重陽の節句は“長寿を願う秋のご褒美”~菊と食卓で楽しむ9月9日の優しい祝い方~
目次
はじめに…9月9日がちょっと楽しみになる重陽の節句の優しい入口
9月9日と聞いて、すぐに「あ、重陽の節句だ」と浮かぶ人は、なかなかの歳時記上手かもしれません。ひな祭りや七夕は思い出しやすいのに、この日は少しだけ奥ゆかしい。まるで実力はあるのに前へ出すぎない、町内会の頼れる先輩みたいな節句です。
重陽の節句は、秋を急がず味わうための“ひと呼吸の祝い日”です。
昔から奇数は縁起の良い数とされ、特に9は陽の気が重なる目出度い数字でした。その9が2つ並ぶ9月9日は、無病息災(病気をせず元気に過ごすこと)や長寿祈願(長く健やかに生きる願い)を込める日にピッタリ。空が少し高くなり、風に夏の名残と秋の気配が同居するころに訪れるのも、何だか粋です。
しかもこの節句、ただ古風なだけではありません。菊を飾る、栗を味わう、香りを楽しむ、季節の器を使う。していることを並べると、暮らしを丁寧に整える小さなご褒美時間そのものです。豪華絢爛でなくても大丈夫。花を一輪、食卓に秋色をひと匙、それだけでも十分に風情があります。
忙しい毎日では、季節はつい「暑い」「寒い」で通り過ぎがちです。けれど、こういう日があると立ち止まれます。今日は少し上品にいこうかな、栗ご飯にしてみようかな、菊を飾ったら部屋の空気まで落ち着くかも。そんな心の動きが生まれるだけで、日常は意外なほど豊かになります。気分転換のつもりが、気づけば心機一転。人は案外、花一輪にも背中を押されるものですね。
9月は夏の疲れがジワっと出やすい時期でもあります。だからこそ、重陽の節句は「頑張れ」の日というより、「整えていこう」の日。しみじみと、でも晴れやかに、自分や家族のこれからを願う。そんな静かな祝福が似合います。
[広告]第1章…重陽の節句はどうして祝うのか?~9が重なる日に込められた願い~
重陽の節句は、9月9日という「9」が重なる日に、健やかな毎日を願う秋の祝いです。昔は奇数を目出度い数と考え、特に9は最も大きな陽の数として大切にされてきました。そこにあるのが陰陽思想(万物を陰と陽でとらえる考え方)です。陽が重なる日は力が満ちる日でもあり、気をつけたい日でもありました。人は昔から、良い日ほど身を正したくなるものです。正月に急に姿勢が良くなる、あの感じに少し似ています。
けれど、この節句の面白いところは、怖がって終わらないところです。災いを避けたい気持ちから始まった日が、次第に長寿を願う明るい祝いへと育っていきました。厄払い(悪いことを遠ざける願い)だけでなく、無病息災(病気をせず元気に過ごすこと)を祈る日になったわけです。身を守る祈りが、やがて生きることを喜ぶ祝いへ変わっていったところに、重陽の節句の優しさがあります。
しかも9月9日という時期がまた絶妙です。夏の勢いが少しずつ和らぎ、空気が澄み始め、心も体も「そろそろ整えたいな」と呟く頃。年末のような大行事ではない分、静かで上品。華美奔放ではなく、清風明月の趣があります。大きなイベントではないのに、だからこそ心に残る。派手な花火大会の後、帰り道で見た月が一番綺麗だった、そんなオチのあるあの感じです。
昔の人は、季節の節目をただ通り過ぎませんでした。空を見て、花を見て、香りを感じて、食べるものまで季節に合わせる。重陽の節句は、その丁寧さがギュっと詰まった一日です。長生きそのものを目標にするだけでなく、「今日を気持ちよく生きる」ことを大事にしていたのだろうと思います。寿命の話だけに聞くと少し身構えますが、実際はもっと身近です。よく眠れますように、食卓が和みますように、家族が元気でありますように。そんな願いの積み重ねが、秋の入り口にそっと置かれているのです。
第2章…菊を飾るだけで秋が深まる~気負わず楽しむ重陽のしつらえ~
重陽の節句の飾りつけは、難しく考えなくて大丈夫です。格式を背負い過ぎると、急に手が止まります。花屋さんの前で「それっぽい菊って、どれですかね?」と心の中で店員さんに話しかけてしまう人も、きっと仲間です。けれど重陽の節句は、完璧な再現大会ではなく、秋の気配を暮らしに迎える日。そう思うと、グッと気楽になります。
主役になるのは、やはり菊です。菊には長寿や邪気払いの願いが重ねられてきました。見た目も上品で、静かなのに存在感があります。豪華絢爛というより、端正静謐。パッと場を支配するというより、部屋の空気をスッと整えてくれる花です。大きな花束でも良いですし、小ぶりの一輪挿しでも十分。玄関、食卓、窓辺に1つ置くだけで、「今日は少し特別な日だな」という空気が生まれます。
飾りは“立派さ”よりも、“この季節を大事にしたい”という気持ちが伝わることの方が、ずっと素敵です。
色合いは白や黄の菊が定番ですが、柔らかな桃色や深い赤紫を添えると、秋の深まりがグッと豊かになります。そこへ栗やススキ、リンドウ、吾亦紅など、季節を感じるものを少し足しても綺麗です。秋の七草まで本格的に揃えなくても、1つ2つあるだけで十分に風情があります。盛り込み過ぎると、しっとりした節句のはずが急に“秋の全部のせ定食”みたいになりますから、余白を残すくらいがちょうど良いのです。
地域によっては、春だけでなく秋にも雛人形を飾る「秋の雛」という風習があります。しまったままの人形を、空気の澄んだ季節にもう一度迎えるのは、どこか趣深いものです。春の華やぎとは違って、秋の雛には落ち着きがあります。賑やかさではなく、ゆっくり眺めたくなる美しさ。そんな静かな祝福も、重陽の節句によく似合います。
家族で楽しむなら、飾りには「語れるもの」を1つ入れるのがおすすめです。おばあちゃんが好きな花、子どもが拾ってきたどんぐり、和紙で作った小さな菊、秋色の敷物。物そのものはささやかでも、そこに会話が生まれます。飾りは目で見るものですが、本当は人の気持ちを柔らかく動かす小さな合図なのかもしれません。季節の行事は、部屋を飾るというより、心を整える支度なのだと感じます。
[広告]第3章…栗ご飯も菊の一皿もご馳走に~重陽の節句を味わう秋の食卓~
重陽の節句の食卓は、豪華さよりも「秋をいただく気持ち」がよく似合います。主役としてよく挙がるのは、やはり栗です。ホクホクした栗ご飯は、それだけで季節のご馳走。フタを開けた瞬間の香りに、思わず背筋が少し伸びます。いつもの白いご飯が悪いわけではないのに、栗が入ると急に“本日の主役です”という顔をしてくるのです。なかなか頼もしい秋の選手です。
もう1つ、この日に欠かせないのが菊を使った料理です。食用菊は、お浸しや酢の物、吸い物にすると、香りと彩りの両方を添えてくれます。見た目は優しいのに、食卓全体をキリっと整える名脇役。まるで静かな人ほど仕事が丁寧、というあの感じです。菊酒のように香りを楽しむ形もあれば、料理の上に少し散らして風情を出す形もあります。全部を揃えなくても、一品あるだけで重陽らしさはグッと深まります。
重陽の節句のご馳走は、お腹を満たすだけでなく、季節を綺麗に心へ入れてくれる食事です。
献立を考える時は、張り切り過ぎなくても十分です。栗ご飯に、優しい吸い物、旬の野菜を使った小鉢、それだけでも立派な節句の膳になります。秋なすを煮てしっとり仕上げても良いですし、きのこを使って旨みを重ねても似合います。色合いも大切で、黄、白、えんじ、薄い緑が並ぶと、食卓がいっそう秋めきます。茶色ばかりになると急に“秋の茶系会議”が始まるので、ひと皿だけでも明るい色を入れると見た目がグンと軽やかです。
菊には抗酸化作用(体のさびつきを抑えるはたらき)が注目される成分もあり、見た目の美しさだけで終わらないのも魅力です。昔の行事食は、願いと季節感と体への労わりが、1つの膳に同居していました。何とも気が利いています。しかも、頑張り過ぎない。そこがまた良いのです。祝いの日の料理というと身構えがちですが、重陽の節句は「少し丁寧に食べる」くらいでも、ちゃんと気持ちが届きます。
家族で囲むなら、「これ、何で今日は栗ごはんなの?」という一言から会話が生まれます。行事の意味を全部スラスラ話せなくても大丈夫です。秋を元気に過ごしたいから、長く健やかでいたいから、今日は季節を食べよう。そんな言葉で十分温かい。食卓は、知識を披露する場所というより、季節を一緒に味わう場所です。重陽の節句は、そのことをしみじみ教えてくれます。
第4章…昔の風習は今の暮らしにも似合う~長寿と美容を願う“秋の整え時間”~
重陽の節句には、昔ならではの風習がいくつもあります。その中でも、何とも上品で印象深いのが「被せ綿」です。前の晩に菊へ真綿をそっと置き、翌朝、その香りと露を含んだ綿で身を拭う。邪気払い(悪いものを遠ざける願い)や長寿祈願(長く健やかに過ごす願い)が込められた習わしですが、同時に、とても美意識の高い所作でもあります。朝からそんな優雅なことをしていたとは、昔の人は本気で季節を味わっていたのだなあと感心します。こちらは朝から寝癖との交渉で精一杯、という日もありますけれど…。
けれど、この風習は「昔の人はすごい」で終わらせるにはもったいありません。形をそのまま真似しなくても、今の暮らしに合う楽しみ方はたくさんあります。菊の香りを取り入れた入浴剤で湯船に浸かる、枕元に優しい香りを置く、花を眺めながら温かいお茶を飲む。そんな静かな時間でも、十分に重陽らしいのです。質実剛健というより、優美静穏。頑張る日の行事ではなく、自分を労わる日の行事として受け取ると、グッと身近になります。
長寿を願うとは、遠い未来だけを見ることではなく、今日の自分を少し丁寧に扱うことでもあります。
しかも菊は、見た目が美しいだけの花ではありません。食用菊に含まれる成分には、抗酸化作用(体の錆つきを抑える働き)が期待されるものもあり、美容と健康の両面で親しまれてきました。昔の行事は、願い事と暮らしの知恵がちゃんと繋がっているのが面白いところです。祈って終わりではなく、食べる、香る、休む、整える。その1つ1つが、心身一如の感覚に繋がっていきます。体と気持ちは別々ではない、と昔の暮らしがそっと教えてくれているようです。
九月は、夏の疲れが残りやすい時期でもあります。冷房で冷えた体、強い日差しの名残、何となく抜けないだるさ。そんな時期に重陽の節句があるのは、季節の巡りがよく出来ている証拠かもしれません。ここで一度、立ち止まって整える。花を飾る、香りを楽しむ、食事を少し優しくする、早めに休む。どれも小さなことですが、その積み重ねが秋を気持ちよく迎える支度になります。派手ではなくても、こういう日がある暮らしは、じわじわ効いてきます。漢方みたいだなと思った人、かなり鋭いです。
重陽の節句は、過去の風習を眺める日ではなく、今の自分へ静かに手をかける日。そう思うと、急に親しみが湧いてきます。長生きしたい、綺麗でいたい、健やかでいたい。その願いは、時代が変わってもずっと同じです。秋の入口に、ほんの少しだけ丁寧な時間を置く。それだけで、暮らしはしっとりと品よく整っていきます。
[広告]まとめ…派手じゃなくても心に残る~重陽の節句が暮らしを少し上品にする理由~
重陽の節句は、賑やかに騒ぐ日というより、暮らしの襟元をそっと整えるような節句です。菊を一輪飾る、栗ご飯を炊く、香りの良い湯にゆっくり浸かる。そのどれもが大袈裟ではないのに、心にはしっかり残ります。季節の行事は、立派にこなすことより「今日は少し丁寧に暮らしてみよう」と思えることが何よりのご馳走です。
九月は、夏の疲れと秋への期待が同じ部屋にいるような時期です。そんな頃に重陽の節句があるのは、実によく出来ています。体を労わり、家族の元気を願い、長く穏やかに過ごせるように祈る。無病息災(病気をせず元気に過ごすこと)も長寿祈願(長く健やかに生きる願い)も、結局は「今日を気持ちよく生きたい」という願いに繋がっています。
派手ではなくても、季節を大切にする一日は、暮らしをちゃんと上品にしてくれます。
難しく考えなくて大丈夫です。花屋さんで菊を見つけたら一輪。夕飯に栗や秋野菜を1つ。寝る前に香りでホッとする時間を少し。急がば回れという言葉の通り、こういう静かな手入れの方が、心にも体にもよく効くことがあります。行事を楽しむというより、自分たちの毎日に一期一会の秋を迎える。そんな気持ちで過ごす9月9日は、きっと優しく記憶に残ります。
今年の重陽の節句は、豪華な準備よりも、しみじみ「いい日だったね」と言える時間を1つ。菊の花と秋の味わいが、家の中に静かな祝福を運んできてくれるはずです。
[ 広告 ]今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m
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