初夢の謎を解くお正月ガイド~いつ見る?何を願う?~

[ 1月の記事 ]

はじめに…初夢に込められた願いと新しい一年のスタート

お正月が近づくと、「今年の初夢はどんな夢になるかな」と、ふと考えたことはありませんか。年が明けて最初に見る夢には、その一年の運勢や心の向きが映し出される、と昔から語り継がれてきました。けれど、そもそも初夢はいつ見た夢のことなのか、本当はどんな由来があるのか、意外ときちんと説明できない方も多いかもしれません。

初夢はただの「夢」ではなく、寒い季節のお楽しみでもあります。おせち料理やお雑煮を味わいながら、家族や友人と「こんな夢を見たよ」と笑い合う時間は、それだけで心を温めてくれますよね。そこに、昔から伝わる縁起物の意味や歴史の豆知識が少し加わると、お正月の会話がグッと深まり、大人同士でも子どもと一緒でも楽しめる話題になります。

この読み物では、「初夢はいつ見るものなのか」という素朴な疑問から始めて、鎌倉や江戸の時代に遡る由来、そして「一富士二鷹三茄子」といった縁起物の意味を辿っていきます。昔の人がどんな気持ちで初夢に願いを託してきたのかを知ると、現代を生きる私たちも、自分なりの楽しみ方や願いの込め方を見つけやすくなります。

さらに後半では、忙しい現代ならではの初夢との付き合い方にも触れていきます。夜勤がある方、小さなお子さんのお世話でなかなかまとまって眠れない方、ついつい夜更かししてしまう方でも、「自分なりの初夢タイム」を作る工夫はきっと見つかります。グッすり眠るためのちょっとしたコツや、お気に入りの絵や言葉を枕元に置いて願いを託す方法なども、ご紹介していきますね。

一年の始まりに見る夢は、その年をずっと決めつけてしまう「合否判定」ではありません。良い夢なら「よし、背中を押してもらえた」と受け止め、あまり嬉しくない夢なら「ここから上向きにしていこう」というサインに変えることが出来ます。この読み物が、そんな前向きな受け止め方のお手伝いとなり、読んでくださるあなたの一年が、少しでも温かく祭られる切っ掛けになれば嬉しいです。

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第1章…初夢はいつ見る?昔の年越し習慣と今どきの考え方

「初夢って、いつ見た夢のことなの?」という疑問は、とてもよく聞かれます。大みそかから元日の夜なのか、元日から2日の夜なのか、あるいはもっと別の日なのか…。実は、この「いつを見るか」という話には、昔の暮らしや年越しの習慣が深く関係しています。

今は、大晦日の夜にゆっくりお風呂に入り、紅白歌合戦を見て、年越し蕎麦を食べた後、眠くなったらそのまま布団に入る人が多いですよね。でも、江戸時代より前の時代には、「年が変わる瞬間は眠らずに過ごす」という考え方が強くありました。家族揃って夜更かしをし、神社やお寺に出かけ、除夜の鐘と共に旧年の穢れを払い、新しい年を綺麗な心で迎えることが大事だとされていたのです。

そのため、昔の人たちは、大晦日から元日の朝まではほとんど眠らなかったと言われています。そうなると、夢を見るのは、ひと通り年始の挨拶やお屠蘇、おせちを終えた後、ひと息ついてからになります。ここから、「元日の夜から2日の朝にかけて見る夢こそが初夢だ」という考え方が、今に繋がる代表的な説として残りました。

とはいえ、歴史の中では、初夢のタイミングについていくつかの考え方が並び立ってきました。昔の記録を辿ると、大きく分けて4つほどの説がよく登場します。1つ目は、大晦日の夜から元日の朝に見る夢を大事にする説です。年を跨ぐ瞬間に近い夢なので、「年の境目を跨いだ特別な夢」として重んじられました。2つ目が、先ほど触れた「元日の夜から2日の朝」説で、今も一番よく知られている考え方です。3つ目は、「2日の夜から3日の朝」に見る夢を初夢とする説で、これは2日を商売始めや書き初めの日と結びつけていた時代の名残だとも言われています。4つ目は、旧暦の考え方に近く、「立春の前日から当日にかけての夢」を新しい一年の始まりと重ねる説です。これが顔を出すのは、暦の上での一年の区切りを大切にしていた鎌倉時代辺りのことだと伝わっています。

このように、時代や地域によって「いつを初夢とするか」は少しずつ違ってきましたが、今の日本では、「元日の夜から2日の朝にかけて見る夢」を初夢と呼ぶのが、一番分かりやすい目安になっています。カレンダーも生活リズムも変わった現代では、昔のように大晦日から徹夜で過ごす人は多くありませんし、夜勤やシフト制の仕事をしている人も増えました。小さなお子さんがいる家庭では、年越しよりも子どもの寝かしつけが優先、ということもよくあります。

そんな今だからこそ、「自分にとっての一年が本当に始まった夜」を、ゆるやかに初夢のタイミングとして決めてしまうのも1つの考え方です。例えば、「元日の夜、いつもより少しだけ心を整えて眠りについた時の夢を初夢にしよう」と自分の中で約束しておけば、慌ただしい年末年始の中でも、静かに自分と向き合う時間を作る切っ掛けになります。

大切なのは、「どの夜の夢か」を厳密に争うことではありません。「新しい一年を、こんな気持ちでスタートしたい」という、自分なりの願いをそっと託すことです。昔の人が年越しの夜を大事にしたように、現代の私たちも、自分の生活リズムの中で「ここから新しい一年が始まる」と思える夜を選び、その夜に見る夢を大事にしてみてはいかがでしょうか。次の章では、そんな初夢の背景にある歴史を、もう少しゆっくり辿っていきます。


第2章…初夢の歴史散歩~平安・鎌倉から江戸の町人文化まで~

初夢という言葉を聞くと、とても昔から当たり前のように使われてきた言葉に思えますよね。けれど、歴史を辿ってみると、「いつ頃から、どんな人たちの間で大切にされてきたのか」が少しずつ見えてきます。ここでは、平安・鎌倉・室町・江戸と時代を追いながら、初夢の足跡をゆっくり辿ってみましょう。

まず、まだ「初夢」という言葉がはっきりしていなかった平安時代には、そもそも夢そのものがとても大切にされていました。貴族たちは、夢をただのお話としてではなく、「神様や仏様からのメッセージ」として受け止めることが多かったのです。良い夢を見たら、それを和歌にして日記に残し、いやな夢を見たら、お祓いをして気持ちを切り替える。そんな風に、夢と現実は今よりもずっと近いところにありました。

やがて時代が下り、鎌倉時代になると、「年の初めに見る夢」に特別な意味を持たせる考え方が、少しずつ形を整えていきます。平安時代末から鎌倉時代にかけて活躍した西行法師がまとめた歌集「山家集」には、年の初めに見る夢を詠んだとされる歌が登場します。そこには、「新しい年をどう生きていこうか」という、素朴だけれど深い願いが込められていて、今を生きる私たちが読んでも共感できる空気が漂っています。忙しさや不安を抱えながらも、「せめて新しい年は良い方向に向かいますように」と、夢にそっと希望を託したい気持ちは、昔も今も変わらないのかもしれません。

室町時代に入ると、初夢と縁起ものの関係が、グッと分かりやすい形で記録に残るようになります。その代表が、七福神と宝船のお話です。よく知られているように、七福神はそれぞれ得意分野のご利益を持つ神さまたちです。この七福神が乗った宝船の絵に、特別な回文の言葉を書き入れて枕の下に入れて寝ると、良い初夢が見られると信じられてきました。もしも良くない夢を見てしまった時には、その宝船の絵を川に流して、夢ごと流してしまう、という風習も伝わっています。「良いことは捉まえる、悪いことは流してしまう」という、前向きで軽やかな発想がとても人間らしくて、どこか微笑ましいですよね。

そして、初夢のイメージを決定付けたと言っても良いほど有名なのが、江戸時代に広まった「一富士二鷹三茄子」の言い伝えです。いまでも年末年始のテレビや雑誌でたびたび取り上げられる、この3つの組み合わせは、元々は駿河国、今の静岡あたりにゆかりのある説や、徳川家康にちなんだ説など、いくつかの由来が語られています。富士山は日本一高い山であることから「高みを目指す」願い、鷹は勇ましさや鋭い目を持つことから「鋭い判断力」や「狙った獲物をしっかり掴む力」の象徴、茄子は「事を成す」「子孫繁栄」などに結びつけられました。江戸の町人たちは、こうした言葉遊びが大好きで、少しでも明るい話題をお正月に取り入れようと、初夢の縁起ものを面白がりながら語り継いできたのです。

さらに、「四は扇」「いは煙草」「六は座頭」と続く形も、江戸の人々の間で親しまれていました。扇は広がる形から「運や商売がひろがる」イメージ、煙草は立ち上る煙から「運気が上向きになる」イメージ、座頭は頭を剃った姿から「毛が無い=怪我ない」と、少しダジャレ混じりの願いが込められています。お正月に人が集まる場では、「きのう、こんな夢を見たよ」と笑いながら話し、そこに「それは縁起がいいね」「じゃあ、これはどうかな」と、次々と縁起ものの話題が重ねられていきました。

このように歴史を眺めると、初夢はただの「夢の種類」ではなく、その時代その時代の人々の暮らしや願いを映す鏡だったことが分かります。神様からのメッセージとして夢を大切にしていた平安の貴族たち。武士の世にあっても歌や物語の中で心のよりどころを求めた鎌倉の人々。七福神や宝船に、少しでも明るい明日を託した室町の人々。そして、言葉遊びと笑いのセンスで、一富士二鷹三茄子という名フレーズを磨き上げた江戸の町人たち。

時代ごとに姿を変えながらも、「新しい一年を良いものにしたい」という願いは、まっすぐに受け継がれてきました。今わたしたちが初夢を楽しむ時、その背後には、そんな長い歴史と無数の人々の思いが静かに支えてくれているのかもしれません。次の章では、いよいよ一富士二鷹三茄子や七福神といった、具体的な縁起ものにじっくり光を当てていきます。


第3章…一富士二鷹三茄子と七福神~夢に現れる定番の縁起もの~

初夢と聞いて、多くの人がまっ先に思い浮かべるのが「一富士二鷹三茄子」という言葉ではないでしょうか。たった八文字の短い言い回しなのに、日本人の心の中にしっかり根づいていて、年末年始のテレビや会話の中にも何度も登場します。この章では、このお馴染みの言葉と、七福神や宝船の風習を改めて眺めてみましょう。

まずは「一富士二鷹三茄子」です。富士山は日本一高い山であり、遠くから眺めてもすぐに分かる堂々とした姿をしていますよね。その姿から「高みを目指す」「大きく聳える」「揺るぎない存在」といったイメージが重ねられ、「一年の始まりに相応しい山」として特別扱いされてきました。富士は「無事」に通じるとも言われ、「大きな災いなく一年を終えられますように」という願いも、そっと重ねられています。

次の鷹は、鋭い目と素早い動きが印象的な猛禽類です。空高く舞いあがり、狙った獲物をしっかりとつかまえる姿は、「するどい判断力」「チャンスを逃さない力」の象徴とされてきました。江戸時代には、鷹狩りが身分の高い人の楽しみやステータスにもなっていたため、「強さ」「誇り高さ」といったイメージも重ねられています。初夢に鷹が出てきたら、「この一年は、ここぞという場面で力を発揮できるかもしれない」と、少し胸を張っても良さそうですね。

三番目の茄子は、少し意外に感じる方もいるかもしれません。しかし、茄子は夏から秋にかけて実りを楽しめる代表的な野菜であり、「物事を成す」「子孫を成す」といった言葉と結びつけられ、「実り」「繁栄」を象徴するとされてきました。また、茄子の落ち着いた紫色は、昔から「高貴な色」としても大切にされています。「一富士二鷹三茄子」という並びには、「高く、するどく、そしてしっかり実りを掴む」という、なかなか欲張りで前向きな願いがギュッと詰まっているのです。

じつは、ここで終わりではなく、「四は扇、五は煙草、六は座頭」と続く形も伝わっています。扇は、開いた形が末広がりであることから、「商売や人間関係が広がる」「家族や仲間の幸せが広がる」という意味を込められてきました。手の平の中からすっと広がる扇の姿は、見ているだけで気持ちが晴れやかになりますよね。江戸の人々は、「富士の山のように高くありたい」「扇のように運を広げたい」と、日常の小さな道具にも明るい願いを重ねていました。

五番目の煙草は、当時は今とは違い、「香りを楽しむもの」「ひと息つくための贅沢」として受け止められていました。立ち上る煙が上へ上へと昇っていく様子から、「運気も上向きになりますように」という願いが重ねられたのです。現代では健康面の理由から、煙草を好まない人もたくさんいますから、無理に受け入れる必要はありません。ただ、「昔はこんな風に考えられていたんだな」と歴史の一場面として眺めてみると、価値観の変化も感じられて興味深いですね。

六番目の座頭は、少し聞き慣れない言葉かもしれません。これは、江戸時代の身分制度の中で用いられた呼び名の一つで、琵琶や三味線などの芸をなりわいとする人たちを指していました。多くは目が見えない人たちで、髪をそり上げた姿が特徴的だったため、「毛がない」から「怪我ない」へと言葉遊びで結びつけられ、「大きな怪我や事故のない一年でありますように」という願いが込められたとされています。少しユーモアを含みつつも、「技を極め、地道に生きる人への敬意」も感じられる組み合わせです。

一方で、初夢の縁起ものとして忘れてはならない存在が、七福神と宝船です。大黒天、恵比寿、毘沙門天、弁才天、布袋、福禄寿、寿老人という七柱の神様たちは、それぞれ「豊かさ」「商売繁盛」「勝負運」「芸事の上達」「笑いとゆとり」「長寿」など、得意分野の願いを受け止めてくれると言われています。室町から江戸に掛けての時代には、七福神が乗った宝船の絵に特別な文をしたため、その紙を枕の下に敷いて寝ると良い初夢が見られるという風習が生まれました。

もしも良くない夢を見てしまった時には、その宝船の絵を川に流してしまう、という工夫も伝わっています。悪い夢を「現実になってしまう前触れ」として恐れるのではなく、「夢の中で出てきてくれたから、ここで手放してしまおう」と前向きに受け止め直す知恵だったのでしょう。ここには、「人間にはどうにもならないことがあるからこそ、せめて心の持ち方で軽くしたい」という、昔の人の優しい発想が滲んでいます。

さらに、日本には「獏が悪い夢を食べてくれる」という考え方もあります。眠る前に「悪い夢は獏に食べてもらおう」と心の中で呟いたり、獏の絵を枕元に置いたりすることで、「どんな夢を見ても、最後は笑って一年を始められるようにしよう」というおまじないになるのです。七福神や宝船、獏のような存在は、全て「夢の内容に振り回され過ぎないための心の道具」として育ってきたのかもしれません。

こうして見ていくと、初夢にまつわる縁起ものは、どれも「完璧な一年でなければならない」という厳しさを押しつけるものではありません。「高みを目指したい」「実りある一年にしたい」「大きな怪我だけは避けたい」「つらいことがあっても、最後には笑っていたい」など、人間らしい願いを、少し遊び心を交えながら形にしたものばかりです。

現代の私たちも、これらの縁起ものをそのまま信じる必要はありませんが、「自分は今年、どんなことを大切にしたいのか」を考える切っ掛けとして取り入れてみることは出来ます。例えば、富士山のように「どっしりとした心構え」を大事にする一年にしたいのか、鷹のように「チャンスを掴みに行く」一年にしたいのか、茄子のように「小さな実りを積み重ねる」一年にしたいのか。そんな風に、自分なりのテーマを静かに決めてから眠りにつくと、初夢の楽しみ方が少し変わってくるかもしれません。

次の章では、こうした歴史や縁起ものの知恵を踏まえながら、忙しい現代でも取り入れやすい「初夢の楽しみ方」や、「ぐっすり眠って良い夢を招くためのコツ」について、ご紹介していきます。


第4章…現代版・初夢の楽しみ方~ぐっすり眠って良い夢を招くコツ~

ここまで見てきたように、初夢には長い歴史とたくさんの物語が重なっていますが、肝心なのは「今の自分の暮らしの中でどう楽しむか」ですよね。平安や江戸の人たちのように、夜中起きているわけにもいかないし、仕事や家事、子育てでクタクタになって布団に倒れ込む夜もあります。それでも少しだけ意識を向けることで、初夢は「ただの夢」から「一年のスタートに寄り添う小さなお守り」へと変わってくれます。

まず大事にしたいのは、「完璧な初夢を見なければいけない」と力み過ぎないことです。初夢を気にするあまり、「変な夢を見たらどうしよう」と緊張してしまうと、却って眠りが浅くなり、目が覚めやすくなってしまいます。初夢は、合格か不合格かを決めるテストではなく、「新しい一年をどう過ごしたいか」を静かに見つめる切っ掛けくらいに考えておくと、気持ちがグッと楽になります。「良い夢なら嬉しいし、そうでなくても話のタネになる」くらいの感覚で、肩の力を抜いて布団に入ることが何よりの準備になります。

次に、眠りにつく前の一時を、少しだけ丁寧にしてみましょう。難しいことをする必要はありません。例えば、布団に入る前に、その日あった「嬉しかったこと」を心の中で3つ思い出してみる。家族や友人の笑顔でも、温かい食事でも、「今日もなんとか一日乗り切れた」という一言でも構いません。ほんの少しでも「良かったこと」に光を当ててから目を閉じると、心が和らぎ、夢の色合いも変わってきます。また、どうしても不安や心配ごとが頭から離れない時は、メモ帳に一度書き出して、「続きは明日の自分に任せます」とそっと区切りをつけてから布団に入るのもお勧めです。

環境を整えることも、良い夢への近道です。部屋の明かりをやや暗めにし、強い光の画面から離れる時間を少しだけ早めにとる。冬場は、足先が冷えていると眠りが浅くなりやすいので、足湯や温かい靴下で体を緩めてから横になるのも良いですね。お気に入りの香りのハンドクリームを少量ぬって、香りを感じながら深呼吸してみると、「今から休む時間なんだ」と体と心に合図を送ることが出来ます。昔の人が、お屠蘇やお風呂で気持ちを切り替えたように、現代の私たちも、自分なりの小さな「区切りの儀式」を見つけていくと良いでしょう。

初夢に込める願いを、さりげなく形にするのも素敵です。例えば、メモ用紙に今年、叶えたいことを書いて枕元に置いておく。難しい目標でなくても構いません。「家族が大きな病気なく過ごせますように」「笑顔の回数を増やしたい」「新しい趣味を見つけたい」など、自分の心がフッと明るくなる一言で十分です。昔の人が七福神の宝船の絵を枕の下に敷いたように、「言葉」や「小さなイラスト」を通して願いを見える形にしておくと、眠りにつく時の気持ちがやさしく整っていきます。

もし、初夢が「とても良い夢」では無かったとしても、それで一年が決まってしまうわけではありません。むしろ、「ここから上向きにしていこう」というスタート地点だと受け止めることも出来ます。昔の人は、良くない夢を見たら宝船の絵を川に流したり、獏という想像上の生き物に食べてもらうと考えたりして、夢の中の不安を現実に持ち込まない知恵を育てました。現代なら、朝食の時に家族や同僚に話して笑い話に変えてしまう。日記に書いて、「これはこういうサインかもしれないな」と自分なりに意味づけをしてみる。そうやって、夢の印象を少しずつ自分の味方にしてしまうことが出来ます。

さらに、介護や医療、サービス業などで夜勤や交代勤務をしている人にとっては、「元日の夜にぐっすり眠る」こと自体が難しい場合もあります。その時は、世間のカレンダーとは少しずらして、自分の休日前夜を「マイ元日」と考えてしまう方法があります。「この夜は、自分の一年のスタートを祝う時間」と決めて、ほんの少しだけ特別な飲み物やおやつを用意し、短い時間でもリラックスしてから眠りにつく。それだけでも、心の中に「よし、ここからまた頑張ろう」という区切りが生まれます。初夢は、必ずしも暦通りでなくても構いません。自分の暮らしのリズムに合わせて柔らかく決めて良いものなのです。

最後に、初夢を「一人だけの秘密」にしておくか、「誰かと分かち合う思い出」にするかも、自由に選べます。家族で「今年はどんな初夢だった?」と話してみると、意外な一面が見えたり、笑いが生まれたりして、それだけで一年の始まりが温かいものになります。話したくない夢は、無理に言葉にしなくても大丈夫です。大切なのは、「どんな夢であっても、ここからどう歩いていくか」を自分で選び続けること。そのための小さな切っ掛けとして、初夢をやさしく受け止めてみてはいかがでしょうか。

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まとめ…良い初夢でも悪い初夢でも一年を味方につけるために

お正月の初夢を巡るお話を辿ってくると、「いつ見る夢なのか」という素朴な疑問から、平安・鎌倉・室町・江戸と続く長い歴史、そして一富士二鷹三茄子や七福神といった多彩な縁起ものまで、実にたくさんの物語が折り重なっていることが見えてきます。初夢は、ただの「年の最初の夢」というよりも、「その年をどんな気持ちで歩き出したいか」を映し出す、小さな鏡のような存在だったのかもしれません。

昔の人々は、大晦日から元旦にかけて夜通し起きて過ごし、神社やお寺で厄をはらい、元日の朝を特別な時間として迎えていました。その流れの中から、「元日の夜から2日の朝にかけて見る夢こそが初夢だ」という考え方が生まれ、今に伝わっています。一方で、立春の前夜を大切にする説や、2日から3日にかけての夢を重んじる説もあり、時代や地域ごとに「自分たちなりの区切り」を見つけてきた姿も見えてきました。そこには、「新しい一年をどこから始めるか」を、生活に合わせて柔らかく決めていく、しなやかな感覚があります。

一富士二鷹三茄子や、四扇・五煙草・六座頭といった縁起ものには、言葉遊びと願いがたっぷり詰め込まれていました。富士山のようにどっしりと、鷹のように鋭く、茄子のように実り多く。扇のように運を広げ、煙のように上向きに、座頭のように怪我なく過ごせますように。そうした願いを、少しのユーモアと一緒に初夢に託すことで、江戸の町人たちは、笑いながら一年のスタートを祝っていたのでしょう。また、七福神や宝船、獏のような存在も、「良い夢は励みにし、悪い夢は流してしまう」という、前向きな心の切り替えを支える役目を担ってきました。

現代を生きる私たちは、昔と同じ暮らし方をしているわけではありません。夜勤やシフト制の仕事があり、家事や育児に追われる日々の中で、「元日の夜にゆっくり眠る」ことが難しい人も多くなっています。それでも、初夢の考え方は、決して古びることなく、今の生活にもそっと寄り添ってくれます。自分の休日前夜を「マイ元日」と決めて、その夜に見る夢を初夢と考えても良いでしょうし、短い時間でも「ここから一年を始めたい」と思える夜を選んで、そこに願いを込めても良いのです。大切なのは、暦の上の決まりだけに縛られることではなく、「自分なりの区切り」をやさしく決めてあげることです。

その上で、眠りにつく前の一時を少しだけ整えると、初夢はさらに心強い味方になってくれます。今日あった「良かったこと」を思い返してから目を閉じる。叶えたいことを紙に書いて枕元に置いてみる。七福神や宝船、獏のイラストや言葉をそっと近くに置いて、「どんな夢でも、最後は自分の背中を押してくれるサインに変えていこう」と決めて眠る。そんな小さな習慣は、夢の内容そのものよりも、「夢にどう向き合うか」という心の姿勢を穏やかに整えてくれます。

良い初夢を見たなら、「今年はきっと大丈夫」と自分を励ます切っ掛けに出来ます。あまり嬉しくない夢だったとしても、「ここから上向きにする余地があるんだな」と受け止め直すことができます。夢は未来を決めつけるものではなく、「これからどう生きるか」をそっと問いかけてくるメッセージに過ぎません。だからこそ、私たちは、どんな夢であっても、それを自分の味方に変えていく力を持っています。

お正月が近づいたら、是非、少しだけ時間をとって「どんな一年にしたいか」「どんな初夢だったら、明日からの自分を応援してくれるか」を静かに思い描いてみてください。そして、準備が整ったら、後は肩の力を抜いて、温かい布団に身を委ねるだけです。初夢がどのような姿で訪れたとしても、その先の一年を形作るのは、日々の小さな選択と、前を向いて歩き続けるあなた自身の力です。この一年が、あなたにとって少しでもやさしく、心温まるものになりますように。初夢が、その第一歩を照らす小さな灯りとなってくれたら、これほど心強いことはありません。

今日も閲覧ありがとうございましたm(__)m


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