5月29日幸福の日~施設の幸せは「してもらう」だけじゃない~
はじめに…幸せは特別な日の中だけにあるわけじゃない
5月29日は「幸福の日」。「幸せ」と聞くと、旅行やご馳走、家族揃ってのお祝いのような特別な場面を思い浮かべがちです。でも、施設で暮らす高齢者の日常を眺めていると、幸福はもっと小さなところから顔を出します。
朝、カーテンを開けたら気持ちの良い青空だった。昼ご飯の煮物が懐かしい味だった。廊下でスレ違った職員と目が合って、何となく笑ってしまった。家族から届いた写真を見ながら「この子、大きくなったなあ」と話が弾む。そんな何気ないひと時が積み重なり、平穏無事な1日の中にじんわりと満足感が生まれます。豪華なイベントが毎日必要……となったら、職員さんの方が先に息切れしてしまいますからね。
そして大切なのは、何かを「してもらう」喜びだけではありません。自分で選ぶこと、誰かに頼られること、昔の経験を話すことも、その人の心を明るくします。幸せな暮らしとは、大きな喜びを待つことではなく、「今日も悪くなかったな」と思える瞬間を少しずつ増やしていくことなのかもしれません。
5月29日をキッカケに、施設の中にある十人十色の幸福を、毎日の暮らしの目線から探してみましょう。
[広告]第1章…「美味しい」「懐かしい」が心をほどく日常の幸せ
食事の時間が近づくと、廊下に出汁の香りが流れてくる。食堂に並んだ料理を見て、「今日は何やろな?」と少し身を乗り出す。施設での暮らしにおいて、食事は栄養を取るためだけの時間ではありません。好きな味に出会ったり、昔の記憶が甦ったりする、喜色満面のキッカケにもなります。
煮物をひと口食べて、「これ、昔うちで作ってた味に似てるなぁ」と話し始める人もいるでしょう。そこから家族の話や若い頃の台所の話へと広がれば、目の前の一皿が思い出の扉になります。味覚だけでなく、香りや食器の手触り、湯気の向こうに見える人の顔まで重なって、一食の中に昔と今が一緒に座る。何とも不思議な時間です。
もちろん、毎回が大好物とは限りません。「今日は魚かぁ。肉の口やったんやけどな…」と少し残念そうな日もあるでしょう。そこまで含めて食事です。好き嫌いを言えることも、「自分の好みを持って暮らしている」という立派な意思表示です。何でも「美味しいですね」と先回りして決めてしまうより、「今日はどうですか?」と尋ねた方が会話も広がります。職員が一生懸命すすめた結果、本人より職員の方が献立に詳しくなる……そんな介護現場あるあるも、ほどほどならご愛嬌です。
施設の食卓で大切にしたいのは、豪華絢爛な献立を毎日並べることではなく、その人が味わう余白を残すことです。季節の食材を見て「もうそんな時期か…」と気づいたり、隣の人と「これ、美味しいな」と顔を見合わせたりする。食事の幸せは、何を食べたかだけではなく、そのひと口からどんな気持ちが動いたかで深くなります。
「腹が減っては戦は出来ぬ」と言いますが、満たしたいのはお腹だけではありません。懐かしい味に頬が緩み、誰かとの会話が始まり、今日の楽しみが1つ増える。そんな一期一会の食卓なら、いつもの昼ご飯だって十分に幸福な時間になります。
第2章…選べるだけで暮らしは変わる~自分で決める小さな喜び~
施設での暮らしは、どうしても時間割に沿って進みやすくなります。起きる時間、ご飯の時間、お風呂の順番、レクリエーションの予定。大勢が一緒に暮らす場所ですから、ある程度の決まりは必要です。ただ、その中に小さな「選べる」が残っているだけで、毎日の手触りは随分と変わります。
「今日は窓際とテレビの近く、どちらに座りますか?」「飲み物はお茶にしますか、コーヒーにしますか?」。ほんの二択でも、自分で決めたという感覚は大切です。施設での生活を心地良くする要素として、安心だけでなく、自分らしく過ごせることや役割を持てることも大きな意味を持ちます。
反対に、善意から何でも先に決めてしまうと、本人の出番が少しずつなくなってしまいます。「寒いでしょうから上着を着ましょう」「今日はこれをしましょう」と次々に決められてしまえば、至れり尽くせりではあっても、本人からすると「私の予定、いつの間に完成したん?」となるかもしれません。手厚さと心地良さは、いつも同じ方向を向くとは限らないのです。
好きな服を選ぶ、昼寝をするか決める、行事に参加するか今日はやめておく。そんな小さな判断も立派な暮らしです。「自分で決められた」という感覚は、その人が今も自分の人生を歩いているという実感に繋がります。自由自在とまではいかなくても、選べる余地が少しあるだけで、施設は「暮らさせてもらう場所」から「自分が暮らしている場所」へ近づいていきます。
もちろん、何でも本人任せにすれば良いわけではありません。体調や安全面から職員が支える場面もあります。それでも「今日はどうしたいですか?」と尋ねるひと呼吸を置くことは出来ます。返事がすぐ出ない日なら、急かさず待つ。迷っているなら選びやすい形にする。そんな臨機応変な関わりの中に、その人らしい幸福は育っていくのでしょう。
[広告]第3章…支えられる人から頼られる人へ~役割が生む誇らしさ~
施設で暮らし始めると、食事や入浴、掃除など、様々なことを職員に手伝ってもらう機会が増えます。それは安心して生活するために必要な支援ですが、人は「してもらうこと」だけで満たされるわけではありません。誰かから「お願い出来ますか?」と頼られた時、表情がパッと変わることがあります。
タオルをたたむ、花に水をあげる、新聞を所定の場所に置く。昔得意だったことを職員に教えるのも立派な役割です。施設の中で小さな係を持ったり、経験を若い人へ伝えたりすることは、自分が必要とされている感覚に繋がります。
料理が得意だった人なら、「この野菜、昔はどう炊いていました?」と尋ねてみる。園芸が好きだった人なら、鉢植えの様子を一緒に見てもらう。昔から裁縫をしていた人にボタン付けのコツを聞けば、職員が「なるほど」と教わる側になる日だってあります。そこで突然、人生の大先輩による即席講習会が開幕することも。「そこ違う、針はこう持つんや」と指導に熱が入り、職員が生徒になる。これもなかなか楽しい光景です。
大切なのは、仕事を無理に作って渡すことではありません。「役割を持ってもらわなければ」と張り切り過ぎれば、それでは新しい宿題になってしまいます。その人が好きだったこと、今でも出来ること、ちょっと手を伸ばせば楽しめることを見つける。適材適所で十分です。
誰かの役に立てたという実感は、「私はまだできる」という誇らしさを心の中に残してくれます。支える側と支えられる側が時々入れ替わる暮らしには、一方通行ではない温かさがあります。職員が教え、時には教わる。利用者同士でも助け合う。そんな生涯現役の小さな出番がある場所なら、施設で過ごす1日にも「今日は私の出番があった」という嬉しさが生まれてくるでしょう。
第4章…幸せな施設は笑わせる場所より一緒に笑える場所
午後のレクリエーションで、職員が前に立って一生懸命に盛り上げる。歌って、手をたたいて、笑顔で声をかける。それも楽しい時間ですが、施設の幸福を考えるなら、「高齢者を楽しませる」だけでは少しもったいない気がします。お茶を飲みながら世間話をしたり、好きな音楽を一緒に聴いたり、窓の外を眺めながら同じ時間を過ごしたりすることも、人の心を満たす大切なひと時です。
「今日は何をして笑ってもらおう?」と考えるより、「今日は何を一緒に楽しもう?」と考えてみる。すると職員も、行事を進行する人から、その場を味わう仲間になれます。利用者さんが昔の歌を口ずさんだら、知っている職員も一緒に歌う。花が咲いたら「綺麗ですね」と同じ方向を見る。家族から届いた写真を囲んで「大きくなったなぁ」と話す。そんな和気藹々とした時間には、プログラム表には書けない温かさがあります。
もちろん、「さあ皆さん、笑いましょう!」と言われて笑えるほど、人の気持ちは器用ではありません。レクリエーション担当者が全力で盛り上げ、気づけば本人が汗だく、参加者は静かにお茶を飲んでいる……という日だってあるでしょう。これは失敗というより、「今日は静かな気分だった」という立派な答えです。参加しない自由も含めて、その人の暮らしなのだと思います。
職員や家族のちょっとした言葉、触れ合い、季節の催し、面会などが、日々の安心や喜びに繋がります。 ただし、幸福を届ける側と受け取る側に綺麗に分ける必要はありません。利用者さんのひと言に職員が笑わされることもあれば、昔話を聞いて若い職員が教わることもあります。相思相愛とまでは少し照れますが、お互いの存在によって1日が少し楽しくなる関係なら、それは十分に素敵です。
幸せな施設とは、誰かを笑わせ続ける場所ではなく、利用者さんも職員も家族も自然に「一緒に笑えた」と思える場所なのでしょう。豪華な行事がなくても、同じ景色を見て、同じ話題で笑い、帰り際に「今日は楽しかったな」と言える。そんな日常が少しずつ増えていけば、「安心して過ごせる場所」は、やがて「ここで暮らしていて良かった」と思える場所へ近づいていきます。
[広告]まとめ…今日の中にある「良かった」を1つ増やして帰ろう
幸せという言葉は少し大きく聞こえますが、毎日の暮らしに置いてみると、その姿はとても素朴です。好きな味にホッとすること、自分で今日の服を選ぶこと、誰かから頼られること、隣の人と同じことで笑うこと。施設で暮らしていても、そんな一瞬一瞬が積み重なり、「今日も悪くなかったな」という気持ちに繋がっていきます。何気ない日常の中にある小さな幸福が心を温めることは、施設での暮らしでも変わりません。
介護というと、どうしても安全や健康、支援する内容に目が向きます。もちろん、それらは欠かせません。ただ、安心して暮らせる土台の上には、その人自身の好みや役割、人との繋がりがあります。「今日は何が食べたいですか?」「これ、お願いしても良いですか?」「一緒に見に行きませんか?」。そんな自然な言葉から、十人十色の喜びが顔を出します。
職員が毎日、特別な催しを準備しなくても大丈夫です。むしろ「あれもやらなきゃ、これも盛り上げなきゃ」と力が入り過ぎると、幸福の日なのに職員だけ疲労困憊……では少々切ないものです。いつものお茶、いつもの窓辺、いつもの会話でも、その人にとって心地良ければ立派な幸せです。
幸福を増やす介護とは、特別な何かを与え続けることではなく、その人が「今日も自分らしく暮らせた」と思える瞬間を守ることなのでしょう。
5月29日の幸福の日だからこそ、大きな幸せを探し回る必要はありません。食堂で聞こえた笑い声でも、誰かの「ありがとう」でも、自分で選んだ一杯のお茶でも良い。今日の中にある「良かった」を1つ見つけられたなら、その1日はもう十分に花鳥風月ならぬ、人情味豊かな幸福の日です。明日もまた、そんな小さな「良かった」が1つ増えていけば、それで良いのだと思います。
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