはもう、育てるというより“付き合ってる”に近い。
そして忘れちゃいけないのが虫です。虫たちは、人間の都合を聞かないプロ集団。こちらが「今週は忙しいので来ないでください」と言っても、虫は来る。しかも団体で来る。さらに「この葉っぱ、めっちゃ柔らかい!」みたいなテンションで来る。畑側からすると、毎日が“虫の宴会を止める仕事”でもあるわけです。
田舎の畑にはラスボスがいる~その名も猪くん~
もう1つ、都会の買い物かご側が忘れがちな存在がいます。猪くんです。
虫が小型の困ったちゃんだとしたら、猪くんは重機タイプの困ったちゃん。畑の努力を、夜の間に一気に「え、ここ工事現場でしたっけ?」みたいな状態にすることがある。人間が朝起きてコーヒーを飲んでいる頃、畑の方では“昨夜の事件”の後処理が始まっているかもしれないんです。
もちろん全部の地域で猪が出るわけではないけれど、「畑には畑の敵がいる」という事実は変わりません。野菜売り場のライトの下では見えないだけで、畑には畑のドラマがある。しかも台本なしで毎日更新中。
それでも「無農薬」を掲げる人は消費者へのラブが強い証
ここまで聞くと、正直こう思いません?「無農薬って、農家さんが自分の首を絞めてない?」って。私も思います。畑の現場を想像するほど、「そこまでしなくても…」って心配になる。でも、だからこそ感じるんです。無農薬を看板にするということは、作る側が“食べる側の安心”をかなり本気で抱えているということなんじゃないかって。
もちろん現実には、完全無農薬が難しかったり、地域の状況で工夫が必要だったり、いろんな形があります。そこを一括りにして「どれが正義」なんて言えない。でも少なくとも、簡単じゃない道を選んでいること自体は、凄い覚悟ですよね。
私はスーパーでそれを見るたびに、野菜というより“努力の結晶”を買ってる気分になります。しかも食べたらちゃんと美味しいから、もう反則です。
売り場の棚は静かだけど、その向こう側には、虫と天気と土と、時々猪くんと戦いながら、毎日畑に立っている人がいる。まずはそこを知るだけで、いつもの野菜が少し違って見えてきます。
次の章では、もう少し現実の話に踏み込みます。レタス1個が畑でいくらで、スーパーでいくらになるのか。数字を知ると、たぶんあなたも売り場で一回立ち止まります(私みたいに)。
第2章…レタス1個10円の衝撃…胃がキュッとなる「畑の算数」
第1章で、虫と猪くんが会議に参加してきたところで、次はもう少し現実寄りの話にいきます。畑の世界って、優しい自然のイメージがあるのに、計算が始まると急に顔がプロレスラーになるんですよ。え、そんな力技で成り立ってるの?って驚くことが多い。
畑の「1個」は想像以上に軽い
たとえばレタス。畑で出荷する側の話を聞くと、「1個出しても手元に残るのが10円くらい」みたいな話が出てくることがあります。これ、初めて聞いた時、私は心の中でレタスを落としました。床に転がるレタス。拾い上げる私。ついでに転がる自分の常識。
もちろん地域や年によって違いはあるし、全部が全部この数字ではないとしても、「安いことがある」という事実だけで十分に衝撃です。だってスーパーでは、普通に200円、時には400円近くで並んでいることもある。ここで誰もが思いますよね。「間の190円~390円はどこへ?」って。
「間の値段」はだいたい“人の手”の値段
野菜が畑から食卓に来るまでには、たくさんの人の手が入ります。収穫して、選別して、箱詰めして、運んで、保管して、店頭に並べて、売れ残りのリスクも背負う。ここまで来ると野菜というより、引っ越し荷物みたいに丁寧に扱われている。
つまり、畑での価格が低く見える時ほど、農家さんは「たくさん作って」「たくさん出荷して」やっと成り立つことがあるんです。1個1個が高級品として扱われるのではなく、数の力で戦っている感じ。レタスなのに集団戦術。野菜界の団体競技。
広大な畑はロマンだけど機械が必要で財布が泣く
ここで出てくるのが「東京ドーム〇個分」という世界です。広ければたくさん作れる。でも広い畑を人力で管理するのは無理がある。そこで必要になるのが機械です。トラクターだの収穫機だの、畑の相棒たち。ところがこの相棒たち、値段が可愛くない。
〇〇万円から〇〇〇万円みたいな桁が普通に出てきます。私はこの時点で、頭の中の電卓が壊れます。いや、壊れたフリをします。見なかったことにしたい。けれど現実には、作る量が増えれば増えるほど、機械も燃料も整備も必要になる。畑の規模が大きくなるって、設備も責任も大きくなることなんですよね。
そして肥料も、資材も、年々の変動がある。さらに天気が荒れれば、努力が数字に反映され難い年だってある。畑の算数は、答えが毎年変わる“意地悪な問題集”みたいです。
そこへ「無農薬」を乗せるのは難易度が一段上がる
ここまでで既に十分に大変なのに、無農薬を掲げるとなると、難易度がもう一段上がる感覚があります。農薬で守れる部分を、別の手段で守らなきゃいけない。虫対策、病気対策、雑草対策。やることが増えるのに、1日が増えるわけじゃない。畑は24時間制、増やせるのは気合いだけ。いや気合いも限界がある。
しかも無農薬やこだわり栽培を続けるなら、「伝える力」も必要になります。直売所や宅配、ネット販売、いわゆる6次産業化みたいな広がりを考えるなら、畑の外の仕事も増える。栽培しながら、発信して、発送して、問い合わせ対応して…って、もう職業が増えていくんです。農家さんが「栽培担当」だけで済まない時代なんですよね。
だから私は思うんです。そこまでやって形にしている人や企業って、凄いを通り越して、ほぼ神様枠だなって。畑の神様というより、段取りの神様。体力の神様。継続の神様。
この章で言いたいのは、「値札の向こう側は単純な原価の話だけじゃない」ということです。野菜はただ育つわけじゃないし、ただ運ばれるわけでもない。そこに関わる人の手と知恵と、時々、胃がキュッとなるような物価高という現実がある。
次の章では、無農薬にこだわる理由をもう一段深く見ていきます。「食べられれば良いじゃん」で終わらない話。数字の安心感と、その裏側にある見落としやすいポイントについて、出来るだけ分かりやすく進めていきますね。
第3章…数値は安心の味方?それとも「都合よく見える魔法」なのか?
「食べられたらそれで良いじゃない?」って、忙しい日には本当にそう思います。冷蔵庫の前で立ち尽くして、結局いつもの野菜をカゴに入れて、帰って、切って、煮て、はい完成。生活ってそれで回っていきますからね。
でも一方で、無農薬にこだわる人がいるのも事実です。何故そこまで?と思う気持ちと、いや分かる気もする…という気持ちが、私の中でシーソーみたいに揺れます。その揺れの中心にいるのが「数値」という存在なんです。
数値は頼れるけどたまに“顔が見えない”
数値って、すごく便利です。安全基準がある、検査をしている、問題がない範囲だ。そう聞くと、心はふっと軽くなります。数値は詐欺みたいな誤魔化しが無ければ“安心の看板”みたいな役目をしてくれる。
ただ、ここで少しだけ立ち止まってみたいんです。数値は「今この条件で調べたら、こうでした」という結果を綺麗に見せてくれます。でも、条件が変わると答えが変わることがある。ここが、ちょっとだけややこしいところ。
例えば、あるデータが「100人の結果です」と言われると、100%のように聞こえますよね。けれど実際には、もっと大きい集団の中から「条件に合う100人」を集めて見ている場合もある。もちろん研究はまじめに行われるし、数値に意味がないわけじゃありません。むしろ大切です。ただ、数値は“万能の神様”ではなくて、“道具”なんだと思うんです。
私の感覚でいうと、数値は地図みたいなものです。地図があると迷いにくい。でも地図だけ見て歩くと、目の前の段差にコケることがある。つまり、数値を信じるのは大事。でも、数値だけに全部を預けるのは、ちょっと怖い時もある。そんな感じです。
長い時間の話は短い結果だけでは語りにくい
もう一つのポイントは「時間」です。野菜って、今日食べて終わりじゃないですよね。人は毎日食べる。何十年も食べる。だからこそ、短い期間の結果だけでは、全部を言い切れないことがある。
もちろん、危ないものを世に出さないために、いろんな工夫とルールがある。そこは本当にありがたいです。ただ、世の中には“後から分かること”もある。新しい技術や新しい方法が広がると、便利になる一方で「長い目で見た時の答え」は、時間が経たないと見え難いこともある。ここが、無農薬にこだわる人の気持ちの根っこにある気がします。
「昔から続いてきた自然の育ち方の方が、体には優しい気がする」
「余計なものは少ない方が良い気がする」
こういう“気がする”は、軽く見られがちだけど、生活の中では案外大事な感覚なんですよね。だって体調って、毎日数値で表示されるわけじゃないですから。
だから無農薬は食べ物というより“姿勢”でもある
無農薬にこだわるというのは、「誰かを否定するため」ではなくて、「自分と家族の食卓を大事にする姿勢」なのかもしれません。虫や病気や天気のリスクを抱えながら、敢えて難しい道を選ぶ。そこには、作り手の覚悟があります。
そして私たち食べる側にできるのは、完璧に正解を当てることじゃなくて、日々の選び方を少しだけ丁寧にすることだと思います。いつも同じものばかりに偏らないとか、旬のものを楽しむとか、作り手の顔が見えるものを選ぶとか。そういう“小さな積み重ね”が、数値だけでは測れない安心に繋がることもあるはずです。
難しい話に見えるけれど、結局はシンプルで、「口に入るものは、出来るだけ気持ちよく食べたい」ってことなんですよね。私はその気持ちに、無農薬という選択肢がそっと寄り添ってくれる時がある、と思っています。
次の章では、もう1つの大きな流れとして「野菜工場」や水耕栽培のような新しい形にも目を向けます。キラキラの技術と、ゴツゴツの土。どっちが良い悪いではなく、私たちの食卓がどう変わっていくのか、楽しく眺めていきましょう。
第4章…野菜工場のキラキラと土のゴツゴツ~未来の食卓はどっちだ~
ここまで、畑の話を中心にしてきましたが、現代の野菜界にはもう1つの大きな勢力があります。そう、野菜工場とか水耕栽培とか、いわゆる「土を使わない野菜」の世界です。初めて聞いた時、私は正直こう思いました。
「え、野菜って…土なしで育つの?野菜って土と友情を結んでるんじゃないの?」って。
でも、実際に広がっているのを見ると、これがただの未来ごっこじゃなくて、かなり現実的な解決策として動いているのも分かるんですよね。
野菜工場は安定供給が得意な“理系の優等生”
野菜工場の良さは分かりやすいです。天気に振り回されにくい。虫が入りにくい。一定の温度や湿度、光の条件を整えて、安定して作物を育てられる。
畑が「自然の機嫌に合わせる仕事」だとしたら、野菜工場は「条件を管理して結果を出す仕事」。どっちも技術だけれど、向いている方向が違う感じです。
そして、広い畑を持たなくても、ビルの屋上や倉庫の中、都市の近くでも作れる可能性がある。輸送距離が短くなれば、鮮度にも繋がるし、工夫次第では環境負荷の面でプラスになることもある。ここは素直に「凄いな」と思います。理系の優等生みたいに、ちゃんと答えを出してくるタイプ。
キラキラの裏側には電気代と設備費という現実がいる
ただ、ここで現実が顔を出します。野菜工場って、設備が必要です。水や栄養の管理、光、温度、空調、場合によっては機械のメンテナンス。つまり、便利さの裏側に「お金の掛かる仕組み」がある。
畑は太陽が無料で照らしてくれるけれど、野菜工場は光も自分で作る場面がある。畑は風が吹くけれど、野菜工場は空気も整えてあげないといけない。
なんというか、畑が“自然相手の根性勝負”だとしたら、野菜工場は“固定費との長期戦”です。毎月の請求書が、静かに強い。
そしてもし、採算が合わなくなったらどうなるのか。出荷先の価格、関連する企業や販売の仕組みに影響が出る可能性がある。安定供給の仕組みが大きくなればなるほど、止まった時の影響も大きい。ここは「便利なものほど、支える骨組みが必要」という当たり前の話なんですけど、食べ物の話になると急に現実味が増しますよね。
便利さが進むほど食卓は“選べる”ようになる
ここで大事なのは、野菜工場が悪いとか、畑が正義とか、そういう二択にしないことだと思うんです。
例えば、天候不順が続いた時、畑の野菜が不足することがある。そんな時に野菜工場が支えになることもある。逆に、土で育つ野菜の味や香り、季節の勢いみたいなものは、畑ならではの魅力でもある。
つまり私たちの食卓は、これから「選べる幅」が増えていく。畑の野菜の良さも、管理された環境で育つ野菜の良さも、それぞれ違う方向の価値なんですよね。
毎日全部を完璧に選ぶのは無理だけど、「今日は鍋だから土っぽい野菜が欲しい」とか「今日は忙しいから安定したカット野菜で助けてもらう」とか、そういう選び方で良いと思うんです。
結局は消費者ファーストって“値段”だけじゃない
元の文章にもあったように、便利さが広がると、巡り巡って価格に影響が出ることもあります。コンビニのお惣菜やお弁当が身近になればなるほど、私たちは“便利の料金”も一緒に払うことになる。これは悪いことじゃなくて、仕組みとして当然なんですよね。
でもここで私が思うのは、「消費者ファースト」って、安いことだけじゃなくて、納得して選べることだという点です。
どこで、どう育って、どんな工夫があって、何を大事にしているのか。そこが見えた時、値段の意味も変わる。
畑のゴツゴツも、工場のキラキラも、どちらも“食べる人のため”に作られている。だからこそ、私たちはその間で迷って良いし、気分で選んで良いし、どちらにも拍手して良い。そう思うんです。
さて、ここまでで、畑と工場の両方を眺めてきました。次はいよいよまとめです。農業って結局どんな産業なのか、私たちにできる静かな応援って何なのか、最後に気持ちよく着地させましょう。
[広告]まとめ…結局一番強いのは畑の人~買い物カゴで出来る静かな応援~
農業って、不思議な産業だなあと改めて思います。家庭菜園なら「よし、今年はミニトマトでいこう!」って気軽に始められるのに、いざ規模が大きくなると、もう個人の努力だけではどうにもならない世界になる。広大な畑の管理、機械、燃料、資材、人手、流通、天気、虫、時々猪くん。登場人物が多過ぎて、これはもうドラマというより大河です。主役は野菜かと思いきや、実は土と天気と段取りと体力が主演級で、農家さんは毎回全員をまとめ上げる監督まで兼任している感じ。
そんな中で「無農薬」や「こだわり栽培」を掲げる人たちがいる。これは単に流行りのラベルではなくて、難しい道を選ぶ覚悟の表明に近い気がします。虫が来ても、天気が荒れても、予定通りには進まないのが畑なのに、そこに“食べる人の安心”を乗せていく。私はそれを、消費者への静かなラブだと思っています。言葉で大袈裟に言わなくても、畑の現場がもう語っている。毎日畑に立つという行為そのものが、だいぶ強いメッセージです。
一方で、野菜工場や水耕栽培のような新しい形も広がっています。これもまた、畑とは別方向の努力の結晶ですよね。安定して作るために設備を整え、管理を徹底し、一定の品質を届ける。畑が自然相手の勝負なら、こちらは固定費と技術の勝負。どちらも簡単ではないし、どちらかが正しくてどちらかが間違い、なんて話でもない。結局、私たちの食卓は「選べる幅」が増えていく途中にいるのだと思います。
そして最後に残るのは、もの凄く小さくて、でも現実的な結論です。私たちに出来る応援は、たぶん派手じゃない。畑に行って土を触らなくても、専門知識がなくても、買い物カゴの中身を少しだけ意識するだけでいい。今日は旬の野菜を選んでみる。直売所の野菜を1つだけ混ぜてみる。食べた時に「美味しいね」と家族に言ってみる。そういう小さな積み重ねが、作り手の背中を押す力になっていくんじゃないかなと思います。
農業は、誰でも出来る顔をしていて、実は誰にでもは続けられない。だからこそ続けている人が凄い。無農薬だろうが、工場栽培だろうが、私たちが毎日当たり前に野菜を食べられるのは、当たり前じゃない努力があるから。次にスーパーで野菜を手に取った時、ちょっとだけ思い出してみてください。棚の向こう側には、虫と天気と土と、時々猪くんと会議しながら、それでも畑に立っている人がいる。そんな人たちに、心の中で拍手を1つ。ついでにレタスにも拍手を1つ。レタスは何も悪くないので。
今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
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