お正月のお年玉はいくらあげる?由来と意味から考える新しいカタチ

[ 1月の記事 ]

はじめに…お年玉のモヤモヤを今年こそ整理してみる

お正月の準備をしていると、ふとテーブルの上に並んだポチ袋の数を数えて、ため息をつきたくなることはありませんか。我が子に、甥っ子に、姪っ子に……「あの子にはいくら包もう」「兄弟同士で差をつけていいのかな」などと頭の中でソロバンを弾いているうちに、だんだん気持ちが重くなってしまう。そんな経験をお持ちの方は、きっと少なくないと思います。

子どもたちの側には子どもたちの世界があります。冬休みが明ける頃、教室ではお年玉の話題が自然と飛び交います。「私はこれくらいもらった」「僕は全部でお札が何枚だった」など、無邪気な自慢と本音が入り混じる時間です。その会話を耳にした時、親として胸がチクリとしたり、「うちの金額は多いのか少ないのか」と急に不安になったりすることもありますよね。

けれど、そもそもお年玉とは何なのでしょうか。昔からずっと、今のようにお金を包む行事だったのでしょうか。ほんの少し歴史を紐解いてみると、お年玉には「新しい一年を元気で過ごしてほしい」という願いを託した、大切な意味が隠れていることが見えてきます。そこには、現代の「金額の多い少ない」に振り回されてしまう感覚とは、少し違う世界が広がっています。

この記事では、世の中でよく語られているお年玉の相場の話を入り口にしながら、その由来や本来込められてきた願いを優しく整理していきます。その上で、「お金だけ」に頼らない渡し方や、子どもと一緒に笑顔になれる工夫もご紹介していきます。読み終えた頃には、毎年、何となく感じていたモヤモヤが少し軽くなり、「我が家はこのスタイルでいこう」と胸を張って言える、お正月のお年玉のカタチが見えてくるはずです。

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第1章…お年玉の相場ってどのくらい?子どもの本音と親の溜め息

お正月のお年玉、皆どのくらいあげているんだろう。」毎年、ポチ袋を並べながら、そんな呟きが頭に浮かぶ方は多いと思います。幼稚園児にはこのくらい、小学生にはもう少し、中学生や高校生には桁を上げるべきか……と考えているうちに、お財布の中身とにらめっこになってしまい、溜め息混じりのお正月準備になることもありますよね。

一方で、子どもたちには子どもたちなりの「相場感」があります。冬休み明けの教室では、「私は全部で1万円」「僕はお札が何枚もあった」などと、半分は自慢、半分は本音の会話が飛び交います。中には「友だちの方がたくさんもらっていた」としょんぼりしてしまう子もいて、その話を聞いた親の胸が、チクリと痛むこともあります。

よく耳にする話としては、幼稚園くらいまでは500円玉1枚や1000円、低学年は1000円〜3000円、高学年になると3000円〜5000円、中学生は5000円前後、高校生になると1万円ほど……という目安が挙がることが多いようです。ところが、実際に周りの家庭に尋ねてみると、この「目安」から大きくはみ出すケースもたくさんあります。

ある家庭では、小学生の子どもが親戚中からもらった合計が1万円に届かないくらい。「それでも十分ありがたいよね」という感覚で、お年玉はあくまで特別なお小遣いとして扱われています。別の家庭では、祖父母や親戚が多く、一人の孫に対しても1人あたり5000円〜1万円を包むのが当たり前になっていて、合計すると小学生のうちから10万円近くになる、という世界もあります。

インターネット上の体験談を眺めていると、「うちはそんなにもらっていなかったから、思わず『嘘やろ……』と呟いた」という大人の本音もたくさん見つかります。流石に身近で100万円に迫るような話はそうそう聞きませんが、世の中には「お年玉だけでゲーム機が余裕で買える」という子どもも実在するわけです。

ここまで差があると、「平均はいくら」という考え方そのものが、あまり意味を持たなくなってきます。住んでいる地域、親戚の数と関係性、祖父母の経済状況、親の考え方……様々な条件が重なって、「その家らしい金額」が決まっていきます。けれど、子どもたちはそこまで想像が追いつきません。どうしても友だちと自分を比べてしまい、「あの子より少ない」「あの子はずるい」と感じてしまうのです。

親としては、「うちにはうちの事情がある」と言いたくなりますが、それだけでは子どものモヤモヤはなかなか晴れません。そこで役に立ってくれるのが、「そもそもお年玉とは何か」という、少し昔に遡った視点です。お年玉の由来や本来の意味を知ることで、「金額だけが全てではない」という話を、子どもにも分かりやすく伝えやすくなります。

次の章では、お年玉が元々どのような形で始まり、どんな願いが込められてきたのかを、鏡餅や歳神様の話と合わせて辿っていきます。金額の多い・少ないに振り回される前に、土台となる考え方を一度、一緒に整えてみましょう。


第2章…お年玉の由来と本当の意味~鏡餅から始まった「福のおすそ分け」~

お年玉という言葉をよくよく眺めてみると、「年」と「玉」という二つの漢字が並んでいます。ここでいう「年」は新しい一年そのもの、「玉」は丸いもの、尊いものを指します。元々は「年の神様から授かる、丸い力」「新しい一年を生きるための魂の欠片」といったイメージに近いものだった、と言われています。

昔の日本では、お正月は「歳神様」という神様をお迎えする大事な行事でした。歳神様は、その年の実りや家族の健康を司る存在で、各家庭の神棚や床の間にお供えする鏡餅に宿ると考えられてきました。丸く平たい鏡餅は、形そのものが「魂」や「命」の象徴でもあります。

お正月が過ぎ、松の内が終わる頃になると、鏡餅を木づちなどで割っていただく「鏡開き」を行います。一般的には一月十一日に行う地域が多く、おしるこやぜんざい、お雑煮などにして家族で分け合いますよね。この時、年長者が鏡餅を割り、年少者に分けて食べさせる行為そのものが、元々の「お年玉」だったとされています。

歳神様が宿った鏡餅を家族で分けて食べることは、「神さまの力を少しずつ分けてもらう」という意味合いを持っていました。新しい一年も病気をせず、元気で過ごせますように。勉強や仕事が実りますように。そうした願いを、目には見えない「福のお裾分け」として受け取る行為だったわけです。ここには、金額の多い少ないといった感覚は全くありません。

時代が下ると、お年玉は少しずつ姿を変えていきます。鎌倉時代には、武士が家来に刀を贈ったという記録が残されています。町人たちは扇子や反物を贈り、医者は丸薬を贈ったとも伝えられています。どれも、その人の身を守ったり、商売や暮らしを支えたりする、実用的でありながら縁起のよい品物です。「あなたの一年が良いものになりますように」という祈りを、具体的な形にして渡していたとも言えるでしょう。

庶民の家庭でも、子どもには鏡餅の他に、羽子板や凧、新しい筆や硯などが贈られてきました。遊び道具であっても、そこには「体を丈夫に」「頭をよく」「字が上手に」といった願いが込められています。単に喜ばせるためだけの贈り物ではなく、「これからの一年をどう過ごして欲しいか」という大人の願いを託す道具だったのです。

こうした歴史を振り返ってみると、お年玉は元々「神様からの力を分けてもらい、それを大切な人に手渡す行為」だったことが見えてきます。今のように、お正月の朝から子どもがポチ袋を次々と開けて、ただ合計金額を数えるための行事ではありませんでした。

もちろん、時代が変われば、贈り物の形が変わるのは自然なことです。物が少なかった頃には餅や羽子板が嬉しかったように、物が溢れる現代では現金の方が自由度が高く、子どもたちも喜びやすいという面があります。ただし、その「形」が変わっても、「何のために渡すのか」という芯の部分まで一緒に手放してしまう必要はありません。

親として、あるいは祖父母として、お年玉を準備する時に、「この子の一年がこうであって欲しい」という願いを、一度言葉にしてみるのも良いかもしれません。「今年はこんなところを応援したいから、お年玉はこういう渡し方にしよう」と決めておくと、自分の中の軸がはっきりしますし、子どもに説明する時の言葉も自然と変わってきます。

例えば、「鏡餅を分け合うのと同じでね、これはあなたの新しい一年を応援するための力なんだよ」と、ひと言添えて渡してみる。それだけでも、お年玉は単なるお金ではなく、「大人から子どもへのエール」に少し近づいてくれます。

次の章では、そんなお年玉がどのようにして現金中心の形に移り変わっていったのか、そして、そこにどんな大人の事情や時代の流れがあったのかを、少しだけ掘り下げてみたいと思います。


第3章…どうしてお年玉はお金になった?時代の流れと大人の事情

第2章までで、お年玉が元々は鏡餅や品物を分け合う行為だったことを見てきました。では、いつ、どの辺りから「お正月といえばお札と硬貨」というイメージが強くなっていったのでしょうか。ここには、時代の流れと大人の事情が、ジワジワと積み重なっています。

まず大きかったのは、物よりもお金が便利になったという、暮らしそのものの変化です。高度経済成長の頃から、日用品やおもちゃ、文房具に至るまで、欲しい物はお店に行けば大抵、手に入るようになりました。そうなると、「何を贈るか」を大人が選ぶより、「自分の欲しい物を自分で選びたい」という子どもの気持ちが強くなっていきます。大人の側も、「好みを外すくらいなら、いっそ現金で」と考えるようになり、少しずつお札中心のお年玉へとシフトしていきました。

もう1つの流れは、「ポチ袋文化」の定着です。お正月用の封筒が、干支の柄やキャラクターもの、和風のシンプルなものまで、文房具売り場一面に並ぶ光景は、すっかりお馴染みになりました。郵便局や金融機関、文具メーカーなどが、年賀状やお年玉用グッズを毎年のように工夫してきたことで、「お正月にはお金を包むもの」というイメージがさらに強くなっていった側面もあります。

近年では、お正月に続いて「お盆玉」という言葉も広まりました。お盆の帰省時に、夏のボーナスから少し分けるような感覚で、子どもや孫にお小遣いを渡すスタイルです。ポチ袋も専用のデザインが用意され、「夏休みバージョンのお年玉」のような存在として、ジワジワと市民権を得てきました。こうした新しい習慣は、元々あった贈り物文化に、現代的なアレンジを重ねたものと言えるでしょう。

また、家族の形が変わったことも見逃せません。核家族化が進み、普段は離れて暮らす祖父母と孫が、お正月の数日だけ顔を合わせるケースが増えました。短い時間で「成長したね」という気持ちを伝えるために、お年玉という形あるギフトは、とても分かりやすい手段です。暮らし振りを見てゆっくり品物を選ぶような余裕はなく、「取り急ぎでも、ちゃんと気持ちが伝わるもの」として、現金が選ばれやすくなったとも考えられます。

さらに最近では、キャッシュレス決済や電子マネーの普及により、「電子お年玉」のようなスタイルも話題になっています。離れて暮らす家族に、アプリを通じてお金を送ったり、チャージ用のカードを贈ったりするケースも出てきました。もはやポチ袋に拘らない形も登場しつつあり、お年玉はますます「お金そのもの」に近づいているようにも見えます。

ただ、その流れが進めば進むほど、「金額の多い少ない」が目立ちやすくなる、という問題も同時に育っていきます。昔のように、羽子板や凧、文房具など目に見える品物であれば、「うちは筆と硯」「うちは本とノート」と、それぞれの家庭の個性として受け止めやすかった部分もありました。ところが、全てがお札と硬貨に変わると、どうしても単純な数字の比較になってしまいます。

大人の側も、どこかでそのことに気づいています。本当は、家計に無理のない範囲で、気持ちよく渡したい。それなのに、子ども同士の会話や、親戚同士の空気を想像して、つい背伸びをしてしまう。お正月のたびに、その小さな葛藤を抱えている方も多いのではないでしょうか。

だからこそ、「なぜ今のお年玉はお金が中心なのか」という流れを知った上で、「では我が家はどうしたいのか」を考え直してみることが大切になってきます。現金を渡すこと自体が悪いわけではありません。大事なのは、「この渡し方で、子どもにどんなメッセージが伝わるのか」を、大人の側が自覚しているかどうかです。

次の第4章では、お金だけに頼らない工夫や、現金と品物、さらには体験を組み合わせた、現代ならではのお年玉のスタイルを考えていきます。「いくら包むか」だけでなく、「どんな気持ちを渡すか」に焦点を移していくことで、プレッシャーだらけのお年玉から、少しずつ解放されていきましょう。


第4章…お金だけじゃないお年玉~モノと体験で「気持ち」を伝える工夫~

ここまで見てきたように、お年玉は、元々、鏡餅を分け合う行為から始まり、時代の流れの中で現金中心の行事へと変化してきました。では、「お金ばかりで疲れてしまう」「でも、全てをやめるのも極端かな」と感じている大人は、これからどう工夫していけばよいのでしょうか。ここでは、「お金」「モノ」「体験」という3つの要素を組み合わせながら、我が家らしいお年玉の形を考えてみます。

お金を目的付きにして渡すという発想

現金そのものを否定してしまうと、却って子どもとの間にぎこちなさが生まれてしまうこともあります。そこで1つの方法として、「目的つきのお年玉」にしてしまう工夫があります。単に金額だけを渡すのではなく、「これは本を買うためのお年玉ね」「これは春からの部活で使う道具のためのお年玉ね」と、予め使い道を一緒に決めてしまうのです。

例えば、小学高学年くらいの子どもには、「今年は自分の成長のために使うお金と、自由に使って良いお金を分けてみようか」と提案してみるのも一案です。半分は貯金、残りは好きな物、という分け方にしてもいいですし、「英語を頑張りたいと言っていたから、図書カードと少しのお小遣いをセットにする」といった組み合わせでも良いでしょう。

この時、大切なのは、「お金をあげるからには、口出ししない」という姿勢ではなく、「一緒に一年の使い方を考えてみよう」という伴走の姿勢を見せることです。子どもにとっても、「もらって終わり」ではなく、「どう使うかを考える切っ掛け」としてお年玉を受け取ることで、少しずつ金銭感覚が育っていきます。

モノのお年玉で応援したい力を形にする

昔ながらのスタイルに少し戻ってみるのも、実はとても有効です。お金ではなく、具体的な品物をお年玉に選ぶ時の合言葉は、「この子のどんな力を応援したいか」です。

本が好きな子には、新しいシリーズ物の物語や、図鑑をお年玉代わりに渡す。絵を描くのが好きな子には、少し良い色鉛筆やスケッチブックのセットにする。体を動かすのが大好きな子には、新しい運動靴やスポーツ用の靴下を選ぶ。どれも高級品である必要はなく、「あなたの得意なところを見ているよ」「その伸びていく力を応援しているよ」というメッセージが伝わるかどうかが、大事なポイントです。

祖父母からの贈り物としても、こうした「応援の品」は相性が良いものです。「お爺ちゃんからは、今年は字の練習を頑張って欲しいから、筆ペンのお年玉ね」「お婆ちゃんからは、体を大切にしてほしいから、温かい下着のお年玉ね」と、贈る側それぞれの願いを添えて渡すと、子どもも自然とその意味を感じ取ってくれます。

もちろん、現金と品物を組み合わせることも出来ます。例えば「基本は文房具セットだけれど、少しだけ自分の好きな物を買えるお金も添えておく」といった形にすれば、「応援」と「楽しみ」を両立させることが出来ます。

体験のお年玉で思い出そのものをプレゼント

もう1つ、これからもっと注目してもよいのが、「体験のお年玉」です。金額や物は形に残りやすい一方で、「あの時、一緒に行ったな」「あの時、一緒に笑ったな」という記憶は、その人の中に長く残っていきます。

例えば、「お年玉は、冬休み明けに一緒に出かける約束券」という発想があります。水族館や科学館、動物園などへ親子で行くチケットを「お年玉」として渡し、「お正月が落ち着いたら、二人切りでお出掛けしようね」と約束しておく。これだけでも、子どもにとっては特別なご褒美になります。

祖父母と孫の場合なら、「今年のお年玉は、一緒に餅を丸める日」と決めてしまうのも素敵です。餅つき機や市販の餅であっても、丸める工程を一緒にやれば立派な行事になります。他にも、「一緒にトランプやかるたで遊ぶ時間」「古いアルバムを開いて昔話をしてくれる時間」も、立派な体験のお年玉です。

遠方に住んでいてなかなか会えない場合は、「新年のお話し会」として、長めの電話や映像通話の時間を予め約束しておくのも良いでしょう。「今年のお年玉は、あなたの話をたっぷり聞かせてもらう時間だよ」と伝えれば、受け取る側も「ちゃんと話を聞いてもらえる」と感じて心が温かくなります。

我が家ルールを決めて毎年の迷いを小さくする

お金、モノ、体験。どれか1つに決める必要はありません。むしろ、「我が家はこの組み合わせでいこう」という簡単なルールを決めてしまうと、毎年の迷いが少し軽くなります。

例えば、「親からは目的つきのお金と文房具、祖父母からは体験のお年玉」というように、役割を分ける方法もあります。「小学生まではモノと体験が中心、中学生以上になったら目的つきのお金を増やしていく」といった、年齢に応じた段階のルールを作っておくのも良いでしょう。

大切なのは、そのルールを子どもにもしっかり伝えておくことです。「うちは昔ながらの考え方を大事にしているから、必ず何か1つはモノや体験をセットにするんだよ」と話しておくと、友だちとの違いを感じた時にも、「うちにはうちのやり方がある」と少し受け留めやすくなります。

お年玉を巡るモヤモヤは、どうしても金額に目が行きがちな現代だからこそ生まれている面があります。でも、お金の渡し方にほんの少し工夫を足して、「モノ」と「体験」を混ぜ合わせていけば、お年玉はもう一度、「新しい一年を応援するための優しい儀式」に近づいてくれます。

次のまとめでは、改めてお年玉の歴史と意味、そして現代ならではの工夫を振り返りながら、「我が家らしいお年玉」をどう形にしていくかを、もう一度整理してみましょう。

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まとめ…我が家らしいお年玉で新しい年のスタートをきる

お年玉について改めて考えてみると、私たちはいつの間にか「いくら包むか」という数字ばかりに意識を向けてしまいがちです。子ども同士の会話も、大人同士の話題も、どうしても金額が基準になりやすく、「うちは多いのか少ないのか」「よその家と比べられていないか」と、毎年同じモヤモヤを抱えてしまう方は少なくないはずです。

けれど、元々のお年玉は、鏡餅を分け合うところから始まった、「福のおすそ分け」の行事でした。歳神様にお供えした餅を家族でいただいて、新しい一年の無病息災や豊かな実りを祈る。その後も、刀や扇、丸薬、羽子板や凧、文房具など、「この一年をこう過ごしてほしい」という願いを込めた品物が贈られてきました。本来のお年玉は、金額の多さを誇るためのイベントではなく、「あなたのこれからを応援する」という大人から子どもへのメッセージだったのです。

時代が進み、暮らしが変わる中で、お年玉は少しずつ現金中心のスタイルに姿を変えてきました。物が豊かになり、子どもの好みも多様になったことで、「欲しい物は自分で選ばせてあげたい」という考えが広がったのも、ごく自然な流れだと言えるでしょう。郵便局や文具メーカーがポチ袋文化を広げ、お盆玉のような新しい慣習も生まれ、現代ならではの楽しみ方も増えてきました。

だからこそ今、大人の側がもう一度立ち止まり、「我が家はどんな気持ちでお年玉を渡したいのか」を言葉にしてみることが大切になってきます。同じ現金でも、ただ黙って渡すのか、「今年はこんなことを応援したいから、このお年玉なんだよ」と一言添えるのかで、子どもに届くメッセージは大きく変わります。モノを贈るにしても、「あなたの得意なところを見ているよ」という視点で選べば、それは立派な「応援のギフト」になります。

さらに、お金やモノだけでなく、「体験」をお年玉にしてしまう発想もあります。一緒に出掛ける日、一緒に餅を丸める時間、トランプやかるたで本気で遊ぶ夜、昔話をゆっくり聞かせる一時……。こうした体験は、形こそ残りませんが、子どもの心の中に長く温かく残っていきます。「今年のお年玉は、お爺ちゃんと二人でお出かけする券ね」と言われたら、それだけで特別な一年のスタートになりますよね。

お年玉の形は、家庭の数だけあって良いものです。現金だけの家があっても良いし、モノと体験を組み合わせる家があってもいい。「小学生までは品物と体験が中心、中学生からは目的つきのお金を増やしていく」といった、年齢ごとのルールを決めるのも1つの方法です。大事なのは、そのルールに家族みんなが納得していて、「うちにはうちのやり方がある」と胸を張って言えることです。

一度、思い切って「うちはこうする」と決めてしまえば、毎年のお正月に「今年はいくらにしよう」と悩み続ける負担も、少しずつ軽くなっていきます。そして、「いくらあげたか」ではなく、「どんな言葉を添えて渡したか」「どんな時間を一緒に過ごしたか」が、家族の記憶に積み重なっていきます。

お年玉は、子どもにとってはもちろん、大人にとっても「一年の始まりに、相手の幸せを願う」貴重な機会です。金額の多い少ないに振り回されすぎず、由来に込められた想いを少しだけ思い出しながら、今年こそ「我が家らしいお年玉」のスタイルを、家族で楽しく語り合ってみてはいかがでしょうか。

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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