9月1日防災の日は怖い日じゃなく守れる日に~保育園の子にも優しく伝える備えと避難の話~
目次
はじめに…9月のはじまりに親子でそっと確かめたい「命を守る準備」
9月になると、空気はまだ夏の名残を抱えながらも、どこか少しだけ顔つきが変わります。空が高く見えたかと思えば、急に雨足が強くなったり、風の音にソワっとしたり。そんな季節の曲がり角に思い出したいのが、防災という暮らしの足元です。
防災というと、大人でもつい表情が真面目になります。非常袋、避難場所、連絡方法、備蓄品。並べ始めると「覚えること、多くない?」と心の中で小さく呟きたくなるものです。けれど、保育園の子どもに届けたいのは、難しい言葉の山ではありません。慌てる日に慌て過ぎないこと、怖い時に大人の声を聞くこと、自分の体を守る動きを知っておくこと。そんな単純明快で、でも、とてもとても大切な土台です。
小さな子どもは、毎日を全力で生きています。朝は靴を左右逆に履いても元気いっぱい、昼はお気に入りの歌でご機嫌、夕方には眠さで機嫌が雲行き怪しくなることもあります。こちらは「さっきまで笑ってたよね?」と軽く空を見上げたくなりますが、その揺れやすさもまた自然体。だからこそ、防災訓練(災害に備える練習)は“特別な授業”として遠くに置くより、日々の中にそっと混ぜておく方が、ずっと身につきやすいのです。
親がずっと隣にいられるとは限らない。園の先生が必ずすぐ抱き上げてくれるとも限らない。そんな現実は少し胸に触れますが、悲観するために知るのではなく、用意周到に整えるために知っておきたいところです。子どもを守る備えは、怖さを増やすためではなく、安心して毎日を過ごすためにあります。
大切なのは、災害を大きな恐怖だけで語らないことです。空を見ること、家の中を見回すこと、危ない時の動きを遊びの中で覚えること。そうした積み重ねは、いざという日に心強い支えになります。油断大敵とはいえ、毎日ビクビクと暮らす必要はありません。むしろ「ちゃんと備えているから、今日も元気に行ってらっしゃい」と送り出せることこそ、親子にとっての防災の優しい形なのだと思います。
[広告]第1章…防災の日が9月1日にあるのは何故?~地震と風雨の季節に目を向ける意味~
9月1日が防災の日になっているのには、きちんと理由があります。大きなキッカケとして語られるのが、1923年に起きた関東大震災です。多くの人の暮らしが一変したこの出来事は、災害の恐ろしさだけでなく、備えの大切さも深く残しました。年月が流れて景色は変わっても、そこから受け取る教訓は色あせません。防災の日は、怖さを思い出す日ではなく、命を守る知恵を暮らしに戻す日です。
もう1つ、9月1日には季節の上でも意味があります。昔の暦には雑節(季節の節目を表す昔ながらの目安)という考え方があり、その中に二百十日という日があります。立春から数えて凡そその頃は、台風や強い風雨に見舞われやすい時期とされてきました。稲が育つ頃に荒れた天気が来ると、畑も田んぼもひとたまりもありません。先人たちは、空の機嫌1つで暮らしが揺れることを、身をもって知っていたのでしょう。
つまり9月1日は、地震の記憶だけを見つめる日ではなく、天災地変に目を凝らす日でもあります。地面が揺れることもあれば、空が荒れることもある。雨が続けば土が緩み、風が強まれば物が飛び、川の近くでは水の動きも気になります。自然は本当に手加減なしで、「今日は軽めでお願いします」とこちらが言っても、まったく空気を読んでくれません。そこはもう、自然相手あるあるです。
けれど、怖がるだけでは前へ進み難いものです。大切なのは、災害を遠いニュースにしないことです。保育園の子どもにも、「地震がきたらどうする?」「雨や風が凄い日はどうする?」と、日々の生活に寄せて伝えていくと、少しずつ輪郭が見えてきます。難しい歴史の年号を覚えることより、危ない時にどう動くかを心と体で知っていく方が、ずっと実用的です。
有備無患という言葉があります。備えがあれば、いざという時の慌て方が変わる、という意味です。完璧を目指して肩に力を入れ過ぎるより、空を見る、天気予報を気にする、家の中の危ない場所を知る、避難する時の約束を親子で話しておく。そんな一歩一歩の方が、暮らしにはよく馴染みます。防災の日は、特別な日というより、毎日の過ごし方を少しだけ賢くする入口なのかもしれません。
第2章…お家の備えは特別じゃなくて良い~暮らしの中で続けやすい防災支度~
防災の準備というと、大きな棚いっぱいの保存食や立派な道具を思い浮かべる方もいます。けれど、家庭で本当に頼りになるのは、背伸びし過ぎない備えです。気合いだけで非常袋を作ると、半年後には押し入れの奥で静かに眠りがちですし、「あれ、乾電池いつ入れたっけ?」と記憶まで避難してしまうこともあります。暮らしの中で回る形にしておくことが、実は堅実剛健なのです。
まず見直したいのは、家の中の危ない場所です。背の高い家具、重たい本や食器、寝る場所の近くにある倒れやすいもの。地震の時は、いつもの部屋が急に別世界になります。家具の固定、落ちやすい物の置き場所の変更、ガラスの近くに長くいない工夫。派手さはなくても、こうした手当ては一石二鳥です。災害の時だけでなく、日々のヒヤリも減らしてくれます。
次に大切なのは、水と食べるものです。水は飲むためだけでなく、手を拭く、口をすすぐ、ちょっとした清潔を守るためにも役立ちます。食べ物も、特別な非常食だけに絞らなくて大丈夫です。缶詰、レトルト、乾麺、ビスケット、家族が普段から口にしやすいものを少し多めに置き、使ったら足す。ローリングストック(使いながら備える方法)にしておくと、無理が続きません。賞味期限とのにらめっこで疲れ果てるより、台所の延長で回した方が賢いやり方です。
衛生面の支度も、忘れたくないところです。携帯トイレ、ウェットティッシュ、ポリ袋、タオル、マスク、歯みがき用品。災害時は食べることばかり注目されますが、実際には「清潔をどう守るか」が体調に大きく響きます。小さな子どもがいる家では、着替え、下着、体を拭くもの、子どもの安心に繋がる小物もあると心が少し落ち着きます。お気に入りの小さなタオル1枚で表情が和らぐこともあり、侮れません。
そして見落としやすいのが、情報を得る手段です。スマートフォンは便利ですが、充電が減ると急に頼りなさそうな顔をしてきます。モバイルバッテリー、乾電池、ラジオなど、複数の道を持っておくと安心です。備えは“たくさん持つこと”より、“使える形で置いておくこと”が何より大切です。
家の外も少しだけ見ておくと、安心感が増します。避難場所までの道、危ない塀、水が溜まりやすい場所、暗くなると見えにくい角。晴れた日に歩いてみるだけでも、いざという時の動きはかなり変わります。用意周到に全てを完璧にする必要はありません。1つ整えたら、また1つ。そうして家族の防災は、静かに、でも確かに育っていきます。
[広告]第3章…保育園の子どもにどう伝える?~怖がらせずに安心へ繋ぐ話し方~
保育園の子どもに防災を伝える時、最初に大切なのは「びっくりさせ過ぎないこと」です。大人は危険を知っている分、つい真顔になります。声まで少し低くなって、「いい? 地震はね…」と始めると、子どもは話の中身より先に空気を読みます。すると内容よりも、「何だかすごく怖そう」が先に胸に残ってしまいます。そこは大人の見せ場で、冷静沈着に、でも優しく伝えたいところです。
子どもに届けたいのは、災害そのものの大きさより、「どうしたら自分を守れるか」です。地震が来たら頭を守る、大人の声を聞く、勝手に外へ走り出さない、火事の時は煙を吸いこまないよう低くする。こうした動きは、短い言葉で繰り返した方が身につきます。説明を長くすると、途中で「おやつ何かな」に意識が飛ぶこともあります。子どもの集中力は風の子、よく走ります。
言葉選びにも工夫がいります。「危ないからダメ」だけでは、子どもは動きの意味を掴みにくいものです。「頭を守ると、大事なお顔と体を守れるよ」「先生のお話を聞くと、早く安心できるよ」と、守る理由を添えると伝わりやすくなります。否定ばかりで囲むより、安心に繋がる行動を教える方が、心にも残ります。子どもに防災を伝える時は、恐怖より先に“どうしたら安心か”を渡すことが大切です。
また、家庭と園で言い方を揃えておくと、子どもは混乱しにくくなります。家では「机さんの下に潜ろうね」、園では「ダンゴムシさんみたいに丸くなろうね」でも悪くはないのですが、増え過ぎると小さな頭の中で会議が始まります。どれが正解だったっけ、と考えているうちに体が止まるのは避けたいところです。簡単な合言葉を決めておくと、意外なほど落ち着いて動けます。
それから、子どもの不安を笑わないことも大事です。「怖い」「ママがいないと嫌」「先生と離れたくない」。そんな気持ちは自然体で、むしろちゃんと心が動いている証です。不安を否定せず、「怖いよね。でも先生がいるよ」「ママも迎えに行くために頑張るよ」と、気持ちと安心をセットで返すと、心が少しずつ整っていきます。安心立命というにはまだ小さくても、安心の芽は日々の声かけで育ちます。
防災の話は、上手に出来なくても構いません。完璧な説明より、日々のくり返しの方がずっと力になります。朝の支度のついで、園からの帰り道、お風呂で温まりながらのひとこと。そういう何気ない時間が、いざという時の支えになります。難しい授業にしなくても、子どもはちゃんと受け取ってくれるものです。
第4章…遊びながら身につく避難の力~かくれんぼと声掛けで育てる防災感覚~
子どもに身を守る動きを覚えてもらうなら、遊びの力を借りるのが近道です。真面目な訓練だけでは、頭では分かっても体がついてこないことがあります。その点、普段から親しんでいる遊びに防災の要素を混ぜると、自然に動きが沁み込みます。まさに一挙両得。楽しい時間が、そのまま命を守る練習にもなるのです。
かくれんぼは、その代表選手です。ただ隠れるだけではなく、「落ちてくる物が少ない場所を探そう」「ガラスの近くはやめよう」「頭を小さくして守ろう」とひと言添えるだけで、立派な避難練習になります。子どもは遊びになると目がキラっとして、思った以上に本気です。大人の方が「そこ、なかなか良い場所だね」と感心してしまうこともあります。負けていられません。
鬼ごっこも使えます。走る、止まる、声を聞く、方向を変える。これらは避難時にも必要な力です。「先生の声がしたらピタッと止まる」「笛が鳴ったら先生を見る」といった約束を入れると、判断力と反応が育ちます。電光石火のような速さは求めなくても、声を聞いて動きを変えるだけで十分価値があります。子どもは勢いよく走っていたのに、急に別のことに夢中になる名人でもありますから、合図で切り替える練習はとても実用的です。
家の中なら、短い“防災ごっこ”もおすすめです。「今、地震が来たらどうする?」「玄関まで行く道で危ない所はどこ?」と、クイズのように聞いてみると、子どもは案外よく見ています。ぬいぐるみを相手に「ここは危ないよ」と教え始めることもあり、その姿が少し頼もしくて、少し可愛い。こちらは感心しながらも、ぬいぐるみの避難率の高さにそっと拍手を贈りたくなります。
園でも家庭でも役立つのは、合言葉を決めておくことです。「頭を守る」「お話を聞く」「一人でいかない」。短くて、耳に残る言葉が向いています。覚える量を増やし過ぎると、小さな頭の中が大渋滞になります。遊びの中で体が先に動くようになると、いざという時の安心はグッと大きくなります。
さらに効果的なのは、時間や場所を少し変えることです。朝の支度中、食事の前、帰宅したばかりの玄関、寝る前のリビング。同じ内容でも場面が変わると、子どもは「どこでも考えるものなんだ」と覚えていきます。臨機応変という言葉はまだ難しくても、違う場面で同じ行動が出来ることは、立派な力です。
防災は、特別な日にだけ取り出す固い箱ではありません。日々の遊び、声かけ、ちょっとした確認の積み重ねが、いざという時に心と体を支えてくれます。子どもにとっては遊びでも、大人にとっては未来への静かな仕込み。そう思うと、かくれんぼの一回一回まで、少し頼もしく見えてきます。
[広告]まとめ…守る力は毎日の中で育っていく~親子と園で重ねたい小さな備え~
防災は、特別な道具を揃えた日だけ始まるものではありません。天気を気にすること、家の中の危ない場所を知ること、子どもと短い合言葉を交わすこと。そんな日常の1つ1つが、いざという時の安心に繋がっていきます。大人に出来るのは、完璧な未来を作ることではなく、慌てた日にも動ける土台を育てること。そこにこそ、着実前進の力があります。
保育園の子どもにとって、防災はまだ遠い言葉かもしれません。それでも、「頭を守る」「先生の声を聞く」「一人で飛び出さない」といった小さな約束は、ちゃんと心と体に残っていきます。遊びながら覚えたこと、家庭で何度か聞いたこと、園でくり返したこと。その積み重ねは、思っている以上に頼もしいものです。大人が思うより、子どもはしっかり育っていきます。こちらが「まだ早いかな」と思っているうちに、案外きちんと覚えていて、こちらの方が背筋を伸ばされることもあります。
そして、親にとっても防災は不安を増やす話ではなく、安心を育てる習慣であってほしいものです。非常袋を見直す日があっても良い。避難場所まで歩いてみる日があっても良い。忙しい日は、寝る前に「もし揺れたらどうする?」と一言かわすだけでも十分です。千里の道も一歩から。大きな備えは、小さな確認のくり返しから始まります。
備えあれば憂いなしという言葉は、怖がるためではなく、今日を安心して暮らすための合言葉なのだと思います。親子で重ねる小さな備えが、いつもの毎日をより温かく、よりしなやかにしてくれますように。
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